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第十章 食事は大切に
物理で女子会(後編)
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「勘違いしないで欲しいんだけど。確かにステファノのことは好きよ。好きだった。でも、クロノス王子は違うの。会えたときは嬉しかったし、奇跡だと思ったけど、違う人だし」
グラスを握りしめて聞いていたクライスは、目を大きく見開いてアゼルの顔をまじまじと見た。
「違う人なの!?」
口も開いたままだ。
あの口に何か放り込めそうですね、とジュリアが隣のロイドに言って「何のために? 黙らせたいの?」とロイドは呆れ顔で応じていた。
「違う人だよ。顔も声も」
「中身は?」
うーん、とアゼルは上に視線を向けて、言葉を選びながら言った。
「『面影はあるけど』って感じ。見た目じゃなくて性格だから、ちょっと違うけど。二十年以上、呼ばれる名前も、生活も違ったんだよ。実際、本人だって『ステファノ』より『クロノス』の意識の方が強いと思わない? そもそもクロノスには『ステファノ』という、既に死んだ人間に固執する必要はないじゃない」
死んだ人を追い求めるのは、残された者たち。
生前の自分の名前や業績に拘らずとも生きていける生まれのクロノスは、少なくとも「ステファノ」である必要はない。もし、ステファノとして生きたい気持ちがあったのなら、とうに「クロノス」を辞めているはず。
「過去と今が繋がる瞬間があるなら、それは前世に縁のあった人物と関係しているときで、でも」
アゼルが、一瞬、泣き笑いの表情になった。
息を詰めて見守るクライスの視線の先で、笑いよりも泣きが勝ってしまったらしく、瞳からすうっと透明な涙を流した。
「あんたはわたしたちを忘れてしまったわ。覚えてないんでしょ? ルミナス」
ルミナス。
その名を聞くたびに、ドクンと心臓が痛いほど脈打つ。
自分がそうだと言われ始めてから、何度か考えてみた。
(思い出せないんだ……)
断片すら。
時々、何か見える気もするけれど、多分夢みたいなものだ。魔法の素質もないのに、自分は魔法が使えると信じている子どもの錯覚みたいなもの。
肉体的にも精神的にも分断された「別人」の記憶が、都合よく自分の中に蘇ることなどない。
誰にも言われなかったら、今でも前世の名前など知らなかっただろう。そもそも、そう言ってきた相手ですら、証明する手段を持たないのだ。
「僕はルミナスなの? ルミナスだとして、どうすれば良いのか。何を求められているんだろう」
「逆に、何が出来るの? 見た目も中身も強さも全部違う別人じゃない。記憶があってさえ、ステファノだって別人なんだよ」
ごしごし手の甲で涙をこすり、鼻を啜り上げながらアゼルは濡れた声で言った。
「そっか、そうだよね。逆に何かしようっていう方がおこがましいよね」
「逆にね」
ようやく無理やりの笑顔を作れるようになったアゼルが、自分で言ってから、小さく噴き出す。
大人しく食べながら耳を傾けていたジュリアが「『逆に』言い過ぎですよね。何回ひっくり返すんですかね」と言い、ロイドは煩そうに酒を煽っていた
「ちょっと悔しい……。前世で出来たことが今の僕にはできないって。クロノス王子はさ、前世から魔力を引き継いでいるよね。魔力チート。だけど僕は、一生懸命技を磨いているつもりでも、魔王を倒したルミナスにはきっと全然及ばない」
はぁ、と溜息をつきながらグラスを傾けて、クライスはそのまま制止した。
かぱかぱと酒を煽り続けていたロイドが「お、ようやく」と小さく呟く。
「魔王……」
呆然とした顔のクライスを見て、グラスを取り落とすかと気にしたらしいジュリアが、すかさず立ち上がり、そばに片膝をついて手を伸ばす。
指が触れる直前。
バリンと破砕音を立ててグラスが割れた。
握りつぶしたクライスは、唇を震わせながら誰にともなく聞いた。
「ルミナス、魔王、倒したの? 倒せなかったの?」
落ち着いた仕草でクライスの手の怪我を確認しつつ、ジュリアが答えた。
「『ルーク・シルヴァ』について何か確認したいとのことでしたが」
その場の三人分の視線を集めて、ジュリアはしずかな声で話し始めた。
「私は神聖教団の出身ですが、教団は魔族に少々詳しいんです。二百年以上前に、人間が扱う魔法体系、魔法の使い方そのものが根本的に見直された時期があったはず。きっかけは、魔導士ディートリヒが当時の魔王レティシアを討ち滅ぼし、魔族の魔法体系を人間の世界に持ち込んだことです。このとき、ディートリヒとともに魔王と戦った聖剣士イシルドスもまた、教団にその知識を持ち帰りました。そのときから教団は密かに魔族と独特の親交を持つようになり、魔族と人間の間に生まれた者もいます」
ジュリアの取り出したハンカチに、酒のかかった手を拭かれるがままになっていたクライスは、もう一方の手で額をおさえ、小さく呟いた。
「魔王レティシア……。魔導士ディートリヒ。じゃあ、あのときの会話って、そういう……」
「あのとき?」
ジュリアに促され、クライスが声を絞り出すようにして答えた。
「ルーク・シルヴァとディートリヒが顔を合わせたところにいたんだ……。僕やクロノス王子にはわからない言葉で何かを話していた。レティシアのことだと思う。ルーク・シルヴァはレティシアの兄で、レティシア亡き後に王になった」
飲み過ぎたせいなのか。
猛烈な吐き気がこみあげてきて、クライスは口を手で覆う。
「辛いなら無理しないで。吐いても大丈夫ですよ」
穏やかに声をかけながら、ジュリアがその背をさする。
重い沈黙を保って人間たちの様子を見ていた魔族二人であったが、ロイドがいかにもしんどそうに口を開いた。
「教団の内部はオレにもよく掴めなかったんだよね。唯一大きな動きがあったのは、直近の魔王討伐に人材を輩出したことかな。聖剣士ローエル。それも、戦争の終結とともにすぐに教団に帰ったはず」
「そうね。あれ以来一度も会っていないわ」
魔王討伐の仲間であったアゼルが、引き継いで短く答える。
二人が話し終えたのを見計らうかのように、ジュリアが再び口を開いた。
「教団内にはイシルドスの末裔が何人かいます。ローエル様もその一人で、聖剣の勇者となることを期待されていたはず。結局は、ルミナスという人物が聖剣に選ばれ、魔王を討ったわけですが……」
そこで、ちらりと口元をおさえたままのクライスを見る。
「ルーク・シルヴァと、ディートリヒに、会ったんですか?」
「会ったね……」
歯切れの悪さは、吐き気を堪えているせいなのか、それとも。
判別しかねているようなジュリアに対して、大きく唾を飲み込んでから、クライスはゆっくりと続けた。
「ルーク・シルヴァは僕の恋人で、ディートリヒは弟なんだ」
ジュリアの表情に、目立った変化はなかった。
ロイドは疲れたようにソファに沈み込み、アゼルは身体を折って肘掛に倒れ込んだ。
その反応を視界の隅にとらえ、ジュリアはクライスをまっすぐに見つめた。
「落ち着いてから聞こうと思っていたんですけど、クロノス王子は魔導士ステファノなんですか?」
「ん……!? あれ、そういえば、ジュリアってステファノ、じゃない、ステファノの親戚に弟子入りしていたんだっけ!?」
なんだかそんな話をした、と今さらながらに思い出した様子のクライスに、かんで含めるようにジュリアが言った。
「うちのお師匠様の叔父がステファノで、お師匠様もステファノも魔道士ディートリヒの末裔です」
ぼんやりと見返したクライスの目を見つめ、ジュリアはさらに言い募った。
「魔導士ステファノ、会ってみたかったってお師匠様が言っていました。いるんですね、ここに」
クライスは、小さく頷いて、答える。
「いたんだ。ステファノも、ルーク・シルヴァも、ディートリヒも……」
一瞬、場が静まり返った。
誰もが動きを止めていた。
食事の手を止めて話に聞き入っていたせいもあったが、同時に全員が廊下の気配を探っていたせいでもあった。
「入る」
一言の後、ドアが開けられる。
長い黒髪に、精悍に引き締まった体躯の、品のある青年が部屋に足を踏み入れた。
「おかえりなさい」
「うん」
アゼルが声をかけ、なんでもないように頷くのは部屋主のアレクス。
盛り上がっているとは言い難い四人をちらりと見て、小さく溜息をついた。すぐにそんな自分に気づいたように「悪い」と低い声で呟く。表情が冴えない。
「何かあったの?」
気安い口調のアゼルに対し、その冴えない顔のまま口を開く。
「あったと言うべきか。あったな。イカロスがいなくなった。イカロス付きの女官も確認できていない。出て行く気で出て行ったようだ」
グラスを握りしめて聞いていたクライスは、目を大きく見開いてアゼルの顔をまじまじと見た。
「違う人なの!?」
口も開いたままだ。
あの口に何か放り込めそうですね、とジュリアが隣のロイドに言って「何のために? 黙らせたいの?」とロイドは呆れ顔で応じていた。
「違う人だよ。顔も声も」
「中身は?」
うーん、とアゼルは上に視線を向けて、言葉を選びながら言った。
「『面影はあるけど』って感じ。見た目じゃなくて性格だから、ちょっと違うけど。二十年以上、呼ばれる名前も、生活も違ったんだよ。実際、本人だって『ステファノ』より『クロノス』の意識の方が強いと思わない? そもそもクロノスには『ステファノ』という、既に死んだ人間に固執する必要はないじゃない」
死んだ人を追い求めるのは、残された者たち。
生前の自分の名前や業績に拘らずとも生きていける生まれのクロノスは、少なくとも「ステファノ」である必要はない。もし、ステファノとして生きたい気持ちがあったのなら、とうに「クロノス」を辞めているはず。
「過去と今が繋がる瞬間があるなら、それは前世に縁のあった人物と関係しているときで、でも」
アゼルが、一瞬、泣き笑いの表情になった。
息を詰めて見守るクライスの視線の先で、笑いよりも泣きが勝ってしまったらしく、瞳からすうっと透明な涙を流した。
「あんたはわたしたちを忘れてしまったわ。覚えてないんでしょ? ルミナス」
ルミナス。
その名を聞くたびに、ドクンと心臓が痛いほど脈打つ。
自分がそうだと言われ始めてから、何度か考えてみた。
(思い出せないんだ……)
断片すら。
時々、何か見える気もするけれど、多分夢みたいなものだ。魔法の素質もないのに、自分は魔法が使えると信じている子どもの錯覚みたいなもの。
肉体的にも精神的にも分断された「別人」の記憶が、都合よく自分の中に蘇ることなどない。
誰にも言われなかったら、今でも前世の名前など知らなかっただろう。そもそも、そう言ってきた相手ですら、証明する手段を持たないのだ。
「僕はルミナスなの? ルミナスだとして、どうすれば良いのか。何を求められているんだろう」
「逆に、何が出来るの? 見た目も中身も強さも全部違う別人じゃない。記憶があってさえ、ステファノだって別人なんだよ」
ごしごし手の甲で涙をこすり、鼻を啜り上げながらアゼルは濡れた声で言った。
「そっか、そうだよね。逆に何かしようっていう方がおこがましいよね」
「逆にね」
ようやく無理やりの笑顔を作れるようになったアゼルが、自分で言ってから、小さく噴き出す。
大人しく食べながら耳を傾けていたジュリアが「『逆に』言い過ぎですよね。何回ひっくり返すんですかね」と言い、ロイドは煩そうに酒を煽っていた
「ちょっと悔しい……。前世で出来たことが今の僕にはできないって。クロノス王子はさ、前世から魔力を引き継いでいるよね。魔力チート。だけど僕は、一生懸命技を磨いているつもりでも、魔王を倒したルミナスにはきっと全然及ばない」
はぁ、と溜息をつきながらグラスを傾けて、クライスはそのまま制止した。
かぱかぱと酒を煽り続けていたロイドが「お、ようやく」と小さく呟く。
「魔王……」
呆然とした顔のクライスを見て、グラスを取り落とすかと気にしたらしいジュリアが、すかさず立ち上がり、そばに片膝をついて手を伸ばす。
指が触れる直前。
バリンと破砕音を立ててグラスが割れた。
握りつぶしたクライスは、唇を震わせながら誰にともなく聞いた。
「ルミナス、魔王、倒したの? 倒せなかったの?」
落ち着いた仕草でクライスの手の怪我を確認しつつ、ジュリアが答えた。
「『ルーク・シルヴァ』について何か確認したいとのことでしたが」
その場の三人分の視線を集めて、ジュリアはしずかな声で話し始めた。
「私は神聖教団の出身ですが、教団は魔族に少々詳しいんです。二百年以上前に、人間が扱う魔法体系、魔法の使い方そのものが根本的に見直された時期があったはず。きっかけは、魔導士ディートリヒが当時の魔王レティシアを討ち滅ぼし、魔族の魔法体系を人間の世界に持ち込んだことです。このとき、ディートリヒとともに魔王と戦った聖剣士イシルドスもまた、教団にその知識を持ち帰りました。そのときから教団は密かに魔族と独特の親交を持つようになり、魔族と人間の間に生まれた者もいます」
ジュリアの取り出したハンカチに、酒のかかった手を拭かれるがままになっていたクライスは、もう一方の手で額をおさえ、小さく呟いた。
「魔王レティシア……。魔導士ディートリヒ。じゃあ、あのときの会話って、そういう……」
「あのとき?」
ジュリアに促され、クライスが声を絞り出すようにして答えた。
「ルーク・シルヴァとディートリヒが顔を合わせたところにいたんだ……。僕やクロノス王子にはわからない言葉で何かを話していた。レティシアのことだと思う。ルーク・シルヴァはレティシアの兄で、レティシア亡き後に王になった」
飲み過ぎたせいなのか。
猛烈な吐き気がこみあげてきて、クライスは口を手で覆う。
「辛いなら無理しないで。吐いても大丈夫ですよ」
穏やかに声をかけながら、ジュリアがその背をさする。
重い沈黙を保って人間たちの様子を見ていた魔族二人であったが、ロイドがいかにもしんどそうに口を開いた。
「教団の内部はオレにもよく掴めなかったんだよね。唯一大きな動きがあったのは、直近の魔王討伐に人材を輩出したことかな。聖剣士ローエル。それも、戦争の終結とともにすぐに教団に帰ったはず」
「そうね。あれ以来一度も会っていないわ」
魔王討伐の仲間であったアゼルが、引き継いで短く答える。
二人が話し終えたのを見計らうかのように、ジュリアが再び口を開いた。
「教団内にはイシルドスの末裔が何人かいます。ローエル様もその一人で、聖剣の勇者となることを期待されていたはず。結局は、ルミナスという人物が聖剣に選ばれ、魔王を討ったわけですが……」
そこで、ちらりと口元をおさえたままのクライスを見る。
「ルーク・シルヴァと、ディートリヒに、会ったんですか?」
「会ったね……」
歯切れの悪さは、吐き気を堪えているせいなのか、それとも。
判別しかねているようなジュリアに対して、大きく唾を飲み込んでから、クライスはゆっくりと続けた。
「ルーク・シルヴァは僕の恋人で、ディートリヒは弟なんだ」
ジュリアの表情に、目立った変化はなかった。
ロイドは疲れたようにソファに沈み込み、アゼルは身体を折って肘掛に倒れ込んだ。
その反応を視界の隅にとらえ、ジュリアはクライスをまっすぐに見つめた。
「落ち着いてから聞こうと思っていたんですけど、クロノス王子は魔導士ステファノなんですか?」
「ん……!? あれ、そういえば、ジュリアってステファノ、じゃない、ステファノの親戚に弟子入りしていたんだっけ!?」
なんだかそんな話をした、と今さらながらに思い出した様子のクライスに、かんで含めるようにジュリアが言った。
「うちのお師匠様の叔父がステファノで、お師匠様もステファノも魔道士ディートリヒの末裔です」
ぼんやりと見返したクライスの目を見つめ、ジュリアはさらに言い募った。
「魔導士ステファノ、会ってみたかったってお師匠様が言っていました。いるんですね、ここに」
クライスは、小さく頷いて、答える。
「いたんだ。ステファノも、ルーク・シルヴァも、ディートリヒも……」
一瞬、場が静まり返った。
誰もが動きを止めていた。
食事の手を止めて話に聞き入っていたせいもあったが、同時に全員が廊下の気配を探っていたせいでもあった。
「入る」
一言の後、ドアが開けられる。
長い黒髪に、精悍に引き締まった体躯の、品のある青年が部屋に足を踏み入れた。
「おかえりなさい」
「うん」
アゼルが声をかけ、なんでもないように頷くのは部屋主のアレクス。
盛り上がっているとは言い難い四人をちらりと見て、小さく溜息をついた。すぐにそんな自分に気づいたように「悪い」と低い声で呟く。表情が冴えない。
「何かあったの?」
気安い口調のアゼルに対し、その冴えない顔のまま口を開く。
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