だぁれが、ハレンチだ! ~どっちかったら、逆なんですけど?~

ハル*

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いまさらの話

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体が重たくてダルいのは、変わらず。

「…はっ……はぁっ…」

息が切れてしまうほどの高熱にうなされているのも、何の変化もない。

「さっき着替えをさせたばかりなのだろう? なのに…もう、こんなにも汗をかいているとは。また着替えをさせた方がいいのか?」

それと、元の世界に戻れていないという現実も変化なし。

(こんなにキツイのに、まだ死ねていないのか。いつ、帰れるんだろう)

ネガティブな気持ちに背中を押されて、このまま具合が悪くなっていけば死んで、元の世界に帰れるという願いだけは違う意味で変わらずに胸の中にあった。

「準備をしてまいりますが、もうすこしで熱が上がりきりそうですので、様子を見つつその後にでも」

「…ふぅむ、そうか。では侍女長にまかせよう」

「かしこまりました」

「…ん? 目が覚めたか? どうだ? 具合は」

あまりにもなツラさに、涙がにじむ。歪んだ視界の中には、あのまつ毛の人と王子のくせに暇なのか…スープぶっかけちゃった王子さまと。

(なんか、もう一人増えてない?)

ぼんやり見える感じでいけば、まつ毛の人と似たような服を着た人がそこにいた。

「第一騎士団の方へ、来客がありました。団長の方で対応が必要なので、すぐに戻ってほしいと…副団長が」

「ならば、戻った方がいいのでは? 今日は私の方でこちらは」

ローブの人が珍しくフードをかぶってないや。フードからチラッとだけ見えていた髪は、全体的に茶髪だったのか。

「……俺はここから離れるが、ちゃんと水分や食事を摂るんだぞ? いいか?」

団長と言われたまつ毛の人が、あたしへと声をかけていく。言われていることを理解できないわけじゃないけど、なんとなく返事をしたくなくて、ボーッとしながら無言で見つめ返した。

「あとでまた様子を見に来る。…では」

あとで…と言いながら、まるで子どもにするように頭を撫でてから部屋を出ていった彼。

彼が出ていった後に、フードの彼があたしをチラッと見てため息をつく。

「回復魔法が跳ね返されることがなきゃ、回復魔法一択だったのに」

とか言いながら、さっき侍女長と呼ばれていた人に手を差し出す。すると彼女の手から、器が手渡されていた。

横目に見て、あれか…と視線をその器から外す。

「口を開けて」

素っ気なく差し出されるスプーン。その上には、あの彼に飲まされたのと似た液体がのっていた。

この人なら、口を開けなかったら諦めてくれるかもしれない。なんて漠然と思って、見つめ合ったままで口は開かず。

「開けて」

「……」

「開けなさい」

「……」

命令のようなそれに無言を貫き通した後、顔をそむける。

と、体に違和感。ビクンと体が勝手に反応して、口が薄く開いた。

(なに? なに? なんなの?)

驚きよりも恐怖が勝る。目を見開き、当然といわんばかりにスプーンをあたしの口元に運ぶ彼を見る。

すると彼の口元が歪んでいて、まるで笑うのをこらえているように見えたんだ。

「あと3口だ。ちゃんと飲むように」

飲みたくないのに、勝手に体が飲むことを受け入れている。

(怖い…っ。何が起きているの? あたしの体に)

「ん…ぐっ」

これが体にいいものじゃなきゃ、もしも…毒だったなら。こんな風に強制的に飲ませる方法をこの人たちは持っていることになる。

ボロボロと涙がこぼれる。

「毒を喰らわせているわけじゃないというのに、泣く理由がわからんな」

同じことをされても、同じように思えるの? この人は。

最後の一匙まで飲まされて、終わったかと思えば、目の前の彼はめんどくさそうに立ち上がった。

あたしに何か言うでもなく、器を侍女長に返して足早に部屋から出ていった。

ひっくひっくとしゃくりあげるように泣き続け、体の震えも止まらなくて。

侍女長と呼ばれていた人が、あたしの涙やひたいの汗をタオルで拭ってくれる。

「冷たいタオルでお拭きしても?」

なんて声をかけられていても、何が自分にとって害なのかそうじゃないのか、敵なのか味方なのかが見えなくて。

返事をすることも怖くて、ただただ泣き続けていた。

どれくらいの時間が経ったんだろうか。

ウトウトと眠っていたら、ドタバタと遠くから誰かが駆けてくる音がして勢いよくドアが開いた。

「――――彼女を第一騎士団の方で預かることとなった。俺が運ぶ。…荷物は頼む」

ヒョイと体が宙に浮いて、それから息苦しくなった。

「ん…ぐぅ」

変な声が出て、それが彼が抱きあげた時に強く抱きしめられたからみたい。

「ん。…すまん」

感覚的に、最初は荷物を抱えたような感じで肩に乗っけたのかと思った。けれど、あたしが声をあげた後はふわっとした感覚の後に軽い横揺れがあって、それから息苦しさは無くなってた。

意識が途切れ途切れで正解はわからないんだけど、嫌な揺れではなかった。

(第一騎士団…?)

そのワードだけは頭に残って、また体が求めるがままに眠りに落ちたあたし。

この場所に来てからどれくらい経ったんだろう、本当に。

「……ん」

目がさめて、自分の体が軽くなった気がして。

「よい…っしょ」

眩む頭に手をあてて、ゆっくりと体を起こした。

額にあてた手の感じでは、熱らしいものはないっぽい。脱水症状というほどじゃないけど、喉がすごく渇いている。

前に目が覚めた時に着ていた物とは違うパジャマっぽいものを着ているみたい。

通算で何日目かわからないとはいえ、ずっと断食生活のような状態だったことになるわけで。

「…わー。お腹、ぺったんこだ」

そこまで太っていた記憶もないけど、強制的にダイエットをしたように以前とは体型が違っている気がした。

ベッドから降りようとして、そこでやっと気づく。

「ここ、どこ?」

目が覚めるたびに違う場所にいる? 眠りにつく前に話していたどこぞの騎士団のどこか?

フラフラしながら、ベッドから足を出して。

「よい…っ、ふう……、っしょ」

立ち上がろうとした。

「お、っと」

立てなかった。

「あれ? なんで? 食べてないから?」

困ったな。目の前に水差しがあるのに、手を伸ばすのですら厳しいなんて。

「んぐ…ぐぐぐ」

なんとか手を伸ばそうと試みて、「んぎゃっ」そのまま前に転がってしまった。

チリリリリリンッ。

水差しが置かれている台の上に、ベルも乗っていたみたいだ。水差しとは違って軽いそれは、あたしがぶつかっただけで床に落ちて転がってしまって。

「あー…やっちゃった」

床にへたり込んだろうに座っているしか出来ないあたしは、とりあえずでそのベルを拾って台に置いた。

バンッ! と勢いよくドアが開き、数人の足音が聞こえて。

「何事だ!」

かろうじて聞こえたのが、それ。

他にも女の人の声もしたんだけど、その声にかき消されたっぽいや。

「ん? いない? 彼女はどこに行った!」

あれ? ベッドの横というか床にいるんですけどね。見えない? もしかして。

「いますー」

なんとかそれだけを言って、ベッドに戻ろうとした。

「あ…っ」

でもやっぱりまたクラッとして、ベッドに倒れ込むように転がりかけた時だ。

「大丈夫か」

たくましい腕が、目の前にヌッと現れた。反射的にガシッとしがみつく。

「だいじょばないです」

大丈夫じゃないと言おうとして、とっさに出たのが友達との間で使ってたそれ。

「んんん? だいじょ…ば?」

混乱させてしまったようだ。呪文でも何でもないのに。

「えっと、その」

自分が発した言葉をいちいち説明するとか、芸人がネタについて説明をする感じでもあり、なんだか恥ずかしい。

真っ赤になって言葉に詰まっていると、その間に彼があたしをベッドに寝かしてくれた。

「ありがとう、ございま…す」

力が入らない体を何とか起こして、お礼を伝える。

「……」

一瞬、驚いたようにあたしを見てから、大きな手で頭を撫でられた。子ども扱いだ、これ。

「かなり長いこと、まともな食事をしていない。スープや果物などの胃に負担が少ないものから…どうだろう。その様子だと、自力でスプーンを持てるかわからなさそうだな」

とか言われはしたものの、あの時のローブの彼のことが思い出された。

ゴク…ッと生唾を飲み、「あの」と切り出す。

「また…魔法か何かで、食べさせるんですか?」

力が入らないなりに、こぶしをギュッと握る。

「ん? 何のことだ」

目の前にいる彼は、あの時のことを知らないのだろうか。

てっきりあの時あの人に託していった人だから、手段は何でもいいから飲ませろとか言ったんだと思っていたのに。

「拒むことも…許されなかった、から。アナタとは…違う意味で」

なんて言っていいのかわからず、何とか伝えられたのがそれ。

「………侍女長。どういうことか、説明できるか」

彼の背後から、見たことがある女性が現れた。女性の声がした気がしたのは、この人だったのか。

侍女長と言われた人は、表情を強張らせて何も言えずにそこにいた。

「……ふう。アレよりも、俺の方が立場は上だ。何かがあっても、俺が必ず責任を取る。口止めをされたのだろうが、彼女が話している内容について知ってることがあれば教えてほしい」

立場が上だというのなら、侍女長よりも上なんじゃないのかな? なのに、彼女相手に頭を下げている。

どういう話があって、口どめにいたったのかわからないけど。

(顔色が真っ青だ)

これ以上、彼女を苦しめるわけにはいかないかもしれないよね。

「……勝手に口が開いて、スプーンで口に液体を注がれてからも、こっちの意思に無関係で…飲み込んで。正直、これが毒だったら…と、何の説明もなしにそうされたので……恐怖でした」

彼女が明かしたんじゃなく、あたしが告げ口をしたことにすればいい。

たどたどしく、あの時の状況を話す。

侍女長の方に体が向いていた彼が、最初の一文辺りでこっちを向き、話が進むにつれて顔がどんどん赤くなっていった。

「その方には、なにも…非はないです。仕方がないんじゃないですか? どういう方か…知りませんけど、立場上…何かあるんでしょうし? …ねえ」

ねえ…と、侍女長さんへ視線を向ける。

顔色はまだ悪いままで、あたしと一瞬目が合って泣きそうな顔つきになっていた。

そんな相手に出来ることといえば、ぎこちなくだけど笑うだけだ。

「話しにくいことをすまなかったな。……感謝する」

侍女長さんとあたしのやりとりを間で見てから、穏やかな声でそう告げられる。

気にしないでほしいとゆるく首を振ると、また子ども扱いのように頭を撫でられた。

「あのバカがやったようなことはしない。恐怖を与えてまで、食べさせるつもりはない。それと、目の前で毒見をしてもかまわない。それで安心させられるのならば…。だからひとまず、消化のいいものかなにか食べてみないか?」

彼はベットの横に膝をつき、高い場所から見下ろすようにじゃなく、近い高さになってからそう提案してくれた。

信じていいんだろうか、目の前のこの人のことを。

そう思いはすれども、あの無理矢理飲ませてきた人よりはいい人かもしれないし、信じてもいいのかもと思う。

魔法で飲ませるか、鼻をつまんで口を開かせて飲ませる。結果だけで言えば同じ目的を果たしたはずのことなのに、こっちの心象はかなりの差がある。

比べるまでもなく、目の前の彼の方が信用に足ることにはなるよね。一応。

だけど、飲んでしまえばそれは生きようとすることと同義になる。

(どうしよう。この人に話してみる? いっそのこと)

少なくとも、この人はあたしのことを心配してくれている。召喚した相手だからというのがあるとしても、だ。

「話、いいですか」

ポツリとそう呟けば「かまわない」と彼が膝をついたままで続ける。

「あたしは死ねば……戻れますか? 元の世界に」

さっさと本題に入る。メンドクサイやりとりをする気力も知力もないからね、あたしは。

あたしが呟いたことに、目の前の彼の顔が一気に険しくなった。

「死ねば? だと? …………どうしてそんなことを? というか、元の世界への戻り方は不確かだ。過去に戻れたという話を聞いたことはない。それと同じに、もしもどこかに消えたんだとしても行き先を特定できたわけではない。過去に召喚した相手の消息が不明になった者もいないわけではないが、それが戻ったのか別のどこかに消えたのか、もしくは死んだのか。確認の方法がなかった」

話を聞きながら、一喜一憂する。喜ぶというほどのモノではないとしても、100パー戻れないというわけでもないみたいだ。召喚した時の特典で、召喚したところからまたやり直しみたいなシステムかどうかがわからないってことね? どうにかしてそれが叶える方法を見つけられたらいいのに。

でも…でも、絶対じゃないのなら可能性の話になる。

「魔法とかでその方法がないのなら、死ねば……心と魂は戻れるかって…思ったんで。戻りたかった、みんなのところに」

どうして聞くのか? ということへの答えを返す。

「だから……このまま餓死させてもらえませんか」

そして、この後に彼が食事をと言ってくれていることを拒むつもりのその理由を先に伝える。

「…なっ」

「みなさんの手を煩わせるのも嫌だし、ハレンチだとか言われてるのも知ってるので。だから…そんなあたしに手をかけることをやめてくださってかまいません。…放置しておけば、勝手に死ねます」

死にます、じゃなくて、死ねます。

あたしが口にしたことで、彼の言葉を奪っているのを理解した上で。

「ごめんなさい。食事は…いりません。生かそうとしないでいいです。あの水みたいなの、きっと貴重なものですよね? あの状態からでも、こうして生きているのなら…すごい水だったんでしょ? そんなの、こんなのに与えなくていいんで。……それがきっと、互いのために一番いい答えじゃないんですか?」

死のうとハッキリ決めたら、頭がスッキリしてきた。

言葉に気持ちが乗っていく。

「感謝はしてます、生かしてくれたこと。心配してくれたんだろうこと。でも、こっちの都合も事情もおかまいなしに召喚してバカにされたし。それに、王子さま? に熱々のスープぶっかけるつもりなかったのに、責められたし。こんな場所にいて……なにもないなって」

「それは…っ」

「剣で斬りつけるのも、血が飛び散って汚くなってしまう。魔法を使って殺してもらっても、魔力? を無駄に使うことになるんじゃないですか? なら、一番無駄がなく、誰にも負担がかからない方法は一択しかないでしょう?」

「そんな一択など」

「…ないって、言えますか? 絶対にないって」

このままどうにか言質を取りたい。お互いに、そうしましょうって後腐れがないようにしたい。

「…と、いうことで」

なんとか手を少し上げて、軽くパチンと両手をあわせてパチンと鳴らす。

「これで手打ちとしましょうよ」

あたしがそう言うと、彼が首をかしげる。

「手打ち?」

「あれ? こっちの世界にその言葉はないですか?」

とか聞き返すと、彼があごに手をあてて首を左右にゆっくりと何度か振ってから「ないな」と言う。

「えっと、契約とか和解とかが成立した時の状態のことなんですけど。だから、この結論がいつまでも出ない感じのものを、結論づけちゃいませんか? っていう提案をって」

ボヤッとした記憶の中のそれを引っ張り出し、多分合ってるだろう内容を伝えてみたのに。

「…………手打ちには出来ない」

彼に拒否された。

「え……」

呆然としてそれだけしか返せないあたしに、彼が手を伸ばしてあたしの右手を握った。

「放置はしない。餓死もさせない。こちらの都合で召喚した非は認めよう。だからこそ、謝罪の意味も込めて礼を尽くしたい」

あたしの手を握っている彼の手は、あたしが知っている男性の手とはすこしだけ違ってて。

「んな…こと」

固い手のひら。ゴツゴツしてて、マメだろうか固いところが手の甲に触れてて。

「君が望むのなら、無理に飲み込ませたアレは近寄らせない。ひとまず、こちらの文化に触れるという意味で食事はどうだろうか? なんとか…食べてもらえないか?」

彼がそう告げた時、背後にいた侍女長さんが一歩踏み出してきて。

「もしも…っ、男性が近づくことが苦手ならば、わたくしが責任をもってお世話をさせていただきます」

あたしよりも年齢も上だろう彼女が、深く頭を下げてきた。

「あの…」

困ったように彼女を見上げるあたしの手を、彼がさっきよりも強めに握ってきて。

「彼女を助けるつもりでもいい。…食事をしてくれないか。彼女が手を貸すから」

あたしが何かを言うまで、頭を下げているつもりなんだろうか。

「あ……のっ、それ、は……っ」

言葉に詰まって、拒否を示しきれずにいるあたしへと。

「お願いします」

頭を下げたままで、侍女長さんがもう一度そう呟く。

長とつくのなら、それなりの役職なんでしょ? 年齢的ってだけじゃなく。なのに、こんな小娘に頭を下げているのが、あたしのためっていうのは……。

ふい…っと顔を二人の方から背けて、ポソッとため息でも吐くようにこぼす。

「すこし…なら」

折れられるギリギリが、それ。

「ありがとうございます!」

感謝するのは、きっとこっちの方なのに。

侍女長さんが、頭を上げてからもう一度頭を下げた。

「あの…そこまでしなくても」

オロオロとするあたしに、「…あ」と隣から声が聞こえた。声の方へと顔を向けると、長いまつ毛を伏せるようにして、困った顔になっていた。

何だろうと首をかしげて彼を見ていると、チラッとこっちを見てから視線をそらされた。

(なにか言いたげ?)

また食事のことかと思いながら、彼の様子を伺うあたし。

そんな彼の口から出てきた言葉に、互いに一つのことを忘れていたんだと気づかされる。

「今更になってすまないが……君の名を、聞かせてもらっていないのだが」

そういえばと思ったのと同時に、すぐに聞き返す。

「あたしも、ここに来てから話をした人の誰一人として、名前を知りません」

名乗りあってもいないという現実というか事実。

目の前の出来事だけを何とか解決しようとしかしていなかったということか。

「あー…そうか。こちらも、だったか。すまない」

大きな図体が、小さく丸くなった。

(可愛い)

頭の端に浮かんだそれに、疑問を感じる暇もなく彼に名乗られた。

「遅れたが、我の名前は、ピュール。ピュール=オズモンドだ。この国の第一騎士団の団長の職にある者だ。ちなみに、君が今眠っているこの部屋も、第一騎士団の中にある一室だ。君を第一騎士団の預かりにという決定が下ったのでな」

今思い出したのか? というようなタイミングで、あたしのここでの居場所が第一騎士団というところになったと伝えられる。

「そんな話、さっきから一度も出てなかった…」

ポカンとしてしまう。そりゃそうでしょ? ほっとけば、いつまでも話題にあがらなかった可能性だってありそうだもん。ここに来てからしなきゃいけない話が、一向に進めないことばっかりだしね。

「ん…んんっ。ゴホッ。…すまない」

自分でもやらかしたなって思ってるみたいで、バツが悪そう。

くすっ…と笑ってから、体をほんのちょっとだけ彼の方へと向けるようにズラしてから頭を下げる。

「こちらこそ名乗り遅れました。…名を、椎名立花しいなりつかと申します。椎名が家名、名字になります。ですので、そちらの都合がいい方でお呼びください」

こうやって名乗ると、なんだか元の世界と変わらない気にもなって、声がさっきより強く出せたかもしれないや。

頭をあげると、目の前の彼がホッとしたように笑んでいて。

「シーナリツカ。…シーナが呼びやすそうだ。改めて、よろしく。シーナ」

手の甲に重ねられていた手が動き、握手を求められる。

この習慣も元のとこと同じだ。

ホッとした自分の気づきながら、その手におずおずと手を差し出す。

「よろしく…お願いします。えっと、オズモンド、さん?」

念のために家名の方で呼んだのに、「ピュールでいい」と訂正された。

「それじゃ…その……ピュールさん?」

「ああ、それでいい」

互いに名乗りあっただけなのに、妙にホッとして。

「それじゃ、食事を運んでもらおうか」

彼がそう言っただけの話なのに、さっき餓死を求めたくせに体は食べろといわんばかりに腹の虫を小さく鳴らせていた。


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