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第二部 魔法学校の教師
魔法辞典(スペルリスト)
しおりを挟む朝食のあと三時間近く続いたビアフランカの授業のお陰で、俺にもこの世界の事が段々解ってきた。
まず基盤となるこの世界・ミレニアローグについてだが、世界と呼ぶよりも幾つかの大陸の集まりの総称とした方が解りやすい。
この世界は余程狭く出来ているのか、国という概念はあるものの、聞いたところでは国境が曖昧で印象に薄い。国を語るよりまず、複数の大陸の全てを一つの世界としている方を語るのが先らしい。
地図を広げて見ると、まず王都と呼ばれる場所が世界の丁度中心にあることが解った。
文字通り国王が治める都がある場所だ。
自分達が今立っている土地はその王都から真っ直ぐに伸び海上を渡した橋の先、港の街・ファレル。
この街は円に近いような形をしており、港で船の乗り入れが盛んな様子を見たように、王都へ続く玄関口になっている。
橋の反対側には森があり、地図で見ればかなり大きな島のようにも見えた。
海で隔たれた先には各地域が別の大陸や島として幾つか存在し、その中にファレルと同じように街や村が存在する。
規模は様々だが、机の上一杯の古ぼけた地図を指しながら一つ一つビアフランカが説明してくれた。
次に、ミレニアローグの風土や治安について。
スーからも簡単に聞いてはいたのだが、この世界が数年前まで悪の魔王によって脅かされていたのは本当らしい。
そして、その魔王を討伐し世に平和を取り戻したのが俺の体の本来の持ち主であるマグとその仲間たち。
実際にはマグ達だけが中心になっていたというわけではなく、魔王討伐には王国騎士団・枢軸ーーーーーーバテンカイトスと呼ばれるところに所属する騎士達があり、王都から離れた場所にある機械都市の研究者や兵器があり、十字蛇竜治癒団と書いてリントヴルムと読むらしい医師たちがあり、その他魔法使いの連合のようなものもあった。
つまり、マグ一人が何だか凄い魔法で魔王を倒したということではなく、大きな戦いの中で彼は彼なりの活躍をして亡くなったというのが正しいらしい。
スーの言い方は大袈裟だとは思っていたが、街で有名人扱いされて握手を求められたりしなかったのはそういう理由だったのだ。
少し期待が外れてしまったな。とは思ったけれど、生徒たちにとってはそれでもマグ先生は特別だっだと思う。そう思う彼女らの気持ちも解らなくないし、忘れてはいけない。
マグは唯一の英雄ではなかったが、学校の皆や彼をよく知る人からすれば立派な英雄だったのだから。
今、世界の治安はそれほど悪くない。
路地裏にスーが連れ込まれたことを思い出したら首を傾げてしまうのだが、街で助けてくれたようにファレルには銀蜂隊(アンバーマーク)の騎士達が駐屯している。
他の地域にも同じように騎士が派遣されたり、自警団が各々で大戦の後を静めてくれているそうだ。
討伐の面子にもあった、十字蛇竜治癒団(リントヴルム)という医療団体は各地で負傷者や被害の痕を巡り活動し、多くの人々を救い支えているらしい。
お陰で、復興も良い段階まで進んでいるとのこと。
「……何て言うか、この世界って思ってたより平和なんだな」
「平和が一番ですよ。マグ先生」
ノートに要所を書き留めながら、少し遅めの昼食を口にする。ビアフランカが用意してくれた小さなサンドウィッチを食べながら俺が呟くと、たしなめるように言い彼女は資料の上に新しい資料を置いた。
世界情勢を聞いても、世界の仕組みを聞いても、マグの事実を知っても。
異世界に来て何をすべきかはわからない。
何のためにマグの体を借りて蘇り、この世界にやって来たのかはまだ少しも掴めていない。
「休憩が終わりましたら、次は私達が生徒に教える魔法のお話をしましょうか」
ビアフランカは俺の不安を知ってか知らないでか、次々に新しい情報を教えてくれる。今は俺もそれを吸収することでいっぱいになり、不安に思う隙を与えずにいてくれる彼女には感謝しかない。
温くなったハーブティーでパンを流し込み、俺も彼女を見て居直った。
「それではまず、この世界における魔法の種類について……そちらの教科書の最初のページを開けて頂けますか?」
ビアフランカに従い、厚い木製のカバーがついた一冊をテーブルで開く。
「≪記録≫と、≪空想≫と、≪治癒≫……大きくわけて三つ」
「そうです。その中で私たちが皆に教えているのは≪記録≫の魔法。学ぶことによって知識を蓄え、使うことによって精度を高め、己を磨いて技にしてゆく……人の成長に寄り添う魔法です」
明るい声で話を進めるビアフランカ。
先ほどから小休憩を挟みつつ講義の時間が続いているが、彼女はずっと楽しそうに俺に教えてくれている。
教師という職業を心から愛しているのだろう。そんな風に感じるくらいに。
「イメージ出来ますか? 年老いた魔法使い……そう、ちょうどおとぎ話に出てくるような魔法使いはお爺さんやお婆さんの姿をしていますでしょう?」
「言われてみれば……そうですね」
「彼らは多くの時間をかけて≪記録≫を重ねていき、強い魔法が使えるようになった魔法使いの姿というわけです」
「≪記録≫の魔法は年月に比例して強くなるんですか?」
「ええ。それがわかりやすい例えになりますでしょう」
不思議なことにビアフランカから渡されたどんなに古びた教科書も俺には読むことができた。
もっともらしい書物たちは皆、横文字で書かれていると思っていたが、何故か日本語で記されている。内容がすぐに理解できるのはよかったが、ちょっと不審な気もする。
異世界への案内係がいないことに以前不満を感じたけれど、今になってその役を手元の書物たちとビアフランカが担ってくれている。
ゲームならばとても遅いチュートリアルを受けているような気分だ。
「ですが、≪記録≫は年齢や勉強の量で強くなるだけではありませんよ」
目の前にいる彼女の頭上や下方に吹き出しはついていないな。と、ビアフランカの体を眺めて思っていると、
「それは貴方もその体で、よくご存知のはずです。マグ先生」
急にぐいと目の前に迫り、彼女は微笑んだ。
大きな胸がテーブルに乗せられクロスの上を滑る。閉じた瞼の向こう側で目も優しげに笑っているようだ。
「俺の……いや、マグの体が? 何か……」
「ストランジェットが話してくれました。貴方はあの子達を助けるために、街で魔法を使ったそうですね。その時に何か感じませんでしたか?」
ビアフランカの問いに俺は右腕を差し出して思い出す。
路地裏で必死になって放った光の爆発のこと。あの時、この腕に巻き付くように現れた緑の光の帯。その上に走る無数の文字。知らない呪文。思い出そうとしたらいつもは痛くなって邪魔をする頭があの時だけは冴えていた。切り抜けるために選んだ魔法。発動のきっかけは、スーとアプスを助けたいと願ったこと。
「全然解らなかったんですけど、魔法を使わなくちゃって思ったら……この手から光が溢れて、色々な言葉が飛び回っている中で一つを選んだんです」
あの時、したように指を折り曲げながら答えると、ビアフランカは頷いて俺の手をとった。
「それはマグ先生の得意な≪記録≫の魔法です」
彼女は少し声を潜め、俺の手を開かせると細指を絡めながら言った。懐かしそうに指の間を通して手を優しく撫でてくる。
「貴方が見た光や言葉はマグ先生の魔法辞典(スペルリスト)。彼は亡くなる前に自分の頭の中の≪記録≫を、自身の体に刻んで残したのでしょう」
気が付けば心なしか頬が赤みと熱を帯びて緩んでいる。ビアフランカのその声には感心や憧れが混ざっていた。
「マグ先生は貴方の為に自分の力を残したのであれば……」
「俺はマグの意思で彼の体に入っている?」
「そう考えることもできますね」
俺の手を撫で熱を送ってくるビアフランカを見ていると、頭がぼんやりとし始めた。
そのぼんやりのお陰で、記憶を思い出そうとすると痛むはずの頭が今は痛まない。路地裏で魔法を使った時と同じように。
もしかすると、マグの体は俺が無理矢理思い出そうとせずにいれば従順になるのかもしれない。彼の意思がそうさせている気がする。
記憶は探るのではなく辿ってみて欲しいと、彼の体が俺に訴えている可能性も考えられる。
ビアフランカの読みは恐らく正しい。
俺はマグの意思で彼の体に入った。
彼に何かを求められて、亡くなった彼の代わりに俺が彼の姿を借りてこの世界へやってきた。
今、それを思い出すことができた。
「貴方はまだ、マグ先生の魔法辞典(スペルリスト)を思ったように操ることは出来なかったのですね?」
「はい。咄嗟に、何かやろうとしてそれで……」
当然あの時は操るといえるほどには至っていなかった。俺が頷くとビアフランカは触れていた手をゆっくりと離していく。
「それは貴方がマグ先生がした経験をまだなさっていないから。≪記録≫は呪文や手順を知るだけでは扱えず、実践があって初めて魔法となり発動するのです」
手のひらが離れ、指が離れる。
懐かしむような表情だった彼女は、にこりと一度微笑んだ。俺を見つめる顔が、古い友人を見るものから新しい命を出迎える聖女のようなものに変化した気がする。
彼女も改めて、俺がマグ本人ではないという確証を持てたのだろう。
「俺がそのマグの残した魔法辞典(スペルリスト)を自分の力として扱えるようになるためには、書かれている魔法を一つずつ使っていくしか無いってことですか?」
「ええ。そのとおり」
完全に手を離して身を上げたビアフランカは、俺の胸元を指しそのままゆっくりと教科書へ下ろす。
「そしてそれが≪記録≫の魔法の抜け道でもあります。貴方は本来長い月日と共に覚えるべき魔法をマグ先生から魔法辞典(スペルリスト)という形で既に頂いている……」
年齢だけで比例して強くなるわけではないというのはこの事だったのだ。教科書の挿絵の老人を見て思う。
亡くなった時のものが今の俺の姿だとすれば、マグの体はそれほど年老いているとは思えない。青年といえるほど若くもなく落ち着いては見えるが、着替える時に見た筋肉量を考えればまだまだ張りのある体をしているし、中年というわけでもない。
(成人男性ということは最初に確認できてたけど、そういえばいくつなんだろう。呪文の量からして見た目通りの年齢じゃないなんてこともあるんじゃ……)
とにかく、今は年齢の話は置いておこう。
新しい疑問が次々と出てくるが、一度情報を整理しよう。
インクを付けてペンを動かす。羽根ペンなんてここにくるまで使ったことも無かったが今は不思議と手に馴染んでいた。
ビアフランカの話によれば俺が今宿っているマグの体に魔法辞典(スペルリスト)という魔法が刻まれている。
それは、マグが亡くなるまでに使っていた≪記録≫の魔法を集めたもので、検索エンジンのように自分が使いたい魔法を呼び出せる。
魔法辞典(スペルリスト)に入っている魔法は、路地裏で見ただけでも膨大な量や種類があった。
魔法を扱うためには実践が必要ではあるものの、魔法自体の扱い方を学んで覚える過程は魔法辞典(スペルリスト)を使えば省略が出来る。
俺はマグからそんな贈り物を授かり、この世界で彼の体に入っているのだった。
「つまり、魔法の呪文はたくさん覚えた状態だけど、MP(マジックポイント)は初期化されてるってことかな」
「マジックポイント……?」
ここに来てから何度かゲームのような世界だなんて表現をしているが、もしかすると転生前の俺はテレビゲームに熱中しているゲーマーだったのだろうか。と、つい口から出た言葉にビアフランカが不思議そうな顔をする。
俺は慌てて話題を変えた。
「ビアフランカ先生。その、魔法辞典(スペルリスト)っていうのは魔法使いなら皆誰もが持っているものなんですか?」
「私もいつかは作りたいと思っているのですが、中々……マグ先生のように綺麗に纏めておくことが出来なくて……」
俺の質問にビアフランカは眉を下げ、自身の指先に小さくキスをする。すると、彼女の手元に掌に乗る大きさの光の玉が現れた。
その玉を地球儀のように片手で回せば、文字の列が数本横書きに表示される。
「私が作ろうとしても、こんな風に不安定なんです。この中から呪文を選んで引き出そうなんて……まして形を維持したまま自分の体に刻み付けるなど、多くの魔法使いに出来ることではありません」
確かにマグの魔法辞典(スペルリスト)に似た形状はしているが、比べると小さく表示も明滅して弱い。
困り顔で首を傾げる彼女の手の上で回転していた魔法の光はたちまち消えてしまった。
成る程。さっきは魔王討伐の件で落胆したが、もしかするとマグは実力のある魔法使いだったのかもしれない。並大抵でないことはビアフランカの話から伺えた。
「マグ先生は、それはお上手だったんですよ。≪記録≫の魔法を自身で扱うことも、生徒たちに教えることも……」
一瞬、古い友人の力に陶酔するような物言いになるビアフランカ。生徒達とは別の立場ではあるが、彼女にとってのマグもまた特別な存在だったのだろう。
俺を見ている目がまた少しだけ寂しげに細められた。
「≪記録≫は最も一般的で幅広く扱われる魔法です。素質が無い者も、勉学と修行によって習得出来るようになります」
「それを魔法学校では教えているんですね」
「ええ」
二人で頷きあってページをめくると、次の項目の説明を始める。
「さて。≪記録≫以外の魔法のお話もしておきましょうか」
常に糸目でいるビアフランカの表情の変化が俺にも細かく解るようになってきた今なら、彼女の目付きが鋭くなるのも感じることができる。
「≪空想≫は非常に取り扱いの難しい魔法です。≪記録≫のように努力によって誰もが扱えるものではなく、才能を持って生まれてくる必要があります」
前置きの後の言葉は少し声音が低く、先ほどマグや自分のことを話していたときのような温かな空気は徐々に薄れていった。
「≪空想≫の魔法が扱える者は、書物の呪文を覚えたり杖や道具を振るう動作などの一切を行いません。彼らは経験や知識ではなく、その時々の発想や感情を直接魔法にして発現させることができるのです」
「それは、つまり……」
「学校の入り口に集まっていたホロプランターを覚えていますか?」
ホロプランター。スーが呼ぶことには「ほこりちゃん」。暗がりにふわふわと発光する愛らしく儚い精霊だった。
「確かに彼らは知識を蓄えているとは思えませんね。じゃあ、≪空想≫の魔法っていうのはああいう小さくて力の弱い精霊が使うものなんですか?」
「そうであれば何も問題は無かったのですが……」
俺の返事を聞いて、残念そうにビアフランカは続ける。
「≪空想≫を扱える人間も僅かながら存在します。彼らの場合は『死んでしまえ』と強く思って相手が亡くなる様子を浮かべ、怒りや恨みの感情を高めてぶつければイメージだけで生き物を殺めることも出来るのです」
ぱっとしないでいる俺の頭から額へ。
気付かないうちに滑らせた手をビアフランカは拳銃に見立てて当て、
「恐ろしいでしょう? こんな具合に」
そう言って人差し指を引き、撃ち放った。
応援ありがとうございます!
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