TEM†PEST

Nagato Yuki

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Mov.52 邂逅

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 ざらついた流動に突き飛ばされてよろけ、ユキトはガクンと折れた両膝を小石混じりの砂に突っ込んだ。へたり込み、背中を曲げてうなだれた体が、薄ら寒い揺らめきにたゆたう……黒の十字架が引き起こした〈黒の大流動〉に押し流されて1カ月……着たきりのスウェットパーカーとパンツはほこりで汚れ、風と流動に荒らされた髪はぼさぼさ、幾分やつれて脂汗でべたついた顔は右腕から全身を侵す呪いが進行したせいで浅黒く変わっていた。

「……くぅ……」

 うめきが漏れて体が傾き、砂上にドサッと横倒しになる。右の頬に食い込む小石の痛み……ぼんやり感じるユキトの双眸では、墓石のような巨石がぽつんぽつんと点在する見渡す限りの砂漠が、暗澹あんたんとした厚い雲の層を背景にかすんで揺らめいていた。

 ……死にたくない……――

 声にならない声でつぶやき、グレーの袖口から出た真っ黒い右手――左手と比べて一回りでこぼこに固く膨れ、爪がどす黒さを増した呪いの源に微熱がこもる目を動かし、視線を這わせる……世界がのしかかっているかのように重い体、鈍く響いて頭をひび割れさせていく痛み……日一日と濃くなる死の影……

(……死にたくない……だけど……どうして、あいつらは……!)

 黒い嵐に響き渡った、ワンの語る真実――それをガーディアンズが耳にした神聖ルルりんキングダム……流れる木の陰に潜んで聞いていたクォンが頭のコリア・トンジョク……神聖ルルりんキングダムにいるスパイから情報を得た〈ヤマト〉――新リーダーの矢萩に改称されたハーモニー――は、この1カ月あちこちで衝突を繰り返しており、梶を失った船のごとく漂流するステルス・モードのユキトのところには、協力を求めるコネクトがヤマト以外からたびたび入っていた。

(……あれ以来赤い星も見えなくなってしまったけど、ワンはどこかに引きこもっているだけだって……だから、連中は行方不明の篠沢を見つけ出そうと……見つけ出して、あいつを……)

 紗季がALだという事実が、彼等の『ハードル』をいくらか下げているのは間違いなかった。ごろりと仰向けになったユキトは浅黒い左手を額に乗せ、皮膚から柔らかさが失われつつある甲を感じながら鈍色にびいろ天蓋てんがいを見つめた。

(……どうして、こんな……)

 苦悩、恐れ、恨み、嘆き……絡まった思考の鎖はもがくほどがんじがらめにし、頭痛がどんどんひどくなって意識が砕けていく。このまま砂に埋もれて朽ちてしまおうかとも思いながら、しかしユキトは生への執着を断つことができずにか細い呼吸を続けた。と――

(……――)

 頭側……少し離れたところで、そっと砂を踏む音が聞こえた気がした。モンスター――だが、それなら通常ヘブンズ・アイズが発報するはず――空耳だろうと思いながらユキトは左手をずるずる引きずってどけ、のっそり起き上がって体をそちらへ向けた。

(……?)

 10メートルほど離れたところに、揺らめく小柄な人影があった。それはあまりにもはかなげだったので、ユキトは病んだ微熱が見せる幻かと目を疑い、瞬きした。距離からすると、背丈は自分よりも頭一つくらい低い150センチ弱……グレーのパーカーのフードを深くかぶっていて顔はよく見えなかったが、ところどころ裂けたベージュのガウチョパンツとそこから出た褐色の足、薄汚れたスニーカーには見覚えがあった。

「……エリー……ちゃん?」

 よろけつつ立ち上がって向き直ると、右のスニーカーがビクッと半歩下がり、ためらいがちにまた元の位置に戻って、脇に垂らす空の右手が何かをつかもうとぎこちなく指を曲げる。

「……エリーちゃん、なのか……?」

 ヘブンズ・アイズを開いてみたが、マップ上にキャラクター・アイコンは表示されていなかった。お互いにステルス・モードの2人が出会ったのは、流動の影響による偶然に違いなかった。

「……どうしていたんだ? 今まで……」

 少しおびえた目付きで辺りをうかがい、ユキトは言葉を継いだ。

「……新田さんも近くにいるのか?」
「……って下さい」
「え?」

 右手にダガーガンがパッと出現するや銃口が走り、グリップが両手でがっちり握られ、撃鉄がガチッと起こされる。固まるユキトに、上げた両肩をこわばらせて狙いを定めるエリーはあえぐように言った。

「……責任を取って下さいって言ってるんです。新田さんをあんなふうにした……!」
「なっ……」
「……あなたの……あなたのせいで新田さんは……他人を殺すとボーナスポイントがもらえるんですよね?……わたしは、強くなるためにポイントがいっぱい必要なんです。強くなって、黒の十字架を手に入れて、新田さんをリアルに帰すんです……!」
「エ、エリーちゃ――」
「動かないで下さいッ!」

 銃声が空間を割ってとどろき、制止しようと右手を上げかけたユキトの頭の横を弾丸が飛ぶ。

「……このダガーガンは、わたしが稼いだポイントで強化されています。簡単に跳ね返せるなんて思わないで下さい……!」
「……何で、そこまで……」
「これは、わたしがやらなきゃいけないことなんです……! あのとき、崖を下りられなかったわたしが……!」

 フードの陰で光る冬の星に似た目に射抜かれ、ユキトの両足は急速に麻痺していった。流動によろめく少年の思考を呪いの熱が溶かし、めまいが黒ずんだ視界をねじれさせる。

「……分かったよ……」

 右手をだらんと下げたユキトは眉根を緩め、バリアを消して生身をさらした。

「……好きにしていいよ。それで少しでも償えるのなら……」

 消え入りそうな声が、空間の揺らめきに散った。結局、自分はもがき苦しみながら漂流し続け、やがて……それならば、せめてこの場で彼女の望み通りになろう……諦めと、すべてから解放されるという思いが全身から力を失わせていた。そんな標的をとらえた小さな瞳が上下に押し潰され、息切れ調子の呼吸が次第次第にうなり声に変わって――

「――うわあああッッ!」

 撃鉄が雷管を叩き、撃ち出された弾が汚濁した空へ斜めに飛んで消え……エリーはダガーガンを握ったまま崩れて砂地に膝を突き、深くうなだれて肩を震わせた。

「……こ、こんな……こんなこと……うう……ううっ……」
「……エリー……」

 ユキトは、ようやく気付いた。
 彼女は止めてもらいたかった――苦しみあえぐ自分を救って欲しかったのだと。

(……なのに、僕は……そんなだから……)

 脳裏に黒い大流動と消えた紗季の影がよぎる。紗季のことだけではない。自分がもっとしっかりしていたら、現状はもう少し違っていたのかもしれない……額に両手の平をこすりつけ、そのまま髪を後ろに撫で付けたユキトはむせび泣くエリーに近付いてひざまずき、細い腕に左手をそっと、意を決した動きで触れさせた。

「ごめんな、エリー……僕は自分のせいであんなふうになった新田さんを見ていられなくて、君のことも避けていた……僕がだらしないばっかりに、独りでつらい思いをさせてしまって……本当にごめん……」
「……わ、わたしこそ、ひどいことばかり……ごめんなさい……ごめんなさい……!」

 嗚咽が号泣に変わり、大粒の涙がガウチョパンツと砂の上にぼたぼた落ちて染みを作る。吐き出すように泣き続けるエリーとつながりながら、ユキトはかみ締めた歯の裏で深い苦みを感じていた。
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