傾国の皇子は西方を夢見る[完結!]

小野露葉

文字の大きさ
10 / 27
第二章

三話 少年医師 その三

しおりを挟む
 土壁の家にさし込む朝の光の中、日栄は寝息を立てている。

「お前のおかげでこいつは助かったな」

「いえ、ごく普通のことをしただけです」

 これがごく普通か……

 あれから一晩、淑はほぼ寝ずに看病を続けた。まずは湯を沸かし、部屋を温め、目が覚めればあの濃紺の袋の中にあったのだろう薬湯を飲ませ、鶏汁を少しずつでも食べさせる。汗が出るようになれば、今度は着替えをさせ、体中綺麗に拭いてやる。それをひと晩繰り返す。それを根気よく看病を続ける少年が皇子とは思えない。おかげで日栄の顔色は良くなり、咳も落ち着き、熱も下がったようだった。突然淑が張弦の方を向くと頭を下げた。

「それより先ほどは申し訳なかった」

「いや、こっちこそ悪かった、俺が気づくべきだった」

 昼間から布団を敷いて寝ているのだ。どこか悪いと想像するのが当たり前だろう。

「それにしても、まさか、お前、医術にも長けていたとは」

 すると、淑がふっと笑った。

「道士とて霞を食べて生きるわけにはいかない」

「私達道士は修行中山にこもるため薬草などに詳しくなります。そこで、山人はその知恵を使って麓のものたちの医師代わりとなっておりました。その代わり、野菜や雑穀などを分けていただくのです」

「なるほど……」

 すると、淑が遠慮がちに聞く。

「それにしても……張殿はなぜこの方を」

 その途端、張弦の中に忘れていた怒りが思い出される。義姉との関係とは別にどうしても許せないことがあった。張弦はしぼり出すように言った。

「……こいつは反乱軍側の間者だった」

「こいつは地図を作る部署にいたのだが、持ち出し禁止の苑国の地図を盗んだんだ。高明王、つまり第二皇子がそれを見つけて未遂に終わった、その上今までの貢献とかで罪は不問してくれたのに。乱が終わったらすぐに消えたくせに、結局は義姉を頼ってきやがった」

 苦々しげにつぶやく張弦に対し淑はさらに聞く。

いみなを呼ぶところを見ると、日殿は張殿より年下、身分も下ですよね」

「ああひとつ年下だ、たまたま俺が少年兵のまとめをしていたからこいつも俺の部下になっただけのことだが」

 東方の乱では兵が足りず、まだ十分に訓練されてもいない少年たちも駆りだされた。あの頃の苦々しい経験が思い出される。張弦の思いを知ってか知らずか、淑がしばらく考えむ。そしてやっと口を開いた。

「日殿は非常に記憶力が良いのでは?」

「確かに……一度通った道は忘れないとかで、すぐ地図を書くところにまわされた」

「地図を盗んだというのはいつ頃?」

「ちょうど乱が終わるか終わらないかの頃だ」

 それを聞いて、淑が小さく息を吐いた。

「……もしかすれば、日殿は反乱軍のために地図を盗んだのではないのかもしれません」

「どういうことだ」

 張弦は思わず声を荒げた。それをかわすかのように淑は話題を変える。

「私の師、山人は一度諳んじれば本の内容を覚えてしまいます、まるで読めば頭にその本がおさまるかのように」

 そして、淑の薄茶色の瞳が張弦を静かに見つめる。

「日殿も、きっと山人と同じように、一度歩けば頭の中に地図ができるのです。ならば地図など盗む必要はないはず、間者であれば反乱軍側で地図を描けば良い。日殿がもし地図を盗んだとしたなら、苑国公式の地図である印が重要だったのでは」

「あっ……」

 張弦は思わず声をあげた。しかしまだ信じられない。

 淑がおだやかな声で話し始める。

「東の海に浮かぶ東国と呼ばれる小さな国があります。苑はそこから何人もの留学生を受け入れていましたが、苑国名をつけざるを得ないときもあったとか。その時、彼らは好んで日という苗字を使ったそうです。自分たちはここよりもさらに東、つまり日出ずる国から来たと」

 淑がさらに続ける。

「また、留学生の中には、こちらで妻を娶り子を成したものもいたそうです。ただ東方の乱で国に逃げる際、妻子は連れ帰れなかったと聞きます……よほどの手土産がない限り」

 ああ……

 日栄の顔を見つめた。

 筆ですっと書いたような眉や目、細い鼻、薄い唇、白い肌、細面の顔立ち……

 確かに苑国のものとは違うところがある。淑も日栄の顔を見つめながら小さくつぶやいた。

「兄上はそれに気づいて罰しなかったのでしょう、または、これだけの才能、手元に置かなければ危険な存在となります」

 張弦は思わず顔を覆う。

「俺は……愚かだ」

 淑が静かにつぶやく。

「いえ、そんなことはありません……ただ、今回だけは、何かがそうさせたのでしょう」

 そのとおりだ。しかし、これまでどれだけ呪っていたかと思うと日栄に申し訳無さすぎる。その時だった。かりかりと戸をひっかく音がする。

小毛シャオマオ?」

 淑が戸を開けるとするりとあのむくむくの犬が中に入ってきた。犬はまだ主人が寝ている様子を見て淑に身を寄せるようにして座る。

「温かいね、お前は」

 そう言う淑に張弦はつぶやいた。

「お前こそ温かい」

「お前の人をあたたかく見る力があればこそ、この答えにたどり着いたのでは?」

 しかし、答えは帰って来なかった。その代わり、肩に重みがくわわる。見れば自分の肩に淑が頭を乗せ、すうすうと寝息を立てている。

「さすがに疲れたか」

 そう言うと、張弦はその頭をそっとなでた。今はその重みが心地よく、そして少し辛かった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

戦場帰りの俺が隠居しようとしたら、最強の美少女たちに囲まれて逃げ場がなくなった件

さん
ファンタジー
戦場で命を削り、帝国最強部隊を率いた男――ラル。 数々の激戦を生き抜き、任務を終えた彼は、 今は辺境の地に建てられた静かな屋敷で、 わずかな安寧を求めて暮らしている……はずだった。 彼のそばには、かつて命を懸けて彼を支えた、最強の少女たち。 それぞれの立場で戦い、支え、尽くしてきた――ただ、すべてはラルのために。 今では彼の屋敷に集い、仕え、そして溺愛している。   「ラルさまさえいれば、わたくしは他に何もいりませんわ!」 「ラル様…私だけを見ていてください。誰よりも、ずっとずっと……」 「ねぇラル君、その人の名前……まだ覚えてるの?」 「ラル、そんなに気にしなくていいよ!ミアがいるから大丈夫だよねっ!」   命がけの戦場より、ヒロインたちの“甘くて圧が強い愛情”のほうが数倍キケン!? 順番待ちの寝床争奪戦、過去の恋の追及、圧バトル修羅場―― ラルの平穏な日常は、最強で一途な彼女たちに包囲されて崩壊寸前。   これは―― 【過去の傷を背負い静かに生きようとする男】と 【彼を神のように慕う最強少女たち】が織りなす、 “甘くて逃げ場のない生活”の物語。   ――戦場よりも生き延びるのが難しいのは、愛されすぎる日常だった。 ※表紙のキャラはエリスのイメージ画です。

《完結》当て馬悪役令息のツッコミ属性が強すぎて、物語の仕事を全くしないんですが?!

犬丸大福
ファンタジー
ユーディリア・エアトルは母親からの折檻を受け、そのまま意識を失った。 そして夢をみた。 日本で暮らし、平々凡々な日々の中、友人が命を捧げるんじゃないかと思うほどハマっている漫画の推しの顔。 その顔を見て目が覚めた。 なんと自分はこのまま行けば破滅まっしぐらな友人の最推し、当て馬悪役令息であるエミリオ・エアトルの双子の妹ユーディリア・エアトルである事に気がついたのだった。 数ある作品の中から、読んでいただきありがとうございます。 幼少期、最初はツラい状況が続きます。 作者都合のゆるふわご都合設定です。 日曜日以外、1日1話更新目指してます。 エール、お気に入り登録、いいね、コメント、しおり、とても励みになります。 お楽しみ頂けたら幸いです。 *************** 2024年6月25日 お気に入り登録100人達成 ありがとうございます! 100人になるまで見捨てずに居て下さった99人の皆様にも感謝を!! 2024年9月9日  お気に入り登録200人達成 感謝感謝でございます! 200人になるまで見捨てずに居て下さった皆様にもこれからも見守っていただける物語を!! 2025年1月6日  お気に入り登録300人達成 感涙に咽び泣いております! ここまで見捨てずに読んで下さった皆様、頑張って書ききる所存でございます!これからもどうぞよろしくお願いいたします! 2025年3月17日 お気に入り登録400人達成 驚愕し若干焦っております! こんなにも多くの方に呼んでいただけるとか、本当に感謝感謝でございます。こんなにも長くなった物語でも、ここまで見捨てずに居てくださる皆様、ありがとうございます!! 2025年6月10日 お気に入り登録500人達成 ひょえぇぇ?! なんですと?!完結してからも登録してくださる方が?!ありがとうございます、ありがとうございます!! こんなに多くの方にお読み頂けて幸せでございます。 どうしよう、欲が出て来た? …ショートショートとか書いてみようかな? 2025年7月8日 お気に入り登録600人達成?! うそぉん?! 欲が…欲が…ック!……うん。減った…皆様ごめんなさい、欲は出しちゃいけないらしい… 2025年9月21日 お気に入り登録700人達成?! どうしよう、どうしよう、何をどう感謝してお返ししたら良いのだろう…

追放された俺のスキル【整理整頓】が覚醒!もふもふフェンリルと訳あり令嬢と辺境で最強ギルドはじめます

黒崎隼人
ファンタジー
「お前の【整理整頓】なんてゴミスキル、もういらない」――勇者パーティーの雑用係だったカイは、ダンジョンの最深部で無一文で追放された。死を覚悟したその時、彼のスキルは真の能力に覚醒する。鑑定、無限収納、状態異常回復、スキル強化……森羅万象を“整理”するその力は、まさに規格外の万能チートだった! 呪われたもふもふ聖獣と、没落寸前の騎士令嬢。心優しき仲間と出会ったカイは、辺境の街で小さなギルド『クローゼット』を立ち上げる。一方、カイという“本当の勇者”を失ったパーティーは崩壊寸前に。これは、地味なスキル一つで世界を“整理整頓”していく、一人の青年の爽快成り上がり英雄譚!

日本の運命を変えた天才少年-日本が世界一の帝国になる日-

ましゅまろ
歴史・時代
――もしも、日本の運命を変える“少年”が現れたなら。 1941年、戦争の影が世界を覆うなか、日本に突如として現れた一人の少年――蒼月レイ。 わずか13歳の彼は、天才的な頭脳で、戦争そのものを再設計し、歴史を変え、英米独ソをも巻き込みながら、日本を敗戦の未来から救い出す。 だがその歩みは、同時に多くの敵を生み、命を狙われることも――。 これは、一人の少年の手で、世界一の帝国へと昇りつめた日本の物語。 希望と混乱の20世紀を超え、未来に語り継がれる“蒼き伝説”が、いま始まる。 ※アルファポリス限定投稿

つまらなかった乙女ゲームに転生しちゃったので、サクッと終わらすことにしました

蒼羽咲
ファンタジー
つまらなかった乙女ゲームに転生⁈ 絵に惚れ込み、一目惚れキャラのためにハードまで買ったが内容が超つまらなかった残念な乙女ゲームに転生してしまった。 絵は超好みだ。内容はご都合主義の聖女なお花畑主人公。攻略イケメンも顔は良いがちょろい対象ばかり。てこたぁ逆にめちゃくちゃ住み心地のいい場所になるのでは⁈と気づき、テンションが一気に上がる!! 聖女など面倒な事はする気はない!サクッと攻略終わらせてぐーたら生活をGETするぞ! ご都合主義ならチョロい!と、野望を胸に動き出す!! +++++ ・重複投稿・土曜配信 (たま~に水曜…不定期更新)

処理中です...