TEM†PEST

Nagato Yuki

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Mov.26 調査隊派遣

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 募集要項

 テンペスト・ライフ 171日目 21時14分頃に発信者不明のボイス・コネクトが発信された遺跡の北北西約40キロ地点を調査する部隊に参加して下さる方を募集します。
 
 応募資格:狩りで1日18000ポイント以上平均して獲得できる方

 募集期間:テンペスト・ライフ 172日目 12時00分から同日 22時00分まで

 仕事内容:調査隊の一員として、コネクト発信地点である遺跡の北北西約40キロ地点に向かいます。途中でモンスターと遭遇した場合には、隊長の指示に従って戦闘を行っていただきます。

 勤務期間:3~4日程度の予定。採用者のワークプランは労務マネジメント局が調整致します。*場合によっては期間が延長になる可能性があります。

 手当:5000ポイント/h (戦闘服、ブーツ等支給。けがの治療にかかる医療手当及び食事手当を別途支給致します)

 募集人数:20名程度

 採用までの流れ:エントリーされた方の中から選考し、採用された方には担当者からご連絡を差し上げます。

 応募方法:志願される方は、〖こちら〗からエントリーして下さい。
 
 【問い合わせ先】 コミュニティ・ハーモニー 総務マネジメント局




「時給5000ポイント……ずいぶん奮発してるんだよな……」

 調査隊員募集のメッセージを読み返したユキトは長袖ニットソーを着た上半身をそらしてソファの背にもたれ、ウインドウに映る紗季に「でも、志願者が少ないのか……」と続けて左手とナックル・ガントレットをはめた右手とを胸の前で組んだ。その隣にはドット柄グレーワンピース姿の潤が座を占め、夕食後ユキト宅リビングでのくつろぎを邪魔したコネクトにマネキン人形チックな態度で応じていた。

『そうなのよ。締め切りまであとちょっとなのに、志願者はあたしと数名……やっぱり命の危険があるからみんな二の足を踏むんだよね……警備隊――佐伯さんは隊員の志願を制限しないけど、警備任務に支障が生じるのは好ましくないってスタンスだし……だけど、誰かがやらなきゃいけないでしょ』

 つられてユキトはうなずき、潤を横目でうかがった。ブラウンのスキニーパンツで脚線美をぴっちり固めた足は左右の握りこぶしを乗せて閉じられ、冷ややかな横顔には関心の薄さが如実に現れていた。

『――だから、斯波と加賀美さんにも志願してもらえないかなと思ったの。2人だってリアルに戻りたいよね?』
「それは、まあ……」
「私は、遠慮させてもらうわ」

 そっけないまなざしが、ソファ前にある焦げ茶のローテーブルへ移る。

「最近体調がすぐれないの。そんなコンディションじゃ足手まといになってしまうから」
『そう……――斯波は?』
「……救助隊……かもしれないんだよな……」

 腕組みしたまま、ユキトは鋼の右手を握り固めた。鋼の下で変異した右前腕が熱を帯び、拳固がもう一つの心臓のように脈打つ。潤がこの件に無関心――不快感さえ抱いているように感じて志願をためらい、自分が参加しなくても問題ないだろうと他人任せにしていたのだが、実情を聞かされた今は強い焦りを覚えずにはいられなかった。

(……救助隊かもしれないのに……!)

 下唇をかみ、鼻から焦れた息を漏らして……腕に加えてデニムジーンズの足を組み、焦燥感に駆られて自分をぎりぎり締め付ける……

「……仲間が助けを求めているのか……救助隊ならリアル復活できる可能性があるんだものな……」
『そうよ。危険でもやる価値あると思うわ』
「……そうだよな……」

 ユキトはまた隣を盗み見し、再び紗季と視線を合わせた。

「……分かった。志願するよ」
『ありがとう! 斯波が参加してくれれば心強いわ。志願手続きはあたしの方でやっておくね! 一緒に頑張ろうね!』

 ぱっと表情が明るくなった紗季が繰り返し礼を言い、締め切りまで勧誘を続けるからと言ってコネクトを終了させるとリビングに静けさの幕が下りた。ユキトは口角が下がった潤をちらとうかがい、左手指先でジーンズのポケットをもぞもぞいじりながら言い訳がましく紗季の言葉を借りた。

「……やる価値があることなんだよね……」
「そうね」

 予想以上に素っ気ない声にユキトは鼻白み、両手をうろたえさせながら機嫌を取ろうとした。

「も、もし例のコネクトが救助隊からで、無事にリアル復活できたら一緒に遊びに行こうよ。住んでいるところが離れていてもワールドにトべばすぐに会えるんだし。ユニバーサル・ワールド・リゾートとかジャンクリラ・タウンとかどうかな?」
「……そうね。それもいいかもしれないわね……」

 潤は切れ長の目の端にユキトを映し、ワンピースの裾を揺らしてソファから立ち上がると、右斜め前の引き戸を見た。

「……そろそろ帰るわ。さっきも言ったようにあまり体調が良くないから」
「う、うん。あの、調子が悪いなら医療アプリ――〈ドクター・メディカ〉に診てもらったら? 陰気な女医キャラだけど、やぶじゃないらしいから」
「平気よ。そんなものの世話になる必要はないわ」
「そう……送ろうか?」
「大丈夫。それじゃ」

 見上げる相手を一瞥した潤は引き戸を開けて照明がついていないダイニングに出、見送りに玄関まで来たユキトの前でスリッパを脱いで靴に履き替えると、玄関ドアを開けてさっさと出て行った。

「……何なんだよ……」

 いら立ちと不安を覚えてつぶやき、ユキトは薄暗いダイニングで立ち尽くした。

「……何が気に入らないのか知らないけど……ともあれ、これで僕も調査隊の一員か……謎のコネクト、救助隊からであって欲しいな」

 ひとりごち、玄関ドアに鍵をかけたユキトはリビングに戻ってソファに腰を下ろし、そのままごろっと横になった。ナックル・ガントレットをはめた右腕を腹の上に置き、左手を奥二重の目の上に乗せて潤や謎のコネクト、調査隊のことなどあれこれ考えているうち、昼間の狩りの疲れと夕食で満たされた胃袋が少年を眠りへと引きずり込んでいった。





 辞令

 阿須見あすみ ノエル
 大鳥おおとり 拓巳
 北村 愛美まなみ
 久喜宮くきみや 香
 坂本 蓮吾れんご
 沢城 麻綾まあや
 篠沢・エリサ・紗季
 斯波 ユキト
 しゅう 由大よしひろ
 だん 耀真ようま
 遠山 冴織さおり
 ミリセント・サカキ
 
 以上12名をUnknown調査隊メンバーに任命する。
 
 期間 テンペスト・ライフ 174日目 ~ 177日目 予定
 

 テンペスト・ライフ 173日目   コミュニティ・ハーモニー運営委員会




 薄曇りの早朝、軍隊のようないでたちをした小集団が数百の仲間に見送られながらゆがんだ石段を下り、遺跡の西側に回って北北西へ針路を取った。
 Unknown調査隊、総勢13名――
 カーキ色の戦闘服、胸と背中、肩と肘をガードするプロテクター、黒いコンバットブーツの一団は、サブ・リーダーの後藤に留守を任せた新田に率いられて流動を歩み、だんだん離れて小さくなっていく。それを追って若者たちは遺跡西側へぞろぞろ移動し、ところどころ崩れて坂になった石垣越しに懸念と期待のまなざしを送り続けた。そうした群れから独り離れ、シン・リュソンは自分の胸くらいの高さの石垣に両腕を乗せて寄りかかり、岩石砂漠を進む調査隊を斜に眺めて口角をニヒルに曲げた。

「……ふん……」

 嘲り混じりのため息を鼻から漏らし、頭を重たげに垂れて足元をぼんやり見、右足をふらっと動かして黒いスポーツサンダルの先で石垣をコッ、コッと蹴る。そのままいたずらに蹴っているうちに胸の奥から何もかもが憎いような、どうでもいいようなない交ぜの感情がこみ上げ、眉間にカッと稲妻を走らせる。

「――ッ!」

 思い切り蹴ってはじかれ、つま先に鈍い痛みを覚えながら一、二歩後退してがっちり積み重ねられた角石をにらみつけ、小石が転がる地面にペッとつばを吐く。

「!――」

 気配を感じて振り返ると数メートル隔ててジュリアが見え、つり上がった眉がピクッと揺らぐ。かつては建物を支え、今は形がゆがみ、ぼろぼろになった大石の土台越しに見つめる少女……ぽつんとたたずむ姿から苦い顔をそらし、再び石垣に寄りかかったシンは揺らめきに消えていく調査隊の影を見るともなく見た。

「……もうみえへん? ニーちゃんたち」

 エジプトサンダルを履いた足で大石の列を乗り越え、問う声が近付く。張りのない声を無視できず、視線はそのままにシンはぼそぼそ返した。

「……もうほとんどみえねーよ」
「……ほんまやね……」

 人1人分ほど空けて横に立ったジュリアが石垣越しに確かめ、シンをうかがって遠慮がちに続ける。

「……シンちゃーもニーちゃんたちのこと、きになってたんやね」
「……まわりがさわいでいやがるせいで、ねていられなかっただけだ」
「……コネクトしてきたひと、みつかるとええね」
「まあな……」
「……シンちゃー、うちのこと……キライになったん?」
「……ナンだよ、いきなり……」
「……だって、さいきんつれないんやもん……つかれてるとか、いそがしいとかゆーて……うちのこと、さけとるやろ……」
「……べつに……ここんところ、ホントにたいへんなだけだ……」
「じゃ、うちをキライになったんじゃないんね?」
「……」
「……やっぱり、キライになったん……?」
「……んなコトいってねーだろ」
「じゃ、キライやないんね?」
「ん……まあ……」
「ほんま? よかったあ」

 しょげていた顔がほころぶ。間近で無垢な喜びを目にしたシンはそれを無下むげにできず、石垣の上でこぶしを固め、岩肌に走ったひびをにらんでうめくように言った。

「……オレは、クソなんだぞ……」
「クソ? なにがウンチなん?」

 シンは胸のうずきに奥歯をかみ、眉間に刃物で切り裂かれたようなしわを現した。

「……オフクロは、ガキをすててオトコにはしるクソ……ニホンザルのオヤジは、オレをうさばらしになぐるクソ……このカラダには、そういうクソどものクソきたねえモンがながれてるんだ……そんなクソといっしょにいたら、ロクなことにならねえぞ……」

 最後の方は、喉が詰まって声がかすれた。ぼさぼさ髪を垂らしてうなだれ、こぶしを微かに震わせる横顔をジュリアは切なげに見つめ、純朴な瞳を潤ませた。

「……でも、シンちゃーはシンちゃーやろ?」
「あ?……」
「シンちゃーは、シンちゃーパパやシンちゃーママやないやろ。シンちゃーはシンちゃーやろ」
「いや、だから……」
「うちは、シンちゃーのことすきや。たいどはわるいけど、やさしいとこあるもん」
「……オレは、そんな……」
「ほんまのこと、ゆーてるんよ。うち、うそなんかゆーてへんもん。うそなんか……ううう……」
「……ナンでなくんだよ、オメー……」

 涙がこぼれる目をこすり、鼻をすするジュリアにシンはこわばっていた顔を戸惑わせた。石垣上のこぶしは緩み、震えを止めていた。

「……ったく……ハンカチなんてシャレたモンはねーから、これでふいとけよ」

 イジゲンポケットから出したスポーツタオルを渡すと、ジュリアはそれでごしごし顔を拭き、くしゅっ、くしゅっと鼻をかんだ。

「おおきに、シンちゃー……これ、おせんたくしてかえすね」
「いいよ。やるから、すきにつかえ」
「ほんま? おおきに、シンちゃー。えへへ」
「ちっ、ないたりわらったり、いそがしいヤツだな」
「えへへぇ」

 照れ笑いしたジュリアは左手でタオルを持ち、右手でシンの左腕をつかんで引っ張った。

「ねぇ、あさごはんまだやろ? いっしょにしょくどういこ」
「……オレ、あんまりはらへってねえよ」
「なにゆーてんの。きょうもかりにいくんやろ。ちゃんとたべなきゃ、ちからでーへんよ。ほら」
「お、おい、ひっぱんなよ」

 握ったタオルを元気に振って歩くジュリアに連れられ、シンはでこぼこした大石の列を横切った。その足元からは、もや状の雲越しの陽による薄い影が伸びていた。





 薄墨でぼかしたような昼下がり――丈の短い、枯れかけた草がぽつぽつ生える大地を乾いた影の連なりが行く。隊長の新田を先頭に矢印形のフォーメーションで北北西、ふもとに森が広がるかすんだ山々の揺らめき目指し、黙々とステップ地帯を歩く調査隊の面々……消耗した顔とやや乱れた髪が汗で臭い、戦闘服とプロテクターのあちこちに裂け目や傷が残る隊員たちは、どろっとした流動に抵抗しながら黒いコンバットブーツを履いた足を前に出し続けており、とりわけ新田の背を追うユキトは度重なる戦闘で活性化したデモン・カーズにもさいなまれ、何かがおぶさっているかのように重い体に鞭打っていた。

「大丈夫かい、斯波君?」

 声をかけられ、ユキトは並んで歩く年上の青年を見た。
 秋 由大――シベリアン・ハスキーを思わせる、鋭くも親しみやすい顔立ちをした中国系日本人。戦闘では両腕に装備するパイル・シューター――金属製の杭を高速射出する武器――で勇ましく戦う、調査隊の副隊長を任されている好男子。

「あ、はい、何ともないです」

 くたびれた表情が引き締められるのを見て秋は柔らかく笑い、先刻の戦闘を振り返った。

「さっきは助かったよ。斯波君がその右こぶしの一撃で一つ目装甲巨人――〈ルスコ・ギガ〉の右膝を破壊してくれたからさ。ありがとな」
「いえ……隊長の命令に応えようと必死にやっただけです」
「にしても、あの動きの切れと硬い装甲を砕いたパワーはすごかったよな。――ねぇ、新田隊長?」
「ん? ああ、そうだな」

 振り返った新田が、ドライに同意してまた前を向く。面映おもはゆい思いで謙遜するユキトの右上腕を優しく叩いた秋は近くの隊員――檀や北村愛美、大鳥たちを交えながら雑談をし、すり減ってささくれ立った一行を和ませていった。その輪に連なっているうち、ユキトの疲労やだるさは薄れていった。

(……行方不明のメンバーかもしれないけど、救助隊であって欲しいな……)

 和らいだ仲間たちを振り返り、いっそう強く願う。調査隊メンバーの中には狩りで同じチームになり、休憩時間の雑談で個々の事情や思いを聞いている者も複数いた。例えば双剣使いの檀耀真は獣医学部に戻ることを望んでいるとか、大型の槍を操るフィリピン系日本人のフリーター青年・阿須見ノエルは相方とお笑いタレントを目指していたとか、淑やかな性格ながら魔力で破壊力を増すマジックハンマーを振り回す同い年の女子高生・沢城麻綾は片思いのテニス部の先輩に告白しに戻りたいと思っているとか……秋とも一、二度同じチームになって、そのときにここで彼女ができてペアリングをはめているとか、家族がいるリアルに彼女と一緒に帰りたい、ゲーム制作の専門学校に復学したいと話しているのを耳にしていた。

「――君たち、少しペースが落ちているぞ」

 数メートル隔てて振り返った新田にピシッと注意され、ユキトたちは口をややへの字に結んだ。妻子がいるリアルに戻りたいと切望する新田は無意識に足を速め、後ろと距離が開いたのに気付いていら立たしげにペースを落とすことを繰り返していた。

「――隊長殿ッ!」

 最後尾――紗季の後ろからうねったアッシュブロンドの少女が呼び、皆の足を減速させる。振り返った新田は、少女――カナダ系日本人少女ミリセント・サカキが仲間たちを背に身構えているのを見て、どうかしたのかと尋ねた。

「モンスターの気配がするでござる」

 そう言うや否や、戦闘服とプロテクター装備の体がイジゲンポケットから出現した西洋甲冑――プレートアーマーに覆われ、右手に小柄な当人より幅も長さもある刀身の大剣が握られる。ミリセントは柄を両手でガシッと握ってグワッと上段に振り上げると、茫漠とした枯草色の揺らめきに兜のスリットからグレーの瞳を光らせた。

「ミリー?」いぶかる紗季が、鋼の後頭部に声をかける。「モンスターなんてどこにも見当たらないけど?」

 続いて、横から遠山冴織が「ビックリさせんなよ~」と文句を言う。流動の揺らめきで遠くなるほど視界が利かなかったが、それでもおよそ半径100メートルにそれらしい動きは見えず、他の者もヘブンズ・アイズに反応がないとかアラートが発報していないとか言ったが、ミリセントは構えを解かなかった。

「サカキ君、本当にいるのか?」
SRGシミュレーテッド・リアリティ・ゲームで鍛えた拙者の感覚を信じて下され、隊長殿。――遠山殿、あの辺りに1発お見舞いして下さらぬか?」
「えっ、サオリが?」

 指名された遠山が振り返って指示を仰ぐと新田はうなずき、ミリセントが示すところを撃ってみるよう命じた。

「……ゲームで鍛えた感覚だなんて……何もなかったら承知しないんだからな、サムライかぶれ」

 ぶつくさ言って遠山が何かを肩に乗せて構えるポーズを取ると、そこに全長2メートルほどの兵器が現れてずしりと乗る。彼女がポイントをつぎ込んで購入したレールガン――破壊力は高いが、1発当たりの単価が高く、加えて連射できないのが難点の武器。遠山は口が裂けた鋼のワニといった感のウェポンを動かして照準を合わせた。

「それじゃ、派手にヤッちゃうよッ! そりゃああぁ――ッッ!」

 砲身に大電流が流れ、砲弾が高速で撃ち出されて50メートルほど離れた場所にドォォンンッッと着弾する。すると、おう吐に似た鳴き声がはじけて小石や土とともに黒い粘液がバアッッと飛び散り、着弾地点周囲に黒いスライムが十数体浮き上がった。
 緑色の核をいくつも含むコールタール状のモンスター、〈ムーク・ソオ〉――
 自分たちとほぼ同じ高さに盛り上がった黒スライムの出現、そして今さらのように発報されるアラートに遠山たちは驚き、すぐさま近接攻撃を得意とするユキトや秋が紗季たち遠距離攻撃役の前に出た。

「ステルス・モードみたいな真似ができるのか……!」新田が、帯電させた両腕を構える。「警備隊の調査報告にないモンスターだ。注意しろ!」

 新田が攻撃命令を出しかけたとき、消えたWARNING表示が再び現れて新たな危険を知らせる。ヘブンズ・アイズをチェックしたユキトたちは、ムーク・ソウの群れと対峙する自分たちの後方――北の方角から急接近する巨大な赤い光点を認めた。

「〈スコ・アビス〉だ!」グレネードランチャーを携えた短髪少年・坂本蓮吾が、赤い光点を詳細確認して叫ぶ。「空飛ぶサソリが来るぜッ!」

 振り返った隊員たちの目が、揺らめく暗赤色の巨影をとらえる。それは間もなく翼をはばたかせる巨大サソリ――25メートルプールより一回り大きい全長、どでかい両腕のハサミと先端が毒針の尻尾を持つ大型モンスターの姿になった。

「――近接攻撃担当は、黒スライムを近寄らせるな!」

 新田が命令し、スコ・アビスに向き直る。

「――遠距離攻撃担当は、俺と一緒にスコ・アビスを撃ち落とす! 翼を狙うんだ!――来るぞ、バリアをしっかり張れッ!」

 一同が気を張ってバリアを強めるのとほぼ同時に、飛来したスコ・アビスが獲物めがけて口からボオオオオォッッッッッとすさまじい火炎を放射した――





 乾いた空気が冷えた夜半……浅い眠りから目覚め、ユキトはタオルケットの下で気だるい体をもぞもぞ動かした。残留する疲労とだるさのせいで全身が粘土、右手が骨肉まで鋼になったように感じられる。また入眠しようとまぶたを閉じたが、周りから聞こえる荒っぽいいびきが邪魔をし、何も考えまいとするほど昼間の出来事がよみがえって神経を高ぶらせる。
 早朝に遺跡を立ち、委員会事務所に定時連絡を入れつつ仲間と協力してモンスター――一つ目の装甲巨人や空飛ぶ巨大サソリ、黒アメーバ……毒針を武器に群れて襲う全長10センチの〈アーメ・ト〉――を倒して岩石砂漠とステップ地帯を越え、黄昏に黒ずんだ山々の麓に広がる森の手前でキャンプを設営して……――

(……明日は警備隊が途中で引き返した森を抜けて山にアタックか……コネクト発信者は、まだあそこにいるのかな……?)

 移動中、新田はずっとUnknownへコネクトを発信していたが、今のところレスポンスはなかった。

(……流動は落ち着いているから、フェイス・スポット――発信地点が大きく動くことはしばらくないはず。もし発信者が何らかの理由で移動していても、そこに行けば何か手掛かりがあるかもしれない……)

 期待と不安、焦りが入り混じってますます目が冴え、横になっていられなくなったユキトは少し夜風に当たって落ち着こうとタオルケットをはいでむっくり起き上がった。すりガラスの窓からはおぼろな月明かりと、ポイントをチャージしておけば薪を燃やして炎を上げ続ける焚き火台の明かりが差して20平方メートル超の部屋を、眠りを貪る仲間たちが横になったベッドをほのかに照らしている。奥に水洗トイレと洗面所、シャワールームが付属するプレハブハウス――調査隊の宿舎としてStoreZのアウトドアショップ〈Nature Dream〉から男性用、女性用それぞれレンタルした物である。

(……っと……)

 隣のベッドで寝返りを打った大鳥を起こさないようにそろそろとベッドから足を下ろして立ち上がり、半袖Tシャツとトランクス姿の上にイジゲンポケットにしまっていたネイビーのジャージ上下をパッと着て……足音を忍ばせて玄関まで行ったユキトは、取り出したサンダルを突っかけて静かにドアを開けた。

(……新田さん……秋さん……)

 外に出ると、ポイントゲージが付属する焚き火台を前にアウトドア用のテーブル付きイスに座る戦闘服姿の2人が目に入る。微かに流れる地面をそっと踏んで近付くユキト……カップ片手に座っていた秋は、焚き火台を挟んで反対側に座り、背もたれに寄りかかって眠っている新田を目で示し、自分の左隣に置かれているイスを勧めた。

「……すみません」

 小声で言ってイスに腰かけたユキトは、マリッジリングをはめた左手を大事そうに抱え、顔やアップバングの髪を流動に撫でられながら寝息を立てる新田をうかがった。StoreZの持ち帰り弁当ショップ〈やみやみ亭〉の弁当を食べて腹が膨れ、まぶたが重くなった隊員たちが焚き火台の左右に設置したプレハブハウスの寝床へふらふら潜り込む中、新田はもうちょっと経ってから休むと言って動かなかったのだ。

「……ずっとここにいたんですよね、新田さん」
「明日のことを考えて、なかなか気持ちが静まらなかったみたいだよ。だけど、陣頭指揮を執って人一倍奮戦していたからね」
「秋さんも眠れなかったんですか?」
「もし救助隊だったらって考えると、ね。昼間戦った黒スライムみたいなのがまた不意打ちして来ないかも気になったし」
「そう、ですよね……すみません……」
「気にすることはないよ。目が冴えている者が見張っていた方がいいしね。ホットミルクか何か飲む? おごるよ」
「え? あ、じ、自分で買いますよ」
「遠慮するなよ。ほら――」

 秋はStoreZからファストフード店〈MASSマスフード〉を開き、ユキトに見えるようにメニューをスライドさせて「どれがいい?」と気さくに尋ねた。

「……それじゃ、ココアのホット、Sサイズでお願いします」
「了解、っと」

 秋はポイントと引き換えに現れたココア入りカップをペアリングが光る手で渡し、自分のカップのコーヒーを一口飲んだ。

「……夜が明けたら出発ですね」
「そうだね」

 秋はうなずき、自分の後方――ぼろぼろに刃こぼれした剣のようなシルエットの山並みを一瞥した。

「……斯波君もリアルに戻りたくてたまらないか?」
「ええ……」

 苦悩を潜めた目が、右腕のナックル・ガントレットへ落ちる。このおぞましい設定から一刻も早く逃れたい……――秋の視線が鈍く光る鋼のこぶしに向けられたのに気付き、ユキトは慌てて話を振った。

「あの、そ、そうだ、彼女さんとはどうですか? アヤカさんでしたよね?」
「ん? ああ、順調かな。斯波君とこはどうだい?」
「……そこそこ、ですかね……彼女、リアル復活にあまり興味がないみたいなんですよね……」
「そうなんだ? 確かにリアル復活を切望する人もいれば、そうでない人もいるからな」
「秋さんは、このゾーンを出て家族に会いたいんでしたよね?」
「うん。アヤカをお母さんと弟さんのところに帰してあげたいしね。北村さんも家族に会いたくて調査隊に加わったって話だけど、斯波君もその口?」
「いえ……家族のことは別に気にしていないです。うちはバラバラなので……」
「そうなのか?」
「ええ……仕方なく一緒にいる感じですかね」
「ふぅん……仲直りはできそうもないの?」
「……僕が幼い頃、父親の浮気とかで壊れて以来ずっとですから。今さら……」
「……なるほどね……ま、血の絆なんて幻だと俺は思ってるからね。努力してもダメなものはダメかもしれないね」
「……そんなふうに思うことがあったんですか?」
「うん……うちの母親は、俺が子供の頃に浮気して出て行ったんだよ」

 焚き火台で揺れる炎を見つめ、秋はコーヒーを一口すすった。

「――その後、連絡は一切ない。人づてに聞いた話だと、新しい家族とうまくやってるらしいけど。もう関心がない……切り捨てた過去なんだろうな」
「……そうだったんですか……すみません、変なこと聞いちゃって……」
「いいんだよ。もう決着したことだから。だけど、それまでは結構荒れていてさ、親父にもずいぶん迷惑かけたんだよね。でも、親父は見捨てずに向き合い続けてくれた。その恩を俺はまだ全然返せていない。だから絶対にリアル復活したいんだ」

 確固とした意志に満ちたまなざし……それを見つめるうち、ユキトは彼といれば自分の願いもかなうような気がしてきた。

「……必ずできますよ、リアル復活。僕も頑張ります」
「ああ、一緒に頑張ろうな、斯波君」

 つい声が高くなってしまった2人は新田を気にして口を閉じ、顔を見合わせて微苦笑した。

「……リアル復活できたら、今度は斯波君がコーヒーをおごってくれよ。ちょこっとミルク入りで」
「はい。そのときはぜひ」

 秋が乾杯のときのようにカップを軽く上げ、ユキトも応じて左手に持ったカップを上げてから口に運んだ。少しぬるくなったココアは、胃袋から体をほんのりと温めてくれた。
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