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第14章 さよならの儀式
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しおりを挟む「この国を、どうする気だ」
暗闇に向かって声をかける。
そこに居るはずの相手は、何も応えない。ただ静寂が返ってくるだけ。
このやり取りももう何度目か。数えるのも面倒になって途中で放棄した。
今自分は、囚われの身。城の地下深く、特別な出入り口を通ってでしかここへは辿り着けない。
なんと、無様。
永く捕らえていたはずの相手に、今度は同じ部屋に捕らえられるとは。
ここまで自分の力が、衰えているとは。
リズの為にあつらえた、大きなベッドの上。結界を張られてこのベッドより外側へは出られない。
本来の持ち主は、薄い絹のカーテンの向こう。倒壊した壁の隙間から見える景色に何やら思いを馳せていて、こちらのことは一度も見ない。気にする素振りもない。
――リシュカ。無事だろうか。引き離されてから、シエルに連れていかれてから大分時間が経つ。
あれからどれくらい経ったのか。時間を知る術はなく、シエルの魔法によって届けられる食事の回数でなんとか時間をはかるも、それすら曖昧だ。
今、この城はどうなっている。
この、国は。
――マオ。
胸の内で呼ぶだけで、鈍く鋭い痛みが胸を刺す。
あんな、あんな顔を。させるなんて。
あんな思いをさせるなんて。
あの光景が、マオの悲痛なあの表情が、胸に灼きついて離れない。
白いカラスの眼を通して映し出される光景を、自分もここですべて見ていた。一切の自由を奪われて、ただ見ていることしかできなかった。何もできずに、ただ。マオの心と体が傷つくのを見ていただけ。
それから交信と映像は途絶え、リシュカの魔法も解くよう指示され、そして自分だけがこの部屋に残された。
今やほとんど契約から解放されたリズと、ふたりこの部屋に。
だがまだここに、城内に留まっていてくれているだけ幸運だ。命拾いをしたともいう。
もはや血に刻まれたリズとの契約は、リズの意志ひとつ。おれにリズを留めておける力も術も残ってはいない。
すぐに、ここから。城から出ていくと思っていた。
裏でリズとシエルが手を組んでいたと知った時。
絶望と共に、諦めにも似たあの焦燥。
そして、覚悟した。自分の死を。
リズがここから出ていけば、おれの呪いを封じる手立てはない。進行するだけでなく、その反動で返ってくる分も大きい。呪いは一気に加速し、あっという間におれの体を蝕むだろう。
おそらくおれに、この体に。時間は残されていない。もう、殆ど。
それでもまだ。すべてを諦めるわけにはいかない。
おれに出来ることが、まだ。あるはずだ。この国がまだ亡びていない限り。
おれがここに、居る限り。
かつん、と。静寂に足音が響いた。
咄嗟に身を起こして体勢を構える。
シエルだ。
ゆっくりと足音を響かせながら、ベッドへと近づいてくる。
リズはそれにすらも無反応だ。まるで心がここにはないように。
「……顔色が悪いね、シアン。食事はちゃんととっているかい」
「…どの口が。すべての元凶はおまえだろう…!」
何を、飄々と。
捕えた敵国の相手、国王に向かってとんだ戯言を。
皮肉を込めて笑いを返す。
離れる前とまるで変わらないその様子は、シエルがまだこの城に居た時と――共に学び、この国を背負っていた時と同じもの。
せめて敵だと思わせてくれ。
おまえが奪ったものの大きさを、ちゃんと自分にはからせてくれ。
じゃないと揺らぐ。決心が。
自分はこの、血の半分しか繋がらない、それでも半分は繋がった兄が――嫌いではなかった。
好きだったのだ。この兄が。
おれには優しかった。国民にも愛されていた。海を、神々を誰よりも敬っていた。
それなのに、何故。
だがすべてはこの国が招いたこと。
無実の罪を問われ国を追われた兄が、この国を、おれを恨もうと不思議ではないのだろう。
それが理解できないほど子供ではない。
もう別れを嘆き泣いていたあの頃のような。何の権力も力も持たなかった子供ではないのだ。
おれがこの国の王なのだから。
「五日後。両国の国境海域にて、攻撃を開始する。開戦だ」
表情を変えずに。まるで天気の話でもするように、シエルがそう切り出した。
ぐ、っと。奥歯を噛む。
一番恐れていた事態。開戦は避けられない。とうに分かっていた。だが。
その始まりを告げるのが、この場所で、この男だなんて。
「上にまだ、シルビアがいる。今ここで降伏して城を放棄しなさい。そうすれば命は見逃してやろう。シルビアにかけあって」
「…なにを、馬鹿なことを」
「国を棄てろと言っているんだ」
「…それがどういうことか、分かっているのか…?」
おそらく自分は、わらっていた。泣いてはいなかったはずだ。どんなに胸が痛んでも。
シエルが真っ直ぐ見据えているその瞳。
自分と同じ色。揃いのそれが、昔は誇りだった。
憧れていた。この人に。
「国を捨てるということは、国民を見殺しにするということだ…王だけがおめおめと生き延びるなどとそんな愚かな話があってたまるか。おれはこの国の国王だ! おれの首を持っていけ! …民の命の代わりに……!」
港では今もきっと。
多くの兵士が、魔導師が、志願の民兵が。戦の準備を進めているだろう。
開戦する以上、まだこの国が国で在る証拠。
この国がまだ残っている限り、例えおれが捕えられている間もその命令は覆らない。
家族を、友を、生まれた地を守る為。
死ににいくのだ。国を、おれを守る為に。
「…変わらないね。シアン。そんなおまえの真っ直ぐな心が、民の心を動かすのだろう。そして、その心が。民の命を奪うのだ」
「……!」
――マオの腕に、抱かれていた。
血だらけの少年。マオがジャスパーと、呼んでいた。
マオを庇い神の力によってその命を奪われた、この国の民。
いや、違う。
彼はこの戦争の最初の犠牲者だ。
命じたのはおれなのだ。この戦争の、国の為に尽くせと。
マオからあの少年を奪ったのは、おれだ。
「おまえに何と言われようと、思われようと。僕はこの国を手に入れて、そして亡ぼす。必ずだ」
「…っ、だったら!」
バン! と、透明な見えない壁を思い切り叩く。
目の前に居るシエルにこの拳は届かない。
その目はもうおれを。見てなどいない。その心は既に、遥か遠い。こんなに遠くまで来てしまったのか。おれ達は。
「だったらおれを殺せシエル! おれの命はこの国と共にある! 例え呪いだろうとおまえの手であろうと! おれが生きている限り、誰にも奪わせはしない…絶対に!」
「……」
シエルは息を吐き出すように、小さく笑った。
それは小さな憐みと、遠い昔に見た慈しみにも似た。
どうして、そんな顔で笑うのか。
今おれからすべてを奪おうとしているのは目の前の兄に他ならないのに。
どうして昔のように、兄の顔をおれに晒すのか。
「この世界にいる限り、おまえがこの国の王である限り、その呪いは解けやしない。その身を、魂を、灼き尽くす。おまえがおまえである限り、おまえは死に向かうのだろう。自分の掲げる正義の為だけに。それはとても愚かでひとり善がりな選択だよ、シアン。今のきみには、誰も守れない」
胸を刺すその言葉に、一瞬呼吸が止まるような錯覚。ぐ、と拳を握りしめる。
そんなおれを見つめたままシエルがパチンと指を鳴らす。それと同時にその後ろから、静かにリシュカが現れた。
「リシュカ! 無事だったか…!」
「…ジェイド様…!」
ふ、と結界が突如解かれ、ベッドの上から転げ落ちる。
油断していた。リシュカが慌てて駆け寄ってくる。
「最後の猶予をあげよう。決めるのはおまえだ、シアン。ちゃんと別れをしておいで」
「…どういう、ことだ…?」
「…今回の、アトラスとの契約。あの力と性格は想定外としても、一番の想定外はあの少女。確か、名前はマオ。…おまえが異世界より喚び出したんだってね。まるで伝承の少女のように」
「…! 何を、言って…」
「この戦いの勝敗を、大きく左右し得る存在。未知であり、けれどもあの力は脅威だ。もう捨てては置けない。あの子をもとの世界に帰しなさい。でなければ、僕が彼女を殺す」
「……!」
何を、言っているんだ。頭が上手くついていかない。
だがシエルの懸念は理解できる。
マオが神の力に覚醒した瞬間を、おれも見ていたのだ。
力を手にし、その力に呑まれそうになるその瞬間を。
そして自らの刃で、血まみれになるあの姿を。
この世界で、マオは。
自らの力で自分の居場所を、役目を、味方を勝ち得てきた。おれの助けなどなくとも、ひとりで。
それなのに。
望まぬ力を手に入れて、そして大事なものを失った。
きっと今、絶望の淵に居る。あの泣き顔が何度も胸の奥を灼く。
戦争が始まれば、もしかしたらまた。
もうこれ以上マオに…失ってほしくない。
まだ間に合うのなら…帰れるのなら――
シエルは言葉を呑み込むおれから視線を外し、部屋の片隅で壊れた壁ばかりを見つめているリズの方へと向けた。
「リズ、きみも。行っておいで。きみの探し物は、そこにある」
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