わかりあえない、わかれたい・15

茜琉ぴーたん

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貴方は浸りたいだけ

貴方は浸りたいだけ

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 私はミキ、28歳の会社員だ。大手量販店の本社の事務として働いている。
 仕事はやり甲斐があって人間関係もおおむね良好、昇給も順調だし豊かで快適な生活が出来ていると思う。
 私生活では彼氏もおりハッピーな毎日…と言いたいのだが、そうでもなくなってきた。

「ミキ、大丈夫?座れる?疲れてない?」
「…ありがと、大丈夫だよ」
私は彼氏が引いてくれた椅子に腰を降ろす。
 見届けた彼氏は満足げに笑んで、自分の椅子に座った。
 彼はコウタ、35歳。保険関係の仕事をしており、我々は交際して6ヶ月ほどのカップルである。
「はい、大丈夫かな?開けてあげるね」
「いや、大丈夫よ」
「遠慮しないで、……はい、召し上がれ」
 場所はファーストフード店、そこそこ広いフロアのほぼ中央。
 彼は私の分のハンバーガーの包みを、ご丁寧に開けてくれたところだ。
「…ありがと」
「どういたしまして、もっと頼って良いんだからね」
「……」

 ジェントル、ではない。過保護、も少し違う。
 彼は、私の世話をやき優しくすることで自分を大きく見せているのだ。体ではなく心を、だ。

「美味しい?」
「うん」
「飲み物はここに置いておくからね、」
「…うん」
 彼が私に優しくするのには、理由がある。それは私が疾患を持っているから。つまりは『病気の彼女のお世話を甲斐甲斐しくこなす僕』を彼は演じているのだ。
 これは勘違いでも穿うがった見方でもない。だって、私は自分のことは自分で何でも出来るのだから。

 私はかつて理美容の職を目指していたのだが、シザー練習を重ねているうちに右手の中指を負傷してしまった。最初はたぶん手首の腱鞘炎とか疲労骨折だった。それが指に影響し休ませずに動かしていたところ、ついに使い物にならなくなってしまったのだ。
 手術をして普通に動くようになったものの、引きつりが残ってしまい…繊細な作業のある理美容の仕事は諦めた。そこからは一般の会社員になろうと、今の仕事に就いた訳である。
 疾患と言えば疾患だが、見た目にも分からないし重篤なものでもない。生命に関わるものでもないし、雨の日に痛むくらいで普通に暮らせるのだ。

 さて、付き合い始めの頃に私はぽろっと右手のことを彼に話してしまったのだが、どうやら彼はそこから少しずつ勘違いを始めている。怪我、後遺症、就職難、家族の不理解、職場イジメ…と、段々と私を重症な方向に妄想しているのだ。
 今日だってたかだか簡単な食事をこんなにも世話して、「僕ってば優しいよね、ね、」とドヤ顔を決めている。
 私としては、優しく扱われるのは嫌ではなかったので受け入れていたのだが、まさかこんなに変な進化を遂げるとは思わなかった。というか、進化行程がゆっくりだったので自覚していなかった。

 私たちはマッチングアプリを利用して出逢ったものの、居住地が絶妙に離れており休日のタイミングが合わないためにデートの機会が少ないのだ。初めて会うまでにひと月を要したし、それからも実際に会うのは月に1回ほどである。つまりは、我々は5回ほどしかデートをしていない。
 電話やメールはしょっちゅうだし会話も弾む。お互いの考え方や好きなことなどのデータだけは溜め込んで、デートでさらに深めていく感じだった。
 もっと頻繁に会いたいとも思ったけれど、いい大人なので仕事の兼ね合いなど仕方ない部分も理解できる。歳も歳だし結婚も意識する訳で、だからこそじっくり相手のことを知ろうと思っていた。

 特別に嫌な癖も無くて良い人だと気に入っていたのに、彼は私の扱いにもっと違うものを取り込もうとして来た。
 レディーファースト的な振る舞いから始まって、先回りして私の動線を作るようになった。私の指を摩って「可哀想に」な顔をする。
 妄想に次ぐ妄想、それをロングスパンでやっているのだ。
 もちろん私も明らかに事実と異なることは否定して訂正しているのだが、彼はその場では飲み込むものの芯から納得はしていなかった。「そう思いたいんだよね、でも僕には隠さなくて良いよ」と懐の深い男のフリをする。
 元々が頻繁に会う関係ではなかったので、「次に会う時には改善してるかな」なんて気楽に構えていたのが間違いだった。交際4ヶ月辺りからいい加減にウザくなり、別れを意識し始めた。
 でも会わない時の通話やメールは最高に盛り上がるし楽しいし、私の手を憐れんだりする様子は見せない。なので「次に会う時には」なんて期待を掛けてしまった。
 そして交際半年まで待ってしまった。まだ体は許してないし、後腐れ無く別れる準備は出来ている。もしかしたら彼は紳士ぶりたいから私を求めなかったのかもしれないけど、そろそろ抱きたいからこそ優しくしていたのかもしれない。
 その真意を聞く気は無いけれど、今回もコウタは妄想を爆発させているようだ。

「…あのさ、前も言ったけど、こういうの、もうやめない?」
剥いてもらったハンバーガーを、半分包み直して持ち上げる。
 造作もない、簡単なことだ。私の右手は動くのだから。
「ん?何が?」
「私を過剰に甘やかすというか…妄想し過ぎなんだよ」
「そうかな、ハンディキャップがあるんだから配慮してるだけだよ」
そう来たか、社会的な正論っぽくてポカンとなってしまう。
「……ハンデなんて持ってない。私は貴方と変わらないよ」
「いやいや、前向きなのは良いことだけど、自身を受け入れなきゃ」
「前向きも何も、私は普通にこの手を動かして生きてるよ。働いてるし」
「ミキ、そりゃあ認めたくないんだろうけど、優遇されてるんだからハンデは隠しちゃダメだよ」
「…はぁ?」
 どういうことだろう、彼に対して見せたことのない目を向けてしまった。
 彼は自分のハンバーガーを齧り、
「ミキは障害者枠での雇用でしょ?それを健常者ですって主張したらおかしなことにならない?」
とジュースのストローに吸い付く。
 一定数以上の従業員数を有する事業者には、割合に応じて障害者を雇用しなければならないという制度がある。能力が伴っていれば一般枠の社員と同じ業務がさせてもらえるし、不当に給与が下がるなんてことも無い。もちろん技能・状態によって仕事の幅に制限はあると思うが、適材適所で振り分けて働けるように定めてある制度だ。
 私の部署にも身障者の社員がいるが、パソコン操作も喋りも問題ないから何のしがらみも無く働けている。段差や扉の行き交いに配慮は必要だが、ただそれだけのことだし困ったことなど無い。
 だから障害者雇用枠に関しては全くと言って良いほど無意識というか気にしていなかったのだが…コウタは私もそうだと思い込んでいたようだ。
「…私、健康だし普通に面接とかして入社してるんだけど」
「嘘つかなくて良いよ。右手、麻痺が残ってるじゃないか。会社でも鼻つまみ者になってるんだろ?辛いよな、自分が平気だって思い込みたい気持ちは分かるよ」
「…えーっと、」
 面倒だな、コウタの妄想をひとつひとつ潰していくには言葉を選んで回りくどい道を通らねばならない。
 私の手は大まかに言えば後遺症がある状態だし全くの健康ではないが、障害者と言い切るには方々ほうぼうに失礼だ。疾患の大小で優劣を付けるようなことになりかねないし、「障害者じゃない」という言葉が差別的表現だと思われても困る。
 実にデリケートで配慮の必要な話題だから、片方がこんなに深く思い込んだ状況だと話が横道に逸れて戻って来れそうにない。

 コウタは少しずつ得た私の手の情報から、ストーリーを大きく大きく育ててしまったのだ。しかも、自分に都合良いように。
 もうこれは駄目だな、話して楽しい相手だったけど宇宙人みたいに見える。
「コウタさん、妄想し過ぎだよ」
「え、何が?」
「私は確かにここに後遺症が残ってるけど、生活にも仕事にも支障は無いの。タイピングも出来るし、字も書ける。コウタさんは私のことを可哀想な障害者だって決め付けてるけど、私はそう認定されてない。されてないからそうじゃないって解釈の話じゃなくて、私のこれは制度で庇護されるクラスの障害ではないの」
 ものすごく回りくどい、でも各所への配慮ってこういうことだ。私よりもっと重篤な人がいる、その支障を軽減してあげるのが福祉制度だ。

 コウタは私の説明にキョトンとなって、でも意に介さなかった。
「うん、分かる。障害っていうのは嫌なのかな。言い換えようか、ミキの個性だよね、」
 分かってないなぁ、つい大きなため息が漏れる。
 理解ある彼氏、寛容な彼氏、配慮のできる彼氏…私はそんなのを求めていない。壁際の席が落ち着くのにわざわざフロアの真ん中に陣取るあざとさ、自身の健気さをアピールするためだろう。
 この人は意図してそれをしてるのではなくて、もう無意識なのだと思う。自分の理想の『心身が弱くて僕に頼りきりの女子』を私の表面に貼り付けて妄想しているのだ。
 こうなればどちらが疾患を抱えているか分からないね…などと言えばいさかいになる。障害を貶す訳ではなく、それを傘に手を抜いて生きてるように思われたことが不快なのだ。
 目標を失って、でも勉強して入社した今の会社の私の立場は、「可哀想な私」を押し出して創り上げたものじゃない。私は私のプライドを護らねばならない。

「引きつりがある手は個性かもね。でも何度も言うけど、私は一般枠で入社して働いてるの。間違えないで」
「そんなに自分を大きく見せようとしなくて良いんだよ」
「大きく見せようとしてるのはコウタさんでしょ?電話では普通なのに、こうして会うと私をすごくか弱い可哀想な人扱いするよね。私は自分で自分のことは出来るの。コウタさんは甲斐甲斐しく私の世話をするところを周りに見せつけようとしてる。私をアピールの材料にしないで」
 ここまではっきり言えば思い当たる節があったのか、彼はカァと頬を紅くした。
「そ、そんなこと…」
「会う度に、悪化してる。電話では普通なのに…会うと、私をやたら障害者扱いしてくる」
「しょ、障害者を馬鹿にするのは良くないよ」
「してない。この話の本質はそこじゃない。健康な私に意図しないレッテルを貼らないでって言ってるの。コウタさんの振る舞いは、本当に補助や支援が必要な人に失礼だよ。私にその片棒を担がせないで」

 理解されたろうか、もうどうでも良いか。冷めたハンバーガーをもしゃもしゃ食らって、野菜ジュースで流し込む。
 隣の席に座ったカップルは、私たちの異様な空気に気付いたようで妙に緊張しているようだった。

「……」
「…ごちそうさま。別れよう、コウタさんの妄想に付き合っていられない」
「なっ…」
「人に施して気持ちが良くなるんだったら、福祉のボランティアとかしたらどうかな…その方が良いと思う」
素早く口を拭いて、紙ナプキンをクシャッと丸める。
「ぼ、僕は、ミキが困るだろうから助けてあげただけで」
「頼んでない」
「指、動かないじゃないか」
「動く。見て、動く。引きつりはあるけど、動くの。物も持てるし字も書ける。タイピングも出来るよ、料理も出来る…何度も言わせないで。もし本当に私の指が動かなかったとしても、ここまでして欲しくないよ。私たち、会わない時間が多過ぎて…きっと考え過ぎちゃったんだね、コウタさんは。私はあなたが思うような人間じゃないから、さようなら」
 つらつらと表情を変えずに述べれば、隣のカップルは「わぁ」という顔でコウタに目を向けていた。

 立ち上がり席を離れても、コウタは動かなかった。


「(言えた…)」
 店を出て隣接するドラッグストアに入り、密かに爆上がりしていた動悸を鎮める。言いたいことをぶちまけてしまったし、逆上されたら恐いとも思っていた。
 正直、あそこまで事実を捻じ曲げて情報を都合良く補完して妄想するなんて…言い方は悪いが彼の方が異常だった。
 幸いにも遠距離だから遭遇もしないだろう。自宅に招いたりしなくて本当に良かったと思う。
「(メンヘラ、ってやつだったのかな)」
 そうだったとして、私は彼を助けたり共依存の関係になったりしない。
 優しい人が有り難いけど、そればかり先走っても善し悪しあるなと思い知った。

 通りを確認して、駅まで走った。
 帰りの新幹線ではうかうか眠ることも出来ず、しかし疲れがどっと出て体が怠かった。

 自宅へ帰り親にあらましを伝えると、母は「思い込みが強い人は難しいわよねぇ」と苦笑していた。
 彼の善意が届く相手がいれば良いね、なんて心にも無いことを口にして…私はやっと心が落ち着いたのだった。


 それから、何事もない平穏が戻った。
 連絡手段を絶ったので、コウタからのアクションは無かったように思う。
 人や物を使って自身を良く見せようとする人、もしくは可哀想な人、あるいは頑張っている人に見せようとするタイプの人は一定数いるみたいだ。
 彼の甲斐甲斐しさや行動力は、芯から偽物ではなかったと今でも思う。それを自然な形で与えられ受け取れていたら…違う結末があったのだろう。

 私もぼちぼちしたら恋活を再開しようかと思っている。
 次は弱みになりそうなことは隠して、つけ入られないよう注意する。
 まぁ今回が特殊な案件に当たってしまっただけなのだとしたら、気張り過ぎには注意だ。

 優しさを心から相手のために発揮できる人と出逢えたら良いな、右手をもにもにと摩っては理想のタイプを想像するのだった。



おわり
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