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あいつ
マルク
しおりを挟む石造りのだだっ広いホールは政界人を集めて舞踏会にも用いられる。
壁に沿って円を描くように丸テーブルが並び、赤い丸椅子が三脚ずつ。装飾過多のドレスでも立ち上がりやすいようにと、脚をおさめる窪み以外は円柱状になっている。丸太に座っているように見えることからホールは愛称を込めてログハウスと呼ばれる。
呼び始めたのは俺だけど、最上階までの吹き抜けを見上げつつマルクと歩く。向かう先は書斎だが、マルクは俺の前に出ることが許されない。いや、俺が命の危機に教われたときにのみ、身代わりとして前に立つことを許可される。
マルクは鼻息を荒くし、先程の悪戯の説教をなんの文字から始めるか悩んでいるようだった。
それなら俺が切り出してやるよ。
「寝具の着替えを休ませたりしないよな。シュリエント家のクソガキと会食した後は、他の女拝みたくないんだが」
「先に申し上げます。ご無礼をお許しください」
なんだと振り返ると、マルクの手のひらが目の前に舞った。一瞬遅れてホールにビンタの音が響く。
視界が吹き飛ばされたと思えば、よろけそうな体をがしりと掴まれ、姿勢を正される。怒りを押さえる呼気が前髪を揺らした。熱くなる頬に久しぶりの痛みを感じて唇が持ち上がる。
手を出したな。
主に手を出したな。
「マルク」
「主従関係です」
「は?」
両目が訴えるようにギッとこちらを見据える。
「フレデリク様に対し、私とリボーリウスは主従関係を結ばさせていただいております。それは決して命を好きに弄んで良いというおぞましい契約ではございません。貴方が生きていく上で負う必要のない雑務を手伝わせていただくのです。それは……奴隷関係ではない」
「マルク。手を離せ」
両腕を支えていた手から徐々に力が抜け、ふっと落ちた。俺は服の乱れを正すと、鼻が触れそうな位置まで近づいた。後ろに下がろうとする前に動くなと目で合図する。
「お前、それリウスのためじゃねえだろ」
小さく息を呑む音がくすぐる。
俺よりも年を重ね、髭がうっすらと見える顎に指を這わせる。歪んだ眉に気持ちが満たされていく。
「リウスの扱いを許せば、それはお前にも向きうる。自分のために、俺を抑圧しようとした。違うか?」
右から左、耳までなぞって左から右へ。
「わ、私は、言葉を持っています。今のご無礼のように、訴えることが、出来ます。しかし……リボーリウスは違う。言われたことはすべて従う……従えば、貴方はより多くを求めるでしょう。それを止めるとこは許されません。だから、今のうちに提言したまでです。フレデリク様」
指を離し、踵を返す。
不愉快だった。
踵を鳴らして前に進む。
不愉快だ。
こいつは、知恵がある。
落ち着きがある。
行動ができる。
俺の思い通りにならない。
俺に生き方を教えてくる。
不愉快だ。
すぐに後ろに足音が近づく。
口の中に鉄の香りを感じれば、頬肉を歯で切ったようだ。
唾とともに飲み込み、拳を握る。
「マルク」
「は……」
返事の前に思いきり殴り付けた。鈍い音と衝撃がドパッと脳をたぎらせ、ぐらついた頭にもう一発喰らわせる。
マルクは悲鳴を上げなかった。ただ、耐えた。
三発、四発。
鼻血が飛ぶ。
五発、六発。
床に両手をつき、二回ほど不器用にうなずいてバランスを失いゴン、と頭を強打する。
「お、許し……くだ、さい」
俺はマルクの逞しい腹に足をのせて前屈みになった。先程と同じ距離に顔を近づけると、にこりと微笑んでやった。
「許してやるよ。お前はこれ以上、を思うに至らない」
そうだ。
お前は丈夫だから。
何発殴っても大丈夫だから。
違う。
リウスはか弱い。
三発殴れば死ぬかもしれない。
そこがいい。
それがいいんだ。
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