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2章 霊術師 九龍城砦黒議会編
46「ノア」
しおりを挟むヤケにお肌がツルツルな僕とシオンはスナック・ラプラスの店外に出て、後日改めて飲み直す約束をした。
「それじゃあアクセル。ラプラスで起こった事は墓場まで持っていけよ。お前には三人の彼女が居るんだろ? 九龍城砦で起こった事は九龍城砦の外に持っていくなよ。まあ、性病は置いていけないけどな」
「分かってるよシオン。ラプラスの従業員がチクらない限り、僕は今日の出来事を墓場まで持っていくつもりだ。性病についてなら心配ない。僕は体内で化学物質を操る能力を持っているんだ。それにロビンさんは性病持ちじゃあなかったよ」
等と言いながら、僕とシオンは静まり返った三龍棟の繁華街をあてもなく歩き回る。流石に早朝という事もあってなのか、繁華街には人が居なくて、その代わりにファーザーを彷彿とさせる巨大なネズミやカラス、野良猫が道路を走り回っていた。
それから僕は静まり返った市場に座り込み、露店で買わされた魔導具をポケットから取り出す。するとシオンは「その魔導具って邪気祓いの効果が付与された錬成鉱石じゃねえか! ひとつ寄越せよ!」と言って、幾つもある鉱石の中からひとつだけ勝手に奪っていった。
「それ、一個銀貨三枚もしたんだけど」
「そりゃあ、呪術師と錬金術師が力を合わせて生み出した、魔導具に嵌める為の錬成鉱石だからな! ちょっと見てろよ……」
シオンはハーネスに着けていた小刀型の御守りに錬成鉱石を嵌める。すると、小刀型の御守りが紫色に輝きだした。
僕には鉱石が輝いただけにしか思えなかったが、シオンはクリスマスプレゼントを貰った子供のように喜んでいる。
自分よりひと回り年上の男性が喜んでいる姿を見て少しだけ悲しくなったが、それよりもシオンがベネディクトさんのように思えて仕方がなく、僕にとっては彼が幸せそうでとても嬉しかった。
「魔導具ってのはな。その場の環境や持ち主の影響、倒した相手によって別の道具に変わっちまうんだ」
「別の道具?」
彼はハーネスで繋がれた小刀の魔導具を摘まんで引っ張り、僕にハッキリと見えるように目の前に持ってきてくれた。
シオンの話によると小刀の魔導具は現在【忌具】と呼ばれる、呪具より強力で危険なモノに変化しているらしい。それは九龍城砦に漂う劉峻宇の呪力の影響や、強力な魔物を倒すことで魔物の魔力を吸収してしまって呪具が【忌具】へと変化してしまったそうだ。
「そんな危ないのなら、アンクルシティの壱番町に居る専門の機関に預けちゃいなよ。そうすればシオンだって楽じゃん」
「バカ野郎。これは俺の家族が残してくれた唯一の形見なんだ。それに身内が犯した罪は身内が償うのが筋ってもんだろ!」
彼はそう言い、僕の頭を『ポンッ』と叩いて、更に錬成鉱石を幾つかさりげなく盗みやがった。
「シオン。合計四個だから金貨一枚と銀貨二枚ね」
「ケチな坊主だな。お前の彼女に『ロビンさん』とあんなことやこんなことをしたってバラすぞ?」
ぐぬぬ。まさか弱味を握られるとは思わなかった。
本当に最低な男だ。僕も最低な男だが、チクリをするほど最低な男ではない。
「そういうのズルいよ。チクリ屋は嫌われるよ」
「冗談だよ。なあ、アクセル。お前も二日後の【闘技大会】に参加するんだろ?」
シオンは何の前触れもなく、九龍城砦の壱龍棟で行われる【闘技大会】の事を尋ねてきた。勿論、彼も九龍城砦で活躍する便利屋だから闘技大会のことは知っていて当然なのだろう。
僕は唇をぎゅっと結んで俯いた後、少し悩んで彼の問いかけに答える。
「多分、出るかもしれない。僕が闘技大会に出場するのは『色々な人達』にとってメリットがあるからね」
「また面倒臭い事情が絡んでるのか。十六歳の坊主のクセに大変だな」
彼はそう言って僕の頭に手を乗せて、髪の毛をグシャグシャにしてきた。
男性に頭を撫でられた? 髪の毛をグシャグシャにされたのは初めてだ。
相手が女性でもないのに、何でこんなにドキドキしているのかサッパリ理解できない。
シオンはとてもイイ人だ。
こんなお兄さんがいたら良かった。
そうすればベネディクトさんもシオンに怒られて独立なんかしなかっただろうし、ベネディクトさんは正しい道を歩んで僕の代わりにジャックオーを名乗っていたかもしれない。いや、この場合だとシオンがジャックオーの名前を受け継いでいたのかも。
何にせよ、イザベラ師匠は余り物の僕ではなく、シオンかベネディクトさんのどちらかをジャックオーに選んでいたはずだ。
「じゃあ、お前もそろそろ黒議会の時間だろ? さっさと九龍棟に戻れよ」
僕がブツブツとくだらない事を呟いていると、シオンが勢いよく背中を叩いてきた。まるで僕に喝を入れているようだった。
それから僕はシオンと別れて奴隷商人の店に寄り、オーガ娘の状態や長期治療の様子を確認しにいく。
「カナデさーん。お邪魔しまーす」
「はーい! アクセルさんですねー! お待たせして申し訳ありません!」
薄暗い店内に入ると早速、アンティーク調の潜水服に身を包んだカナデさんがやってきた。
彼女の潜水服は真鍮製で至る所にパイプが繋がっており、性別が判断できないような装いをしている。声も専用の変声魔導具を使用しているのか、機械的で中性的な声色をしていた。
「おはようございます、奴隷商人さん」
「カナデでいいですよ。アクセルさん」
「良いんですか? カナデさんって女性っぽい名前な気がしますけど」
「金貨を五十枚も出してくれた方には文句なんて言えませんよ。オーガ娘の様子を見ますか?」
カナデさんがそう尋ねてきたので、僕は小さく頷いて店の奥へと向かう。するとそこには牢から浮遊型ワゴンに移された、オーガ娘の姿があった。
オーガ娘は歩み寄ろうとする僕を見て酷く怯えており、カタコトな人語で『キラナイデ……キラナイデ』と呟き続けている。
「まあ、仕方ないよな。カナデさん。オーガ族の言葉って普通の魔族の言葉とは違うんだよね?」
「確かに違いますね。オーガ族は魔大陸でも特に古い言語を使う種族でして、私もオーガ族の言葉を理解するのは大変だったんです」
なるほど。オーガ族は魔族の中でも古い魔族の言語を使う種族か。
というか、カナデさんはオーガ族の言葉を話せるのか。それじゃあ――。
僕はポーチの中から十枚の金貨を取り出して、机の上に積み重ねる。その後、カナデさんに『追加で十枚の金貨を払うので、カナデさんが知っている限りのオーガ語で構いません。僕にオーガ語を教えてください』と頼んだ。
「オーガ語を教えるだけで金貨十枚ですか!?」
「あーっ……やっぱり足りないですか?」
カナデさんは奴隷商人だ。それに今日の黒議会の午後の予定は、闇市場への参加と奴隷売買への参加だ。恐らく、その闇市場と奴隷売買にはカナデさんも参加するに違いない。
仕方ない……もう十枚プラスして頼んでみるか。と考えていた矢先、カナデさんは『そうおっしゃると思って既に用意してました!』と言って、首輪の魔導具と分厚い本を何冊もテーブルに並べ始めた。
「この魔導具は人語をオーガ語に翻訳する翻訳機です! それでこちらの本は中央大陸で仕入れたオーガ語の翻訳本になります!」
「なんだか随分と準備が良すぎるな……」
オーガ娘の値段は小銅貨一枚だ。
もしかすると、この流れだと魔導具と本の値段はバカ高いんじゃないのか?
等と考えながら僕は潜水服を着たカナデさんのヘルメットをじっと見つめ、差し出そうとした金貨十枚の山を引き戻そうとする。その直後、彼女は僕の手のひらを掴んで『金は天下の回りものです。ズルいですよ、アクセルさん』と言い、僕が差し出した金貨十枚を強引に奪い取った。
「この奴隷商人め! 僕が寛容な男じゃなかったら訴えてるところだぞ!」
「仕方ないじゃないですか! こっちだって商売でやってるんです! 痒いところに手が届くのがウチの魅力なんです!」
仕方ない。オーガ娘の値段と魔導具や本の値段を合わせて金貨六十枚か。オーガ娘にはたくさん働いてもらう事にしよう。
それから僕は首輪と化していたパンプキンをリストバンドに変化させ、ガントレットに巻きつける。その後、カナデさんから買い取った魔導具が本当に機能するのか確かめるために、首に装備してオーガ娘に話しかけた。
「あ……あ……オーガ娘……オーガ娘。僕の声が聴こえる?」
「……うん」
先ほどまで酷く怯えていたオーガ娘は、僕の言葉に返事をしてくれた。
どうやらカナデさんから買った魔導具はちゃんと機能しているらしい。だが所詮、魔導具は魔力を使用して使う道具でしかない。
僕は魔術が発動できない。
つまり魔導具もマトモに扱う事ができなかった。
それから首輪の魔導具は魔力の供給を絶たれた事で機能しなくなり、翻訳機能を終えてただの道具に戻った。
僕はカナデさんに魔導具を差し出して「出来るだけ魔力を込めて下さい。僕は魔術が使えないんです」と言い、オーガ娘が乗った浮遊型ワゴンのハンドルを引いて行く。
「意外です。アクセルさんって魔術が使えない体質なんですね」
「……なんでもできるタイプだと思った?」
指を突き合うカナデさんの前で立ち止まり、ヘルメットを被った彼女の瞳を真っ直ぐ睨みつける。すると彼女は蛇に睨まれたカエルのように動かなくなり、僕が笑みを溢すまで呆然と立ち尽くしていた。
「えっと……失礼な事を言って申し訳ないです。悪気があって言った訳じゃなくて――」
「大丈夫だよ。魔術が使えないだけで、他の術式は使えるちゃんとした術師だからね。さっきからかってきたから、そのお返しのつもり!」
「ああ、ビックリしました! 本当に驚かせないでくださいよ! 潜水服のヘルメット越しに私の瞳をハッキリと睨み付けてきたのは、貴方が初めてですよ!? 心臓が止まっちゃいそうでした!」
「止まらなくて良かったよ。カナデさんとは長い付き合いになりそうだからね」
それから僕はカナデさんに奴隷商人の店の外まで見送ってもらい、今日の午後に行われる闇市場と奴隷売買に関する情報の一部を教えてもらった。
「収容所に囚われている人物を助けたいんですね」
「まあね。今日の奴隷売買でその女の子が売り出されると思うから、何か注意しておく事があれば教えて欲しくて」
カナデさんは奴隷商人の中でも凄腕の人物だ。
魔大陸の奥深くに住んでいるオーガ娘を商品として扱うプロの奴隷商人。そんな彼女の助言を金貨六十枚で受ける事ができるのなら、オーガ娘との出会いもやっぱり運命だったのかもしれない。
「奴隷を買う時に注意しておくポイントは、競りの相手に感づかれないことです」
「感づかれないこと?」
「はい。闇市場や奴隷売買に参加する富裕層や貴族は『相手に屈辱を与える』ことだけを考えて競りに参加しています。特に相手が女性であったりプライドが高そうな人物であれば、尚更相手は競りに勝とうと大金を費やしてまで商品を落札しにいきますからね」
「待てよ……大金を出す相手ってどんな相手なんだ?」
僕がそう尋ねると、カナデさんは俯きながら「アクセルさんが『ジャックオー』という存在になっても敵わないほどの金額をドブに捨てるような相手です」と呟いた。
カナデさんの話によると、九龍城砦の奴隷売買や闇市場に参加するのはアンクルシティの住民だけではなく、地上の住民や地上の富裕層や貴族といった、僕でも手の届かない存在であるらしい。
クソッ垂れ。ソイツらに目をつけられれば終わりだ。
今日の午前中の黒議会は【術式の開示】と【個性の開示】だ。
ゆっくり休めたのは良いけど、この情報をレンウィルやユズハ先生に教えないと何も作戦が練れない。
等と考え込んでいると、僕の脳裏にシオンの『気負いすぎるなよ』という言葉が再び過った。
カナデさんがヘルメットを脱いで不安そうな眼差しで見つめてきたので、僕はひと呼吸を置いて微笑み返す。その後、彼女から翻訳機の魔導具を受け取った。
「魔力を注いでくれてありがとうございます」
「アクセルさん。奴隷売買の件は大丈夫ですか?」
「うん。なんとかやってみる。僕は依頼人を裏切らない『ジャックオー・ダルク・ハンドマン』だからね。必ずなんとかしてみせるよ」
「そうですか……貴方と出会えて良かったです。また何処かで会いましょう!」
ヘルメットを被り直したカナデさんに手を振り返し、僕と浮遊型ワゴンに乗ったオーガ娘は三龍棟を後にする。彼女が乗せられたワゴンの中には、カナデさんから買ったオーガ語を人語へ人語をオーガ語へ翻訳する本が置かれている。
浮遊型ワゴンのハンドルを片手で押しながら首輪の魔導具に手を当て、翻訳機を起動させた僕はオーガ娘にそっと話しかけた。
「僕の名前はアクセルだ。僕がお前の新しい主人だよ」
「アクセル……」
「そう……僕の名前はアクセル。お前の名前は?」
「名前……忘れた……何も覚えてない」
「そうか」
「アクセル。私とセ○クスしたい?」
「いいや。したくないよ」
「じゃあ……私の右腕を切りたいの?」
「切らないよ。セ○クスもしないし腕も切らない」
「じゃあ、何がしたくて私を買ったの?」
「さっきから質問ばっかりだな。僕が質問してもいいか?」
「私は自分の事があまり分からない。答えられる事には答えてあげる」
「じゃあ、まずは年齢を教えてくれ。大体でいい」
「私の年齢は百五十歳ぐらい」
その場で立ち止まってオーガ娘の瞳をじっと見つめる。
「へいオーガ娘。魔族の……いや、オーガ族の百五十歳って人族に換算すると何歳ぐらいだい?」
「そんなの私にも分からない……」
「分かった。じゃあ……質問を変えよう。オーガ族の成人は何歳からだ? それと子供が産めなくなる年齢は何歳からだ?」
「オーガ族は二百歳で成人を迎える。それと子供が産めなくなる事はない。昔、私を飼っていた男は私を何度も孕ませていたからな」
二百歳が成人……か。胸糞悪いな。
オーガ娘の年齢が百五十歳。つまり今の彼女は未成年。
いつから娼館で働いていたのかは分からないが、相当長い間働いていたに違いない。
「僕の年齢は十六歳だ」
「私よりも歳下だな。本当にセ○クスしたくないのか?」
ああ、面倒だな。
いや、ロビンさんの言葉を思い出せ。
女性は繊細な生き物なんだ。ここは僕が大人になろう。
「したくない。僕はそういう目でお前を見てない。それより年上のお前を『お前』って呼ぶのはなんだか気分が悪い。本当に名前が思い出せないのか?」
「二度も言わせないでくれ。私の体にはあらゆる覚醒物質が流れていた。昔のことが何も思い出せないんだ。覚えているのは【男をどうやって慰めるか】ぐらいなんだ」
慰め物――か。
五番街の繁華街でも娼婦は居るけど、オーガ娘が居た娼館は想像を絶する環境だったに違いない。それに前の飼い主とやらが彼女に行ったことは犬畜生にも劣る行為だ。
アンクルシティに住んでいるのなら、タダでも殺してやる。
「分かった。じゃあ……【ノア】って名前はどうかな?」
「ノア? それって誰かの名前か?」
オーガ娘が尋ねてきたので、「ノアは箱舟を作った人類初のエンジニアだと言われている人間の名前だよ」と答える。
「実は話してなかったけど、こう見えて僕は蒸気機関技師なんだ。ノアを買ったのはノアの足と腕を作ってみたかったからだよ」
「私の足と腕を作りたいの? どうして? なんでアクセルは初めて会ったばかりの私に優しくするんだ?」
浮遊型ワゴンに備えられた手摺りに捕まり、起き上がったノアは僕の顔をじっと見つめてきた。もしかしたら必要以上の優しさを受けて、苛立っているのかもしれない。
彼女の表情からは驚きや強い不満、怯えさえも感じ取れた。
応援ありがとうございます!
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