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密室の遺言状 カイン・アッシュフォード版
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第一章 死者からの招待
十二月の寒い夜、私は一通の手紙を受け取った。
差出人は、三ヶ月前に他界したはずの叔父、桐生総一郎だった。
封筒には確かに叔父の筆跡で私の名前が書かれており、消印は叔父の命日の前日。つまり、叔父は死の直前にこの手紙を投函したことになる。
『親愛なる甥、柊一馬へ
突然の手紙で驚かせて申し訳ない。この手紙が君の元に届く頃、私はもうこの世にいないだろう。
私は殺される。犯人は、私の遺産を狙う者の中にいる。
十二月二十四日、クリスマスイブの夜八時、私の山荘に来てほしい。そこで真実を知ることになる。他の相続人たちにも同様の手紙を送った。
必ず来てくれ。君だけが、この謎を解ける。
桐生総一郎』
私は推理作家だ。叔父はそれを知っていて、この奇妙な招待状を送ってきたのだろう。
十二月二十四日、午後七時。私は雪に閉ざされた山道を車で登っていた。
桐生山荘は、山奥の森の中にある洋館だ。叔父が晩年を過ごした場所で、三ヶ月前、この館で毒殺されたとされている。
玄関に着くと、すでに五人の客が到着していた。
「やあ、一馬くん。久しぶりだね」
声をかけてきたのは、叔父の元秘書、真田俊介だった。四十代半ば、眼鏡をかけた神経質そうな男だ。
「真田さん。他の方々は?」
「全員、手紙を受け取って来たようだよ。それと、新しい客人もいる」
リビングには、私を含めて七人が集まっていた。
真田俊介、叔父の秘書。遺産の一部を遺贈される予定。
桐生麗子、叔父の姪で私の従姉。三十代前半の美人だが、冷たい性格で知られている。
天野修一、叔父の主治医。五十代の温厚そうな男性。
佐々木健太、叔父の会社の元部下。三十代の野心家。
そして、見知らぬフランス人男性。
「カイン・アッシュフォードです」
彼は流暢な日本語で自己紹介した。四十代前半、黒髪に疲れた目、そして深い憂いを湛えた表情。身なりは質素だが、どこか品があった。
「元外交官で、三年前から日本に住んでいます。桐生さんとは、ビジネスでお世話になっていました」
カインの声には、重い影が宿っていた。まるで、何か大きな罪を背負っているかのような。
「それで、なぜ私たちはここに呼ばれたんですか?」佐々木が苛立った様子で言った。「桐生さんはもう亡くなっているのに」
その時、古い振り子時計が八時を告げた。
すると、リビングの大型テレビが突然点いた。
画面には、叔父の姿が映し出された。これは、録画映像だ。
『皆さん、お集まりいただきありがとうございます。私、桐生総一郎は、三ヶ月前に毒殺されました』
叔父の声が、静かに響く。
『犯人は、この中の誰かです。私は、自分が殺されることを予見していました。だから、この映像を残したのです』
「何ですって!?」麗子が叫んだ。
『この館のどこかに、私は遺言状を隠しました。その遺言状には、犯人の名前が記されています。それを見つけた者に、私の全財産を譲ります』
ざわめきが広がる。
『ただし、条件があります。遺言状は密室の中に隠されています。そして、その部屋に入れるのは、真実を見抜いた者だけです』
『柊一馬。甥よ、君に頼みます。この謎を解き、犯人を暴いてください』
画面が暗転した瞬間、カインが突然立ち上がった。
「待ってください。桐生さんは、毒殺されたと言いましたね?」
「ええ、警察の報告では、ワインに毒が混入されていたと」天野医師が答えた。
カインの顔色が変わった。
「そのワインを、渡したのは......」
その瞬間、館の全ての電気が消えた。
第二章 密室の謎
悲鳴が上がる。数秒後、電気が復旧した。
だが、カイン・アッシュフォードが、倒れていた。
「カインさん!」
私は彼に駆け寄った。彼は呼吸はしているが、意識を失っている。
天野医師が診察した。
「ショック状態のようです。強いストレスが原因でしょう。しばらく休ませましょう」
カインを一階の客室に運び込むと、私は彼のポケットから一枚のメモが落ちるのを見た。
拾い上げると、そこには震える筆跡でこう書かれていた。
『私が、桐生さんを殺した。ワインに毒を入れたのは、私だ』
全員が、その内容を見た。
「これは......自白ですか?」真田が驚愕する。
「待ってください」私は冷静に告げた。「これだけでは証拠になりません。なぜ彼が殺したのか、動機も状況も不明です」
その時、二階から物音が聞こえた。
全員で二階へ向かうと、書斎のドアの前で異様な光景を目にした。
書斎のドアが、内側から鍵がかけられている。
「誰かいるんですか!」
応答はない。佐々木が体当たりでドアを破ろうとするが、頑丈な扉は微動だにしない。
「窓から!」
庭に回り、書斎の窓を確認する。だが、窓は内側から施錠されており、カーテンが閉まっていて中が見えない。
しかも、雪が積もった地面には、一切の足跡がなかった。
「これは、完全な密室だ」私は呟いた。
その時、書斎のドアの下から、一枚の紙が滑り出てきた。
私はそれを拾い上げた。
『遺言状は、この部屋にある。入るためには、三つの謎を解け』
そして、三つの文章が記されていた。
『一、罪を背負う者は、誰よりも真実を知る』
『二、時計の針が示すのは、時間ではなく方向』
『三、死者は嘘をつかないが、生者は真実を隠す』
「罪を背負う者......まさか、カインさんのこと?」麗子が呟いた。
私は一階の客室に戻った。カインはまだ意識を失っている。
彼の傍らに、古いフランス語の手帳があった。開いてみると、日記のようだった。
フランス語は読めないが、一つだけ理解できる単語があった。
「エリック......?」
最後のページには、日本語で書かれた一文があった。
『私は、親友を見殺しにした。それが、私の罪だ』
この男は、何か重い罪を背負っている。
リビングに戻ると、振り子時計の針が、通常とは逆方向に回り始めていた。
『時計の針が示すのは、時間ではなく方向』
「そういうことか」私は理解した。「この時計は、何かの方向を指し示している」
時計の針が止まった。それが指す方向は、地下のワインセラーだった。
「地下室に何かあるのか?」
全員で地下室へ向かう。そこは、叔父のワインセラーだった。
暗い地下室の中、私は一本のワインボトルを見つけた。ラベルには、『1995 Château Margaux』と記されている。
そして、ボトルの首に、小さなタグが結ばれていた。
『このワインが、私を殺した。そして、これを渡した者が、犯人だ。だが、その者は悪意を持っていたのか?』
「どういう意味ですか?」佐々木が尋ねた。
天野医師が答えた。
「もしかすると、犯人は自分が毒入りのワインを渡したことに気づいていなかったのかもしれません」
「つまり、無意識の殺人?」
その時、地下室の奥から、かすかな音が聞こえた。
壁を調べると、隠し扉があった。
扉を開けると、そこには小さな部屋があり——
古い写真が、壁一面に貼られていた。
第三章 交錯する過去
写真には、叔父と若き日のカイン・アッシュフォードが写っていた。
二人は親しげに肩を組み、笑っている。場所はパリのようだった。
「カインさんと叔父様、こんなに親しかったの?」麗子が驚く。
さらに写真を見ていくと、もう一人の男性が写っているものがあった。
金髪の若い男性。写真の裏には、『エリック・マーロウ』と書かれていた。
「エリック......カインさんの日記にあった名前だ」
真田が、一枚のメモを見つけた。
『二十年前、パリ。私たちは三人で、ワイン商売を始めた。カイン、エリック、そして私。しかし、ある事故が全てを変えた』
「事故?」
私は記憶を辿った。そういえば、二十年前、叔父はフランスで何かビジネスをしていたと聞いたことがある。
地下室をさらに調べると、古い新聞記事のスクラップが出てきた。
『パリ郊外でワイン輸送車が事故。一名死亡』
記事の日付は、二十年前。
そして、死亡者の名前は——エリック・マーロウ。
「カインさんの親友が、事故で......」
私たちは急いで一階の客室に戻った。
カインが目を覚ましていた。彼は、深い絶望に満ちた目で私たちを見つめた。
「全て、私の責任です」
カインが語り始めた。
二十年前、彼と桐生、そしてエリックの三人は、ワインの輸入ビジネスを立ち上げた。ある日、高級ワインを輸送中、カインが運転する車が事故を起こした。
エリックは即死した。
カインは軽傷だった。
「私が、運転を代わっていれば......エリックは死ななかった」
カインの声は震えていた。
「それ以来、私は罪を背負って生きてきた。外交官としてのキャリアも放棄し、ただ、贖罪のために生きてきた」
「それで、叔父と日本で再会したんですね」私が尋ねた。
「はい。桐生さんは、私を責めませんでした。むしろ、支援してくれた。そして、三ヶ月前、桐生さんは私に一本のワインをくれました」
カインは顔を覆った。
「それが、1995年のシャトー・マルゴーでした。エリックが最も愛したワインです。桐生さんは『君の罪を軽くするために、これを飲んでくれ』と言いました」
「しかし、あなたはそれを飲まず、桐生さんに返した?」
「はい......私は、罪を軽くされる資格がないと思ったんです。だから、『これは桐生さんが飲んでください』と......」
全員が、真実を理解した。
「つまり、カインさんが返したワインに、毒が入っていた」真田が呟いた。
「でも、誰が毒を?」
天野医師が言った。
「可能性は二つ。一つは、誰かがワインに毒を混入した。もう一つは——」
「ワイン自体が、最初から毒だった」私が続けた。「つまり、誰かが故意に毒入りワインをカインさんに渡し、それが巡り巡って叔父の元に戻ってきた」
カインが立ち上がった。
「私が、間接的に桐生さんを殺したんです。私が受け取りを拒否しなければ......」
「いいえ」私は首を振った。「あなたは利用されただけです。真犯人は、あなたの罪悪感を利用して、完璧な殺人を演出した」
その時、二階から大きな音がした。密室の扉が、開いたのだ。
第四章 密室の真実
全員で二階へ駆け上がる。
書斎の扉が、内側から開いていた。
中に入ると、そこには——誰もいなかった。
「またしても、空の密室......」佐々木が呆然とする。
私は部屋を注意深く調べた。書斎は広く、壁一面に本棚が並んでいる。
机の上には、封筒が一つ置かれていた。
封筒には、『真実を知りたい者へ』と書かれている。
中身を確認すると、一枚の紙が入っていた。
『よくここまで来たね、一馬。
さあ、最後の謎を解く時だ。
この密室には、最初から誰もいなかった。それは、心理的トリックだ。
真犯人は、この中にいる。そして、その者は自分が犯人であることに気づいていない』
「自分が犯人であることに気づいていない?」麗子が混乱する。
私は、全ての点が線になるのを感じた。
「カインさん、あなたがワインを受け取った時、他に誰かいましたか?」
「はい......桐生さんの姪の方が、その場にいました」
全員の視線が、麗子に向いた。
「ちょっと待って、私は何もしてない!」
「いいえ、麗子さん。あなたは無意識に、毒をワインに混入していた」
私は推理を展開した。
「叔父は、あなたに何かの液体を持たせていましたね? 『これをワインに数滴垂らしてくれ』と」
麗子の顔色が変わった。
「あ......そういえば、叔父様は『香り付けの液体だ』と言って......」
「それが、毒だったんです。叔父は、あなたを利用して、自分で自分を毒殺する計画を立てていた」
真田が驚愕する。
「自殺......ですか?」
「はい。叔父は、二十年前の事故で罪悪感に苦しんでいた。エリックの死に、自分も責任があると。そして、カインさんの苦しみを見て、決意したんです。自分も罰を受けるべきだと」
私は、書斎の引き出しを開けた。
そこには、本物の遺言状があった。
『私、桐生総一郎は、自らの意思で命を絶つ。
二十年前、エリック・マーロウの死は、私の責任でもあった。あの日、私が車両の整備を怠らなければ、事故は起きなかった。
カイン・アッシュフォード、君は罪悪感に苦しんできた。だが、君だけの罪ではない。私も、同じ罪を背負っている。
だから、私は君と同じ罰を受ける。
麗子、君を利用して申し訳ない。だが、これは私の選択だ。
そして、この物語を解き明かしてくれた一馬へ。
ありがとう。君は、真実を暴いてくれた。
私の全財産は、エリック・マーロウの遺族に寄付してほしい。そして、カインには、もう罪を背負うのをやめてほしい。
私たちは、許されるべきではない。だが、永遠に苦しむ必要もない』
遺言状を読み終えた私は、深い虚無感に襲われた。
カインが、静かに涙を流していた。
「桐生さん......」
麗子も、自分が無意識に殺人に加担していたことに気づき、震えていた。
「私......私が......」
天野医師が彼女を慰めた。
「あなたは悪くない。利用されただけです」
私は窓の外を見つめた。雪が、静かに降り続けている。
「叔父は、最後まで罪に苦しんでいたんですね。そして、カインさんの苦しみを終わらせるために、自分も同じ道を選んだ」
真田が呟いた。
「これは、二人の贖罪の物語だったんですね」
私たちは、沈黙の中で、叔父の遺志を受け止めた。
第五章 贖罪の終わり
警察に通報した後、私たちは叔父の遺言に従って、遺産の処理を進めた。
カイン・アッシュフォードは、最初は遺産を受け取ることを拒否した。
「私には、その資格がない」
だが、私は彼を説得した。
「叔父は、あなたに罪を手放してほしいと願っていました。そして、エリックさんの遺族を支援することで、真の贖罪を果たしてほしいと」
カインは、長い沈黙の後、頷いた。
「わかりました。桐生さんの遺志を、継ぎます」
数週間後、私はカインと共にフランスへ飛んだ。
エリック・マーロウの遺族——彼の妹と、年老いた母親——に会うためだ。
パリ郊外の小さな家で、私たちは彼女たちに真実を告げた。
エリックの妹、マリーは、静かに涙を流した。
「兄は、あなたを責めていませんでした。事故の前日、彼は私に言ったんです。『カインは最高の友人だ』と」
カインは、その言葉に崩れ落ちた。
「エリック......ごめん、ごめんなさい......」
二十年間、背負い続けた罪。
それは、許されることはなくても、受け入れられることはある。
マリーは、カインの肩に手を置いた。
「もう、十分です。兄も、そして桐生さんも、あなたに苦しんでほしくないと思います」
エピローグ
春が来た。
私は、叔父の山荘を訪れていた。
遺産の大部分はエリック・マーロウの遺族と、関連する慈善団体に寄付された。この山荘だけが、私の元に残された。
書斎で、私は新しい小説を書き始めた。
タイトルは、『密室の遺言状』。
叔父とカインの物語を、フィクションとして世に問う。
窓の外、桜が咲いている。
叔父が愛した景色だ。
そして、この景色を、今はカイン・アッシュフォードも愛している。
彼は今、パリとフランスで、エリック・マーロウ財団の理事として働いている。若者たちの支援、交通事故の遺族への援助。
罪を背負いながら、それでも前を向いて生きる。
それが、彼の新しい贖罪の形だ。
私は、ペンを走らせ続けた。
罪と罰。許しと贖罪。
そして、人は重荷を背負いながらも、生きていける。
これは、罪を背負う二人の男の物語。そして、真実を求めた者たちの記録。
密室は、解かれた。
だが、心の密室は、少しずつ開いていく。
時間をかけて、ゆっくりと。
十二月の寒い夜、私は一通の手紙を受け取った。
差出人は、三ヶ月前に他界したはずの叔父、桐生総一郎だった。
封筒には確かに叔父の筆跡で私の名前が書かれており、消印は叔父の命日の前日。つまり、叔父は死の直前にこの手紙を投函したことになる。
『親愛なる甥、柊一馬へ
突然の手紙で驚かせて申し訳ない。この手紙が君の元に届く頃、私はもうこの世にいないだろう。
私は殺される。犯人は、私の遺産を狙う者の中にいる。
十二月二十四日、クリスマスイブの夜八時、私の山荘に来てほしい。そこで真実を知ることになる。他の相続人たちにも同様の手紙を送った。
必ず来てくれ。君だけが、この謎を解ける。
桐生総一郎』
私は推理作家だ。叔父はそれを知っていて、この奇妙な招待状を送ってきたのだろう。
十二月二十四日、午後七時。私は雪に閉ざされた山道を車で登っていた。
桐生山荘は、山奥の森の中にある洋館だ。叔父が晩年を過ごした場所で、三ヶ月前、この館で毒殺されたとされている。
玄関に着くと、すでに五人の客が到着していた。
「やあ、一馬くん。久しぶりだね」
声をかけてきたのは、叔父の元秘書、真田俊介だった。四十代半ば、眼鏡をかけた神経質そうな男だ。
「真田さん。他の方々は?」
「全員、手紙を受け取って来たようだよ。それと、新しい客人もいる」
リビングには、私を含めて七人が集まっていた。
真田俊介、叔父の秘書。遺産の一部を遺贈される予定。
桐生麗子、叔父の姪で私の従姉。三十代前半の美人だが、冷たい性格で知られている。
天野修一、叔父の主治医。五十代の温厚そうな男性。
佐々木健太、叔父の会社の元部下。三十代の野心家。
そして、見知らぬフランス人男性。
「カイン・アッシュフォードです」
彼は流暢な日本語で自己紹介した。四十代前半、黒髪に疲れた目、そして深い憂いを湛えた表情。身なりは質素だが、どこか品があった。
「元外交官で、三年前から日本に住んでいます。桐生さんとは、ビジネスでお世話になっていました」
カインの声には、重い影が宿っていた。まるで、何か大きな罪を背負っているかのような。
「それで、なぜ私たちはここに呼ばれたんですか?」佐々木が苛立った様子で言った。「桐生さんはもう亡くなっているのに」
その時、古い振り子時計が八時を告げた。
すると、リビングの大型テレビが突然点いた。
画面には、叔父の姿が映し出された。これは、録画映像だ。
『皆さん、お集まりいただきありがとうございます。私、桐生総一郎は、三ヶ月前に毒殺されました』
叔父の声が、静かに響く。
『犯人は、この中の誰かです。私は、自分が殺されることを予見していました。だから、この映像を残したのです』
「何ですって!?」麗子が叫んだ。
『この館のどこかに、私は遺言状を隠しました。その遺言状には、犯人の名前が記されています。それを見つけた者に、私の全財産を譲ります』
ざわめきが広がる。
『ただし、条件があります。遺言状は密室の中に隠されています。そして、その部屋に入れるのは、真実を見抜いた者だけです』
『柊一馬。甥よ、君に頼みます。この謎を解き、犯人を暴いてください』
画面が暗転した瞬間、カインが突然立ち上がった。
「待ってください。桐生さんは、毒殺されたと言いましたね?」
「ええ、警察の報告では、ワインに毒が混入されていたと」天野医師が答えた。
カインの顔色が変わった。
「そのワインを、渡したのは......」
その瞬間、館の全ての電気が消えた。
第二章 密室の謎
悲鳴が上がる。数秒後、電気が復旧した。
だが、カイン・アッシュフォードが、倒れていた。
「カインさん!」
私は彼に駆け寄った。彼は呼吸はしているが、意識を失っている。
天野医師が診察した。
「ショック状態のようです。強いストレスが原因でしょう。しばらく休ませましょう」
カインを一階の客室に運び込むと、私は彼のポケットから一枚のメモが落ちるのを見た。
拾い上げると、そこには震える筆跡でこう書かれていた。
『私が、桐生さんを殺した。ワインに毒を入れたのは、私だ』
全員が、その内容を見た。
「これは......自白ですか?」真田が驚愕する。
「待ってください」私は冷静に告げた。「これだけでは証拠になりません。なぜ彼が殺したのか、動機も状況も不明です」
その時、二階から物音が聞こえた。
全員で二階へ向かうと、書斎のドアの前で異様な光景を目にした。
書斎のドアが、内側から鍵がかけられている。
「誰かいるんですか!」
応答はない。佐々木が体当たりでドアを破ろうとするが、頑丈な扉は微動だにしない。
「窓から!」
庭に回り、書斎の窓を確認する。だが、窓は内側から施錠されており、カーテンが閉まっていて中が見えない。
しかも、雪が積もった地面には、一切の足跡がなかった。
「これは、完全な密室だ」私は呟いた。
その時、書斎のドアの下から、一枚の紙が滑り出てきた。
私はそれを拾い上げた。
『遺言状は、この部屋にある。入るためには、三つの謎を解け』
そして、三つの文章が記されていた。
『一、罪を背負う者は、誰よりも真実を知る』
『二、時計の針が示すのは、時間ではなく方向』
『三、死者は嘘をつかないが、生者は真実を隠す』
「罪を背負う者......まさか、カインさんのこと?」麗子が呟いた。
私は一階の客室に戻った。カインはまだ意識を失っている。
彼の傍らに、古いフランス語の手帳があった。開いてみると、日記のようだった。
フランス語は読めないが、一つだけ理解できる単語があった。
「エリック......?」
最後のページには、日本語で書かれた一文があった。
『私は、親友を見殺しにした。それが、私の罪だ』
この男は、何か重い罪を背負っている。
リビングに戻ると、振り子時計の針が、通常とは逆方向に回り始めていた。
『時計の針が示すのは、時間ではなく方向』
「そういうことか」私は理解した。「この時計は、何かの方向を指し示している」
時計の針が止まった。それが指す方向は、地下のワインセラーだった。
「地下室に何かあるのか?」
全員で地下室へ向かう。そこは、叔父のワインセラーだった。
暗い地下室の中、私は一本のワインボトルを見つけた。ラベルには、『1995 Château Margaux』と記されている。
そして、ボトルの首に、小さなタグが結ばれていた。
『このワインが、私を殺した。そして、これを渡した者が、犯人だ。だが、その者は悪意を持っていたのか?』
「どういう意味ですか?」佐々木が尋ねた。
天野医師が答えた。
「もしかすると、犯人は自分が毒入りのワインを渡したことに気づいていなかったのかもしれません」
「つまり、無意識の殺人?」
その時、地下室の奥から、かすかな音が聞こえた。
壁を調べると、隠し扉があった。
扉を開けると、そこには小さな部屋があり——
古い写真が、壁一面に貼られていた。
第三章 交錯する過去
写真には、叔父と若き日のカイン・アッシュフォードが写っていた。
二人は親しげに肩を組み、笑っている。場所はパリのようだった。
「カインさんと叔父様、こんなに親しかったの?」麗子が驚く。
さらに写真を見ていくと、もう一人の男性が写っているものがあった。
金髪の若い男性。写真の裏には、『エリック・マーロウ』と書かれていた。
「エリック......カインさんの日記にあった名前だ」
真田が、一枚のメモを見つけた。
『二十年前、パリ。私たちは三人で、ワイン商売を始めた。カイン、エリック、そして私。しかし、ある事故が全てを変えた』
「事故?」
私は記憶を辿った。そういえば、二十年前、叔父はフランスで何かビジネスをしていたと聞いたことがある。
地下室をさらに調べると、古い新聞記事のスクラップが出てきた。
『パリ郊外でワイン輸送車が事故。一名死亡』
記事の日付は、二十年前。
そして、死亡者の名前は——エリック・マーロウ。
「カインさんの親友が、事故で......」
私たちは急いで一階の客室に戻った。
カインが目を覚ましていた。彼は、深い絶望に満ちた目で私たちを見つめた。
「全て、私の責任です」
カインが語り始めた。
二十年前、彼と桐生、そしてエリックの三人は、ワインの輸入ビジネスを立ち上げた。ある日、高級ワインを輸送中、カインが運転する車が事故を起こした。
エリックは即死した。
カインは軽傷だった。
「私が、運転を代わっていれば......エリックは死ななかった」
カインの声は震えていた。
「それ以来、私は罪を背負って生きてきた。外交官としてのキャリアも放棄し、ただ、贖罪のために生きてきた」
「それで、叔父と日本で再会したんですね」私が尋ねた。
「はい。桐生さんは、私を責めませんでした。むしろ、支援してくれた。そして、三ヶ月前、桐生さんは私に一本のワインをくれました」
カインは顔を覆った。
「それが、1995年のシャトー・マルゴーでした。エリックが最も愛したワインです。桐生さんは『君の罪を軽くするために、これを飲んでくれ』と言いました」
「しかし、あなたはそれを飲まず、桐生さんに返した?」
「はい......私は、罪を軽くされる資格がないと思ったんです。だから、『これは桐生さんが飲んでください』と......」
全員が、真実を理解した。
「つまり、カインさんが返したワインに、毒が入っていた」真田が呟いた。
「でも、誰が毒を?」
天野医師が言った。
「可能性は二つ。一つは、誰かがワインに毒を混入した。もう一つは——」
「ワイン自体が、最初から毒だった」私が続けた。「つまり、誰かが故意に毒入りワインをカインさんに渡し、それが巡り巡って叔父の元に戻ってきた」
カインが立ち上がった。
「私が、間接的に桐生さんを殺したんです。私が受け取りを拒否しなければ......」
「いいえ」私は首を振った。「あなたは利用されただけです。真犯人は、あなたの罪悪感を利用して、完璧な殺人を演出した」
その時、二階から大きな音がした。密室の扉が、開いたのだ。
第四章 密室の真実
全員で二階へ駆け上がる。
書斎の扉が、内側から開いていた。
中に入ると、そこには——誰もいなかった。
「またしても、空の密室......」佐々木が呆然とする。
私は部屋を注意深く調べた。書斎は広く、壁一面に本棚が並んでいる。
机の上には、封筒が一つ置かれていた。
封筒には、『真実を知りたい者へ』と書かれている。
中身を確認すると、一枚の紙が入っていた。
『よくここまで来たね、一馬。
さあ、最後の謎を解く時だ。
この密室には、最初から誰もいなかった。それは、心理的トリックだ。
真犯人は、この中にいる。そして、その者は自分が犯人であることに気づいていない』
「自分が犯人であることに気づいていない?」麗子が混乱する。
私は、全ての点が線になるのを感じた。
「カインさん、あなたがワインを受け取った時、他に誰かいましたか?」
「はい......桐生さんの姪の方が、その場にいました」
全員の視線が、麗子に向いた。
「ちょっと待って、私は何もしてない!」
「いいえ、麗子さん。あなたは無意識に、毒をワインに混入していた」
私は推理を展開した。
「叔父は、あなたに何かの液体を持たせていましたね? 『これをワインに数滴垂らしてくれ』と」
麗子の顔色が変わった。
「あ......そういえば、叔父様は『香り付けの液体だ』と言って......」
「それが、毒だったんです。叔父は、あなたを利用して、自分で自分を毒殺する計画を立てていた」
真田が驚愕する。
「自殺......ですか?」
「はい。叔父は、二十年前の事故で罪悪感に苦しんでいた。エリックの死に、自分も責任があると。そして、カインさんの苦しみを見て、決意したんです。自分も罰を受けるべきだと」
私は、書斎の引き出しを開けた。
そこには、本物の遺言状があった。
『私、桐生総一郎は、自らの意思で命を絶つ。
二十年前、エリック・マーロウの死は、私の責任でもあった。あの日、私が車両の整備を怠らなければ、事故は起きなかった。
カイン・アッシュフォード、君は罪悪感に苦しんできた。だが、君だけの罪ではない。私も、同じ罪を背負っている。
だから、私は君と同じ罰を受ける。
麗子、君を利用して申し訳ない。だが、これは私の選択だ。
そして、この物語を解き明かしてくれた一馬へ。
ありがとう。君は、真実を暴いてくれた。
私の全財産は、エリック・マーロウの遺族に寄付してほしい。そして、カインには、もう罪を背負うのをやめてほしい。
私たちは、許されるべきではない。だが、永遠に苦しむ必要もない』
遺言状を読み終えた私は、深い虚無感に襲われた。
カインが、静かに涙を流していた。
「桐生さん......」
麗子も、自分が無意識に殺人に加担していたことに気づき、震えていた。
「私......私が......」
天野医師が彼女を慰めた。
「あなたは悪くない。利用されただけです」
私は窓の外を見つめた。雪が、静かに降り続けている。
「叔父は、最後まで罪に苦しんでいたんですね。そして、カインさんの苦しみを終わらせるために、自分も同じ道を選んだ」
真田が呟いた。
「これは、二人の贖罪の物語だったんですね」
私たちは、沈黙の中で、叔父の遺志を受け止めた。
第五章 贖罪の終わり
警察に通報した後、私たちは叔父の遺言に従って、遺産の処理を進めた。
カイン・アッシュフォードは、最初は遺産を受け取ることを拒否した。
「私には、その資格がない」
だが、私は彼を説得した。
「叔父は、あなたに罪を手放してほしいと願っていました。そして、エリックさんの遺族を支援することで、真の贖罪を果たしてほしいと」
カインは、長い沈黙の後、頷いた。
「わかりました。桐生さんの遺志を、継ぎます」
数週間後、私はカインと共にフランスへ飛んだ。
エリック・マーロウの遺族——彼の妹と、年老いた母親——に会うためだ。
パリ郊外の小さな家で、私たちは彼女たちに真実を告げた。
エリックの妹、マリーは、静かに涙を流した。
「兄は、あなたを責めていませんでした。事故の前日、彼は私に言ったんです。『カインは最高の友人だ』と」
カインは、その言葉に崩れ落ちた。
「エリック......ごめん、ごめんなさい......」
二十年間、背負い続けた罪。
それは、許されることはなくても、受け入れられることはある。
マリーは、カインの肩に手を置いた。
「もう、十分です。兄も、そして桐生さんも、あなたに苦しんでほしくないと思います」
エピローグ
春が来た。
私は、叔父の山荘を訪れていた。
遺産の大部分はエリック・マーロウの遺族と、関連する慈善団体に寄付された。この山荘だけが、私の元に残された。
書斎で、私は新しい小説を書き始めた。
タイトルは、『密室の遺言状』。
叔父とカインの物語を、フィクションとして世に問う。
窓の外、桜が咲いている。
叔父が愛した景色だ。
そして、この景色を、今はカイン・アッシュフォードも愛している。
彼は今、パリとフランスで、エリック・マーロウ財団の理事として働いている。若者たちの支援、交通事故の遺族への援助。
罪を背負いながら、それでも前を向いて生きる。
それが、彼の新しい贖罪の形だ。
私は、ペンを走らせ続けた。
罪と罰。許しと贖罪。
そして、人は重荷を背負いながらも、生きていける。
これは、罪を背負う二人の男の物語。そして、真実を求めた者たちの記録。
密室は、解かれた。
だが、心の密室は、少しずつ開いていく。
時間をかけて、ゆっくりと。
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