上 下
18 / 42
第二部 魔法学校の教師

先生の先生

しおりを挟む


 生徒達との朝食を終えてから少し経ち、胃の膨らみも落ち着いてきた頃。
 俺はメモを片手に廊下を歩いていた。食堂とはまた別の道に入り、紙に記された場所を探す。

「ええと……この道の……」

  口から自然と出る独り言が、自分の前を行くのを追いかけるようにして壁沿いに進み、

「三つめのドア……ここか」

 同じ見た目の扉がいくつか並んだ廊下を真っ直ぐ、順番を数えて辿り着いた扉の前でノックをすると、「どうぞ」と部屋の主から返事が返ってきた。

「失礼します。ビアフランカ先生」

「お待ちしておりました、マグ先生。さぁ、お掛けになって楽にしてくださいな。今、温かいハーブティーを淹れますからね」

 扉を開けて部屋の主と対面する。
 入ってきた俺を歓迎したのは聖母の微笑みを携えたビアフランカ。彼女の指す手前には丸い机と足の長い椅子があり、座るように促しながらティーポッドの中身を確認していた。

「ありがとうございます」

 ビアフランカは俺が椅子に座るとまた優しい微笑を向けつつ空のカップとソーサーを自分の方に引き寄せ、触れているポッドを片手で擦った。
 彼女の行動によってランプの魔神ならぬポッドの魔神は現れなかったが、すぐに注ぎ口から湯気が立ち始めた。水も入れず火にもかけず一瞬にして湯が沸いてしまった様子に俺は唖然とした。
 驚いて見ている間にビアフランカはカップに出来立ての紅茶を注いで俺に差し出す。

「はい、どうぞ。熱いですのでお気をつけて」

 彼女の薦めに口の先をカップにつけると、食後の口内にさっぱりとした香りが行き渡った。

「それで、ビアフランカ先生。お話というのは」

「ええ」

 食堂での団欒の終わり、席を立つ前に引き留めて自分の部屋に来るよう言っていたビアフランカに改めて問う。彼女も向かいに座り、カップを手に取りながら答えた。

「私は……貴方が誰なのか、きちんとお話しして頂きたくてここへ貴方を呼びました」

 その言葉に俺の鼓動が早くなった。全身が一つの心臓になったように激しく打ち付ける感覚がして、忘れかけていた動揺の仕方がすぐ耳元で俺に叱責するように。焦りがやってきて、

「誰って……」

「貴方の体はマグ先生の物だけれど、貴方の魂はマグ先生ではないのでしょう」

 優しく老いた祖母が甘やかすように続けるビアフランカの言葉が俺の胸を突き刺す。
 彼女の笑顔は途切れないが、俺にはそれが怖くて堪らなくなり、こらえていられなくなった。
 いつから気付いていたのだろうか。全てを見透かすように俺の正面で話をするビアフランカには、嘘をつき通すことは到底できそうにない。観念が叩きつけられ鳴り続けている胸の思いのまま、俺は口を開く。

「ビアフランカ先生……実は、そうなんです。俺は気付いたらマグになっていて、でも本当は違う世界から来た別の人間だって気がしてて……」

 やっと吐き出せた言葉に力が籠らない。誰かにいずれは伝えるべきだとわかっていながらも、俺は俺で、自分がマグ先生本人などではないのだと言うことが怖かった。
 それは慕ってくれているスーやアプスたちのため。子供たちの笑顔のため。

「俺自身にも俺が誰だったのかわからないんです。名前も、マグの姿になる前は何をしていたのかも……」

「そうでしたか……それで、スーには記憶喪失だとおっしゃったのですね」

 俺の吐露をビアフランカは静かに見守ってくれていた。顔は見えないが顎の動きで頷いてくれているのがわかる。

「……それで、貴方はこれからどうしたいのですか?」

 沈黙が流れたあと、彼女は笑顔を一変神妙な面持ちで俺を覗き込み、そう尋ねた。
 ビアフランカが知りたいと言うのは今よりも明日、明後日の未来の話。決して迫るようにではなく、彼女は寄り添うようにして俺に問い掛けた。

 子供達に囲まれ団欒する姿や優しく微笑んでいる恒常に、母親のようだ祖母のようだと例えてきたが、彼女は教師であり、彼女にとっての俺は同じ立場の人間の体を連れて現れた外の人。
 スー達とは違う、生徒達を守る役目を担う彼女には俺という存在は特に警戒せざるを得ない相手だろう。ましてやそれがかつての同業者で、よく知る間柄の姿形で目の前にいるとなれば益々だ。害がないという保証はどこにもなく、何者かもわからない相手を見過ごしておくわけにもいかない。

「俺は……」

 彼女を安心させ納得させるための言葉を探して引き出そうとしたが、上手く出てこない。
 こうなってしまった以上は下手に誤魔化すことはしたくない。一か八かにはなるが、彼女に気遣って言葉を濁している場合ではないと、俺は思いの丈を自分の背丈より気持ち高く持って話そうと息を吸った。

「俺は学校に残ってマグとしてスー達と……あいつらといたいです。自分の記憶が戻るまで、彼女たちの先生として、ここにいさせてもらえませんか……?」

 彼女はきっと最初に出会った時から気付いていたのかもしれない。
惚けて財布を貸してくれた時には既にわかっていて、今まで生徒達の前では言わずにそうしてくれたのかもしれない。

 それは、俺もビアフランカも全く同じ気持ちを抱いていたからだと思う。
 他でもない、自分の生徒達を想うというかけがえのない大切な気持ちを。

「……そうですか」

 俺の想いは彼女に届いたのだろうか。

「貴方が本当のマグ先生でなくても、生徒たちは貴方を本物だと思い頼りにします。もしも貴方が彼らを騙して危害を加えるようであれば……ここで、食べてしまおうと思っていましたの」

 ビアフランカがゆっくりと話しながら大きな胸に触れると、言葉の最後に彼女の谷間で塞いでいる剥き出しの牙が獣の声で小さく唸った。
 彼女とはまた別の生き物がそこに居て、遣えている番犬のような胸の一部は冗談としては扱わないのだろう。この人は本気になれば胸の豊かな棘で俺を揉んで飲み込めるに違いない。

「ですが、貴方がきちんと彼らの面倒をみるとおっしゃるのならば話は別ですね」

 冷めてきた紅茶を一口飲み、ビアフランカはいつもの笑顔に戻った。その表情の変化に俺の緊張もやっとのことでほどくことができた。
 彼女がそうして、一度席を立つと低い戸棚へと向かい何かを手に取り、

「ビアフランカ先生、それは……?」

「それではマグ先生。授業の内容と、今後の説明を致しますね」

 戻ってくると厚い本を数冊、薄い本を沢山積み重ねてテーブルの上に置く。

「えっ?」

「当然でしょう。貴方は先生なのですから、解らない所は一からお勉強をして生徒達に教えられるようにならなくてはいけません」

 教科書のタワーを見上げる俺を他所に、ビアフランカは紙とインクとペン、その他諸々一式を引き出しから揃え、楽しそうに笑い掛けた。

張り切る彼女が今日一日、俺の専属教師になった瞬間であった。




しおりを挟む

処理中です...