アイより愛し~きみは青の王国より~

藤原いつか

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第15章 遥か彼方、わすれもの

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 同じ制服を着て、同じ世界の、同じ場所から来たひと。そして異なる世界で出会った。
 薄いメガネのレンズ越しにあたしを見下ろすその冷たい瞳。
 何故だかもうひとつの世界での彼のほうが、もっと熱のある瞳をしていた気がした。

「…どうして、ここに…」

 あの世界――シェルスフィアで出会ったリュウは、確か2年前にシェルスフィアにきたと言っていた気がする。
 そしてリュウのネクタイの色は、あたしとは別の学年を示す色。そうすると少なくとも年上、つまりはもうこの学校に在学はしていないはずだ。
 ただ傍目にはそれは分からないので、違和感があるわけではない。

 リュウは不機嫌そうに視線を周辺に巡らせて、それからその威圧的な視線であたしの目の前の席に座っていた凪沙に無言で退席を促す。
 流石に上級生であるリュウの高圧的な態度にたじろいだ凪沙は、仕方なさそうに席を開けた。そこに当然のようにリュウが腰を下ろす。
 あたしの周りを囲っていた加南や早帆たちが、口を挟むべきかを迷いながらも、リュウの態度に気圧されて噤んでいるのが分かった。
 ただひとり、七瀬だけは。あたしの隣りから譲らずなりゆきを見守っている。

「内緒話もできないな。相変わらず鬱陶しい場所だなここは」

 心底つまらそうに呟いたリュウの視線は七瀬に、そしておそらく心は別の場所にある。
 遠回しに七瀬にも「どけ」と言っているのが、あたしにも、おそらく七瀬にも分かっていた。だけどやっぱり七瀬は退かない。その様子にリュウは分かり易く眉間に皺を寄せたまま、ため息交じりにメガネのフレームを押し上げた。
 “ここ”とリュウが指したのは、この場所や学校という場所ではなく、この世界そのものを疎んでいるのだと、リュウの言葉の端々に滲んでいた。
 そうだ。リュウは。
 自らこの世界を捨てて、別の世界に居場所を見つけたひと。
 尚更、何故。ここに。

「お前も、気付いていただろう。こことあちらとの、時間のずれを」

 周囲の雑音も気配も好奇の視線もすべてリュウは意識の外に置いて、あたしに向かってそう切り出した。
 思わずその顔を凝視する。何の話かは嫌でも分かった。聞かれても誤魔化せる程度に言葉を濁したそれは、今は聞きたくてだけど聞きたくない話。
 なのにあたしは視線を、逸らせない。決して耳を塞ぐこともリュウの口を塞ぐこともできない。
 深刻な面持ちで話し始めたあたし達に、遠巻きに見ていた好奇視線も徐々に剥がれる。興味が余所に移っていくのが分かった。一部を除いて。

「あちらでの2年。だけどこちらでは、1か月も経っていなかった」
「……!」

 ――そうだ。ふたつの世界を行き来するなかで、何度も頭を抱えた時間のずれ。
 法則性があるのかは分からない。だけどふたつの世界の間には、どうしても生じる“ずれ”があった。

「…セレスが、言うには。いちばん始め、この世界を繋いだ“女神リズ”の扉を、再度繋げられるものは本人より他にいなかった。だけどその力を継いだトリティアが、どうしても扉を繋ぐ為、契約より解放された後に幾度となくこの世界に穴を開けた。だけど不完全なその穴は、時間のずれという不和を生む。トリティアひとりでは完全には繋ぐことはできなかった」

 ――その、一番はじめがいつなのか、すぐに分かった。
 いちばん始め。すべての始まり。
 それはリズさんと、お母さんとの出会い。

「セレスは時間を司る。その力を以て、俺はあちらに行くことができた。トリティアの開けた穴の、残骸を使って」
「…リュウは…誰かに、呼ばれたの?」

 おそらく。あたしも同じルートを辿った。そのきっかけが、シアの“召喚”だったのだろう。

「…俺の場合は、逆だった。俺の呼びかけに、応えたのがセレスだった。だがこの世界ではセレスの存在は許されない。だから俺はこの世界を捨てた」
「…ッ、どうして…っ」

 以前も確か、こんなやりとりをした気がする。
 互いの価値観が噛み合わず、やるせなさと憤りともどかしさ。越えられない壁を感じたあの時。
 だけど何故か今リュウは、ここに居る。あたしと、同じ側に。
 リュウの行動の意図が掴めないあたしはただ俯いて歯噛みする。机の上でその拳を固く握りながら。

「…俺も。生まれた世界が、大事だった。その世界で生きる者も、そして自分と血の繋がった兄弟も」

 小さく。零したリュウのその言葉に混じる違和感に、ゆっくりと顔を上げた。
 レンズ越しのその瞳。そこには見覚えのある熱。リュウが僅かに晒した心の糧。

「俺はアズールで生まれ、この世界に捨てられた」
「……!」

 思わず言葉を失い目を丸くするあたしを嘲るように、リュウは強気な笑みを崩さずに続ける。なんでもない昔話を、笑い飛ばすかのように。

「望まれぬ命だった為に、生きたまま弔いの海に流された。そこでセレスが俺を拾い、そしてこの世界に俺を落とした。俺を拾ったのは子どものいない夫婦で、大事に育てられた。だけど俺は、ずっと知っていた。分かっていた。俺の生きる世界はここではないことを」

 その生立ちは、それこそまるで。物語の中のように残酷でリュウの孤独がその瞳の奥で慟哭をあげているよう。
 そして何も知らなかったとはいえあたしの自分勝手で押し付けがましい価値観の、なんて薄っぺらさ。リュウに全く響かないのも当然だ。
 人にはそれぞれの、生きた過去と歴史がある。自分にしか知り得ない幸福も不幸も傷痕も。

「育てられた父母に恩はある。だけどこの世界には何の情も感慨も無い。だからあの世界で生きると決めていた…だが。父母に礼も別れもないまま家を出たことだけは…ずっと、気掛かりだった。ただ、それだけが」

 心残りだったんだ。リュウの唯一の。
 でも、そうまでしてでも選んだ世界を、何故あたしを連れ戻す為だけに、捨てたのか。益々理解できない。自分の捨てた世界に、戻ってきた理由が――

「それももう、済ませてきた。これで俺の心残りはない」

 きっぱりと言い放ち、再びその冷たく鋭い視線があたしを射ぬく。
 別れを、告げてきたということだろうか。
 育てのご両親との、“別れ”――?
 じゃあ、リュウはこの後どうするつもりで…

「…俺があの世界へ行くのに使った道は、お前とは違う道だ」

 そこまで、言われて。
 ようやくリュウの言わんとしていることが、脳に到達する。

「お前はあの旧校舎のプールを使っていたようだな。俺が使った道は、違う」

 鼓動が、はやくなる。
 リュウの言う通り。あたしがシェルスフィアとこの世界を行き来するのに使っていたのは旧校舎のプール。
 だけど、そうか。
 あそこが使えるようになったのは、ごく最近の一部の期間だけ。リュウが使えるはずがなかったんだ。
 それにあたしにはもうトリティアはついていない。扉は、もう。あたしひとりの力では、開けられないと思っていた。
 だけど、リュウなら――あたしとは別の道で、別のやり方で世界を渡ったリュウなら。
 
 別の、道が。
 シェルスフィアへ通じる別の道があるはずなんだ――!


「それがまだ使えるはずだ。セレスと俺がまだ、繋がっている限り。…お前は、どうする。マオ」

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