息絶える瞬間の詩のように

有沢真尋

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9 欠落と飢餓の生命(1)

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 睨み合いの日々は続いていた。

 朝から夕方まで。
 日が落ちてからも。
 
 灯りを絞った舞台で向き合うは、初めて向かう広大なキャンバス。
 手にしているのは、混じりけない原色の赤。
 振りかざしたいのに、身体の中に満ちる力が足りていない。

「休憩にしたらー」
 体育館の暗がりで、スマホを眺めていた樹里から声がかかる。

 一度帰るふりをして、体育館に忍び込む。ここ数日危うい綱渡りが続いていた。
 グラウンドに「合宿所」が併設されているために、夏休みは各部活が入れ替わり合宿している。その関係で、からくも校内に潜り込めている状態だった。誰かに会ったときは、そこの部員のふりをするつもりでいる。
 なお、他に仕事や会合がある凪人は、部外者ということもあり、いつもついていられるわけではない。

 樹理はといえば、いつもおとなしく体育館の隅にいて、行き詰まりの気配を感じると飲み物やおやつを楚々と差し出してくる。
 明菜が刷毛を手放して舞台から下りて来ると、カンテラライトの青白い光の中、舞台の下のピクニックシートでささやかなお茶会が始まる。

「ごめんね。いっつもいっつも」
「いいのよ。今うちはうるっさいお客様がいっぱいいるから、受験勉強にはちょうどいいわ」
 赤いチェック柄の水筒には熱い紅茶が入っていて、ほんのりと甘みがつけられている。その日のお茶請けはメープルクッキー。

「芸術祭、近づいてきたね」
「うん。でもまだ時間はあるわよ」
「ありがと」
 二人しかいない空間に他に音は無い。
 話し声が途絶えると本当に静かだ。
 サクッとクッキーに噛み付く音。
 お茶を注ぎ足すコポコポという水音。
「なんか……こういうの……いいよね」
「そうねー」
 同意を示した樹理は、顔を上げて梓を見た。
 すぐに下を向いた。言えなかった、言わなかった言葉は二人をとりまく闇にとけていくようで、ゆっくりと互いの内側に侵入する。
 以心伝心。
 もしかしたら最後になるかもしれない時間。
 高校を卒業したら、おそらく違う道に進む。
 それで会えなくなるわけじゃないけれど、何かがあったからといってチャリで駆けつけることは出来なくなるだろうし、約束もなく出会ってお茶を飲むことはなくなるかもしれない。そうやって分かれて離れていく未来を、二人とも予感している。伝わる。

「有島さんと勅使河原さんは……いいわよね」
 香雅里が言うと、水筒の蓋でお茶を飲んでいた樹里が顔を向けてきた。
「何が?」

「聞いたの。二人は高校からの腐れ縁なんだって。気がついたら同じ予備校に通って、同じ美大に受かって、アパートの隣の部屋に住んでたって」
「隣の部屋は、出来すぎでしょう」
「でも、そうらしいよ。それ以来つかず離れずむしろ離れられず」
「じゃあきっとお互いのこと、色々知ってるんだろうね」
「うんざりするほどね」

 いまより少し前の有島を想像した。それから大学生の頃。高校生の頃。知らない有島。香雅里が出会う前も世界のどこかで生きていた。

「あの二人でこうやってお茶を飲むこともあったのかな……」
「ないんじゃないかな。もっと悪いことしてそうじゃない」
 樹里の呟きに、顔を見合わせて笑った。
 笑い合ったそばからその時間は過去になっていく。流れていく。
 どこへ?
 未来へ。
 たとえば二人離れ離れになる未来へ。
 それは悲しい?
 違う。
 少しさみしいけれどきっと受け容れられる。毎日会えなくなったとしても、友達ではいられる。そして会えたときは、互いに大切だと思える。そうあれるように、いまこの時を大切にとっておこう。

 笑いを収めて香雅里は立ち上がる。
 いまこの時が流れ去るものだとしても、その前にすべきことがあるから。
 熱い紅茶のおかげで、身体の中の血が目覚めたのがわかる。
 描ける? 描けるかもしれない。
 舞台に上がるため階段に足をかける。上る。
 ペンキ缶につっこんであった刷毛をとる。
 そのとき、耳が異音をとらえた。
 遠くでドアが開いた。

 
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