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第九話 チェリエの家名

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「さしあたり南の離宮に王子様達を収容いたしました。あとの段取りはこれから改めてご相談に伺いたいと考えております」
 報告するザレスは「監視役に指名された風竜の御大を宥めるのが一番の大仕事だ」と盛大な嘆息を吐く。その様は仕事が片付いた先から増えていくのは日常茶飯事だと諦めきったそれだ。
「報告をありがとうございます。ゼルデティーズ魔導師長。お父様はこの件に関して何か仰ってましたか?」
「陛下からは守護竜様のご意向に委ね、そのまま姫の好きなように、とのお言葉です」
 たったの半日で戻ってくることになってしまった自分の部屋。とても綺麗に掃除されているのは、日々不要な物を極力排除している成果でもある。
 この場には私とリーガルーダとザレスの三人だけだ。ただ、私の髪を切り揃えた側仕え達が好奇心を抑えられず閉まる扉の向こう側で聞き耳を立てているだろうことが想像に易く、私はお姫様の振る舞いをせざるを得ない。
「そうですか」
 実父たる国王からの実質お咎めなしに、私はけれど素直に喜べない。
「では、形ばかりの報告は終わりにしましょう。ザレスおじさま、ヴィンの様子を聞いてもいい?」
 声を潜めた私にザレスは片眉を跳ね上げる。
「熱が出てないだけマシと俺は判断した。ただ、万全ではないから姫の護衛の任からはしばらくはずさせてもらう。代わりにリーガルーダが側についてくれるそうだ」
 そこは安心だろう? と投げかけられ、私は俯く。
「顔を上げろチェリエ」
 すぐにザレスの注意が飛んできて私は伏せた瞼を持ち上げた。
「あれはあれの考えで動いている。お前が従えと頼ったのがよっぽど嬉しかったんだろうな。俺としては息子の成長がみれてよかったよ。とにかく、チェリエは深く考えるな。これは俺達家族の課題だしな」
「……はい」
 ザレスが退出するとリーガルーダと私のふたりっきり。
 人の姿を形取る陸竜は娘の私でも惚けてしまうほどの美しさだ。麦穂の黄金を思わせる金の長い髪もに、澄み切った鳶色の隻眼。細身の長身に厳つさはなく、穏やかな表情と相まって、全体的に優しい雰囲気を作り上げている。
 そこに佇んでいるだけ周囲の空気がまるみおびていく。
 誰彼もが安心しきり身を委ねたくなるようなこの空気感を、私は不思議と好ましいと感じたことがない。
「聞いてもいいかしら」
「どうぞ」
「リーガルーダはどうして地下都市に降りてきてくれたの?」
 我ながら意地悪な質問だと思う。
 リーガルーダはザレスの要請を受けて、そして、偶然にも時を同じくして出奔した私を探しに、行動しただけだ。
 どちらの理由を挙げても自然だろう。
 〝誰の為に来た〟という前提を据え置かなければ、だ。
 〝誰を探しに来た〟のと、素直に聞けばリーガルーダも取り繕えただろうし、私もそんな彼の嘘を信じられただろう。
 回答を避けて、リーガルーダが顔を背けた。
 そんな彼に私は口を開く。
「あなたが、好き」
 この告白は何度目になるかしら。
「私はリーガルーダ、あなたが好きよ。心の底から。愛してるわ。
 だから、あなたの子供を産みたいの」
 そして。
「その考えが、あなたにとってこれ以上もない不都合だということも、私わかってしまったの」
 これが子供ながらの、恋に恋をする未熟なものであって欲しいと、私自身が願う。
「英雄王の側にあなたが居たように、私にもヴィンドールが寄り添ってくれる。だからわかるの。あなたは私の言動に対していつも微笑みながら警戒していたのね」
 今もこうして、私が何を言い出すのか、繕う笑顔の裏で、びくびくと怯えながら身構えているのだ。
「〝無事でよかった〟の一言さえ口に出すのが怖いのね」
 王の直系を喪う恐怖にリーガルーダは手段を選ばなかった。
 拐かされるという形で私が名前を棄てようとしたと判明した瞬間、会話に割り込み脅したほどに。
「ナヒアの王子様達は気づいたかはわからないけれど、地下都市……埋没したシアン王国跡地を初めて見たわ。あちこちに人の姿が在った。
 〝あなたが生き埋めにした国と人々〟を見てきたわ」
 セレンシアは初代国王でもある英雄王の故郷を生き埋めにして建国された。その史実を正確に知っているのは直系子孫だけだ。小国のセレンシアが列強国と対等な外交を続けられているのもそんな背景が、〝竜に守護されている〟という形でうっすらと影響している。
 直系子孫しか伝わっていない事実を得ていた私は、この機会限りと観察をつぶさにしていた。そして内容は聞いていたものと相違なかった。
 陸竜リーガルーダとは、後に英雄王と呼ばれる当時ただの一兵に勝利をただ与える為だけに、敵味方関係なく戦場と化した故郷もろとも大地に埋めた竜の名前だ。
「少しは変わるかとも思ったんだけど、あなたも私も互いに譲らなかったわね。あなたの我儘でみんなの命を、私は天秤にはかけられないわ」
 セレンシアの守護竜と謳われる存在は、沈黙したままだ。
「結果は、私は自分の名前を棄てられないって答えが出ただけ。あなたは私が自分の名前を棄てた時点でこの国の人々を見捨てられるという事実がわかっただけ」
 セレンシアの守護竜という皮を被った人外は、沈黙したままだ。
「リーガルーダ。ここで偽りを演じれれば、私は騙されてあげるわ。この場で追求できるほど私は大人でもないのだし」
「ちー姫に俺の嘘が通じないことを知っています。英雄王の子孫を前にして、そこまで愚かには成れません」
「……そう。そうね、リーガルーダの嘘は気づいてしまうし、私はこの性格だから最後まで騙される演技を続けられるか自信がないわ」
「俺を諦めてくれましたか?」
「まさか?」
「譲りませんね」
「お互い様よ」
 リーガルーダの静かな非難を、私は受け取ることなく跳ね除けた。



 自分の部屋よりも殺風景な石造りの部屋に寝具を持ち込んだ私は、無言でヴィンドールの寝台に潜り込む。
「そのまま喧嘩したの?」
 夜着姿のヴィンドールは石の寝台に寝具を敷くのを手伝ってくれたその手で、私のぶすくれた頬を指差しで指摘してきた。
 私の護衛にリーガルーダがついた知らせは瞬く間に城中に広まり、俄に緊張が高まったが、当の私は自分の部屋から逃げ出して、この有様だ。
 けれど、陸竜様をさぼらせたなどとリーガルーダに不名誉を着させようとする大胆さを、ヴィンドールは軽く笑って流してくれる。
 共犯になってくれる。
「ヴィンの意地悪」
 反対方向に転換した私を追いかけるように、ヴィンドールは綺麗に切り揃えられた私の髪を触ってきた。
「花の匂いがするわ。香を焚いたの?」
 枕に顔を埋める私が言うと、幼馴染は微かに笑ったようだった。
「香油を撒いたんだ。チェリエが泣けるのは僕の部屋だけだからね」
「……そう。そうだったわね。ヴィンの部屋は火気厳禁だもの……」
 来訪を予期して、寛大にも待っていてくれた。
 その気持ちが心に沁みる。
 肩を震わせる私をヴィンドールは抱き寄せはしない。
 慰めることより、冷え切った己の体温を私に悟らせないようにしている。
 起こした私の行動の結果を知らせないようにしている。
 私の悔しさを共有してくれる。
 くるりと身を反転させた私は、びっくりしているヴィンドールの左手を取って、自分の頬にその手のひらを押し付けた。
 氷のような冷たさに肌が粟立つ。
「冷たいわ」
「君が冷えてしまうから手を離して欲しいんだけど」
「熱が出てないだけマシだとザレスおじさまは言っていたわ」
「父さんは君にそんなことも言うの? 過保護過ぎだと僕は思うんだけどなぁ」
 地下都市でのやりとりを思い出したのかヴィンドールは「呆れた」とぼやく。ザレスがヴィンドールに対して声を荒げるのは愛情の裏返しだ。
「自分の不調を隠すつもりなら怒るわ? おじさまもおばさまも私に挽回の機会をくれただけよ。ヴィンの回復の一助となるなら私はこの冷たさは〝怖くない〟と断言できるわ」
「チェリエ」
 ヴィンドールの眼差しに厳しいものが混じったので、私は目を閉じた。
「私より先に死なないで」
 懇願に頷きが返ってくる。
「チェリエは本当にリーガルーダが好きなんだね」
 一拍の沈黙を置いて、ヴィンドールは恐る恐ると腕を伸ばし、私を己の体に引き寄せてきた。
「泣いていいよ」
 冷たさに包まれて、私は思わずと彼の背中に両手を回し、しがみつく。
「泣いていいんだよ」
 促されて、私はわんわんと声を上げて泣くのだ。
 今夜この限りと、過去数多の誓いを立てていたことを思い出しながら。


 私はチェリエ。
 チエルレリア・レリーレ・イルゾール・バレリエ・セレンシア。
 セレンシア国第一王位継承者。
 私は未だ、この名前を棄てられずにいる。
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