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第九章 襲撃と出立

お互いを知るために

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「上司と、部下」

 アレクスの元を辞して、廊下に出たところで改めてクライスとジュリアは向き合う。
 ジュリアから言い聞かせるように言われてにっこりと微笑まれ、クライスも微笑みかえそうとしたが、頬の筋肉は言うことをきかなかった。
 根性で笑みを作る。

「あとで手合わせしようね」
「喜んで」

 クライスの申し出に、ジュリアは感じの良い笑みを浮かべて答えた。
 ルーク・シルヴァやレティシアのような美貌を見た後でさえ、決してひけを取らないと言える、非の打ちどころのない美人。

(物凄く強い……)

 女性のいない環境で身体を鍛えてきたクライスは、少なくとも世の女性には負けないつもりでいた。近隣の女性の中では一番くらいに思い上がっていた。
 全然。
 叩き潰される。
 手合わせをしてみても、敵わないかもしれない。

(もちろん自分より強いひとなんてたくさんいると思っていた。アレクス様も僕より強い。だけど……)

 いざ自分より強いであろう女性が現れ、しかも「部下」とは。
 もちろん、招聘されたばかりのジュリアではなく、以前から王宮勤務であった自分が上官になるのは自然だ。役職に求められるのは強さだけではない。周囲の人間とのやり取りや王宮での振舞いなど付随するものがいくつもある。
 頭ではわかっている。
 それでも。
 強さで勝ちたい。

(こんな強いひとだ。弱い人間の下に置いておくべきじゃない。僕が上官だというのなら、ジュリアよりずっと強くないと)

 受け答えを聞いていても、彼女の精神的な強靭さが伺い知れる。
 そのジュリアに、納得してもらえるほどに、心身の強さを示さねばと、気が引き締まる思いであった。

「神聖教団の出身って聞こえた。アレクス様が僕の部隊に入れると言うなら、身元に関してはいちいち聞く必要もないと思うんだけど」
「特に隠すことはないので、なんでも聞いてください。私の場合、教団がどうという過去はあまり関係ありません。それより、身元の確かな魔導士からの推薦があります。信頼を得る上では、それが強かったのかもしれないですね。聖剣の勇者ルミナスの国では、魔導士ステファノの名前は有効ということで」

 さらさらっと何気なく言われて、クライスは目を見開いた。

「待って、魔導士って誰? ステファノ……!?」

 クライスの驚きの理由を、英雄の名前が飛び出したからだと勘違いしたらしいジュリアは、すぐに「いいえ」と否定した。

「違う魔導士です。私のお師匠様が生まれた頃には、魔導士ステファノはすでに亡くなっていたと。お師匠様は、ステファノ様の姉の子です。魔導士ステファノはお師匠様の叔父にあたります」

 このときのジュリアの微妙な言い回しの意味を、不審に思うこともなく、クライスは何気なく確認した。

「そっか。ステファノの血縁者は、生きているんだ……」

 死んだはずのステファノが、現にいまクロノスという名で生きているのは知っている。
 それとは別に、おそらく彼が死んだくらいの年齢で、彼の血縁の魔導士がどこかにいるという事実に胸がざわつく。
 自分がルミナスだと言われても、ステファノの面影など胸のどこにも残っていない。会っても、似ているかどうかなんてわからないだろうし、懐かしいと思うこともないだろう。

(クロノス王子は会いたくないんだろうか。叔父ってことは、ジュリアのお師匠様は甥か姪……)

 顔も知らないくせに思い描こうとして、ふと気づく。ジュリアがそのひとのことを、「甥」か「姪」か明言しなかったことに。
 さしたる意味もないだろうと、そこで一度忘れる。

「お師匠様ということは、ジュリアは魔導士に弟子入りしていたってこと?」
「はい。とはいっても、お師匠様は『生活魔導士』です。攻撃系を一切持っていないんですよ。魔石を使った家具の整備が仕事で」
「生活魔導士」

 地上最強の魔導士ステファノの血縁なのに、地味だ。
 クライスの考えが伝わったのだろう、ジュリアはささやかな苛立ちを抑え込んだような笑みを浮かべ、やや強い口調できっぱりと言った。

「仕事はたくさんあるんですよ。今の時代に適応しているんです」

 そこはクライスも想像がつき、即座に相槌を打った。

「そうだよね。攻撃系なんて出番がないからただのごく潰しになりかねないよね」

 何故かジュリアが一瞬、意表を突かれたように軽く目をみひらいた。
 それから、くすっと笑い声をもらし、くっくっくと喉を鳴らして笑った。

「……なに?」

 笑い過ぎた自分が恥ずかしかったのか、ごめん、とでもいうように掌をクライスに向けつつ顔を隠し、横を向いた。まだ口元が笑っている。

「もっともだと思いました。今の時代、攻撃系の魔導士なんかごく潰しですよ。強いからそれがどうしたって」
「誰か特定の人を思い浮かべている?」
「はい」

 誤魔化すことなくきっぱり認められる。その顔があまりに晴れ晴れとしていて、見惚れてしまった。

「魔導士の知り合いが他にもいるの?」
「強いだけが取り柄なので、普段はすることもなく隠居生活しているオッサンです。ごく潰しの」

 非常に清々しく口にする言葉が、自分発祥であることに若干の責任を感じつつ、「そうなんだ」とクライスは曖昧に頷いてから話を逸らした。 

「魔導士に弟子入りしていたってことは、魔法使えるの?」
「お師匠様に習ったものというより、教団にいた頃に身に付けたもので、治癒魔法は多少。怪我をしたら言ってください」
「治癒魔法も使えるんだ!?」

 剣が強い上にそんなものもと思ったが、すぐに思い当たる。
 治癒魔法は使い手が多くない。魔法の効果を得る為に、己の寿命を削るとも言われている。
 クライスが何を考えたか、知ってか知らずかジュリアは穏やかな笑みを浮かべて「激しい戦闘に直面すれば、必要なこともあるでしょう」と言った。

「魔物がここのところ好戦的になっているという見方はあったけど、確かに今後戦闘は増えるかもしれないね」
「当然、背景や理由はあると思います。王宮の方々はその辺何か掴んでいるんですか」

 打てば響く早さで返される。
 クライスはジュリアの目を見て、肯いた。

(断片的な情報はある。推測も出来る。わかる範囲で共有すべきだ)

「僕が知っていることは話す。ジュリアが知っていることも聞きたい。二人で協力していくことになる以上、知識だけでなく、お互いの考え方や判断の方向性も把握しておくべきだと思う」
「了解です。あなたに従います」
「それが望ましいけど、ジュリアの判断を採用することもあると思う。ジュリアは、僕よりも背が高いから、遠くがよく見えるだろうし。いずれにせよ、お互いを知るべきだと思う」

 戦場で連携するにも、相手が何を見て、何を考えているか知っておきたい。
 クライスの提案に対し、ジュリアは口元に笑みを浮かべて短く返事をした。

「はい」

(お互いを知る……)

 クロノスとは、そんなこと考える隙もないくらいに呼吸があっていた。おそらく、クロノスが合わせてきていた。
 ルミナスと自分はそこまで似ているのだろうか。
 或いは、生まれ変わってからの自分を、ルミナスを気にかけるようにずっと見守っていたのだろうか。

 食事は? とクライスが声をかけると、まだですね、とジュリアが答えたので連れ立って歩き出す。
 そこでようやく、ずっと気にかかっていたことを口にした。

「そういえばジュリア。さっきルーク・シルヴァの名前を聞いたことがあるって言ってたよね……?」

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