4 / 24
第一章 旅立ち
宿にて
しおりを挟む
「新婚さんかい? まさか、駆け落ちじゃないだろうね」
人の良さそうな宿屋の主人に笑いながら言われ、アリスはぴしっと笑顔を硬化させた。
その横に立つラファエロは、「笑えてないよ」とアリスに素早く囁いてから、満面の笑みを浮かべてみせる。
「そんなところですよ。今日はロカ湖の観光をしてきました。空気が美味しくて、ゆっくりしていたらこんなに遅くなってしまった。何しろ二人でいると、時間が過ぎるのがあっという間で」
「はっはっは、そりゃそうだろうさ。見ればわかるよ。今が一番良い時期なんじゃないか」
「それ。みんなそう言いますけど、俺はそうは思わないんですよ。今よりもこの先の未来の方が、ずっと輝いているのに間違いない。なぜなら、これからは二人一緒に歩んでいけるのだから」
くーっ、と感極まったように声を上げる主人を、アリスは固い笑顔で見つめていた。
「そうそう、笑顔良い感じ。さっきよりもずっと自然だ」
主人に向かってにこにこと微笑んだまま、ラファエロが小声で耳打ちしてくる。
表情を変えずに聞き流しながら、アリスもまた声を抑えて応じた。
「こういうのを、茶番、と言うのではないかしら」
「不満?」
視線を感じて顔を上げると、アイスブルーの瞳が、面白そうな輝きを湛えて見下ろしてきていた。
しっかりと目を合わせてしまってから、アリスはさっと顔を背ける。「そういうわけでは」と早口に言った。
カウンターに立っていた主人は、宿帳をぱらぱらめくりながら、ひどく楽しげに言う。
「ちょうど良かった、一部屋空いている。新婚の二人にはなかなか良い部屋だよ。朝までごゆっくり」
* * *
工房を脱出してからすぐに、ラファエロが「宿に馬を預けている」と言うので、連れ立って向かった。
上品な印象のラファエロに似合いの、毛並みの良い葦毛が一頭。「乗って」と促され、「乗馬なら私もできないわけでは」と言い出すこともできずに、同乗することになった。
そのまま夕暮れの町を抜け出し、街道を走り抜けて、隣町に到着。目抜き通りに位置する、門構えのしっかりとした宿屋に部屋を求めて、現在。
「空いている客室があって良かった。荷物は何もないけど、かえって身軽で良いね。必要なものがあるなら、朝になってから揃えよう。まずは食事かな」
調度品の揃った部屋を見回し、ラファエロはテキパキとした口調で言った。
アリスは入り口付近で壁に張り付いたまま固まっていたが、ラファエロは部屋の中を横切り、こじんまりとした暖炉を覗いたり、身をかがめてベッドの下を確認している。立ち上がると、今度はクローゼットの中や、窓の建て付けを触って調べていた。
(使い勝手を見ているというより、異変がないか、脱出経路は確保できるか考えていそう。手際が良い。慣れてる。それを私に隠そうともしないということは、警戒しているのは私以外の相手。やっぱり、叔父上の手の者という線は薄そうだけど……)
アリスは、ちらっとブルー系のキルトカバーに覆われたベッドに目を向けた。一台。
新婚と勘違いされたのを、特に訂正していなかったラファエロである。
追手がかかっているかもしれない以上、アリスからも二部屋にしてほしいとか、そもそもそんな仲ではないと主張することもできなかったのだが。
(馬一頭に大人が二人、しかも早駆け。密着。そして宿では新婚のふり……ベッドはひとつ)
気になる箇所をあらかた確認し終えたらしいラファエロが、アリスの視線に気付いて「どうしたの?」と小首を傾げて聞いてくる。
軽く束ねて肩に流した銀髪が、さらりと揺れた。アイスブルーの瞳は、湖面のように澄んで邪気もない。
「何も」
胸の前できゅっと拳を握りしめつつ、アリスは小さな声で返事をした。
ラファエロの姿を視界に入れると、二人で馬に乗った時のことを思い出してしまう。
手綱を持つ手が後ろから伸びてきて、広い胸に包み込まれる形で触れ合ってしまった。その温もりが、いまだに背や腕に残っているような気がして、落ち着かない。
さほど広くない部屋で、ベッドが一つという状況も、意識してしまえば心臓が勝手にびくつきそうになる。
(そんな場合じゃないのに。彼は今日出会ったばかりの相手で、これまでの出来事はすべてお互いに必要があってしていること。今まで、仕事で男性と話すことくらいあったんだから。こんなことで意識するなんて、私がおかしい)
ラファエロが何者かすらわからないが、訳ありで、やけに腕が立ち、おそらく親切な性格だということはひしひしと感じている。だから手を貸してくれている。決して、アリスに一目惚れしたなどといった理由ではないはずだ。
勘違いしないようにしなければ。
「周囲に警戒を怠るつもりはないが、空腹ではいざというときに頭が回らないし、力がでない。行きましょう、アリス」
戸惑いを処理しきれていないアリスに対し、ラファエロは優しげな声で、そう言った。
人の良さそうな宿屋の主人に笑いながら言われ、アリスはぴしっと笑顔を硬化させた。
その横に立つラファエロは、「笑えてないよ」とアリスに素早く囁いてから、満面の笑みを浮かべてみせる。
「そんなところですよ。今日はロカ湖の観光をしてきました。空気が美味しくて、ゆっくりしていたらこんなに遅くなってしまった。何しろ二人でいると、時間が過ぎるのがあっという間で」
「はっはっは、そりゃそうだろうさ。見ればわかるよ。今が一番良い時期なんじゃないか」
「それ。みんなそう言いますけど、俺はそうは思わないんですよ。今よりもこの先の未来の方が、ずっと輝いているのに間違いない。なぜなら、これからは二人一緒に歩んでいけるのだから」
くーっ、と感極まったように声を上げる主人を、アリスは固い笑顔で見つめていた。
「そうそう、笑顔良い感じ。さっきよりもずっと自然だ」
主人に向かってにこにこと微笑んだまま、ラファエロが小声で耳打ちしてくる。
表情を変えずに聞き流しながら、アリスもまた声を抑えて応じた。
「こういうのを、茶番、と言うのではないかしら」
「不満?」
視線を感じて顔を上げると、アイスブルーの瞳が、面白そうな輝きを湛えて見下ろしてきていた。
しっかりと目を合わせてしまってから、アリスはさっと顔を背ける。「そういうわけでは」と早口に言った。
カウンターに立っていた主人は、宿帳をぱらぱらめくりながら、ひどく楽しげに言う。
「ちょうど良かった、一部屋空いている。新婚の二人にはなかなか良い部屋だよ。朝までごゆっくり」
* * *
工房を脱出してからすぐに、ラファエロが「宿に馬を預けている」と言うので、連れ立って向かった。
上品な印象のラファエロに似合いの、毛並みの良い葦毛が一頭。「乗って」と促され、「乗馬なら私もできないわけでは」と言い出すこともできずに、同乗することになった。
そのまま夕暮れの町を抜け出し、街道を走り抜けて、隣町に到着。目抜き通りに位置する、門構えのしっかりとした宿屋に部屋を求めて、現在。
「空いている客室があって良かった。荷物は何もないけど、かえって身軽で良いね。必要なものがあるなら、朝になってから揃えよう。まずは食事かな」
調度品の揃った部屋を見回し、ラファエロはテキパキとした口調で言った。
アリスは入り口付近で壁に張り付いたまま固まっていたが、ラファエロは部屋の中を横切り、こじんまりとした暖炉を覗いたり、身をかがめてベッドの下を確認している。立ち上がると、今度はクローゼットの中や、窓の建て付けを触って調べていた。
(使い勝手を見ているというより、異変がないか、脱出経路は確保できるか考えていそう。手際が良い。慣れてる。それを私に隠そうともしないということは、警戒しているのは私以外の相手。やっぱり、叔父上の手の者という線は薄そうだけど……)
アリスは、ちらっとブルー系のキルトカバーに覆われたベッドに目を向けた。一台。
新婚と勘違いされたのを、特に訂正していなかったラファエロである。
追手がかかっているかもしれない以上、アリスからも二部屋にしてほしいとか、そもそもそんな仲ではないと主張することもできなかったのだが。
(馬一頭に大人が二人、しかも早駆け。密着。そして宿では新婚のふり……ベッドはひとつ)
気になる箇所をあらかた確認し終えたらしいラファエロが、アリスの視線に気付いて「どうしたの?」と小首を傾げて聞いてくる。
軽く束ねて肩に流した銀髪が、さらりと揺れた。アイスブルーの瞳は、湖面のように澄んで邪気もない。
「何も」
胸の前できゅっと拳を握りしめつつ、アリスは小さな声で返事をした。
ラファエロの姿を視界に入れると、二人で馬に乗った時のことを思い出してしまう。
手綱を持つ手が後ろから伸びてきて、広い胸に包み込まれる形で触れ合ってしまった。その温もりが、いまだに背や腕に残っているような気がして、落ち着かない。
さほど広くない部屋で、ベッドが一つという状況も、意識してしまえば心臓が勝手にびくつきそうになる。
(そんな場合じゃないのに。彼は今日出会ったばかりの相手で、これまでの出来事はすべてお互いに必要があってしていること。今まで、仕事で男性と話すことくらいあったんだから。こんなことで意識するなんて、私がおかしい)
ラファエロが何者かすらわからないが、訳ありで、やけに腕が立ち、おそらく親切な性格だということはひしひしと感じている。だから手を貸してくれている。決して、アリスに一目惚れしたなどといった理由ではないはずだ。
勘違いしないようにしなければ。
「周囲に警戒を怠るつもりはないが、空腹ではいざというときに頭が回らないし、力がでない。行きましょう、アリス」
戸惑いを処理しきれていないアリスに対し、ラファエロは優しげな声で、そう言った。
29
あなたにおすすめの小説
辺境に追放されたガリガリ令嬢ですが、助けた男が第三王子だったので人生逆転しました。~実家は危機ですが、助ける義理もありません~
香木陽灯
恋愛
「そんなに気に食わないなら、お前がこの家を出ていけ!」
実の父と妹に虐げられ、着の身着のままで辺境のボロ家に追放された伯爵令嬢カタリーナ。食べるものもなく、泥水のようなスープですすり、ガリガリに痩せ細った彼女が庭で拾ったのは、金色の瞳を持つ美しい男・ギルだった。
「……見知らぬ人間を招き入れるなんて、馬鹿なのか?」
「一人で食べるのは味気ないわ。手当てのお礼に一緒に食べてくれると嬉しいんだけど」
二人の奇妙な共同生活が始まる。ギルが獲ってくる肉を食べ、共に笑い、カタリーナは本来の瑞々しい美しさを取り戻していく。しかしカタリーナは知らなかった。彼が王位継承争いから身を隠していた最強の第三王子であることを――。
※ふんわり設定です。
※他サイトにも掲載中です。
そのご寵愛、理由が分かりません
秋月真鳥
恋愛
貧乏子爵家の長女、レイシーは刺繍で家計を支える庶民派令嬢。
幼いころから前世の夢を見ていて、その技術を活かして地道に慎ましく生きていくつもりだったのに——
「君との婚約はなかったことに」
卒業パーティーで、婚約者が突然の裏切り!
え? 政略結婚しなくていいの? ラッキー!
領地に帰ってスローライフしよう!
そう思っていたのに、皇帝陛下が現れて——
「婚約破棄されたのなら、わたしが求婚してもいいよね?」
……は???
お金持ちどころか、国ごと背負ってる人が、なんでわたくしに!?
刺繍を褒められ、皇宮に連れて行かれ、気づけば妃教育まで始まり——
気高く冷静な陛下が、なぜかわたくしにだけ甘い。
でもその瞳、どこか昔、夢で見た“あの少年”に似ていて……?
夢と現実が交差する、とんでもスピード婚約ラブストーリー!
理由は分からないけど——わたくし、寵愛されてます。
※毎朝6時、夕方18時更新!
※他のサイトにも掲載しています。
虚弱体質?の脇役令嬢に転生したので、食事療法を始めました
たくわん
恋愛
「跡継ぎを産めない貴女とは結婚できない」婚約者である公爵嫡男アレクシスから、冷酷に告げられた婚約破棄。その場で新しい婚約者まで紹介される屈辱。病弱な侯爵令嬢セラフィーナは、社交界の哀れみと嘲笑の的となった。
【完結】使えない令嬢として一家から追放されたけど、あまりにも領民からの信頼が厚かったので逆転してざまぁしちゃいます
腕押のれん
ファンタジー
アメリスはマハス公国の八大領主の一つであるロナデシア家の三姉妹の次女として生まれるが、頭脳明晰な長女と愛想の上手い三女と比較されて母親から疎まれており、ついに追放されてしまう。しかしアメリスは取り柄のない自分にもできることをしなければならないという一心で領民たちに対し援助を熱心に行っていたので、領民からは非常に好かれていた。そのため追放された後に他国に置き去りにされてしまうものの、偶然以前助けたマハス公国出身のヨーデルと出会い助けられる。ここから彼女の逆転人生が始まっていくのであった!
私が死ぬまでには完結させます。
追記:最後まで書き終わったので、ここからはペース上げて投稿します。
追記2:ひとまず完結しました!
婚約破棄された際もらった慰謝料で田舎の土地を買い農家になった元貴族令嬢、野菜を買いにきたベジタリアン第三王子に求婚される
さら
恋愛
婚約破棄された元伯爵令嬢クラリス。
慰謝料代わりに受け取った金で田舎の小さな土地を買い、農業を始めることに。泥にまみれて種を撒き、水をやり、必死に生きる日々。貴族の煌びやかな日々は失ったけれど、土と共に過ごす穏やかな時間が、彼女に新しい幸せをくれる――はずだった。
だがある日、畑に現れたのは野菜好きで有名な第三王子レオニール。
「この野菜は……他とは違う。僕は、あなたが欲しい」
そう言って真剣な瞳で求婚してきて!?
王妃も兄王子たちも立ちはだかる。
「身分違いの恋」なんて笑われても、二人の気持ちは揺るがない。荒れ地を畑に変えるように、愛もまた努力で実を結ぶのか――。
【完結】『推しの騎士団長様が婚約破棄されたそうなので、私が拾ってみた。』
ぽんぽこ@3/28新作発売!!
恋愛
【完結まで執筆済み】筋肉が語る男、冷徹と噂される騎士団長レオン・バルクハルト。
――そんな彼が、ある日突然、婚約破棄されたという噂が城下に広まった。
「……えっ、それってめっちゃ美味しい展開じゃない!?」
破天荒で豪快な令嬢、ミレイア・グランシェリは思った。
重度の“筋肉フェチ”で料理上手、○○なのに自由すぎる彼女が取った行動は──まさかの自ら押しかけ!?
騎士団で巻き起こる爆笑と騒動、そして、不器用なふたりの距離は少しずつ近づいていく。
これは、筋肉を愛し、胃袋を掴み、心まで溶かす姉御ヒロインが、
推しの騎士団長を全力で幸せにするまでの、ときめきと笑いと“ざまぁ”の物語。
平民令嬢、異世界で追放されたけど、妖精契約で元貴族を見返します
タマ マコト
ファンタジー
平民令嬢セリア・アルノートは、聖女召喚の儀式に巻き込まれ異世界へと呼ばれる。
しかし魔力ゼロと判定された彼女は、元婚約者にも見捨てられ、理由も告げられぬまま夜の森へ追放された。
行き場を失った境界の森で、セリアは妖精ルゥシェと出会い、「生きたいか」という問いに答えた瞬間、対等な妖精契約を結ぶ。
人間に捨てられた少女は、妖精に選ばれたことで、世界の均衡を揺るがす存在となっていく。
【完結】一途すぎる公爵様は眠り姫を溺愛している
月(ユエ)/久瀬まりか
恋愛
リュシエンヌ・ソワイエは16歳の子爵令嬢。皆が憧れるマルセル・クレイン伯爵令息に婚約を申し込まれたばかりで幸せいっぱいだ。
しかしある日を境にリュシエンヌは眠りから覚めなくなった。本人は自覚が無いまま12年の月日が過ぎ、目覚めた時には父母は亡くなり兄は結婚して子供がおり、さらにマルセルはリュシエンヌの親友アラベルと結婚していた。
突然のことに狼狽えるリュシエンヌ。しかも兄嫁はリュシエンヌを厄介者扱いしていて実家にはいられそうもない。
そんな彼女に手を差し伸べたのは、若きヴォルテーヌ公爵レオンだった……。
『残念な顔だとバカにされていた私が隣国の王子様に見初められました』『結婚前日に友人と入れ替わってしまった……!』に出てくる魔法大臣ゼインシリーズです。
表紙は「簡単表紙メーカー2」で作成しました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる