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第4話 笑顔の下の醜悪なニオイ
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「クロウさん、行ってしまいましたね……」
「頑固で困っちゃうよねぇ」
のんびり笑うと、リラは申し訳なさそうに眉を下げた。消え入りそうな声を絞り出してくる。
「すみません……」
「えー。何でリラちゃんが謝るの」
「だって私のせいで、お二人が……」
「いーのいーの。いつものことだよ。僕とクロウはそうやってどうにかやって来たんだから」
ヒラヒラと手を振る。どうしようもない本心だ。
自分より小柄な彼は、まるで猫のようだ。闇夜に溶けそうな黒髪も、警戒の解き方を忘れたような灰色の瞳も、出会った頃から変わらない。踏み込もうとするとスルリと逃げたがる。目に見えない香りのように、どこかへ消えてしまいたがる。どうすれば香水瓶のように閉じ込めてしまえるのか。マシロにはまだわからない。
「クロウはさ、ああやって鼻がいいけど。楽なだけじゃなかったみたい」
「そう、なんですか?」
「まー、単純に僕らより飛び込んでくる情報は多いだろうし。相手からしてもやりにくいだろうね。考えてみなよ。クロウの前じゃ滅多に嘘も通用しないんだよ。なんなら発情してることだってバレちゃうからね」
「!」
リラが目を見開く。わずかに頬に赤みが差した。何と返せばいいか迷ったように視線を彷徨わせているのが、申し訳ないけれど少し面白い。この場にクロウがいれば、「言い方ってもんを考えろよ」と苦い顔をされただろう。彼はぶっきらぼうに振る舞おうとする節があるが、実のところマシロよりデリカシーとやらを気にするのだ。
「そういうのが積み重なって、クロウも結構疲れちゃうっていうか。慣れない人と行動するとピリピリしやすいんだよ」
「な、なるほどです」
「僕もクロウも、真っ当に生きたいだけなんだけど、ね――……」
「……マシロさん、も?」
恐る恐る覗き込んできた瞳を、マシロはただ笑顔で押し返した。
リラの両肩に手を置き、くるり。彼女を方向転換させる。今来た道を戻るように。
「さ、僕はもう少しだけ聞き込みをするから。リラちゃんは今日のところは帰った方がいいよ」
「え、でも。私も付き合います……! 私が頼んだことなんですし……!」
「お嬢様が遅くまで出歩くものじゃないの。それに雨が降るよ。女の子が体を冷やしたら大変だ」
「雨……って、予報では……」
「クロウが言ってたからね。クロウが降ると言ったら絶対だよ」
そう言い含めると、彼女はまだ名残惜しそうな表情を持て余したまま、「お願いします」と頭を下げて帰っていった。
「さて、と」
一人になって、うんと伸びをする。自分もそれほど時間をかけるつもりはない。色男がずぶ濡れになるのは絵になるかもしれないが、それで風邪を引くのはマシロもごめんだ。
――マシロはクロウの言うことを疑ってはいない。彼が意図的に言わない情報があったとしても。マシロたちに伝えたことも、判断も、きっと間違いではないのだろう。
ただ。リービットがいなくなったからといって、証拠の一つもなければ自警団も動いてはくれないだろう。リラの話だけではペットが逃走した以上のことは証明できない。せめて何か目撃情報でもあれば……。
マシロは辺りを見回した。買い物帰りなのだろう、荷物を抱えた上品そうな女性に目が留まる。徒歩ということはこの近辺の住民だろうか。
ひょい、とマシロは長い足で彼女に歩み寄った。
「失礼、マダム」
「あら」
不躾ながらも笑顔で声を掛けた自分に、彼女はゆるりと微笑んだ。マシロも一層笑みを深める。知らない人との会話は好きだ。クロウなら「理解できねえ……」という顔をしそうだが。
「昨日、この辺りでリービットを見かけませんでしたか?」
「リービットを? ……ああ、そういえば。そちらの路地の方に走って行くのを見た気がするわ」
「本当ですか。リービットだけでした? 誰か追いかけていたりとかは……」
「すばしっこかったからあれが本当にリービットだったか自信はないけれど……男が一人、追っていたかしら。屈強そうで、組み合わせが何だか似合わないな、と思ったの」
「屈強そうな男? どなたかは存じない?」
「ええ……ごめんなさいね」
「十分です。ありがとうございます、マダム」
彼女の手を取り握り込むと、彼女はうっとりと目を細めた。紅色のルージュが引かれた唇が薄く開く。
「可愛い坊や。だけど最近は物騒だわ。お気をつけなさって」
「ええ、もちろん。マダムも。あなたに幸せの旋律が響きますように」
定型句を甘い笑顔で述べ、マシロは彼女が指し示した路地へ足を向けた。
薄暗くなり始めた路地を歩いて、マシロはどうしたものかと頭を悩ませる。クロウではないのだから、この路地を歩き回ったところで得られる情報があるのか分からない。何かめぼしいものでも落ちていればいいのだが。
しかし、目撃情報があっさり手に入ったことは朗報だ。ツイている。自警団を動かすには足りないかもしれないが、ないよりマシだ。クロウだってこれならマシロの行動を認めてくれるかもしれない。
「リービットの毛って抜けやすいんだっけ……そんなことなかったかな……。うーん、盗んだ奴の痕跡があるとしたらどんなものだろう。雨が降るなら色々流れちゃうかもしれないもんなぁ……今日の内に何か見つけておきたいけど……」
唸りながら左右に目を走らせる。しかしゴミ箱の陰、石畳の窪み、そんな細かいところに目を凝らしても変わったものは見当たらない。
はあ、と溜息をついて――。
ガツンと頭に衝撃を受けた。
「っ……!」
グラリ、視界が揺れる。立っていられない。倒れ込んだ拍子に、懐からこぼれ落ちた香水瓶が割れた。
……ああ、あれは、昔クロウに作ってもらった……。
「あらあら。だから気をつけてと言ったのに」
頭上から降り注ぐのは、クスクスと笑いを含ませた、鈴が転がるような声。
眩む目をどうにかこじ開けると、この路地を教えてくれた先ほどの女性が自分を見下ろしていた。
――ハメられたらしい。
しとしとと降り始めた雨がマシロの体を濡らしていく。
クロウなら、ニオイで笑顔の下の悪意にも気づけたのだろうか。
薄れゆく意識の中でそんなことを思った。
「頑固で困っちゃうよねぇ」
のんびり笑うと、リラは申し訳なさそうに眉を下げた。消え入りそうな声を絞り出してくる。
「すみません……」
「えー。何でリラちゃんが謝るの」
「だって私のせいで、お二人が……」
「いーのいーの。いつものことだよ。僕とクロウはそうやってどうにかやって来たんだから」
ヒラヒラと手を振る。どうしようもない本心だ。
自分より小柄な彼は、まるで猫のようだ。闇夜に溶けそうな黒髪も、警戒の解き方を忘れたような灰色の瞳も、出会った頃から変わらない。踏み込もうとするとスルリと逃げたがる。目に見えない香りのように、どこかへ消えてしまいたがる。どうすれば香水瓶のように閉じ込めてしまえるのか。マシロにはまだわからない。
「クロウはさ、ああやって鼻がいいけど。楽なだけじゃなかったみたい」
「そう、なんですか?」
「まー、単純に僕らより飛び込んでくる情報は多いだろうし。相手からしてもやりにくいだろうね。考えてみなよ。クロウの前じゃ滅多に嘘も通用しないんだよ。なんなら発情してることだってバレちゃうからね」
「!」
リラが目を見開く。わずかに頬に赤みが差した。何と返せばいいか迷ったように視線を彷徨わせているのが、申し訳ないけれど少し面白い。この場にクロウがいれば、「言い方ってもんを考えろよ」と苦い顔をされただろう。彼はぶっきらぼうに振る舞おうとする節があるが、実のところマシロよりデリカシーとやらを気にするのだ。
「そういうのが積み重なって、クロウも結構疲れちゃうっていうか。慣れない人と行動するとピリピリしやすいんだよ」
「な、なるほどです」
「僕もクロウも、真っ当に生きたいだけなんだけど、ね――……」
「……マシロさん、も?」
恐る恐る覗き込んできた瞳を、マシロはただ笑顔で押し返した。
リラの両肩に手を置き、くるり。彼女を方向転換させる。今来た道を戻るように。
「さ、僕はもう少しだけ聞き込みをするから。リラちゃんは今日のところは帰った方がいいよ」
「え、でも。私も付き合います……! 私が頼んだことなんですし……!」
「お嬢様が遅くまで出歩くものじゃないの。それに雨が降るよ。女の子が体を冷やしたら大変だ」
「雨……って、予報では……」
「クロウが言ってたからね。クロウが降ると言ったら絶対だよ」
そう言い含めると、彼女はまだ名残惜しそうな表情を持て余したまま、「お願いします」と頭を下げて帰っていった。
「さて、と」
一人になって、うんと伸びをする。自分もそれほど時間をかけるつもりはない。色男がずぶ濡れになるのは絵になるかもしれないが、それで風邪を引くのはマシロもごめんだ。
――マシロはクロウの言うことを疑ってはいない。彼が意図的に言わない情報があったとしても。マシロたちに伝えたことも、判断も、きっと間違いではないのだろう。
ただ。リービットがいなくなったからといって、証拠の一つもなければ自警団も動いてはくれないだろう。リラの話だけではペットが逃走した以上のことは証明できない。せめて何か目撃情報でもあれば……。
マシロは辺りを見回した。買い物帰りなのだろう、荷物を抱えた上品そうな女性に目が留まる。徒歩ということはこの近辺の住民だろうか。
ひょい、とマシロは長い足で彼女に歩み寄った。
「失礼、マダム」
「あら」
不躾ながらも笑顔で声を掛けた自分に、彼女はゆるりと微笑んだ。マシロも一層笑みを深める。知らない人との会話は好きだ。クロウなら「理解できねえ……」という顔をしそうだが。
「昨日、この辺りでリービットを見かけませんでしたか?」
「リービットを? ……ああ、そういえば。そちらの路地の方に走って行くのを見た気がするわ」
「本当ですか。リービットだけでした? 誰か追いかけていたりとかは……」
「すばしっこかったからあれが本当にリービットだったか自信はないけれど……男が一人、追っていたかしら。屈強そうで、組み合わせが何だか似合わないな、と思ったの」
「屈強そうな男? どなたかは存じない?」
「ええ……ごめんなさいね」
「十分です。ありがとうございます、マダム」
彼女の手を取り握り込むと、彼女はうっとりと目を細めた。紅色のルージュが引かれた唇が薄く開く。
「可愛い坊や。だけど最近は物騒だわ。お気をつけなさって」
「ええ、もちろん。マダムも。あなたに幸せの旋律が響きますように」
定型句を甘い笑顔で述べ、マシロは彼女が指し示した路地へ足を向けた。
薄暗くなり始めた路地を歩いて、マシロはどうしたものかと頭を悩ませる。クロウではないのだから、この路地を歩き回ったところで得られる情報があるのか分からない。何かめぼしいものでも落ちていればいいのだが。
しかし、目撃情報があっさり手に入ったことは朗報だ。ツイている。自警団を動かすには足りないかもしれないが、ないよりマシだ。クロウだってこれならマシロの行動を認めてくれるかもしれない。
「リービットの毛って抜けやすいんだっけ……そんなことなかったかな……。うーん、盗んだ奴の痕跡があるとしたらどんなものだろう。雨が降るなら色々流れちゃうかもしれないもんなぁ……今日の内に何か見つけておきたいけど……」
唸りながら左右に目を走らせる。しかしゴミ箱の陰、石畳の窪み、そんな細かいところに目を凝らしても変わったものは見当たらない。
はあ、と溜息をついて――。
ガツンと頭に衝撃を受けた。
「っ……!」
グラリ、視界が揺れる。立っていられない。倒れ込んだ拍子に、懐からこぼれ落ちた香水瓶が割れた。
……ああ、あれは、昔クロウに作ってもらった……。
「あらあら。だから気をつけてと言ったのに」
頭上から降り注ぐのは、クスクスと笑いを含ませた、鈴が転がるような声。
眩む目をどうにかこじ開けると、この路地を教えてくれた先ほどの女性が自分を見下ろしていた。
――ハメられたらしい。
しとしとと降り始めた雨がマシロの体を濡らしていく。
クロウなら、ニオイで笑顔の下の悪意にも気づけたのだろうか。
薄れゆく意識の中でそんなことを思った。
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