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第一部 記憶喪失と竜の子

騎士団の人々

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「助かりました。フィーブルさん」

 予期せぬ突然の登場ではあったが、彼女、フィーブルによって難を逃れたことに変わりはない。
 落ち着かない様子で視線を空に逃がしている彼女に、俺は改めて礼を言う。

「い、いえいえ……。私、騎士として当然のことをしただけですからぁ……」

 謙虚にしながら、口をくしゃくしゃにして照れると耳が嬉しそうに動いた。
 自分の尻尾の毛を触りながら、えへへ。と笑っているのを見ると、先ほど男を殴り倒した人物とは思えなくなってきそうだ。
 草食の大型動物は体こそ大きく逞しいが、危険が無い限りはのんびりとしているように、彼女もまた普段は穏やかな人なのだろうと思う。フィーブルは牛や羊を思わせる種族で間違いなさそうだ。

「ところで、その今倒れてる人も騎士だって言ってたんですけど……」

「えっ! えぇ~~?! そうだったんですかぁ~?!」

 スーをさらった自称騎士を指差すと、再びフィーブルが慌て出す。

「はわわゎ、本当だ……! うわぁー、どうしよう……うぅ……!」

 本当に気付いていなかったのだろう。彼女は自ら鉄槌を下した男の前に膝を付く。膝をついてもまだ大きい。
 そんな彼女の広い背中にまた、

「おい、クソ牛」

 見知らぬ人物の片足が乗せられた。

「テメェ、またやりやがったな? 顔潰したら人相が解ンなくなるっつってんだろうがこのノロマ」

「ごご、ごめんなさいごめんなさいぃ……」

 そのまま押し込めフィーブルの体が前に曲がり土下座の姿勢になるまで、新たに現れた口の悪い中年の男は足を離さない。
 彼女の知人のようだが、荒々しい言葉で唾を飛ばす姿は騎士というよりも賊のような男だ。
 よれたシャツに顎の無精髭。言霊に力が宿るとすれば、彼は自分の言葉に外見が形成されて清潔さを欠いてしまったのだろうか。色の抜け始めた金髪だけは短く手入れをしているようだが、全体的には不良親父といった印象だった。

「あ、あの……その辺にしてあげませんか……?」

「ああ? 俺に指図か? いい御身分だなこのクソトンボ」

 臭いそうな足に背中を蹴られ謝り続けるフィーブルがあまりにも可哀想になり、俺は思わず彼に口を出してしまった。
 この男はフィーブルだけでなく誰に対しても攻撃的で高圧的なのだろう。雑な名称を付けて俺にターゲットを切り替えた。この人は、不良中年というより非行なガキ大将か。あとどうして俺がトンボなんだ。

「テメェもテメェだぞ、チンカス。倒れたままのガキほったらかしてンじゃねぇよ」

 俺の方に一気に距離を縮めると、暗がりで見えなかった輪郭がはっきりと見えた。
 フィーブルのような綺麗な布も誘拐犯のような軽鎧も付けていないが、筋肉質で粗暴なその男は、背中に見覚えのある物を背負っていた。

「アプス……! す、すみません」

 スーを誘拐した奴を追うのに必死で、気絶したまま置き去りにしてしまったアプスを彼はここまで運んできてくれたのだった。
 この状況でなければ見た目だけでこの男のほうが誘拐犯に見えてしまう絵面だが、常識的に考えて路地裏に少年が倒れていればまず助ける。そんな常識的な面も持った人間だったのか。

 あまり関わりたくなかったが、俺は彼に借りが一つ出来てしまった。

「保護者がきちんと見てやれ。テメェは何のためにキンタマぶら下げてやがんだ」

 しかし、この人は必要以上に口が汚いな。
 幻滅しそうな表情を出さないようこらえ、彼を仰ぎ見る。
 その男、背中が広いわりに背負い方のバランスが悪いのは性格の通りがさつにアプスを拾ったからだろうと思っていたが、その認識も違ったようだ。
 彼には右腕が存在しなかった。袖に通っている筈の腕が左の片方しかなく、少年を両腕で引き上げることができなかったのだ。

「で? 俺のシマでガキの誘拐って何様のつもりだ? ああ?」

 その人は俺にアプスを見せると直ぐ様、誘拐犯の崩れた顔面に蹴りを入れた。

「うちの奴じゃねぇな。起きて部隊名言えや、このビチグソゲロダンゴ野郎」

 意味不明な彼史上最上級の悪口と共に、この場で尋問を行うつもりなのだろうか。
 男の蹴りが効いたのか、フィーブルの一撃で虫の息になっていた誘拐犯は体力の底を押し上げるようにして、動かない体を無理矢理強張らせる。
 男は躊躇い無く続けざまに彼の顔を踏みつけながら、彼の肩のメダルの彫刻を見た。

「鷹(ギース)ンとこの隊か。いい御身分だな。おい、フィー。持っとけ。こいつのこと、会議で突きだしてやる」

「は、はぁい……」

 フィーブルに顎で命令すると、渋々といった様子で彼女は誘拐犯の腕を押さえ付け、メダルの部分を装甲から引きちぎった。
 しっかりと繋がれていたように見えたが、それはシールを剥がすように彼女の手に従った。
 脆弱な性格のせいで忘れかけていたが、スーを抱えながら重そうな武器を振れる怪力の持ち主だ。そのくらい容易いことなのだろう。誇らしげについていた金色の部隊証は虚しくひしゃげてしまった。

「待ってくれ、そいつの、その輝石竜(ミルウォーツ)が……」

「えっ。こ、この子って輝石竜(ミルウォーツ)なんですか……?」

 まだ声が出せたのか。鼻からも口からも血を流して地面を舐めていた誘拐犯が喋ると、フィーブルが驚いた顔で小脇で眠っているスーを見る。

「何なんですか? その……、ミルなんとか? って?」

 俺もまだ誘拐犯が元気だった頃から気になっていた。
 再びその名詞が出てくるまで少し時間がかかったが、今このタイミングなら違和感なく自分の質問を挟み込める。それを逃さない。

「貴方、し、知らないで連れていたんですか……。輝石竜(ミルウォーツ)っていうのは、食べたものを体の中で宝石に変換して排泄する稀少なドラゴンの種類で……貴族の中では嗜好品としての需要があるんです……」

「全部、違法な取引で。だけどな」

 フィーブルの説明に俺が相槌を打つより早く、柄の悪い男がただでさえ宜しくない人相を歪めて誘拐犯を詰った。

「それがどうした? テメェは他人のガキのクソ目当てでクソ吹っ掛けたクソ野郎にかわりねぇだろうが。その肛門みてぇな口、千切ってケツに押し込んでやろうか?」

 クソの言語崩壊が起きているが、意味は一通り違うということだけ俺にも聞き分けられた。
 そんなクソばかり、クソ聞き分けたくもなかったが。おっと、彼の口調がうつってしまうところだった。口からクソを連発している彼のほうが口が肛門な気もするが。上手いことを言っている場合でもないな。
 
 スーの特異体質を聞いた俺はやっと、スーが自分の口から理由を言わず赤くなっていた意味を知った。
 シグマが見立てをと言って満足そうにしていたのも、アプスが何も知らないでいる俺を責めるようにしていたのにも合点がいった。

 スーはこのことを隠していて、体質を使ったことをアプスは言ったのだ。つまり、シグマが手にしていた宝石はスーの体から排泄されたもので、成金豚頭など俺の空想上の仇でしかなかった。
 騎士を名乗る誘拐犯は何らかの方法で、シグマとスーのやり取りを見ていてこのこと知ったのか。悔しいが、俺よりも先にスーの体の秘密を知って行動に出たこいつに苛立ちが止まらない。

 やっと気を失った敵のぐちゃぐちゃになった横顔を見下しながら、俺はその場で今一度財布を持たずに死んだマグを責めるしかなかった。

「あー、もう。クソだな……」

 乱暴な男のあまりよろしくない口癖がうつったかもしれない。

 恐る恐る顔を覗き込み、倒れている誘拐犯の前で手を振って確かめる。それ以上は何も言わず、動く気配はない。
 俺達の敵は、俺と後から現れた二人によって失神する事態にまで追い込まれ完全に意識を手放していた。

「この人、死んじゃったわけじゃないですよね……?」

「さあな」

 フィーブルの一撃からの蹴倒し、気を失うまでの体罰と尋問を側で見ていた俺は、悪人よりも悪人じみた口汚い男の暴行を目一杯浴びた犯人に少しばかり同情してしまいそうだった。
 心配する俺に合わせてフィーブルもビクッと体を震わせる。

「死んだとしても自業自得だろ。じゃなけりゃそこのトロ牛の責任だ」

 別に構わないといった素振りで言い、もう動かなくなった相手から興味をなくした男は、右の胸ポケットから紙タバコを一本出して咥え、こちらからでは視認できないくらい小さな炎を唱えた。

「わわっ、私のせいですか?! そんなぁ! ついさっきまで喋ってましたよ? とどめを刺したのは私じゃなくて……」

「いちいちぎゃあぎゃあうっせぇな。鼻輪引きちぎんぞ」

 火を着けた煙草を一気に吸い、雑な暴言に泣き出すフィーブルの顔に煙を吐き掛ける。
 見ているだけで俺まで咳き込みそうな煙幕に、勢いよく煙を受けた雌牛は堪えていた涙を苦しそうに落としながら噎せ、

「わ、私、鼻輪なんて付けてません~~っ!」

 自分の鼻を確かめて擦った。
 煙草の煙が白く浮かぶ薄暗い路地裏に彼女の悲痛な叫びがこだまする。

 それを背にして俺からアプスの体を背負い直し、片手で促す男に俺は慌ててついていく。
 気付けば俺の腕の中で穏やかな寝息をたてているスーと、彼が背負い直したアプスを交互に見、騎士の名誉を剥ぎ取られ石のように冷えて固まったまま動かない哀れな誘拐犯に一瞥してその場を後にした。
 俺の元に返ってきたスーは思っていたよりも軽く、立派な尾も角も見た目より重量がないのか華奢な女の子一人分の重みしか感じない。

 スーの正体を知った後でも、俺は抱えた少女をただ自分の生徒として優しく見守れるだけの自分の度胸に心から安堵した。
 彼女が目を覚ましても余計なことは言わないでおこう。

 雲の糸のよう細く伸びては消える煙草の煙を従える、下品な口調の風来坊そのものといった自由な男の背中を追って暫く行くと、段々街の明かりが見えてきた。
 最初は遠くにぼんやりと、家々それぞれで転々とした色の違う明るい光。次にもう少し近くの街灯のオレンジの明かり。それが高さを競うように真っ直ぐ途なりに並んでいる。

「うわぁ……すっかり遅くなったんだな……」

 俺たちが大通りに抜けると日は沈み、街はすっかり夜の色に染まっていた。
 石畳の道を行く人々は昼間よりも少なく、港を眺めて悩んでいた絵描きも、賑やかな市場の声たちの主ももうそこには存在しなかった。
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