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第一章
第十八話 魔法概論
しおりを挟む「クリス君!」
穂積は桶を放り出して蹲るクリスに駆け寄った。クリスは白い顔をさらに蒼白にして脂汗を掻き、ぜぇぜぇと呼吸が荒い。
(どうしたんだ!? 熱中症か!?)
原因は判らなかったが明らかに体調不良だ。穂積はクリスを抱え上げると、一段一段、階段を下りていく。焦って転んだりしたら目も当てられない。自分の体力は全快していないし、何よりクリスを抱えているのだ。
船乗りの格言に『片手は船の為、片手は己が為』というのがある。潜在的な危険が付きまとう船上での安全意識を説いたものだ。
居住区へ戻ると医務室へ入り、昨日まで穂積が寝ていたベッドにクリスを横たえ、ゼクシィを探して足早に居住区を進む。
「先生! ゼクシィ先生!!」
廊下の向こうにのしのしと歩く姿が目に入った。
「ジョジョさん!」
「おお。ホヅミのあんちゃん。血相変えてどうした?」
「クリスの様子がおかしいんです! ゼクシィ先生を知りませんか!?」
「なに!? ゼクシィならさっきまで食堂にいたぞぉ!」
「そうですか! 失礼!」
ジョジョの筋肉を押しのけて無理やり通り抜ける。ジョジョも壁に貼りつくように避けてくれたので何とか抜けられた。
足早に食堂へ入るとお茶を啜っているゼクシィを見つけた。
「ゼクシィ先生!」
「ホ、ホヅミン!?」
一瞬、嬉しそうな顔をしたゼクシィだが穂積の様子を見て真剣な顔になる。怜悧な医師の雰囲気に当てられ穂積も気持ちを落ち着けた。
「どうしたの?」
「クリス君の様子が急におかしくなりました。今は医務室に寝かせています」
「わかったわ。すぐに向かいましょう」
廊下を医務室に向かって進むと肉壁。先ほどの焼き回しのように通り抜ける。
「ジョジョ。船長に報告してくれるかしら? クリスの『アレ』よ」
「おう!」
ジョジョは船長室を目指してのしのし階段を登っていった。
「ホヅミン? どういう状況だったか聞かせて」
歩きながらゼクシィに体調不良に陥ったクリスの症状を報告する。
「魔法で真水を精製していました。何度か繰り返したところで、突然、苦しそうに蹲ってしまいました。発汗があり、呼吸は荒く、発熱はありません」
「……」
「熱中症かと思ったのですが、それほど長時間、外に居たわけでは……」
「……間違いないわね。まったく、あの子ったら」
(持病があるのか?)
医務室に到着した。ゼクシィは手速くクリスの服を剥ぎ取ると晒を解き、診察を始める。
(え!?)
晒の下には小さな二つの膨らみがあった。
「ホヅミン? 悪いのだけど……」
「は、はい。扉の前で待機していますので」
「ありがとう。声掛けるから」
「わかりました。よろしくお願いします」
穂積は医務室から出ると扉を閉めて、廊下の壁に寄りかかる。
(……女の子だったのか)
クリスの短い髪や『ボク』という一人称から男の子だと思い込んでいた。幼い顔立ちは中性的ではあったが、考えてみれば女の子っぽい仕草も見受けられた気がする。
(しかし、なぜ、誰も指摘しなかったんだ? それに晒で押さえつけなきゃいけないほどでは……)
未発達な乳房は服の上からでも多少わかる程度だろう。擦れて痛いなら簡易的な乳当てで事足りる。無理して晒で押さえつけるようなことは普通しないのではないだろうか。思春期の女性のそうした事柄に明るくない穂積でも不自然に感じる。
(……男子のフリをしていた?)
理由はわからないがおそらくそうなのだろう。誰も指摘しなかったのは言うべきではないと判断したということ。
(俺は何も見ていない。今まで通り『クリス君』だな……)
どんな事情があるのかはわからない。しかし、本人が隠したがっているものを根掘り葉掘り探る趣味はない。
クリスは成長期だ。やがて隠し切れなくなるだろう。その時にクリスがあまり悩まないよう、自ら言い出せるようにしてやるのが大人の対応だ。その時までこの船に居られるかは分からないが。
(それは置いておくとして、問題は不調の原因だな……やはり魔法関係の話か?)
「ホヅミ」
「ビクトリアさん」
廊下の向こうからビクトリアがやってきた。表情から察するに、クリスの異変に心当たりがあるようだ。ゼクシィも言っていた『アレ』のこと。
「すまん。やはり言っておくべきだった」
「繊細な問題なんでしょうが、持病があるなら教えておいて欲しかったですね」
「お前さんがここにいるということは」
「俺は何も。ゼクシィ先生から出ておくように指示されただけですので」
「そうか。感謝する」
やはりクリスの問題についてはビクトリアにも忸怩たる思いがあるのだ。彼女でも容易に解決できない難しい問題なのだろう。
その時、医務室からゼクシィが出てきた。ゼクシィはビクトリアを見ると頷いて軽く微笑む。
「大丈夫よ。もう落ち着いたかしら」
「よかった! ゼクシィ先生、ありがとうございました」
「いいえ。ホヅミンには謝らないと。クリスなら自分でコントロールできると思っていたわ」
「そう指示したのはオレだ。オレの判断ミスだな」
「説明していただけますか?」
「わかった。船長室で話そう」
「ゼクシィは念のためクリスを看ているわ。いつも通り、少し寝てれば回復すると思うけど」
「ふむ。ホヅミ、ついてこい」
穂積はビクトリアについていき、船長室の応接テーブルで向かい合った。
「さて、一応、現場で起こったことを聞いておこう。順を追って話してくれ」
「はい」
クリスから水汲みと精製の仕事を一通り教わった後、手分けして作業を進めたことをビクトリアに報告した。
「……それで、何回目かに水桶を持って踊り場に戻るとクリス君が苦しそうに蹲っていました」
「なるほどな」
「原因はなんです? 何かの病気ですか?」
「カカっ。お前さんが思うっているようなものではない。時期に回復するぞ。心配は無用だ」
ビクトリアは軽快に笑い深刻な雰囲気を払った。穂積の心労を思ってのことだろう。ビクトリアの気遣いに感謝して微笑みかけると空気が緩む。
「では?」
ビクトリアは脚を組んでしばらく思案する。どう説明したものかと考えていた。
「お前さんの世界には魔法は無いんだったな?」
「空想の産物です。少なくとも俺は実在しないと思ってました」
「その空想の中では魔法とはどういったものだった?」
「大雑把に言うと『物理法則を無視した超常の現象であり、人間が制御することが可能で、発動する際には魔力というエネルギーを消費する』というのが一般的な解釈でした」
「ふむ。基本的にはそのイメージで大きな齟齬は無い。クリスの抱える問題は魔力消費に関することだ。ホヅミが状況を理解するためには、まず魔法がどういうものか知らねばならん」
「……」
穂積はビクトリアの説明を聞き漏らすまいと集中する。メモ帳とボールペンを用意。
「何やってるんだ?」
「メモしようかと」
「メモ?」
「備忘と整理のためです。記録を取ったらマズいでしょうか?」
「……構わないが」
「どうも」
穂積が記録を取らせろと言ってきて面食らうビクトリアだったが、咳払いを一つして話し始める。
「すべての人間には魔法適性と魔力容量がある」
「魔法適性は、一般的に熱量・運動・強化・生体・精製の適性に分かれる。これを五大魔法と呼ぶ。適性は聖痕に依存し、稀に複数の聖痕と適性を持つ者も生まれる」
「それぞれの適性については……口で言うのがめんどくさい。それ貸せ」
「お願いします」
穂積からメモ帳とボールペンを受け取るとビクトリアは五大魔法の特性を箇条書きにしていった。
「こんな感じだ」
――――――――――
熱量魔法 熱量を操る魔法。 火炎を生じたり、凍結させたりできる。
運動魔法 運動量を操る魔法。 風を起こしたり、水を動かしたりできる。
強化魔法 物質を強化する魔法。 武器や防具の強度を上げることができる。
生体魔法 生物の肉体に作用する魔法。 傷の治癒や毒・病気の治療ができる。
精製魔法 物質を精製する魔法。 海水から真水を精製できる。
――――――――――
ビクトリアの説明書きを流し読みしていく。やはりイソラの『概念魔法』(言語理解)は文字にも作用するようだ。
(それにしても……スペックとユーティリティが合わんな)
どの魔法も『定義』は物凄いことが書かれている。正に神の御業だ。それに対して『運用』はお粗末なもの。本当にこの理解が一般的なものなのか非常にあやしい。
穂積がゲンナリしていると、ビクトリアも何が言いたいか分かっているようだった。
「言っておくが、オレの理解が浅いわけじゃないぞ」
「なんというか、ちぐはぐですね。で、聖痕ってなんですか?」
「……まぁ、いいか。ホヅミだしな」
「どういう意味です」
「気にするな。おほん。聖痕とは、神代の時代に人が女神から与えられたものだ」
「ビクトリアさん。俺はロマンの大切さは理解しているつもりですが……」
「ホヅミ。これは本当の話だ」
「……あとでその類の詳細がわかる本を貸してください」
「オレに喧嘩売ってんのか? 信仰の対象である女神の伝説を『その類』扱いか」
「本当に信仰心があるなら『様』をつけてください」
「…………まぁ、いいか。ホヅミだしな」
ビクトリアは右手を掲げると熱量魔法を発動する。『焼かれる!』と思った穂積はギュッと目を瞑った。
「ちゃんと見ろ」
「……あれ? 焼かれて……ない?」
「オレをなんだと思ってんだ!」
「高貴で気高く、聡明で優しくて、かわいい美人船長と思っております!」
「変なやつ……まったく」
(あ。褒められて赤くなってる……益々、……この人はホント)
「で? なぜ突然、癇癪を起したんです?」
「お前ぇ~! いい加減にしないと消すぞ? ……でも、まぁ、ホヅミだしなぁ」
「もしかして魔法を出すときに光る線がポイントですか?」
「ポイントって……そうだ。あれが聖痕の光だと言われている」
「なるほど。ということはビクトリアさんも女神から聖痕を?」
「そんなわけあるか。聖痕は遺伝するんだ。だから極々稀に両親から二つの聖痕を受け継ぐ者もいる」
「ははぁん。俺の厨二魂が呼び覚まされてきましたよ!」
「なんだ? 『ちゅうにだましい』って」
「厨二とは、俺の居た世界にありながら本気で魔法を信じている者たちの総称です」
「それは愚か者というのではないか?」
「よくおわかりですね。その期間が長ければ長いほど大人になってからハンデを背負うことになります」
「カカっ! オレもお前さんから見れば『ちゅうに』ということか?」
「かわいい魔法少女は至宝ですよ! 大人になってもその価値は変わらないと俺は思います」
「……」
「で、おそらくですが、聖痕は世代を経るごとに劣化し魔法それ自体が弱体化したのでは? あるいは、魔力容量の極端な減少によって魔法本来の性能を発揮できなくなっているのでは?」
「……後者が正解だ」
「ということは、クリス君の場合、魔力容量が小さくて使い過ぎると欠乏症に陥ってしまうと?」
「当たらずとも遠からずといったところだ」
「……ひょっとしたらですが、クリス君の魔法は優秀過ぎるのではありませんか?」
「ふむ。なぜそう思う?」
穂積はクリスの精製魔法を見て感じた考察をビクトリアに説明した。
「なるほど。クリスにそんな才能がな。気付かなんだ」
普通の精製魔法では容器の内面にびっしり塩が付着するという。塩と不純物を分けて一点に結晶化させるなど不可能とのことだった。
「それは確かにすごいことだ。だがクリスでは宝の持ち腐れにしかならん」
「原因は魔力容量が小さいことですか? それとも、優秀過ぎて消費が激しい?」
「どちらでもないな。クリスは魔力の回復速度が極端に遅いのだ」
「タンクは大きくても底に穴が空いていて水がなかなか溜まらない、というようなことですか?」
「わかりやすい例えだな。そのとおりだ。しかも特大の大穴で、塞ぐことは不可能ということだ」
この世界にあって、クリスの背負ったハンディキャップは重度の障害者と同義だろう。現実はあまりにもクリスに厳しすぎる。
「クリスはこれまで自分の中の魔力保有量を把握し、それに合わせて真水精製の仕事をやっていた。上手くコントロールできるようになるまでは何度も魔力欠乏に陥った。今回のようにな。そうなれば肉体にも影響が出る。クリスに肉が付かない原因はそれだろうと、ゼクシィは推測していた」
(クリスが本船の補水を行うのは正に命懸けということか……)
「……そのリズムを俺が狂わせてしまった」
「それは違う。クリス自身のミスだな。……きっと嬉しくて張り切ってしまったんだろう」
「え?」
「クリスはお前さんに随分と懐いていたじゃないか。今でも信じられんぞ。あのクリスが……」
確かに懐かれてはいたが年相応の子供のものだった。なぜ、信じられないとまで言うのかわからない。
「ビクトリアさん。クリス君の他にも精製魔法を使えるクルーはいないんですか? 正直、本船最大の懸案だと思います」
「重々、わかっている。クルーも全員理解し協力してくれている。そして、クリス以外の精製魔法の使い手は本船にはいない」
「では、オプシーに寄港したら雇い入れるべきです」
「無理だ」
「なぜです?」
「精製魔法による真水精製は希少だ。船の根幹を支える能力と言える。だが、支えるべきは船だけではない」
まったく。どこの世界も世知辛い。いつでも船は後回しにされる。
「なるほど。水不足は陸でも同じ。真水を作れる精製魔法の使い手は、本来なら好待遇の高給取りということですか」
ビクトリアは自嘲気味に笑って捕捉する。
「ついでに言えば帝国に規制されてる。一隻の船舶が雇い入れられる精製魔法適性者は一人だけだ」
「……」
穂積は理解した。ビクトリアは奴隷が欲しくてクリスを買ったのではない。クリスも言っていたとおり、正しく救おうとした。そして、今も救い続けている。
ビクトリア号の乗組員は補水能力への不安を押し殺し、節水に努めている。
ビクトリアは『無理だ』と言ったが、きっと他の精製魔法の使い手を雇い入れることもできる。だが、そのためにはクリスの下船が条件になるのだ。
奴隷であり、身体が弱く、満足に魔法を使うこともできない子供。クリスが陸でどういう扱いを受けるのか。
(想像もしたくない……)
「ビクトリアさん」
「なんだ?」
「俺はビクトリア号が大好きになりました。この船に乗っていることを誇らしく思います」
「カカっ!」
(なんとかしたいな。造水器が造れれば一番なんだが……)
穂積は自分にできることはないかと考えを巡らせる。様々なタイプの舶用造水器を思い浮かべては却下する。
(無理だ……足りないものが多すぎる)
まず電力がないのだ。熱源は熱量魔法でなんとかなるかもしれないが、それなりの造水量を確保するためにはポンプがいる。
運動魔法でポンプの代わりをするにしても、加熱も送水もやるのは人間だ。安定した運転状態を得られるとは思えないし、そんなのは人間の仕事じゃない。
資材も必要だが本船は木造船だ。木材ばかりの可能性が高いだろう。
(ヤカンで海水沸かしたって雀の涙どころじゃないし……)
なにやらブツブツ言いながら、メモ帳に謎の文字や記号や図形を書き込んではグシャグシャと塗りつぶす穂積。ビクトリアは穂積が何を考えているのか理解できず、しかし胸は高鳴っていた。
(何かわからない……が、こういう直感は無視できんなぁ。カカカっ)
ビクトリアはワクワクした顔で穂積を見つめていた。
(やはり魔法か。俺に精製魔法の適性があれば……でも船には定員規制が……って、あれ?)
顔を上げてビクトリアを見る。面白そうに金色の瞳を輝かせていた。
「ビクトリアさん」
「なんだ!」(わくわく)
「魔法適性は聖痕に依存するんですよね?」
「そうだぞ!」(わくわくわく)
「聖痕は遺伝し親から子に受け継がれる」
「その通りだぞ!」(なんだなんだ?)
「……俺にあるんでしょうか? 聖痕?」
「…………知らん」
(やっぱダメかもな。オプシーで下船かぁ)
ビクトリアに捨てられるフラグが立った。
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