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第五章
一話 龍武 その二
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「兄様、生きていたなんて!本当にひどいわ!」
そう言いながらも、淑の妹李蘭は笑う。淑もその笑顔につられて笑いながら答える。
「私もそのつもりはなかったのだが」
「ほんとに、しかたのない兄様!」
そういうと李蘭は口元を隠すことなく笑った。薄衣を使って顔を隠す帽子をかぶってはいるものの、人前に出ることはほとんどない皇女の皇女らしくないふるまいに、まわりの宦官たちがおろおろしている。身に着けている空色の衣も、質がよい絹であることはわかるが皇女が着るものにしては簡素だ。何より自ら兄を迎えに来るところなど一度は大陸を征した大国の皇女とは思えない。赤子のころから戦火の龍武で育ったゆえか。しかし淑はこんなたくましい妹が大好きだった。
蘭のたくましさがわたくしにも少しはあればよかったのだが……
淑がそう考えたときだ。
「これはこれは、第三皇子、まさか生きていらっしゃったとは」
淑は驚いてその声の主を見た。そこにはでっぷりとした男が立っていた。自分を皇子と呼びながらひざまずくこともなく、苑国風に両手を胸の前で組み合わせての礼もないとは、明らかに皇子とは思っていない証拠である。しかし死んだはずの自分がここにいるのもおかしな話だ。だが淑が答える前に、李蘭がぴしゃりと言った。
「李陵国、道士になったとはいえ兄は皇子よ、ちゃんとした挨拶もなしに無礼とは思わないの?」
「これは大変失礼いたしました」
李陵国が慌てて頭を下げ、淑に両手を組み合わせ礼をする。李蘭がそれでも足りないとばかりに冷たい声で告げる。
「何より私たち久しぶりに会ったのよ。ふたりにしてくれる?」
これには李陵国も、まわりの宦官たちも、礼のかたちを保ったままその場を離れた。まだ十四にもならない妹の堂々としたふるまいに淑は思わず言った。
「さすが皇女だね」
「ううん、これぐらいしないと、私、いじめられちゃうから」
淑にはその言葉の意味がわかる。蘭は母とも父とも違う亜麻色の髪を持ち、目も蒼みがかっている。女児であったために、母が死を賜った時生きることを許されたが、なんの後ろ盾もなく後宮に残ることとなってしまった。西丹への降嫁もそのせいとも言われている。しかし、妹はさばさばとした様子で笑う。
「今回の事も気にしないで。これでもう髪や目の色で悩むことはなくなると思うと私はせいせいしてるの。西方にはいくらでも同じような髪のひとがいるもの。それに私の結婚相手はデュルクなんですって。兄様、覚えている?」
「憶えているよ。わたくしよりひとつ年上の西丹の皇子だね」
東方の乱の際、西丹と組んだため、龍武の苑国宮廷内には西丹のものも多くいた。その中に今の西丹の王ドゥク・カガンの息子デュルクもいて、淑とは机を並べともに学んだ仲であった。すると李蘭が急にほおを染めた。
「デュルクならいいかなって」
李蘭の様子に淑は目を丸くした。あの頃、蘭はまだ幼かった。あの年でひとを好くという気持ちは芽生えるものなのか。恥ずかしいのか、李蘭が淑の腕をつかむ。
「もう、兄様には好いたひとはいないの?」
前にも同じことを聞かれた。張弦だ。淑は答えに困る。その時、女の声がした。
「皇女さま、そろそろ……」
淑がそちらを見ると、膝をかがめ、丁寧に礼をする。男の格好をしているが、明らかに女性だ。何よりおだやかな笑みを浮かべてはいるが、その美しい金色の瞳が楊と同じ何かを放っている。
楊殿の知り合いか……?
それを裏付けるように李蘭がささやく。
「山人が今回の旅の護衛につけて下さったの。今日は彼女と一緒に天涼の山人のお友達の家に泊めてもらうのよ。西丹からデュルクが迎えに来るんだもの。少しは買い物をして綺麗にしないとね」
楊殿の家に……?
淑は驚いて楊を見た。楊は小さく微笑むと、膝をつき手を組んで李蘭に礼をする。
「皇女にこのような馬車で恐縮ですが……」
「いいえ、構わないわ、とても素敵な馬車」
そう答えながら、李蘭は楊の手を優雅に取ると淑に向かって手を振る。
「兄様、またね!」
取り残された淑に、すぐに宦官の格好をした男が近づく。先ほど李蘭の周りにいたものたちとは違いずいぶんと若い。宦官が丁寧に礼をしたあと名を名乗る。
「高燐にございます、今回、皇子の身の回りのお世話をさせていただきます」
そう言うと、軽々と淑の荷物を持つ。宦官にしては逞しい。淑は高燐に続いて建物の中へと入った。ふと淑は妹とまた会えるかどうかさえ、わからないことを思い出す。
楊にも、何より、張弦にも……
そう言いながらも、淑の妹李蘭は笑う。淑もその笑顔につられて笑いながら答える。
「私もそのつもりはなかったのだが」
「ほんとに、しかたのない兄様!」
そういうと李蘭は口元を隠すことなく笑った。薄衣を使って顔を隠す帽子をかぶってはいるものの、人前に出ることはほとんどない皇女の皇女らしくないふるまいに、まわりの宦官たちがおろおろしている。身に着けている空色の衣も、質がよい絹であることはわかるが皇女が着るものにしては簡素だ。何より自ら兄を迎えに来るところなど一度は大陸を征した大国の皇女とは思えない。赤子のころから戦火の龍武で育ったゆえか。しかし淑はこんなたくましい妹が大好きだった。
蘭のたくましさがわたくしにも少しはあればよかったのだが……
淑がそう考えたときだ。
「これはこれは、第三皇子、まさか生きていらっしゃったとは」
淑は驚いてその声の主を見た。そこにはでっぷりとした男が立っていた。自分を皇子と呼びながらひざまずくこともなく、苑国風に両手を胸の前で組み合わせての礼もないとは、明らかに皇子とは思っていない証拠である。しかし死んだはずの自分がここにいるのもおかしな話だ。だが淑が答える前に、李蘭がぴしゃりと言った。
「李陵国、道士になったとはいえ兄は皇子よ、ちゃんとした挨拶もなしに無礼とは思わないの?」
「これは大変失礼いたしました」
李陵国が慌てて頭を下げ、淑に両手を組み合わせ礼をする。李蘭がそれでも足りないとばかりに冷たい声で告げる。
「何より私たち久しぶりに会ったのよ。ふたりにしてくれる?」
これには李陵国も、まわりの宦官たちも、礼のかたちを保ったままその場を離れた。まだ十四にもならない妹の堂々としたふるまいに淑は思わず言った。
「さすが皇女だね」
「ううん、これぐらいしないと、私、いじめられちゃうから」
淑にはその言葉の意味がわかる。蘭は母とも父とも違う亜麻色の髪を持ち、目も蒼みがかっている。女児であったために、母が死を賜った時生きることを許されたが、なんの後ろ盾もなく後宮に残ることとなってしまった。西丹への降嫁もそのせいとも言われている。しかし、妹はさばさばとした様子で笑う。
「今回の事も気にしないで。これでもう髪や目の色で悩むことはなくなると思うと私はせいせいしてるの。西方にはいくらでも同じような髪のひとがいるもの。それに私の結婚相手はデュルクなんですって。兄様、覚えている?」
「憶えているよ。わたくしよりひとつ年上の西丹の皇子だね」
東方の乱の際、西丹と組んだため、龍武の苑国宮廷内には西丹のものも多くいた。その中に今の西丹の王ドゥク・カガンの息子デュルクもいて、淑とは机を並べともに学んだ仲であった。すると李蘭が急にほおを染めた。
「デュルクならいいかなって」
李蘭の様子に淑は目を丸くした。あの頃、蘭はまだ幼かった。あの年でひとを好くという気持ちは芽生えるものなのか。恥ずかしいのか、李蘭が淑の腕をつかむ。
「もう、兄様には好いたひとはいないの?」
前にも同じことを聞かれた。張弦だ。淑は答えに困る。その時、女の声がした。
「皇女さま、そろそろ……」
淑がそちらを見ると、膝をかがめ、丁寧に礼をする。男の格好をしているが、明らかに女性だ。何よりおだやかな笑みを浮かべてはいるが、その美しい金色の瞳が楊と同じ何かを放っている。
楊殿の知り合いか……?
それを裏付けるように李蘭がささやく。
「山人が今回の旅の護衛につけて下さったの。今日は彼女と一緒に天涼の山人のお友達の家に泊めてもらうのよ。西丹からデュルクが迎えに来るんだもの。少しは買い物をして綺麗にしないとね」
楊殿の家に……?
淑は驚いて楊を見た。楊は小さく微笑むと、膝をつき手を組んで李蘭に礼をする。
「皇女にこのような馬車で恐縮ですが……」
「いいえ、構わないわ、とても素敵な馬車」
そう答えながら、李蘭は楊の手を優雅に取ると淑に向かって手を振る。
「兄様、またね!」
取り残された淑に、すぐに宦官の格好をした男が近づく。先ほど李蘭の周りにいたものたちとは違いずいぶんと若い。宦官が丁寧に礼をしたあと名を名乗る。
「高燐にございます、今回、皇子の身の回りのお世話をさせていただきます」
そう言うと、軽々と淑の荷物を持つ。宦官にしては逞しい。淑は高燐に続いて建物の中へと入った。ふと淑は妹とまた会えるかどうかさえ、わからないことを思い出す。
楊にも、何より、張弦にも……
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