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第三部 港街の護り手たち

発火する精霊と雀蜂の針

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「マグっちとお喋りできなぃんだったら……あーしらにおっとなしくやられてくれるとマヂ助かるんですケド! そーれっ!」

 斬り込む先手は金属が叩きつけられる鈍い音。閃き迸るは緑の雷撃。
 ミレイが突き付けた武器の銃口から凝縮した雷の魔法を撃ち放つ寸前。ファリーは蔦に捕らわれ不自由な身を咄嗟に捻って頭を振り上げ、その発動を妨げる。

「退(ド)ケ! 邪魔をスルな! 愚カナ人の子めらよ……!」

「えっへ! そー上手くゎいかないってカンジ?!」

 スーに救い出されたマグから標的が目の前の邪魔な騎士達へと移った。ファリーの頭が降ろされる。飛び上がったまま靴に雷を纏って留まっているミレイへと狙いを定めれば、裏返った声を荒げながら食らい付こうと襲い掛かる。
 固い水晶の角が緑の布をかすめ、体勢を崩してしまうミレイの対角からカナンがファリーに挑む。

「竜よ! まだ私がいるぞ!」

 果敢に飛び付くように豆の木を駆けて助走をつけ、登った先に聳える大竜の鎌首目掛けて剣を突き出す。彼女の全身の両腕の力を前へ上へと込めて。

「はあっ!」

「グがあアアッ!」

 一撃がファリーの胸元へ到達した。両足を固定された竜は抗うように翼を羽ばたかせて泣き叫ぶ。しかし、カナンの剣は彼女に僅かな傷を負わせたのみで大竜を打ち負かす決定打には至らない。
 カナンの突進攻撃もミレイから注意を反らすだけの援護。それどころかファリーが何故沸き上がらせているか彼女自身でも解らない行き場の無い怒りを更に増幅させるだけのものであった。

「カナンさん! ミレイ! 気を付けて! 何かやばいのが……来る!」

 叫び鳴く大竜。頭の横に生えた二本の角の内側に光が点り、文字列が浮かび上がるのをマグが誰より早く視認する。

(間違いない。あれは……!!)

 記録(ログ)魔法の媒介は何処かに刻んだ記録。ファリーの角に刻まれている魔法はマグに懐かしい思い出や真実を回想として語るだけではなく、彼女が身を守るため、外敵を殲滅するための役割も持っている。
 その事に勘づきスーの背から二人に声へ叫んだその時。

「ちょっ、ま……っ!!」

「ぐう……っ!!」

 ファリーの口が大きく開かれ、金の閃光が放たれた。
 光は強く波のように拡散。爆発を引き起こす。夜の闇に月そのものを落としたかのような強い輝きが視界を奪った。
 一瞬にして白と金が混ざり濁った結晶と化す森の木々たち。葉の先から根本までをたちまち雪氷が支配する世界になってしまった。
 咄嗟に身を翻し直撃を免れたミレイが蔦の上に跳び移り、凍てついた足場に滑り落ちそうになるカナンの腕を引き寄せた。

「何これ……ガチでやばそげだゎ。ファリーたゃ全っ然へこたれてナイぢゃん……」

「ええ。ですから面白いんですよね」

 二人に追い付き寄り添うようにして会話に入ってきたイレクトリアに視線が集う。
 最上部でファリーの両足を固定しつつ自身らの足場も確保させている巨大な豆の木を操っている彼は、開いた本のページを捲りながら鬱陶しそうに凍り付いた箇所を見るなり、

「カナンさん。この氷はファレルファタルムごと貴女の火で焼き消してしまいましょう」

「し、しかし副隊長。この場では氷を溶かすだけではなく周囲の森にまで燃え移ってしまう危険性が……」

「私は溶かすのではなく焼き消せと言ったんですよ。カナンさん」

 焔鎧の力を使って一帯を炎上させよというイレクトリアの提案にカナンは容易に頷けなかった。
 力を使えばファリーの魔法によって氷結している場所を融解し戻すことは出来るが、影響を受けていない場所にまで被害が及んでしまう。そのことをわかっていて「溶かすではなく焼き消す」を提案してくることに彼の性格の根悪を感じる。
 そうして肯定しかねているカナンへイレクトリアは少し考え、
 
「隊長が近くに居ない場合の指示命令の権限は誰にありますか?」

「くっ……」

 眼前に広がる氷よりも冷ややかな視線で見下ろす。
 カナンはこの男のことが気に入らないだけでなく本能から苦手な理由を思い起こさせられた。
 焔鎧に興味を持って近づき子供の好奇心のように無邪気に試そうとする残酷な視線は、ぞんざいに彼女を抱いた男たちと悪寒がするほどよく似ていたのだ。

「それは……副隊長に委ねられます」

「御理解頂きありがとうございます」

 悔しいが従う他無い。と、濃く塗ったリップを噛みながらカナンは肩に装備した焔鎧へと触れ、体の中心に意識を集中させ始める。
 心臓の鼓動と神経の脈動を合わせて目を瞑れば、彼女の宿主であり本体である焔鎧に刻まれた模様が輝き朱く染まる。
 彼女が発する音は火打ち石を打つような軽い音から始まり、金属を叩いて伸ばす鍛冶師の工の音へと大きさを変え増してゆく。

 精霊の力の発現。魔法とは違う特別な能力を解き放ち、カナンの体はたちまち炎の渦に包み込まれる。

「う、ううっ……」

 長い金髪は燃え盛り立ち上る火柱、灼熱を手足に腕に胸に首に、身の丈全てに纏う。彼女が人間を型どっていた姿を眩ませるほどの蜃気楼を揺らめかせながら、炎そのものへ変化してゆく。
 カナンの姿の変化に合わせイレクトリアが詠唱を始める。

「『じりじりと肌を焼き、風には成せぬ彼の者の心を動かせ。私は旅人を照らす太陽』さあ、燃え盛れ……!」

「『私は灼熱の化身』! ……うぅっ……ああ……ッ!!」

 詠唱を追った瞬間、既に燃え上がっている薪にバケツ一杯の油を注ぎ込んだかのような炎の爆発的噴出が起きた。

「う、うああぁっ!」

「何が起きてるんだ?」

「マグちん……アレけっこーグロいから……」

 凄惨な光景を目の当たりにしないよう瞳をとじるスーとマグよりも先にミレイが悲しげに目を伏せる。

「も、燃えてる……? カナンさん?!」

 敵対した竜の前でカナンが炎上し火達磨になっている。
 ファレルファタルムの魔法によって凍てついた蔦を溶かして燃やし、赤い色を拡散させながら彼女は嘆くように叫んでいた。

「あぁぁぁあっ!!!!」

やがて火柱の中に揺らいでいた彼女の黒い影は、くすんだ骨から灰になり空に向かって伸びている草と枝葉に火を移して消滅した。
 体の一部であった一片の鎧だけをその場に遺(のこ)して。

「『煽れ、扇げ。私は空よりたなびく風の化身』。火力が足りませんね。教諭、私に加勢を! 貴方の風をこちらへ!」

 消滅した部下には興味を失ったかのよう。脇目も振らずファレルファタルムを見上げながら片手で本の文字をなぞり物語(じゅもん)を続けるイレクトリア。
 その鋭い視線がマグへと投げ掛けられる。

「風? 俺の……」

 カナンの姿を探している暇も与えられない。彼も口では聞き返すものの行動は言葉よりも早く、マグはシグマの指輪を見詰めイメージを浮かべ始める。
 ファレルファタルムに辿り着くため空へ飛び上がったあの突風と、スーの羽ばたきを後押しし空中に留める今吹かせている追い風。カナンが命を掛けて燃やし描き出した炎の道筋を巻き込み、巻き上げながらファレルファタルムへと猛進する真っ赤な攻撃的な竜巻を。

「行くぞ! やってくれ俺の魔法!」

 翳した腕を振り切り、魔法辞典から一文を引きちぎるように威勢良く選び取る。


 マグの呼び起こした暴風が森に立ち昇った炎に更なる力を齎(もたら)す。
 何重にも輪をかけて大波を煽られた火は赤から橙、黄色から白と外側に拡がるにつれて色を変えながらファレルファタルムへと向かい、彼女の白銀の鱗を照り付けた。

「グァあアアァッっ!」

 まるで古来からある樹木の年輪のように、深く掘り下げられた地層のように。重ね連なる表情を持った業火が大竜のもとへ到達してゆく。
 繋がれた足元から全身へと一瞬にして回った炎に焼かれ包まれたファレルファタルムの悲鳴が一同の鼓膜を劈(つんざ)かんばかりに響き渡る。

 彼女の身に天災のごとく振りかかった炎の勢いは止まらない。
 足枷になっていた豆の大樹は炭を介さずに灰となり、周囲一帯の森へと無差別に降り注いだ。灰からは火が燃え移り、たちまち木々の緑を赤と黒のコントラストに塗り替えていく。

「やったのか……? 今のを……俺が……?」

 地獄が存在するならばまさに今目の前で相当リアルな地獄の再現が行われている。と、自身の放った魔法が引き起こした事態に息を飲むマグ。
 地獄へ落ちた者が受ける罰のように、一方的に償いを求められ身を焼かれて苦しみを訴えるファレルファタルムの叫喚が聞こえる。
 既に抗う声ではない。生を受けたことを後悔しているほどの悲痛な泣き声だ。

「嘘だろ。こんな……ファリーを説得するはずが……っ」

「お、お母さん……!!」

 動揺するマグを背に乗せたスーも黙ってはいられず、灼熱に虐げられている母竜に呼び掛けようとする。
 飛び付くことの出来ない距離で飛行を続けファレルファタルムを見守るしか出来ない彼女は、焦燥と不安で胸を痛めていた。
 それを察したマグが咄嗟に頭後ろを引き寄せる。

「冷静に! スー。落ち着け!」

「でも! だって! お母さんが……! ボクの、ボクのお母さんが!」

「まだだ! まだ足らない! 炎鎧の炎よ、奴を跡形も無く焼き消せ! 『靴を奪われた少女はマッチで暖をとる。火中に見えた幻影の、明かりの家の、愛する家族とたくさんのご馳走、そして彼女は亡き祖母に手を引かれ天へ昇る』……!」

 煉獄に捕らわれたファレルファタルムに追い討ちをかけるような詠唱が二人の声を遮って続けられる。
 部下(カナン)が残した火へ、隙を与えず焚き付ける。もはや野蛮な炎の扱い手と化したイレクトリアの呪文はマグもよく知る童話だった。
 この焦りの中で聞かされるような話ではない。父親に虐げられ人々に無視され路傍で悲しい結末を迎える薄幸の少女の悲しい物語は、逆巻く炎には何とも不似合いで逆に寒気がするほど悍(おぞ)ましい。
 まるでスーとマグの焦りを嘲笑うかのように。イレクトリアは瞳に狂気を宿しその物語を辿る。

 しかし、大竜も一方的に虐げられたままではいなかった。
 火渦と熱風の中心に囚われ真っ黒に焦がれたファレルファタルムの顎が大きく開かれ、水晶の角が細やかな文字列を浮かべる。
 彼女は再び口腔より氷の魔法を放ち、自身を焼く炎に抵抗し対抗を始めた。

「ギュオオオォーーーーッ!」

 荒れる炎に衝突した氷の息は溶解し、水となり彼女を守り癒す雨へと変わる。
 一瞬にして鎮火した先で焼け黒く染まった鱗の中央、胸の中心部に晒された結晶は彼女の体よりも灰よりも更に鈍い漆黒。
 それが何を意味するのか今のマグには解っている。

「ちっ。逃がすものか……!」

 悔しげに小さな舌打ちをして睨むイレクトリア。渾身であった炎魔法の強化をもうち解かれ、次の手を探して本へと視線を落とす。
 その瞬間をマグは見落とさず、間髪入れずに声を張った。

「無駄だ! ファリーが暴走しているのはあの黒い結晶のせいなんだ! 俺の角と魔王を包んでいたのと同じあれが原因なんだよ……!」

 もはや誰に向けてでもない。自分自身に言うように必死の形相だった。ファレルファタルムの行動に対抗するべくイレクトリアが次の呪文を読み上げる前にマグが叫ぶ。

「あれを取り除くんだ! そうすれば、彼女だって正気に戻るはずだ!」

「は? まおー? 取り除くって? マグちん何、倒し方わかんならどーにかできるヮケ?! やり方知ってんの?!」

「わからない! でも、俺がやる。やってみせるよ!」

 ミレイから振り向き彼が指し示す先。両足の拘束を解かれたファレルファタルムが大きく羽撃(はばた)く。自ら引き起こした一瞬の雨を散らして弾き、黒く染まった体を旋回させ飛び立とうとする。

「ファリーを追って飛んでくれ、スー!」

「わ、わかった!」

 悲痛な叫びを挙げながら逃避の姿勢を取る彼女を追うように指示をし、マグはスーの背をしっかりと掴んだ。
 浮いたままの体勢を整えて翼を動かすスー。力強く飛び、母竜へ近寄るべく加速する。

 ファレルファタルムまであと少し。鈍くも艶めき黒ずんだ姿はまるで蒸気機関車のようだ。煙に代わる黒影を傷付いた胸の結晶から溢しながら逃げる彼女の尾まで追い付く。
 マグは右手で魔法辞典(スペルリスト)を開き、スーから身を乗り出して彼女に腕を近付けようとする。
 シグマのエメラルドリングを介して彼に制御されている風の魔法がスーに力を与えれば飛行速度が増し、すぐに尾から付け根、腰から上まで飛び付ける位置にまで出た。

 カーチェイスを繰り広げるかのように単車ほど小型のスーが何度も機関車大のファレルファタルムへと接近しては距離を離す。
 繰り返して数度目。黒い結晶に向けている腕の狙いがなかなか定まらずマグが苦戦していると、

「おいクソトンボ! テメェ最後まで責任持ってアイツをとっちめろ!」

「せ、先生さぁん!」

 彼を後押ししたのはジンガの怒声と、聞き覚えのある怯えたような女声だった。
 激励とは違うまたひどく乱暴な蛮勇と悲鳴に近い絞声。対照的な二つの声にマグはそちらを振り向き見た。

「ジンガさん?! それにフィーブルさん!」

「半端なことしてっとテメェのケツごと殺(や)るつったろうが!!」

 相変わらずのがさつな口振りが今は頼もしくも聞こえる。
 ジンガは既にマグの叫び声を聞き思いを汲み取りイレクトリアより先に次の手までを判断。既に決定してフィーブルに指示を出し此処まで来ていた。
 牛娘は逃亡するファレルファタルムの退路を予測、待ち構えるために先回りで隊長を抱えて走り、遅れて一同と合流を果たすなり即刻見せ場をつくりにきたらしい。
 ジンガがフィーブルの腕から抜け、彼女に目配せで合図をする。

「散々振り回してくれやがったな……おい、フィー!」

「はいっ隊長! い、いいっ、いきますよぉ~~!!」

 常人ならざる怪力で筋肉質な成人男性を打ち上げ、一息に投げ飛ばす。目標は大竜の頭上。
 フィーブルが組んだ手を踏み、両足の軸をバネにして高く高く跳躍し、ジンガが空へと舞い上がる。
 右半身に輝く赤い光の片腕を展開、爪を開いた形を握り締め空中を裂くように弧を描きながら再び集約。腕とは違う形に構築。

「観念しな! 年貢の納め時だぜ、守り神さんよォ!」

 ファレルファタルムへと飛び掛かるジンガの腕に現れたのは巨大で長大な一本の槍だった。
 彼やマグらの身丈の数倍……約十倍にも及ぶ深紅の鋭利な武器を作り出せば、勢いで振りかぶったまま体重を落下に乗せる。
 彼の赤い腕は鉄塔の先端の如く閃き、ファレルファタルムの背中に深く突き刺さる。黒くなった鱗を引き剥がし、下に残った本来の銀白を抉り、長く太い真芯針を竜の体躯に貫通させた。

「ガァアッ!」

 気力限り無い衝動に任せた一撃。
 槍に貫かれた大竜が轟音と共に地へ衝突する。燃え屑を振り撒き緑と黒を斑にしていた木々を薙ぎ倒し、薙ぎ砕く。ファレルファタルムは背から突き通され標本のような形に縫い止められてしまった。

「な……っ?!」

「こンのくたばりぞこないが……」

 圧巻の出来事に言葉を失うマグたちの視線の向こうで上がる土煙。
 獲物を仕留めた男の呟きにひらめく黒い制服。遅れて着地する真っ赤な布地。肩に光る銀蜂隊の証。
 彼らのシンボルである雀蜂の印は、まさしくこの隊長(ジンガ)の武装姿に決定されていたことをマグはその時初めて知った。

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