半熟魔法使いの受難

有沢真尋

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【第一章】

欲しいものはなんですか

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「健・康・優・良・児」

 顔を合わせたエンデにやけに良い発声で言われて、エリスはその場にしゃがみこみたい気分になった。

「昨日は気持ちよくお眠りになったそうで。顔色も良い」
「寝ました……」

(それはもう安らかにぐっすり。ジークハルトがいつ帰ったかもわからないほどこんこんと。寝ました!!)

「陛下の気持ちを思うと泣けてくる」

 エンデの、眼帯に隠れていない方の目元も、口元も笑っている。どう見ても泣いていなどいないので、からかわれているとわかるものの、エリスは一切の反論ができないでいた。

 ジークハルトは「彼女は朝起きられないかもしれないから」と女官たちに言い残してくれていたらしい。朝食は女官たちに部屋で用意されて、なんとも言えない空気の中「今日の予定は……」と誰かに確認しなければと思ったタイミングで、エンデが迎えに来た。

「本当にすみません」
「それは何に対しての謝罪かな? ん? ジークハルト様に対してだよね? 今から会いに行く?」
「忙しいのではないですか」
「忙しいよ。もうすぐ城に戻って戴冠式だからね」

 さらりと言われて、誰の、と聞きそうになり愚問だったと気付いた。戴冠するのはジークハルトしかいないだろう。

 部屋を出て、エンデと肩を並べて廊下を歩きつつ、エリスは開けた中庭に目を向ける。
 朝の爽やかな光が燦々と降りそそいでいるものの、風はまだ涼しく心地よい。
 山と海の違いなのか、気候がずいぶん違う。

「若い王様ですよね」
「まだ正式ではないけど。ここには今、名目上は休暇で来てるんだ。普段過ごす城はもっと内陸にある。ただ休暇中でも本当に休めるわけでもないからね、お妃候補をどうにかしなければってことで、ここのところ連日どこかの姫君やら良いところの令嬢が送り込まれてきていたんだ。ま、陛下はまーったく関心がなくてぜーんぶ追い返してしまいましてー」

 これのことか、とエリスはようやく得心がいく。ジークハルトが貞操を狙われていると言っていた件。

(……貞操? 実力行使で部屋まで来られたのかな? それは恐ろしい)

 それにしても、みな冗談で見合いにきたり夜這いをしかけているわけでもないだろうに、「ぜーんぶ追い返して」しまうとは、大胆な話だ。

「これはもう駄目だなーとみんなが思っていた矢先に、どこかのお嬢様を連れ帰ってきたもんだから、騒ぎになるよね」

 エンデの話の風向きが変わったのを感じて、もしかして自分のことかとエリスは顔を上げる。

「『どこの誰だかわからないけど、もうそれで良い』って感じですか」
「言い方は感心しないけど、当たらずとも遠からずかな。エリス嬢なら大丈夫かなってのは、オレも思った」
「大丈夫って、何を根拠に言っているのでしょう」

 不思議な気持ちに襲われて、エリスはエンデの顔を横からしげしげと見てしまった。
 眼帯で隠された部分があるとはいえ、左目は表情豊かで親しみがある。通った鼻筋や形の良い唇、荒れの目立たないなめらかな肌。顔の作りはすごく端正だ。

「オレに見とれないで」
「昨日は気付かなかったんですけど、エンデさんってすごく綺麗な顔をしていますね」
「初見で気付かれない程度の美形です。どうも」

 茶目っ気たっぷりに言い返される。

(それはそうですね、いまのは失礼でした!)

 エリスはここにきてようやく焦ったが、エンデはさりげなく続けた。

「本来なら、ジークハルト様のところへ行きたいんだけど、忙しいから。今日はひとまず、俺とエリス嬢は街へ行く」

 このまま行けば表門だなと思っていたところであった。
 全然どこの誰だかわからないエリスに対し、いちいち予定を組み立て、要職にある人が付きっ切りという待遇には正直恐れ入るところなのだが、気がかりがあり確認せずにはいられない。

「ファリスさんは私の預かりがエンデさんであることについて、納得されてますか?」
「さあ? 陛下に何か進言していたみたいだけど、オレにはまだ明確な指示が下りてないから知らない」

 笑顔だった。

「この街、結構色々あるんだよ。美味しいものもあるし。さっさと行こう」

 エリスの疑問を封じ込めて、エンデは颯爽と表門に向かった。

 * * *

「はい、次は靴屋。べつに買うわけじゃないから。見るだけ」

 街に出てすでに、目抜き通りの服屋を三軒はしごした。
 寸法を測られたのは最初の店だけだが、雰囲気の異なる三軒で好みを聞かれ、店員に助けられながら「強いて選ぶとすれば……」と何着か試した。それだけでもうぐったりだ。服は一日に何回も着替えるものではない。
 これで休めるかな、と思ったら、道端の出店でシトラスジュースを買って歩きながら飲み、次は靴屋と。

(これは、ジークハルトの指示のような気がします)

 エリスがろくに着る物も持っていないのを気にして、エンデを案内人にお店をまわらせているのではないかと。
 おそらく、エリスがお店で何かを掴んで「これが欲しい」と言えば、エンデは買う心づもりだったのではないか。ただ、エリスの心情的に、それは難しかった。

 エリスは故国にいたときはアリエスと過ごしているか、一人で本を読んでいることが多かった。
 学ぶことはとても多く、街に行きたいと思うことは正直全然なかった。

(綺麗な服は気後れするし、食べ物は食べられればいいし、遊んでいるよりは修行していた方が気が休まる。そういう生活だったから)

 アリエスに強制されたわけではないが、研究室にこもっているのが一番しっくりきたのだ。その意味では、ファリスとの修行にも実は興味がある。
 目移りするほどの服を見せられても選びきれない。
 靴も今履いているサンダルで十分。

「そうだ。エリス嬢はお化粧も何もしていないんじゃない? 紅くらいひいたらいいのに」
「勘弁してください。コップの縁についたら洗うのが大変そうだなとか、落とさないで寝たら枕がひどいことになりそうってことしか考えられないです」
「すごく具体的に嫌がってるね。記憶を失う前に何かあったのかな」
 
 エンデが感心しているのか呆れているのかわからない様子で呟いた。
 エリスは顔を上げて、街並みを見渡そうとした。その拍子に、サンダルの先が石畳の縁に引っ掛かり、つんのめった。

「おっと」

 横から腕を伸ばしたエンデに腰を抱えられて、顔面から転ぶのは免れた。
 ふわりと花のような香りが漂った。

「この香り……。エンデさん、何かつけてるんですか」
「嗜み程度に」

 エリスに体勢を立て直させ、エンデはさっとかがみこんで石畳の隙間に入り込んだサンダルの先を引き抜いた。立ち上がるときに、またふわっと香りが舞う。

「わたしこの香り、すごく好きです。清々しいのに甘くて。これって香水ですか?」
「よりにもよって、そこに興味持っちゃう?」
「駄目ですか?」

 ついつい香りの源であるエンデを羨望のまなざしで見てしまったエリスに、エンデは珍しく「ううむ」と困った様子で唸った。

「香りを扱ってる店はこの先にある……。エリス嬢が必要なものは買っておけとも言われている……。うん、悩むのは店に着いてからでいいか」

 何か自分なりに納得したらしいエンデに、エリスは「いえいえ」と断りを入れた。

「たぶん、たくさんあると悩んで決められなくなっちゃうから、エンデさんと同じので良いです」

(やっぱり、このたくさんのお買い物行脚は、ジークハルトの意向でしたか……)

 エンデの言葉から察して、エリスなりに折り合いをつけねばと思ったところだった。
 このまま何もかもいらないと言って帰ってしまえば、エンデの面目もないしジークハルトも浮かばれないだろう。香水なら服一着よりも安く済みそうだし、気になっていたからちょうど良いかもしれない。エンデのように、さりげなく絶妙に使いこなせる気はしないけれど。

「良いのかなそれ。エリス嬢がオレと同じ香りって微妙じゃないのかな」
「普段は使わないですよー。眠れないときに枕に数滴垂らしたら気持ちよさそう」
「オレの夢見ちゃうよ? そもそもエリス嬢、寝つきは良いんじゃないの?」
「それはそうなんですけど……」

 エンデが非常にきまずそうに瞑目した。溜息までついた。

「べつにエンデさんの夢見ても、夢だからって変なことしないですよ!」
「変なことって何。興味あるんだけど」

(暗殺です)

 とても言えないことを考えて、エリスは笑みでごまかした。 
 薄く開いたエンデの左目は疑わし気にエリスを見ていたが、再びの溜息とともに意を決したらしい。

「とりあえず、店には行こう。エリス嬢の香りはオレが選ぶ。オレと同じものは、どうしても欲しかったら……いや、でもエリス嬢がせっかく欲しいって言うんだから良いか。良いや。行こう」
 
 すたすた歩き出したので、エリスも遅れまいとついて行った。
 歩きながら、ふと視線を滑らせた先の店から、綺麗な金髪を結い上げた少女が出て来た。

(……ん?)

 一瞬視界をかすっただけだが、何か違和感があった。
 顔はほとんど見えなかったが、それでも記憶が刺激された。 

(今の女の子、どこかで見たことある……?)

 まさか海の国に知り合いがいるわけがない。顔もきちんと見えたわけではないし、錯覚だろう。
 ただ、少しだけ歩みの遅れたエリスを気にして、エンデが振り返って待っていた。

「何か気になるものあった?」
「あ、いえ、なんでもありません」
「走るとき気を付けて。また転ばないように」

 エンデの忠告空しく、エリスはまた石畳の荒い継ぎ目に足をとられかけ、距離をつめてきたエンデに腕を掴まれた。近づいたせいで、また花の香りを吸い込んでしまった。
 それはエンデも何かしら意識したらしく、低い声でぼそっとぼやいていた。

「オレの匂いをまとわせて陛下の元へ帰したら、さすがにまずい気がするんだけどな……」
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