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第二章 街道にて
街道へ
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(実際のところ、叔父上は追手までかけるかしら……)
三人で宿を後にし、エイルがアリスの分の馬を確保してくるために、その場を一度離れた。
ラファエロからは「今のうち、アリスも何か必要なものがあれば、雑貨屋へ」と声をかけられる。
考えることも不安も積み重なっていたアリスは、返事が遅れた。
「アリス、聞いてる? 着の身着のまま出てきたけど、国境までは普通に馬に乗って三日かかる。街道を進むつもりで、野宿の予定はない。それでも水筒くらいは持っておくべきだ。簡単な食料も」
肩を並べたラファエロに丁寧に言われて、アリスは立ち止まり、思わずその顔を見上げてしまった。「どうしたの?」と聞かれ、言葉に詰まる。考えて、ようやく言った。
「旅に必要なものが、全然思い付きません。以前一度王都に行ったことはありますが、荷造りはすべて屋敷のメイドがしてくれました。屋敷を出てからは一人の生活だったから、旅に出るなんて考えたこともなかったんです」
「屋敷?」
口が滑った。気付いたが、アリスは周囲をさりげなく気にしてから、肩から下げた鞄の紐をぎゅっと握りしめ、一息に打ち明けた。
「最近までは家族がいたので、今とは少し違う生活をしていました。でも父と兄が続けて亡くなり、貴族法で財産を継ぐ資格がなかったので、家を出ることに。身の回りのことを自分でするのは慣れましたが、仕事もあるので、朝起きて、夜は遅くなる前に家に帰ります。日をまたいでどこかへ出かけることもなくて……。何を揃えればいいかもわかりません」
当たり障りのない表現になってしまったが、なるほど、とラファエロは素早く相槌を打った。
「まずは水筒。それから、干し肉やビスケットといった食料。君は薬の類は持っていそうだけど、ナイフや火打ち石もあった方が良い。長旅だったら、これに鍋や食器も必要になるけど、今回は大丈夫。やむを得ず野宿の場合はマントにくるまって寝る。寝具類を持ち歩くと大変だからね」
「今の季節は夜でもそこまで寒くならないけど、冬はどうするの?」
「寒いから旅に出ない。家にこもって暖炉の前で寝ているのが一番」
口の端を吊り上げ、茶目っ気のある笑みを浮かべてから、ラファエロはアリスの全身を確認するように眺めた。
「万が一のことを考えると、外套もあった方がいいかもしれない。俺も手ぶらみたいなものだから、店には一緒に行くつもりだったけど、他にわからないことがあれば聞いて」
押し付けがましくない申し出に、アリスはほっと息を吐きだして「ありがとうございます」と頭を下げた。
* * *
緑の匂いを含んだ風が、心地よく吹き抜けて行く。
荷物を整え、エイルの調達してくれた馬に乗り、三人で街道を進む。
あまり馬を疲れさせないために、あえて急がせてはいない。そのため、会話をする余裕はある。
森にさしかかり、周囲にすれ違う者もなくなった頃合いを見て、アリスから切り出した。
「昨日の襲撃の件について、ご説明差し上げても大丈夫ですか」
先を進んでいたのはエイル。横につけていたのはラファエロ。
エイルは無言のまま肩越しに振り返り、ラファエロからは「できれば」と短い返事があった。アリスは手綱を持ち直してから、まっすぐ道の先を見据えた。
「私の出自は、アンブローズの薬師一族です。一族の者は、通常の薬に効果を高める魔法を行使する力があります。中でも、際立って力の強い者は、この近くの湿地帯で自生している稀少な薬草サトリカを使って、瀕死の重傷でも命を繋ぎ止める特効薬を作ることができます。この薬は、目に見える傷だけではなく、血管や内臓にも及ぶようで、病人にも効果があります。ですが、アンブローズの一族の者でもこの魔法の成功率は極めて低く、現在の当主一家の者でもほとんど作ることができません。それを、私だけがほぼ失敗なく作れます。実質、今販売できるサトリカの特効薬は、私一人が作っていたようなものでした」
一区切りついたところで、前に向き直っていたエイルが振り返った。
「サトリカの特効薬の名は我が国でも有名だ。当主の交代劇で、一時的に生産量が落ちているとは聞いていたけど」
「それほどの魔導士であれば、狙われる理由もたくさんありそうだ。何故護衛もつけずに、町で一人暮らしを?」
エイルが話し、続けてラファエロからは当然の問いが投げかけられる。
緊張で体ががちがちになるのを感じつつ、アリスはゆっくりと答えた。
「たしかに、その疑問はもっともです。一つ理由としては、あの町には古くからアンブローズの一族への畏敬の念があることが挙げられます。一人で暮らしていても、身の危険を感じることはさほどなかったです。しかし実際に襲撃はあった……。相手には心当たりがあります。私の魔法をこれまで利用しながら、あるきっかけで私の存在自体がとても邪魔になってしまったひとがいます」
(心当たりであって、証拠があるわけではない。叔父の名を出してしまえば、私も引き返すことはできなくなる。隣国で立場ある二人も、この件への介入には慎重になるだろうし、場合によってはここで……)
悪い予感に襲われつつも、アリスは襲撃者の名を告げようとした。
振り返っていたエイルが、遠くを見据えて目を細める。
ラファエロも背後を気にして首を巡らせた。
早駆けの馬の足音が近づいてきていた。
三人で宿を後にし、エイルがアリスの分の馬を確保してくるために、その場を一度離れた。
ラファエロからは「今のうち、アリスも何か必要なものがあれば、雑貨屋へ」と声をかけられる。
考えることも不安も積み重なっていたアリスは、返事が遅れた。
「アリス、聞いてる? 着の身着のまま出てきたけど、国境までは普通に馬に乗って三日かかる。街道を進むつもりで、野宿の予定はない。それでも水筒くらいは持っておくべきだ。簡単な食料も」
肩を並べたラファエロに丁寧に言われて、アリスは立ち止まり、思わずその顔を見上げてしまった。「どうしたの?」と聞かれ、言葉に詰まる。考えて、ようやく言った。
「旅に必要なものが、全然思い付きません。以前一度王都に行ったことはありますが、荷造りはすべて屋敷のメイドがしてくれました。屋敷を出てからは一人の生活だったから、旅に出るなんて考えたこともなかったんです」
「屋敷?」
口が滑った。気付いたが、アリスは周囲をさりげなく気にしてから、肩から下げた鞄の紐をぎゅっと握りしめ、一息に打ち明けた。
「最近までは家族がいたので、今とは少し違う生活をしていました。でも父と兄が続けて亡くなり、貴族法で財産を継ぐ資格がなかったので、家を出ることに。身の回りのことを自分でするのは慣れましたが、仕事もあるので、朝起きて、夜は遅くなる前に家に帰ります。日をまたいでどこかへ出かけることもなくて……。何を揃えればいいかもわかりません」
当たり障りのない表現になってしまったが、なるほど、とラファエロは素早く相槌を打った。
「まずは水筒。それから、干し肉やビスケットといった食料。君は薬の類は持っていそうだけど、ナイフや火打ち石もあった方が良い。長旅だったら、これに鍋や食器も必要になるけど、今回は大丈夫。やむを得ず野宿の場合はマントにくるまって寝る。寝具類を持ち歩くと大変だからね」
「今の季節は夜でもそこまで寒くならないけど、冬はどうするの?」
「寒いから旅に出ない。家にこもって暖炉の前で寝ているのが一番」
口の端を吊り上げ、茶目っ気のある笑みを浮かべてから、ラファエロはアリスの全身を確認するように眺めた。
「万が一のことを考えると、外套もあった方がいいかもしれない。俺も手ぶらみたいなものだから、店には一緒に行くつもりだったけど、他にわからないことがあれば聞いて」
押し付けがましくない申し出に、アリスはほっと息を吐きだして「ありがとうございます」と頭を下げた。
* * *
緑の匂いを含んだ風が、心地よく吹き抜けて行く。
荷物を整え、エイルの調達してくれた馬に乗り、三人で街道を進む。
あまり馬を疲れさせないために、あえて急がせてはいない。そのため、会話をする余裕はある。
森にさしかかり、周囲にすれ違う者もなくなった頃合いを見て、アリスから切り出した。
「昨日の襲撃の件について、ご説明差し上げても大丈夫ですか」
先を進んでいたのはエイル。横につけていたのはラファエロ。
エイルは無言のまま肩越しに振り返り、ラファエロからは「できれば」と短い返事があった。アリスは手綱を持ち直してから、まっすぐ道の先を見据えた。
「私の出自は、アンブローズの薬師一族です。一族の者は、通常の薬に効果を高める魔法を行使する力があります。中でも、際立って力の強い者は、この近くの湿地帯で自生している稀少な薬草サトリカを使って、瀕死の重傷でも命を繋ぎ止める特効薬を作ることができます。この薬は、目に見える傷だけではなく、血管や内臓にも及ぶようで、病人にも効果があります。ですが、アンブローズの一族の者でもこの魔法の成功率は極めて低く、現在の当主一家の者でもほとんど作ることができません。それを、私だけがほぼ失敗なく作れます。実質、今販売できるサトリカの特効薬は、私一人が作っていたようなものでした」
一区切りついたところで、前に向き直っていたエイルが振り返った。
「サトリカの特効薬の名は我が国でも有名だ。当主の交代劇で、一時的に生産量が落ちているとは聞いていたけど」
「それほどの魔導士であれば、狙われる理由もたくさんありそうだ。何故護衛もつけずに、町で一人暮らしを?」
エイルが話し、続けてラファエロからは当然の問いが投げかけられる。
緊張で体ががちがちになるのを感じつつ、アリスはゆっくりと答えた。
「たしかに、その疑問はもっともです。一つ理由としては、あの町には古くからアンブローズの一族への畏敬の念があることが挙げられます。一人で暮らしていても、身の危険を感じることはさほどなかったです。しかし実際に襲撃はあった……。相手には心当たりがあります。私の魔法をこれまで利用しながら、あるきっかけで私の存在自体がとても邪魔になってしまったひとがいます」
(心当たりであって、証拠があるわけではない。叔父の名を出してしまえば、私も引き返すことはできなくなる。隣国で立場ある二人も、この件への介入には慎重になるだろうし、場合によってはここで……)
悪い予感に襲われつつも、アリスは襲撃者の名を告げようとした。
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早駆けの馬の足音が近づいてきていた。
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