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第四章

第二五六話 総て崩れる

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「おいっ! 艦隊! 護衛艦隊!」
『こちら護衛艦隊旗艦。どうぞ』

 汗だくで魔法を連打しながらウズメが叫ぶ。近距離用の通信魔堰ですら魔力がもったいない。いや精力かもしれないが、危機的状況に変わりはなかった。

「どうぞじゃない~! 早く肉薄して包囲して! 風刃くらい撃てるでしょ!? 風刃旋風の連打はマジでキツいから!」
『七ケーブルは絶対です』
「キィイイイ! 海兵とは絶対、付き合わないかんね!」

 一キロ先からしか撃ち込めない男なんか願い下げだ。おとこならゼロ距離で連発してこそ価値がある。

 背中に少し薄めの柔らかさを感じながら、笑顔のクリスとゼロ距離で仲良くしている自分を想像して鼻血を流していると、

『『『――っギィイイイ゛ヤャアァ゛アアアァ゛アアァアアアァ゛アアア゛アアアアァ゛アアアアァ゛アアアァ゛アアァアアアァ゛アアア゛アアアアァ゛アアアアァ゛アアアァ゛アアァアアアァ゛アアア゛アアアアァ゛アアア――――!!』』』

 今までに無い、大きな叫び声が環礁を覆う。

(今度は何!? 何事!?)

 化け物を本気で怒らせたかと思って距離を取ると、上空に『蒼火弾』や『水槍』が大量に浮かんだ。

「見えてない……はずです……。魔法は狙えない……はず……」
「任せてクリス! 格闘家のガチ回避見せてやるから! だから! もっと! しっかり! 掴まってぇ!」
「なんか……嫌です……」

 材料の尽きたクリスをおんぶして、大立ち回りを演じていたウズメ。耳元でクリスがしゃべる度にプップッと鼻から血が噴き出し、見られていないのをいい事に顔面を崩壊させていた。

(あ~、尊い。尊いよぉ~。ホヅミさまは殺す)

 小さな身体を軽く背負い直し、ついでにお尻に手を回してしっかりホールドすると、重心を低く構えて空を睨み、攻撃に備える。

 しかし、化け物の狙いはウズメたちではなかった。

『ドドドド『カーンッ!』ドドド『ズカーンッ!』ドドドドドドドド『カンカーンッ!』ドドドドッ!』

 自身の肉体ごと拘束具を攻撃し、圧倒的な火力と再生能力で抜け出そうとしていた。新素材は炭化し穴だらけにされ、ボロボロ崩れていく。

「ヤバいです……。炭素繊維は実戦向きじゃない……」
「ここまでだね。クリス! 撤退するよ!」
「…………? ウズメさん、ちょっと待って……」
「これ以上は無理!」
「じゃなくて……様子がおかしい……」

 化け物はギャアギャアと鳴き喚いて突風や水流で巨体を動かし、拘束を逃れて自由の身になると、グルリと方向転換した。ビクトリアと男が埋まる前面が西南西を向いている。

『『『キャアァ゛アアアァ゛アアァアアアァ゛アアアアァ゛アアアァ゛アアァアアアァ゛アアア゛アアアアァ゛アアア――――!』』』

『ドッパァ――――ン!』

 化け物の背面から爆発するように水飛沫が上がり、クリスとウズメはずぶ濡れになってしまった。

「ウズメさん……濡れた……」
「あれを避けろってか? 無茶言わ――ブフゥ~っ!?」

 あっという間に環礁西岸から離れていく化け物を見送って、クリスを地面に下ろしたウズメが振り向くと、鼻血が噴水のように噴き上がった。

 最後に余った乙種材料で造った薄い半透明の貫頭衣が海水に濡れて、透明度を増していたのだ。

 やがてきたるその時に備えて、クリスは普段からファンタズマゴリアしか身に着けていない。高性能な装甲板も、誰にも邪魔されない密室やりべや製作を目指した副産物に過ぎなかったりする。

「ウズメさん……」
「えっ!? あ、いや! クリス、これは、ち、違うの! 私って鼻の粘膜弱くって昔っから、あははは、嫌になっちゃうってば、ホント困るわぁ~」
「顔が気持ち悪い……です……」
「えっ!? ひ、ひどいなぁ。そんなことないよ? それより拭いてあげるから、コッチおいでおいで~……うひょ~」

 その顔にマジでドン引きするクリスは速攻で海水を分解して乾かすと、乙種D素材に錬成し直して透明度を最低まで落とした。

「め、女神は居ないのか!?」
「居てもウズメさんには微笑みません……ボクも嫌です……」
「クリス? そんなこと言わないで、ウチの子にならない? 私が一生面倒見てあげるけど?」
「ボクはホヅミさまのものです……。心も身体も……%$☆#に至るまで全部……」

(おのれぇ~! ホヅミさま、死すべし!)

「ちょうどライバルも減ったし……えへ……」
「え? なんて?」
「いえ、なんでも……。それよりウズメさん……アレを追い掛けますよ……」
「は!? いやいやいやいや! なんで!? せっかくどっか行くのに、なんで追い掛けるの!?」
「遺憾ながら、ホヅミさまの子供が一緒です……。さっさと腹を裂いて助け出さないと……」
「え? なんて?」
「いえ、なんでも……」

 既にアルローで確固たる足場を固め、十分な資金も得たクリスの欲望はブレない。

 確かに恐ろしい化け物だった。身体の芯から震えたが、ここは勝負所だ。

「ギョロトリア……じゃない……ビクトリア様は残念でした……」
「え? まあ確かに……アレは助からないかなぁ」
「ホヅミさまはひどく悲しむでしょう……立ち直れないかも……」
「そりゃあ、そうでしょうよ。ビクトリア様が……あんなひどい目に……」

 クリスは目を伏せて悲しげに口元を隠す。三日月状に裂けて涎が滴る口元は隠す。

 この状況で子供だけでも助け出し、赤ん坊ごと傷心のホヅミさまに寄り添い、徹底的に癒せば、なし崩し的にゴールイン出来るのではなかろうか。

(……あああああああああああ。いけない、落ち着いてクリスティナ。ここで焦っちゃダメだよ。船長は脱落。メリッサは帰った。チェスカは弁えてる。魔女は……仕方ない……ちっ! あと邪魔なのは先生だけだね)

 船長が居なくなればアルローという国に拘る必要も無い。子供への愛情を最大限に利用しつつ、何なら傀儡にして国盗りに打って出てもいいだろう。

 ホヅミさまは立ち直れなくても別にいい。いや寧ろ、立ち直らなくていい。骨の髄までボクに依存してもらって、ホヅミさまを独占し、この手中に納めるのだ。

(だから焦っちゃダメだよ、クリスティナ。なんたってその後には……ぐへへへへへぇ~! もう辛抱堪んない! 嗚呼あああああ、堪んない~!)

 愛するホヅミさまとの、めくるめく享楽の日々がボクを待っている。

「じゅるごっくん! ですから、せめて子供だけでもと……」
「クリス? 何か良からぬ事を考えてない?」
「ウズメさんでしょう……? 変なこと考えてるのは……」

 この変な護衛は変なところで鋭いから困る。一度相手をしてやって理解わからせた方がいいかもしれないが、少々危険な気配もするし、偶に顔が気持ち悪い。

 ウズメ無力化計画を思案しつつ、環礁に残った材料を搔き集めてファンタスマゴリアをある程度まで復元すると、東側の駆逐艦へ向かう。

 あの艦に運ばせればいいだろう。どうでもいい連中を護衛して環礁の脇を抜けようとする『白海豚』が近くに見えている。

 クリスの紅瞳がギラっと光った。

 崩壊した倫理観が三番艦を襲う。


**********


 巫女姫の古代魔法によって無力化が成ったかと艦橋が沸いた矢先、化け物の挙動が唐突に変わった。

 とんでもない初速で西南西へ突進する相手に艦隊指揮が間に合わず、包囲陣の一画に大穴を空けられてしまった。

「損害確認! 知らせ!」
「轟沈一……いえ、二! 中破六、大破三! まだ増える模様です!」
「ええい! 周辺の艦は艦載艇を出して救助に当たれ! ……民間人の艦はどうか?」
「間もなく環礁を越えますが、魔力カートリッジが持たないようです」
「そうか……環礁東で仮泊させておけ」
「……移乗させますか?」

 約五千人が助けを求めている。本来なら各艦に分けて保護すべきだが、艦隊も相当のダメージを受けてしまった。

「白海豚に曳航させるか……あの艦ならいけるだろう?」
「おそらく、二隻で曳けば戦艦でも可能かと」
「よし。二番艦に通信を入れろ」
「あ、あの……司令。白海豚三番艦が……アレを追尾し始めました」
「何? セーラの指示か?」
「いえ……そのぉ……」
「通信士。報告は明瞭に行え」
「は、はっ! 艦長、申し訳ありません! 巫女姫様が白海豚三番艦を徴発! 制御を奪い、目標を追跡し始めました!」
「「は?」」

 リゲートと艦長の二人は『制御を奪う』という意味が分からず通信士に問うが、もちろん彼にも分からないし、報告してきた当の『白海豚』三番艦の艦長にも分かっていない。

 アルロー海軍、どころかビクトリアすら、クリスが仕掛けた思兼魔堰のバックドアを知らなかったのだから無理もない。

「巫女姫様は……総員退艦を奨めているそうです」
「奨めるって何だ!?」
「艦長の権限だろう!」
「いえ、ですから、奨めてから、艦を変形させ始めたと……」
「「変形って何だ!?」」
「もう、ブリッジから外が見えないそうです……」

 リゲートは頭を抱えてしまった。一頻り悩んで、そういえば『白海豚』は自分の指揮下に無いことを思い出した。指揮権が無いということは、責任も無いということだ。

「二番艦に回せ」
「いえ……この通信ですが、その二番艦から転送されてきたものです」
「セーラ!」

 あの巫女姫は危険な気がしていたが、思っていた以上に厄介だった。本当に危ないのは魔法でも扇動力でもなく、その頭脳と戦略眼だったのだ。

「……どうにかして首輪を付けんとな」
「既に付いてますが?」
「……そういえば奴隷だった」

 この後、リゲートは責任を丸投げされてブツブツ文句を言いつつも、『白海豚』三番艦に総員退艦の許可を出した。

 三番艦艦長はあまりの事に放心しており、艦を奪われた怒りも忘れて、指揮系統の違う場所から発せられた命令に粛々と従った。


**********


 クリスとウズメは『白海豚』三番艦の艦橋屋上におり、床板を変形させて造った椅子に座っている。

『バシャン』

 背後から聞こえた落水音に振り返れば、全乗員を乗せた救命艇が環礁へ帰っていくところだった。

 屋上には操艦を一括制御するためのジョイスティックが新設されている。

 予め、屋上の床下に埋め込んでおいた思兼魔堰へ裏コードを入力し、本来なら艦橋で統合されているすべての制御権限を奪ったのだ。

「サービスエンジニアだけが弄れるインターロックを設けるのは良くあること……です……」
「分かんないけど、これはやり過ぎだと思うよ?」

 クリスが仕掛けたのは単なるインターロックなどではなく、厳然たるバックドアであり、ほとんど罠と言っていい悪質なものだ。

「思兼の重要性を理解していないからです……。えへ……愚かですね……」
「怖い、怖いよクリス。可愛いからって許されないこともあるよ?」
「ウズメさん……は……?」
「うぅんっ! 許しちゃう! 可愛いから!」

 思兼魔堰の同期可能距離に制限が無ければ、艦隊すら乗っ取れるようにロジックを組んであるのだから、国家反逆罪に問われても仕方ないレベル。

 プログラムを解読できる人間が居ないのをいいことに、まさに独壇場のやりたい放題だった。

 ウズメもまさかそこまでの大事だとは思っていないのだが、アルロー海軍の新鋭艦隊整備計画には、クリスの独断により大きな地雷が埋められていたのだ。

 可愛い開発責任者の本質に気付かなかった時点で、始めから破綻していたのである。


**********


 『白海豚』二番艦内でも一波乱あった。三番艦艦長を経由してウズメから齎された情報に、ルシオラの理性が崩壊したのだ。

「あの化け物を追いなさい!」
「馬鹿かいアンタは? ビクトリアの状態は聞いただろう?」
「生きてるのよ! あの子は!」

 一番艦の艦長を人質に取り、二番艦艦長セーラを脅すルシオラが艦橋にいた。

 こんな状況だったから、三番艦への指揮権をリゲートに委任するしかなかったのだ。本艦はもはや指揮能力を失っていた。

「だからこそだわさ。生きているから契約に縛られたままさね。つまり、アルロー海軍の軍規は有効。アンタ自身に本艦の操艦は無理。諦めな」
「そんな御託はどうでもいい! とっとと動かせ! コイツぶっ殺すぞ!」

 一番艦を任されるだけあって、この艦長は有能な指揮官だ。魔力容量も大きく、実力的にも強者の部類に入るのだが、今の彼には抵抗する意思が無い。

「……アンタを乗せるんじゃなかったわさ。何も分かってないし、何を考えてんのかさっぱりさね」
「子供を産んだことの無い女に分かってたまるか!」
「ビクトリアなら叩き下ろしてるよ。間違いなくね」
「なんでもいいから早く追え――っ!」

 セーラにしても、辛くないわけがない。出来ることなら直ぐにでも助けに向かいたい。だが、それは許されない。この船が軍艦で、今の自分は軍人だからだ。

 今、二番艦は環礁西側の中途半端な位置取りでただ浮いている。護衛艦隊に合流することも、民間人の鑑を曳航することも、要救助者を収容することも、化け物を追うことも出来なくなっていた。

 軍規契約だけの問題ではない。

 今のルシオラは海賊やテロリストと大差無い。戦闘艦を乗っ取るということの意味すら、考えられなくなっている。

 アルロー海軍に属する艦の長として、国に仕える者として、アジュメイル家の血を引く者として、ルシオラの友人として、様々な理由からセーラは動けなくなっていた。

「クリスもクリスだが、あの子はまだ尻の青いガキだ。一方でアンタは立場がある大人。こんな事をやらかしてただで済むと思ってるのかい?」
「私はただビクトリアを……!」
「弱みにつけ込み人質まで取って、目撃者は大勢いて、具体的な策も無く、専門的な技能も無く、大勢の海兵を道連れに死のうとしてる」
「黙れ黙れ黙れぇ!」
「アジュメイルからテロリストが出ちまった」
「――っ! ち、違う! そんなのと一緒にするな!」
「切っ掛けさえあれば誰でもか……盲点だったわさ」
「ふ、ふざけるなぁ~っ!」

 ルシオラを上手く説得出来ない自分に歯噛みしつつ、セーラは心を鬼にして言い切った。

「テロリストとは対話も交渉も譲歩もしない! 皆、軍属だ! 殺るなら殺れ! 貴様の言葉には欠片ほどの力も無いと知れ!」

 アルロー海軍は色々な意味で総崩れとなっていた。

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