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件名:お試しボルゾイ生活、一泊二日無料体験のご案内
しおりを挟む村の外れに、その洋館は佇んでいました。
古びたレンガ造りの壁は黒ずみ、朽ちかけた木製の扉が重々しく閉ざされております。まるでこの屋敷自体が、住人を拒むかのような冷たさを放っていたのです。
しかし、その中には確かに生きた気配がありました。屋敷の周囲には村の他の建物とは異なる雰囲気が漂い、そこだけ時間の流れが違うように感じられる。
私はリアンさんの顔を覗き見ました。
彼女は少しだけ息を吐き、辺りを見回すと慎重に扉へと手を伸ばします。
「……静かですね。今のうちに入りましょう」
リアンさんは鍵を使って扉を開けると、私を中へと誘い入れました。屋敷の中は薄暗く、微かに埃の匂いが漂っていたのを今でも鮮明に覚えています。
「掃除が行き届いていませんね……」
私は静かに足を踏み入れ、彼女の後を続きました。
「今は家族に見つかりたくありません。静かに……」
彼女は慎重に足音を消しながら、長い廊下を歩き始める。
しかし——。
「おや? リアン、それは何だ?」
突如、廊下の奥から声がしました。
リアンさんの動きが止まる。
廊下の奥から、背の高い女性がこちらを見ているのです。彼女はリアンさんを一瞥すると、次に私を睨んできました。
そして、眉をひそめたのです。
「……その大きな動物は何なの?」
また犬扱いです。
そんなに似ているのでしょうか?
リアンさんが小さく溜め息をついた。
「違いますよ、ヒナギク母上。ボルゾイです」
違いますよ。私は多分オオアリクイです。
「ボルゾイ⁉︎ いや、これはどう見ても――」
「ボルゾイです」
ヒナギク様は、一瞬言葉を失った。
そして、改めて私を見つめたのです。
「……本当に?」
「本当です!」
私はつぶらな瞳で幾度か瞬きをしました。しかし、今は訂正するべきではないのでしょう。
リアンさんがどう言い訳するのか、見ものですね。
彼女が杖を肩に担ぎながら足早に奥へと進みます。私はその後を静かに歩きました。
そして、たどり着いた先に広がるのは、書物と魔導具が所狭しと並べられた広間でした。その中央では、1人の女性が私たちを待ち構えていますね。
長い深緑の髪。その背筋は凛としており、ただ立っているだけで、確かな威厳を感じさせたのを今でもハッキリと覚えています。
「珍しいわね。これってオオアリクイでしょ? どうして屋敷に連れてきたの?」
ここにきて驚くとは思いません。
私は正しく認識されたんです。
リアンさんが小さく咳払いする。
「ヒナギク母上、彼女をここに住まわせたいんです」
「却下」
残念な結果ですが、当然でしょうか。
ヒナギク様の即答でした。
しかし、リアンさんが反論します。
「母上、話くらいは聞いてください」
「リアン、あなたは昔から動物を拾ってきては飼おうとする癖があるわね」
「違います! 彼女は動物ではありません!」
私はそのやり取りを静かに聞きながら思いました。
あら、動物ではない……?
つまり、私はペット枠ではなく家族枠なのでしょうか?
ならば、それはそれで悪くはありませんね。
「……そうね、犬だったわね」
「ボルゾイです」
「ああもう……ボルゾイだったわね」
ヒナギク様、納得しないでくださいましッ‼︎
彼女は溜め息をつくと、リアンさんを見つめました。
「本当に言うこと聞かないんだから……どうして彼女をここに?」
リアンさんは少しだけ躊躇った後、真剣な声で言います。
「彼女は、転生者によって住む場所を焼かれた被害者です」
ヒナギク様の目が僅かに細くなりました。
沈黙が落ちる。
けれど私は、彼女の視線が揺らいだのを見逃しませんでした。
そして——。
「誰に似たんだか……一晩だけよ」
ヒナギク様が静かに告げて立ち去ると、リアンさんは満面の笑みを浮かべました。
「ありがとうございます、母上!」
「……はぁ。好きにしなさい。でも、明日の朝にはちゃんと出ていかせなさいよ?」
「ええ、大丈夫です! たぶん!」
リアンさん、多分とは?
そのまま私の方を向き、彼女は嬉しそうに頷きます。
「さあ、御夫人。まずは治療をしましょう」
「……治療?」
リアンさんは何かを考えるように暫く沈黙し——。
「森の鎮火で私も汗をかきましたし、お風呂に入りましょう!」
「……え?」
治療にお風呂とは?
どうしてそうなりましたの?
突然の提案でした。
私は思わず首を傾げます。
彼女に連れられた浴室は、広々とした石造りの空間でした。浴槽の中には水が張られており、微かに湯気が立ち上がっています。
「では、準備をしますね」
リアンさんは杖を取り出し、浴槽へと向ける。
「怪異の祝福をこの水に——適温まで沸き上がれ」
詠唱が終わると水面が揺らぎ、一瞬で湯気が立ち上がりました。適温の湯が、魔法の力で完成したのです。
私はその様子を眺めながら、静かに頷きます。
「魔法とは便利ですね」
「でしょ?」
リアンさんは満足そうに笑いながら、丈の長い魔導衣の襟元に手をかけました。そして、ゆっくりと衣を脱いでいくのです。
「……?」
そして露わになったのは、しなやかな白い肌と細く整った肢体。けれども彼女は何も気にする様子もなく、長い髪をかき上げながら振り向きました。
「さあ、入りましょう」
私は、ほんの少し考えた後——。
「……では、お邪魔します」
浴槽に入ると、じんわりと温かい湯が体を包み込みました。そして次の瞬間には、全身の傷がゆっくりと治癒されていく感覚を覚えたのです。
「……これは?」
リアンさんが隣で頷きます。
「母上から教わった治癒魔法の効果です。湯に浸かることで、体が癒えるようになっています」
私は気持ち良さのあまり、ゆっくりと湯の中に身を沈めます。
「これはなかなか……良いですね」
ふむふむ。
これはまるで、高級な泥浴びのような?
それとも、これは温かい蟻塚?
いいえ、そのどれとも違いますわね。
「……なるほど、これが文明の力ですのね」
湯に浸かるのは初めての経験でしたが、思った以上に心地よいものです。
リアンさんが湯に浸かりながら、どこからともなく黒く四角い物体を取り出しました。
「……リアンさん?」
「ふふっ、いいでしょう。これで……」
ニヤリと笑みを溢す彼女の手元を見つめます。
――何を企んでいるのかしら?
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