傾国の皇子は西方を夢見る[完結!]

小野露葉

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第四章

三話 大きな餌 その二

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「まさか!」

「景が頼んだだろう?」

 楊の言葉に張弦は頷く。しかし張弦にはまだわからぬことがある。

「ただあいつが皇女の身代わりとなることは山人と皇帝しか知らぬ話だと聞いたが」

 楊が思案顔で答える。

「景が気づいた頃には李陵国が輿入れ行列の担当になっていた。皇女の輿入れとなれば後宮の話で致し方のないこと。そこで俺が景に頼まれ少々細工をした」

「なぜ最初から俺にそのことを言わなかった?」

「言ったら断っただろう。兄のかたきの子の護衛などできる話ではない」

「俺があいつを殺すとは思わなかったのか?」

 途端に楊の目が笑う。

「あの淑を知れば、誰もそんな気にはならない」

 その通りだ。懸命に自分を追ってくる姿、日栄を看病する姿、そして……

 ふと張弦の頭に嫌な考えが浮かんだ。
 
「もうひとつ聞きたい。あいつは単なる身代わりで龍武に行くわけではないな?」

 楊の抜け目ない瞳が揺れた。張弦は一気にまくしたてる。

「奇襲にあったとき、あいつは女ともみえる衣を着ていたが、化粧はしていなかった。遠目なら良いが、近くで見た俺にはすぐ男だとわかった。しかし長い道中だ。わずかだが間近で世話をするものも必要だ。それなら俺と同じ近さであいつを目にするだろう。皇女の身代わりなら女装ぐらいさせるはず」

「ならば、道中あいつを世話するもの、そのことを知るものにとっては、皇女の輿入れ行列という名目こそ目くらまし。龍武へ皇子を送ることが本当の目的だったのでは」

 楊が静かに尋ねる。

「では、なぜそこまでして死んだはずの皇子を龍武に送りたがる?」

 張弦はすぐに答えた。

西丹シーダンとの祝いの場を機に、第三皇子の生存を明かし恩赦として許しを得る。それが目的だろう。知恵者の第二皇子ならやりかねぬ」

「さすが知恵者の選んだ男だ。腕が立つばかりではない」

 にやりと笑う楊に張弦は猛然とかみついた。

「まだあるぞ。最初の襲撃があった時、もし俺が守らなければその世話をするものが守る手はずだった。お前の配下ならば俺ごとき切って捨てただろう」

 楊は何も答えなかった。しかし無言が肯定であることは明らかだ。だが張弦に怒りはない。張弦が同じ立場でも、守ってくれるかどうかもわからないかたきひとりに護衛をまかせはしない。ただ気がかりなことがある。
 
「たぶんあいつはお前たちの計略に気づいている。そのうえで死にたがっている」

 張弦はくやしさでこぶしを握った。

「まず最初の襲撃のとき、あいつは死を恐れていなかった。さらには敵かもしれない李陵国が龍武に行くと知っても、行くといって聞かなかった」

 それだけではない。いやがるだろうが張弦は思い切って淑の秘密を楊に伝える。

「あいつはどうやら龍武で母親のもとに皇帝以外の男が通っているのを見たようだ。名前を言わなかったが、それが李陵国かもしれない。そうでなければ李陵国があいつの死にこだわるはずがない」

 宮廷衛兵でなくてもわかる。宰相の李陵国が今一番恐れているのは第二皇子景だ。まだ十六の第三皇子が生きているなら、若い方を傀儡かいらいにする方がよい。殺そうとするのは筋が通らない。淑もまた母の罪の意識や自分だけが恩赦を受けることへの抵抗だけではない、わざと李陵国に殺され、自らの死で何かをなそうとしているようにみえる。

かたきの俺ひとりが許そうが、あいつの荷をおろしてやることはできないのだ」

 うなだれる張弦に、楊がほほ笑む。

「いや、助けたのがお前でなければ最初の襲撃で淑は命を絶っていただろう」

「もちろんかたきに許された命を粗末にしたくないということはあるだろう。しかしそれ以上のものがあると俺はみている。俺は長年淑とつきあってきたが、あのようにひとに甘える淑を見たことがない」

 張弦はなんと答えて良いのかわからなかった。相手は皇子だ。もう罪を償わせる気はないが、皇族と衛兵、結局は離ればなれになる。その前に淑が自分の罪を許せるようにしてやりたかった。その時だった。

 扉が開き、あの巻き毛の青年路都ロドが入ってきた。

「ちょっとだけ伝えたいことあるネ」

 張弦は思わず立ち上がった。

「あいつは?」

「ダイジョウブ、寝たけド、ちゃんと見張りはついてるネ」

 路都ロドはそして空色の目をくりくりとさせながら人懐こい笑顔をみせる。しかしすぐに路都ロドの空色の目が曇る。

「今朝通り過ぎた輿入れ行列の中にいた男がひとつだけ買い物していったネ」

「このあたりにしか生えない野草で作る毒ネ」

「なんでそんなもの売っている!」

 張弦が声を荒げる。空色の目が大きく見開かれ、手をあげる。

「うちの薬屋じゃないヨ」

「だから襲われる前に、あの子に解毒剤売ろうとしたネ、すぐ効くネ」

「そしタら……」

 路都ロドはふうと息をつくと言った。

「いらない言われたヨ」

 張弦は思わず楊の顔を見る。楊もその意味を理解したようだ。淑は李陵国に殺されようとしている。そして自らの死で罪を償った上で、彼を宮廷から追いだそうとしている。張弦は頭を抱えた。しかし、楊は落ち着いていた。

「そうだな……」

 楊があごひげを撫でる。

「少し時間を稼げば、お前なら淑を説得できるやもしれない」

「時間?」

 楊がにやりと笑った。

「もうすぐ昔の罪どころではない大きな餌がやってくる。それまでの間だ」

「大きな餌?」

 しかし楊はそれに答えず、にやりと笑った。

「ただ、そのためにはお前に少し辛い思いをしてもらわないとならないがな」

 そして楊は張弦をじっと見つめた。

「お前にちょっと死んでもらうのさ」
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