半熟魔法使いの受難

有沢真尋

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【第一章】

海と空と

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「ひどい」

 騎士団長の執務室の入り口で、エリスは正直な感想を述べた。

「掃除」
「しないね」
「整理整頓」
「苦手だな」
「業務は……」
「滞りまくりだよ?」

 赤毛のエンデにこともなく言われて、エリスは拳を握りしめる。
 書類が山積みすぎて机が見えない。
 あろうことか、床にまで紙が散乱している。

 大魔導士アリエスの研究室も誇れるものではなかったが、言ってみればあちらは物が多かった。
 こちらは、調度品も最低限で物自体は少ない質素な部屋に見える。
 ただひたすら未決書類を積み上げてしまっているだけ。
 あまり寄りついてもいないのだろう、空気が埃っぽく、淀んでいる。

(これはひどい。けど……仕事だし。まず片づけないと)

 勇気を振り絞り、足を踏み出したエリスの鼻先でドアは閉じられた。
 思わず隣に立つエンデを見上げると、エンデはエリスの顔の真横に手をつき、軽くドアに寄りかかりながら口の端をにっとつりあげて笑った。

「今日はここの仕事は無し」
「ジークハルトは、あなたがたの事務仕事が壊滅的と言っていたと思うんですが。わたしの仕事はここなのでは」
「陛下の考えは知らないけど、ここにあるの、機密書類だらけだよ。ちょっとエリスちゃん、いやエリス嬢には荷が重い。秘密を知ったからには生かしておけない、なんてオチは嫌でしょ?」

 光を湛えた水色の瞳が、エリスの顔をのぞきこむ。ごく近い距離から。
 同時に、清々しい花のような香りが漂う。すうっと鼻を抜ける香りなのに、吸い込んだらくらっとした。

「エリス嬢。少し警戒しようか。俺にその気があったら、あっという間に君のその可憐な唇は俺に奪われてる」

 吐息をこぼして、エンデはすっと姿勢を正した。
 肺を染めるような、めくるめく香りが遠のく。

「何か……。花みたいな……エンデさん?」

 エリスが呟くと、エンデは笑っただけで答えなかった。
 その笑顔を見ているうちに、はっとエリスは息を飲んだ。

「あーーーー! わかりました! ジークハルトの言ってた、『女の人が得意な人』だ!」
「うん……?」

 エンデは微笑んだまま小さく首を傾げたが、エリスはまったく意に介さずに続けた。

「話がかみ合わないなって思っていたんですけど。最初の気取っていたときのジークハルトみたいな……。さてはエンデさん、女の人が得意なんですよね? ん、ということは……どういうことだろう?」

 後半はエリスの独り言だった。エンデは「話、かみ合わないのは気付いていたんだ……」と小さく呟いていたが、エリスが目を向けると、大変如才ない、隙のない笑顔で「とりあえず、移動しよう」と言う。

 二人で話している間に、ロアルドの姿は消えていた。
 姿が見えないことに、エリスはホッとした。側にいれば否応なく密命のことを考えてしまうが、成功の未来像が見えてからでなければ、行動を起こす気にはならない。慎重にいかねば。

「団長は多分兵の鍛錬を見に行ったんじゃないかと。俺も身体動かしている方がまだマシだから、普段はそっちが主だけど」
「書類は溜まる一方……」
「稽古事は一日さぼると三日後退するっていうけど、事務仕事は明日でもできるんだな」

 何か良いこと言っている風だが、あの書類の量は昨日今日のものではない。

「団長さんもエンデさんも、身体は出来上がってますよね。筋肉は一日二日じゃ裏切らないですよ。仕事しましょう」
「それはまったく、その通り。一日さぼったくらいで俺の腕が落ちることはない。ということで、今日はとことんエリス嬢に付き合うよ。まずは王宮の歩き方を頭に入れておこうか。案内がないとどこにもいけない、というわけにはいかないだろ」
「助かります!」

 とらえどころのない態度のせいで、言いくるめられてはいけない、と身構えてしまったが、どう考えても言っていることは誠実だった。
 その優しさは、少し不意打ちだった。
 エリスが納得したと了解したらしく、エンデはぶらっと歩き出す。追う形でエリスも続いた。

 * * *

【海の国の人は、みんなとても親切です】 

 夜寝る前に、自分はきっとそう書くだろう。
 王宮内を自由に動き回る権限があるというエンデは、隈なく案内をしてくれた。
 すれ違う兵士には諧謔を飛ばし、女官たちには親し気に話しかける。とにかく人の機微に敏い。「何かいいことあった?」と。或いは顔色が悪い、体調がすぐれない人の調子の悪さもすぐに看破する。自分の仕事部屋はひどい有様なのに、人には随分濃やかだ。
 話した相手が皆、笑顔になっている。
 若干、女性には踏み込み過ぎるきらいがあり、何人かと話した後「どなたが恋人なんですか」と聞いてしまったが。
 なお、回答は「想像に任せるよ」だった。

「こうして見ると確かに、エンデさんは女性が得意というか、女性を喜ばせるのが得意に見えます」
「エリス嬢、不思議そうな顔をしてるけど、俺はその気になったら、君のこともきちんと喜ばせてあげられるよ。覚えておいてね」

 王宮内部を十分に見てから、最後に昨日エリスが出現した浜へと下りた。
 ブーツよりは全然歩きやすいサンダル履きだったが、慣れない砂に足をとられて、エリスはよろめきながら進む。

「支えようか」

 見かねたのか、エンデが申し出てきたが、エリスは手もとらずに断った。

「自分の足で歩けるようにならないと、いけないんです」
「それはそうだ」

 海はきらきらと光を吸い込み、白い波が弾け、見晴るかせる限り穏やかに凪いでいた。
 空も伸びやかに頭上遠くまで広がっている。

(空気が違うなぁ……)

 海の国と山の国では、こうも違うものなのかと。人の気質も違うのかもしれないが、大魔導士以外とは深く関わりを持たなかったエリスには比較しようがない。記憶のないエリスをずっと世話をしてくれたのはアリエスで、はじめの半年ほどは、ほぼ他のひとと接点がなかった。
 その後もエリスに対しては皆「魔導士の弟子」という扱いだったので、気安い会話をするほどの相手はいなかった。たった一日しかいない海の国で、すでに故国でのひと月分くらい人と話した気がする。
 砂浜に貝殻がないか目で探しながら、エリスは思う。

(この国と故国は本当に戦争をするの……?)

 つまり、ジークハルトとアリエスが?

「ここは王族専用の浜なので、滅多に人が入ってこれる場所じゃないんだ。こう見えて結構きちんと管理されているんだよ。エリス嬢は記憶がないというけど、本当に、どうやってここまで来たかわからないのかい?」

 問われて、エリスはエンデを振り返る。

(言いたい。言えない)

 エリスは喉をおさえて、水色の瞳を見た。
 ぴーっと聞きなれない音がする。ふと目を向けると、はばたく鳥が何羽か視界をよぎっていった。高く、遠い。
 風がエリスの髪をさらって、後ろに流す。

「……さて、それではエリス嬢の記憶も戻らないようだし、戻ろう」

 エリスが視線を戻すと、エンデは指を組み合わせて、腕を頭上に突き出し、伸びをしていた。

「すみません。いま、鳥が気になって……空」

 会話の途中で気が逸れてしまったことを遅れて思い出し、エリスが言うと、エンデは手で首や肩をおさえて身体をほぐしつつ空を見上げた。

「ああ。空か、そうだな。海から来たんじゃなくて、空から来たのかな? だとすると、エリス嬢の身元がわからないのも納得。だって天女ってことだろ。いいね、それ」

 蕩けるような甘い調子で言われて、エリスはわずかに身を引いた。

「私は、そんなたいそうなものではないかと……」

(ただの未熟な魔導士です。記憶喪失は、半分だけ本当)

「そう? 身元がわからないんだ、どうせなら大きく出よう。天の御使いでも名乗ってみたら」
「詐欺では」
「何か後ろめたいことでもある?」

 片方だけの瞳で、エンデは逃げたエリスの目をじっと見て来る。
 唇が震えて「はい」と言ってしまいそうだった。
 しかし、寸前にエンデが身を翻して、歩き出す。

「昼飯、くいっぱぐれる。戻ろう。エリス嬢をからかったって言ったら、陛下もいい気はしないだろうし。別に俺は構わないけど。陛下は少し焦ればいい」

 探られて、いる気はする。でも、そっとしておいてもくれる。
 それが、エンデの性質なのか、誰かの意向なのかはわからないけれど。
 砂地を歩けないエリスに配慮しているのだろう、エンデの歩みはゆっくりだ。海からの風に赤毛が靡いている。その背を追いかけながらエリスは胸の中で繰り返す。

【海の国の人は、みんな親切です】

 本当に戦争をするのですか?
 それとも、わたしが気付いていない事情が何かあるのでしょうか。

(お師匠様と話したい)

 けれどその前に、騎士団長のことを、もっと知らなければならない。
 決意を胸にしつつも、砂に足を取られて「あっ」と短い悲鳴を上げるエリスを、エンデは立ち止まって振り返り見ていた。エリスが気付くと、明るく笑って声を張り上げる。

「置いていくよ。道を覚えたか試してみよう、食堂までおいで!」
「えっと、は、はい!」

 思わず返事をすると、エンデはくるっと背を向けて本当に早足で歩き始めた。
 転ばないように慎重に歩くエリスはあっという間に後ろ姿を見失った。
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