Fragment-memory of future-

黒乃

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第一話

第十八節 運命の女神とユグドラシル教会

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 夢を見た。
 それはいつも見るあの鬱陶しい炎燃え盛る街の夢ではなくて、もっと静かな静寂の夢。何処の空間ともわからぬ場所に、何をするでもなく、ただ一人で佇んでいる。しかし不思議と不快感はなかった。寧ろ安心感さえ感じる空間だ。一体ここは何処なのだろうと辺りをキョロキョロと見回して、遠い場所に何やら湖らしきものが見えるのがわかった。近付いてみると、とても神聖な雰囲気を感じる。とても澄んだ湖だ。この湖は自分は初めて見るはずなのだが、何故だろう、知っているような気がした。

「……き、……ま、すか……」
「え?」

 何処からか澄んだ声が聞こえる。何処から聞こえるのだろう。目を閉じて集中する。

「私の声が、聞こえますか……?」
「この声……女の人?」

 湖の方から聞こえるのは、女の人の声。そしてふと思い出す。自分はこの声を、一度だけ聞いたことがある。いつの日だったか見た夢で、一度だけ聞いた声だ。あの時は途切れ途切れで、何を言っているかわからなかった。今はなんとなくわかる。一つ確かなことは、この声の主は自分たちの敵ではない、ということ。更に湖に近付いて、こちらからも声をかけてみる。

「お前は誰なんだ?なんで、俺に話しかけるんだ?」

 暫くだんまりが続く。どうやらこちらの声には答えてくれないらしい。

「……貴方を、待っています。この湖のほとりで」
「え?ちょっと、おい!?」

 声がどんどん遠くなる。目の前の湖も声と連動するように輪郭がぼやけて、そして何も見えなくなった。

 ******

「レイ……レイ、起きて」
「ん、あ……?」

 意識が覚醒する。多少の微睡みと気だるさを感じつつも瞼を持ち上げれば、エイリークが自分を覗き込んでいる。ちらりと視線を逸らせば、太陽の光が部屋を覗いている。もう朝かと理解して、少し硬めのベッドから起き上がった。

 そういえばと、エイリークと一緒に自分もヤクたちのいるミズガルーズ国家防衛軍に、一緒に保護されたことを思い出す。そして昨日は軍の駐屯地の部屋を用意されたのだ。さらに今日から軍の世界巡礼に、一緒に赴くことになる。昨日エイリークが倒れていた時に説明を受けたことだ。突然のことで驚いたが、目の届くところに自分たちを置いておくのが得策との意見が、ヤクとスグリで一致した。世界巡礼を共にすることを彼に聞けば、自分も聞いているし承知しているから大丈夫とのこと。

「でも、いいのか?港町に行きたがってたじゃないか」
「大丈夫、軍がこれから行くところも俺と同じ港町だったみたいだし。問題ないよ」
「そうか?エイリークがそうならいいんだけど」

 そろそろ出るみたいだから準備しようか。そう言われて、準備を始める。
 それにしても──。

「(あの声の女の人……一体、誰だったんだろう……?)」

 少しの疑問が残るのであった。


 港町ノーアトゥン。
 そこはアウストリ地方でも一、二を争うくらい大きな港町。街の中はにぎやかで、栄えていることがわかる。港に停泊している漁船が見えることから、漁業が盛んなことも窺えた。街のシンボルは大きくそびえ立つ教会。荘厳な雰囲気を遠くからでも感じる。信教者も多いのか、街を歩くと修道服を着ている人もよく見かけた。

 ところで、世界巡礼に赴くミズガルーズ軍は基本的には水陸両用の軍艦を使う。そこそこの大きさがある艦内であるため、停泊させるために通行手続きが必要になる時がある。小さな街や村へ行く時には不要になるが、大きな国や街となると必要になってくる、とのこと。それは世界巡礼を行なっている説明にもなり、停泊中は国外の脅威から国や街を守るという証でもある。面倒かもしれないが、証明書があるとないとでは停泊時に事が起きた場合、有事の際の対応に天地の差が出るらしいのだ。
 今回のように大きな街に赴く時は、軍の先遣隊にその証明書を貰うための通行手続きを行わせているそうだ。その間に、ヤクやスグリ達は街の様子を住民に聞いて周る。問題点があればそれらをまとめてから指示を出し、脅威を排除、もしくは抑制させる。彼ら二人の判断で安全性が確立されたら、次の目的地へ向かう。これが世界巡礼という仕組みでもあるのだという。

 その説明を受けながら、自分たちはヤク達と一緒に街の市長がいるという教会へと赴く。市長邸に向かったら、使用人からそこにいると聞かされたからだ。
 本来なら一般人の自分やエイリークが、軍隊のトップと共に行動することなんてありえない。しかし特別に許可を得て、同行を許してもらえている。それはバルドル族のエイリークを監視しているという、街の人への体裁を守るためでもある。わかってはいる、そうしないとまたエイリークが迫害されるということは。しかし何故こんな、理不尽なことが成り立ってしまっているんだろう。そんな悔しさにも似た気持ちを抑えながら、気分を紛らわせるために話しかけた。

「何かカーサってやつらについて情報があるといいな」
「うん、そうだね。こんな大きな街だから、何かあるといいんだけどなぁ」

 そんな一言二言の会話をしながらついて行けば、教会に辿り着いた。
 中に入れば大理石の床に自分たちが映り、研ぎ澄まされた空間が身を包む。色鮮やかなステンドグラスは、陽の光に照らされて美しく輝いている。奥にある礼拝堂には、巨大なキャンバスに三人の女性が描かれており、まるでその空間を守るように飾られていた。圧巻の一言である。
 市長らしき人物はそこの司祭らしき人物と話をしていたが、自分たちに気付くと礼儀正しく礼をする。

「おおこれは、ミズガルーズ軍の隊長様がたではありませんか。ここまでご足労をかけてしまい、申し訳ございません。私はこのノーアトゥンの市長、ルドと申します」
「いや、こちらこそ申し訳ない。先遣隊に証明書を発行する手続きをさせていたとはいえ、急なことだっただろう。承諾していただき、感謝する」
「礼には及びますまい。世界巡礼でこの地に来ていただいたことこそ、我が街にとって救いにございます」

 なんて人の良さそうな市長なのだろうか。いやそれよりも、改めて軍の影響力は凄いものなのだな、と理解する。そして市長に目がいったのは当然だが、隣にいた司祭らしき人物も気になる。

「ああ、ご紹介いたします。このユグドラシル教会ノーアトゥン支部におきまして、私の政治に協力してくださっております、司祭ヴォータンです」
「お初にお目にかかります。私、司祭のヴォータンと申します。通常はしがない巫女ヴォルヴァをしておりますが、時折ルド様のお手伝いをしております」
「え?巫女ヴォルヴァって男性の人のことも言うの?」

 思わず出た発言で、全員の目が自分に向く。疑わしそうに市長と司祭が見ているが、ヤクが訳あって行動を共にさせていると説明してくれた。納得してくれたらしい二人は、詳しく説明をしてくれた。

 まず、このユグドラシル教会とはユグドラシル教団が設立したことで作られた教会だという。
 カウニスには惑星の内側に、地上より遥か天上には世界樹ユグドラシルと謳われている樹がそびえ立っている。その樹はそこから9つの根を下界に下ろすことで世界に必要なマナを与えている。ある根の袂には巨大な湖が広がり、そこにはある女神が宿っていると言われている。
 それは運命を司るノルンの女神と呼ばれている女神だ。女神は三姉妹の美しい女神と言われており、それぞれ過去現在未来を司る。彼女らは世界の破壊から繁栄を、そして滅亡を謳うと記述に記されてある。彼女たちの言葉は予言として語られ、全ての生きとし生けるもの、ひいては世界を導いたのだ。
 そんな彼女たちを崇め、讃える風習がユグドラシル教団の始まりだという。運命の女神である彼女たちに導かれることで、世界の流転に溶け込み、己を世界の一部として捉える。そうすることで、いかなる困難も女神の導きであると受け入れられる。受動的に見えるが、知らない世の苦しみ、不安からの解放こそ救済であると。
 その思想はカウニスの滅びの歴史を知る人々には現実から逃げている、なんて批判もあるが、何も知らない一般市民にとっては言葉通り救いである。良いことも悪いことも女神の導きである、ならば受け入れるのは道理だと。

 そんな思想を重んじるユグドラシル教団に所属している修道士たちは皆、マナの力に干渉して近い未来を予測する巫女ヴォルヴァなのだと。マナは世界樹ユグドラシルから、常に世界へもたらされるもの。そして運命の女神が住むと言われる湖はマナの根源たる証。叡智の水とも呼ばれている。そんなマナへ干渉できる巫女ヴォルヴァの役割は、その未来の意味を理解し、人々に予言をもたらし導くこと。迷える子羊を優しく見守り、また叱咤する。それがひいては女神の意志に殉ずると、それが教団の巫女ヴォルヴァの教えなのである。巫女ヴォルヴァは誰でもなれるわけではなく、マナの許容量が多く、教団に入団してそれなりの地位を獲得した者に与えられる。ゆえに、巫女ヴォルヴァと表記されているが実は男性の巫女ヴォルヴァも意外と多いのだと伝えられた。

「その巫女ヴォルヴァの中でも、我々が探し求めている人物たちがおります。それが『女神の巫女ヴォルヴァ』と呼ばれる3人の人物です」

 巫女ヴォルヴァは確かにマナに干渉して近い未来を予測することができる。しかしそれらを遥かに凌ぐ未来、または現在や過去を視ることの出来る巫女ヴォルヴァがいるのだという。それが女神の巫女ヴォルヴァと呼ばれる人物たち。その者たちは女神と直接コンタクトが取れる上に、絶対的な女神の予言を授かることができるのだという。その言葉は世界の行く末すら定めてしまう程の強力な言葉であり、教団としては見逃せない事柄である、とのこと。

「本当にそんな人達がいるのか?なんか、眉唾ものだけど……」
「いえいえ、過去には実際に存在したという証拠がございます。後ろのこの絵画は、運命の女神を模したものなのですが、そこに古代文字が描かれておりますでしょう?あれは女神の予言そのものと呼ばれております。古代文字に何が書かれてあるかは、私のような司祭でも読み解くことはできません」
「それが、女神の巫女ヴォルヴァには読み解ける……?」

 その疑問に、はい、と頷く司祭。
 その様子を見てから、もう一度絵画を見て少し動揺した。

「(なんで俺、あの言葉読めるんだ……)」

 自分が女神の巫女ヴォルヴァだなんて、そんなことありえないはずなのに。
 そんな動揺を気にしてか、エイリークが大丈夫かと声をかけてくれる。それに内心驚きつつも大丈夫だと返事をして、頭を振るった。

 運命の女神と、夢の中の女の人。世界の根源たる湖と、夢で見た湖。まさかな。

「……それで、何故市長の貴方はここに?」
「はい……。それが、ここのところ街の近くで不審な事が相次いでおりまして……それで、司祭に近い未来を視てもらおうと思ったのです」
「不審な事……?」

 なんでもここ数日、街の近くでは小さな村が襲われたり、海の魔物が急激に増えて漁業に支障が出ていたり、はたまた街へ輸出するために赴いていた馬車が、何者かに襲撃にあったりするのだという。それら一つ一つが連日のように起こり、何か不吉な事がこの街に迫っているのではないかと、不安になったそうだ。
 魔物と襲撃、その言葉が何かに引っかかるのか、ヤクもスグリも表情が険しくなったのであった。
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