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第五章
第三〇八話 幕間 遊女ナツ
しおりを挟むハル姐さんの病状は日に日に悪くなっている。
何故、私は強化魔法なんて使いどころの無い適性なのだろう。アキみたいに生体魔法だったら良かった。
学ぶ機会はなかなか得られないが適性さえあれば、いつかはハル姐さんも――。
「ナツ、おゆかり様は?」
「今日は三人も来てくれんした」
「ちゃんと愚痴を聞いてもらえたかい?」
「……そんなことできんせん」
ハル姐さんは少し悲しそうに「ふふっ」と笑う。
最近はいつもこういう弱気の虫を煽るようなことを言う。そうやって、私の中の弱さを引き出そうとするのは何故なのだろう。
そりゃあ、ハル姐さんから繋がるご縁のある方ばかりなのだから、みんな優しいし、愚痴ればちゃんと聞いてくれるのだろう。
しかし、かのさま方は金子を払って遊びに来られているのだから、遊女の名の通りに『遊ぶ女』でなければ失礼というものだ。
おゆかり様は数でも質でも無いのなら、尚のことそうだろう。
「ナツ……早く間夫を見つけな」
「皆さま粋な方ばかりでありんす」
「おゆかり様は間夫じゃないよ」
「おゆかり様が間夫になるのでありんせん?」
ハル姐さんはかなり呆れたように「はぁ」と溜息を吐いた。
実際そうだと思う。
最近、お身請けされて行った姉さんもお相手はおゆかり様だった。
「おゆかり様から間夫を見つけるなんて、あんたには無理さ」
「え?」
「……やっぱり血かねぇ」
「はぇ?」
ハル姐さんは諦めたように「こほん」と咳払いを一つ入れた。
「もしも、あんたに間夫が見つかったら、どうすればいいか教えとく」
「はい」
ハル姐さんは、信じられないほど怖い目をして言ったのだ。
「間夫に貢ぎな。あんたにゃそれしかできないよ」
**********
悩みに悩んで、足掻いたような気もするが、根っこから捩くれた性根はどうにもならない。
(ハル姐さん、ようやく分かりました)
春を売る場で生きてきて、色を咲かせてみたものの、遊ぶ女は恋を知らぬ、ということだ。
母の血か、姐の背かは分からないが、どうにも呑まれて抜け出せないらしい。
ハル姐さんの遺言が、簡潔明瞭に正しい道を示してくれているではないか。
普通の遊女は、とっとと足を洗うのだ。
アキはあの指切りの時に足を洗った。偶に魅せる遊女っぽさは単に彼を口説いて遊んでいるだけ。
(暫く真似してみたけど、やっぱりダメ……)
私の遊女は死んでも治らない。
結局、おかさんは正しかった。
死ぬまで遊女をやっていれば、こんな風に悩まずに済んだに違いないのだ。
ハル姐さんも私の性根に匙を投げた。
ただ、投げた先にはアキが居るようにしてくれていた。
(これは恋なの? よくわからないけど、そうだと思っておいた方が素敵……ふふっ)
そうと決まれば善は急げ。早くしないと彼が悲しすぎる。
私はハル姐さんに従おう。
**********
「メリッサさん、お疲れ様です」
「ナツさん! こんにちは!」
メリッサはいつも元気溌溂に振る舞っている。
「お茶を持ってきました。少し休憩しましょう」
「おおっ! いいですね! いただきます!」
かなりお疲れだろう。慣れないことをやっているのだから当然だ。無理な腹芸は胃もたれする。
「ミーレス様は? 最近お見掛けしませんが?」
「地下ドックを拡張してますよ!」
「ふふっ、フィーアさんを気遣ってるのでしょう? 本当に不器用でお優しい方ですね」
「身体を動かすしか能が無いのです! まったく!」
メリッサは少し羨ましそうに頬を膨らませている。
身体を動かしたいのだろう。
「少し組み手でもしますか?」
「うはは……手加減抜きでお願いします」
「ふふ……ええ、もちろん」
手加減させてもらう。
**********
「ゼクシィさん、お疲れ様です」
「あら、ナツさん。参考資料は足りてるかしら?」
「はい……やはり難しいです。お国の政ですから」
何も問題無いし、資料はもう全部読み終えた。
「そうよね。追加の入門書を取り寄せておくかしら」
「すみません。お手間をかけます」
彼女は暇だから何かしたいに違いない。ビクトリア船長がアレでは無理もないが、彼のためにも早く立ち直って欲しいものだ。
「その後、体調は如何ですか?」
「ええ、問題ないかしら」
「それは良かったです! ホヅミさんと居た方が良いみたいですね!」
「ホヅミンは……少し休んだ方が……いえ、でも立ち止まると……」
彼の状態については分かっているようで安心した。
「何かお悩みですか? 話し相手くらいにはなれます」
「……どうしたらいいのかしら?」
「話してみてください。楽になるかもしれません」
「実はホヅミンはね――」
気付くのが遅すぎる。
**********
「クリスさん、お疲れ様です」
「ナツさん……こんにちは……」
これは、何を描いているのだろうか。
「これは?」
「緊急時に備えた脱出船……です……」
「ホヅミさんが?」
「はい……。もう船じゃありません……」
彼は本当に考えることが突飛で面白い。それについていけるこの子は彼に必要な人間だ。
「クリスさんは、帝国行きに同行するのですか?」
「もちろん……そのつもりです……」
「あなたには他にやるべきことがあるのでは?」
「どういう意味……?」
分かってはいるが、気持ちに嘘はつけないのだろう。まだまだ幼くて可愛いところがある。
「ホヅミさんのためです」
「むぅ……わかってます……!」
残念ながら、幼い彼女の恋心がどのような色なのか、比較するに足る経験が私の中には無い。
きっと澄み渡るような一色をしているのだろうが、性根がマダラ色の私には一生分からないだろう。
「ふふっ、ここはどうなるんです?」
「そこはジャンクション機構になってて……こっちの図面のA - A断面……これらのジョイントアームがD - D断面のショックアブソーバーを介してマウントアームに多点接続……全体で持って、引っ張り・捩れ・剪断応力を分散して受け持ちます……あらゆるモーメントに対して柔軟性のあるユニバーサル機構と言えるでしょう……。肝となるのは多数のアブソーバーに連続供給される圧縮空気系統です……。いくつかのループと逆止め弁で系統を分割すると同時に……すべてのブロック間で思兼魔堰による制御を接続……統合監視し、継続的に自己診断プログラムを走らせトラブルシューティングを行わせることで安全性を担保します……。ついでに、運用保全に掛かる人手を大幅に削減できます……」
「ふふふっ、すごいんですねぇ」
「えへへ……でしょ……?」
わけが分からない。
**********
「フィーアさん、お疲れ様です」
「ナツ、何?」
彼女に対して手管は不要、むしろ邪魔になる。
「私は外からホヅミさんを支えます」
「……そう」
「邪魔しないでください」
「わかったわ。好きにしなさい」
私とは真逆だから、彼と居てもらう。
**********
「アキ」
「ナツ姉さん」
「ハル姐さんに従おうと思う」
「……はぁ、よたろう」
「ふふっ、おさればえ」
私の可愛い妹だから、彼と居てもらう。
**********
「ブリエタース様、お疲れ様です」
「おぅ、ナツ殿か。どうかされたかの?」
さて、死ぬかも。
「ミーレス様と一緒になろうかと思いまして、そのご相談でございます」
「……ふむ、見かねたか」
おや、さすがは元十賢者だ。すべてお見通しとは恐れ入る。
「ノーマン公爵家のために働かせてくださいませんか?」
「結果的にそうなるであろうが、甘くはないぞい。ホヅミの動きを見るに、いつノーマンが消えてもおかしくはないじゃろう」
「そうならないよう、努めさせてください。このままでは足りなくなります」
必死になって掻き集めても、その度に勢いよく削られている。誰かが代わりに集めて、彼に渡さなければならない。
「ふむぅ……これは驚いたのう。そこまで覚悟の上か」
本来の彼は、きっと、そんなに器の大きな人間ではない。
しかし、この世にたった一人の間夫なら仕方ない。
「条件は一つだけじゃ」
「伺わせてください」
これ以上無いほどに重厚な人の声音。小手先では太刀打ちできない年季の為せる重さがある。
「ミーレスを落とせたらじゃ」
「承りました。誠心誠意、努めさせていただきます」
リコリスの手を捻るようなものだ。
**********
『ズガガガガガガガガガ!』
「ミーレス様!」
『ドガガガガガガガガガ!』
「ミーレス様ぁ!」
『ドガドンドガドンドガドンドガドン!』
「ミーレスぅ!!」
『ドガララララララララララララララ!』
正直、舐めていた。
空調ダクトが通ったから防護服無しでも来られるのは良いが、極度に埃っぽい。
こんな中で何時間も働き続けるとは、この男、面白いだけじゃなくて仕事熱心だ。なんだか邪魔したら悪いような気になってくる。
私がどういう気分になろうが関係なく岩を掘り続けるのだろうから、お茶でも用意して待っていよう。
一時間後――、
『ドンガラララドンガラララドンガラララ!』
「……」
二時間後――、
『ドモモモモモドモモモモモドモモモモモ!』
「ドモモってなんざんす……」
三時間後――、
『シュババババババババババババババババ!』
「もうやめなんし!」
『スパーン!』
「お? ナツか?」
始めからこうすれば良かったのだ。いつもはどうやって止まっているんだろう。
「ミーレス様、お疲れ様です」
「こんなトコまでどうした? 遠かっただろ?」
「大したことは。それより、少し休憩にいたしませんか?」
「おぅ、そうだな」
地下ドックは着々と広がっているらしい。
彼の求めた脱出船を建造するには、フローティングドックでは面積が足りないのだとか。
岬の地下いっぱいに広がるトティアス最大のドライドックになる。崖の岩壁を貫通した後は、マレの霧で隠すことになるだろう。
「お忙しいようですね」
「クリスの設計がちょくちょく変わるもんでな。『35!』の出番ってわけだ! カハハっ!」
「ぷふっ! そ、それは禁止したはずです」
「笑っていいんだぜ? ナツは……その……笑った顔がいいからよ」
「ふふっ、お上手ですね。うれしいです」
もし、おゆかり様の中にこの人がいたら、何かが変わっていただろうか。何も変わらなかっただろうか。
(いちいち私のツボに嵌る。不器用で誠実な可愛い人)
そんな『もし』に意味はないが、この人になら身請けされてもいいとは思える。
三日後――、
『シュイィイイイイイイイイイイイイイイイン!』
『スパーン!』
もうすぐ落とせる。おゆかり様と違って、給料日を待たなくていいのだから楽なものだ。
「毎日お疲れ様です、ミーレス様。お昼にいたしましょう」
「おう、ちょうど腹減ってたんだ」
「たくさん作って来ましたから」
作業員用の仮設ベースに入り、手作りの弁当を広げてお茶を挽く。
「座ってお待ちくださいな」
「……おう」
「つまみ食いは……ふふっ。してもいいですけど、ちゃんと手を洗ってください」
「おう」
半歩横に移動してシンクを譲ると、おずおずやってきて流水で手の泥を落とし始めた。
シンクに赤い血が広がる。
「ミーレス様! 血! 指切ってるじゃないですか!」
「ん? ああ、ちょっとな。大したことねぇ」
傷は結構深そうだ。大したことあるだけの血が排水口に流れていく。
「ちょっと見せてください。もう、こんな傷を放っておくなんて」
「こんなの日常茶飯事だ。舐めときゃ治る」
「そうですか? では失礼して……あむっ」
「――っ!?」
咄嗟に腕を引こうとするが無駄無駄。手を取った時に関節をキメてある。
傷口を愛撫するように舌先でチロチロ舐ってやりながら、上目遣いで見上げると、顔を真っ赤にしてこちらを見下ろす初心な瞳があった。
そのまま、誘うように舌を使いながら翠玉の双眸をねっとりと見詰めていると、ミーレスの腰が引けた。まだ血は出ているが、もういいだろう。
「ちゅ……ぴちゃぴちゃ……ちゅぽんっ」
「…………」
「如何でしょう? 和らぎましたか?」
「…………」
「利き手です。私が給仕いたしましょう。こちらへ」
痛くないように関節をキメながら、胸を沿わせて巨体を移動させ、椅子へ着席させた。
どれだけ力のある大男だろうと、腰が引けて前のめりになれば重心が崩れる。彼のようなタイプは、胸を押し付けるだけで無意識に身体が強ばるので余計に御しやすい。
「はい、ミーレス様。あーん、いたしましょう。ふふっ」
「お、おう……むぐ」
「どうですかね? お口に合います?」
「ん、旨い」
「ふふっ! 良かったぁ~!」
美味に決まっている。
ハル姐さんのおゆかり様だった一流割烹店の主人から盗んである。孫くらいの娘にヨイショされながら、得意な料理を教える老人の顔は幸せそうだった。
遊女の手練手管は貴族の政略に似ているようでいて、実はまったく違うということに最近の勉強で気がついた。
ああいうやり方は、二流の遊女の手管だ。
ハル姐さんのは違う。一流はそうじゃない。
「お茶です。あ……少し温めかも。すみません……すぐ挽き直します」
「い、いや、いい。ちょうどいい。それよりもう一杯くれ」
「そうですか? ふふっ……ミーレス様はお優しいです」
「そ、そんなこたぁねぇ」
渇いた喉にちょうど良いように挽いたのだが、それを誇るのではなく逆に貶めることで、相手はより気持ち良くなれる。
一流の遊女は、自分のために相手を動かすのではない。相手のために自分が動く。
相手の意に沿うように、近づき離れ、変わらず変わり、昇って落ちて、触れて触れさせ――、それらをすべて自分の意として塗り替える。
だから相手は気付きもしない。気付かぬ内に気持ち良くなり、金を払い、土産を持ち、宝石を買って、遊女に貢ぐ。
「なぁ、ナツ」
「なんでしょうか?」
どこまで貢がせるかは、その遊女の性根次第だ。
「お前、どうした? なんでおれに良くしてくれる?」
「ミーレス様は、面白くてお優しい。あと最近は、一緒にいて楽しいんです……ただ、ご迷惑にならねばよいとは思います」
「迷惑ってお前……」
「私は遊女ですから……身分が違いすぎます」
ノーマン公爵家は貴族にしては珍しいほどに公明正大な家風だ。おそらく帝国貴族家の中では、最も彼の考え方に近しい。
「おれはそんな事……」
「ミーレス様ご自身は、漁村に落ちることも厭わぬお方でありましょうが、このままでは本当にそうなってしまいかねません。私はそれが悔しい……」
橋頭堡として相応しい。
まずはノーマンを変え、サザーランドを変え、オプシーを取り込み、イーシュタルは叩き潰す。
彼をああした元凶を、彼に渡すわけにはいかない。
「ミーレス様……」
「ナツ……」
身体を寄せて、最も美しく魅せる角度で憂いを浮かべ、心が騒つくように胸元に触れる。
「私をお傍に置いていただけませんか?」
「ナツ……。それは、どういう……」
全身の柔らかい部分を総動員して、この可愛い人の硬い部分を解きほぐしながら――、言った。
「幾久しゅう、愛しておくんなんし」
「――」
私は、ミーレスのすべてを貢がせる。
ノーマンも、サザーランドも、オプシーも、皇室にだって貢がせる。
イーシュタル以外の、帝国のすべてを貢がせる。
私が、間夫に貢ぐために――。
**********
(はい、落ちた)
両肩に掛かる万力のようなゴツイ手が、上半身の身動きを抑え込んだ。
関節のキメ技はとっくに解いていたので、ミーレスの動きを縛るものは何もない。ここから先は性癖を知ってから、じっくりと気持ち良くなってもらおう。
顔がずいっと近づいてきた。
とても息が荒いが、押し倒して来ないところを見ると、やはり誠実で優しく、そして可愛い人だ。
すっと目を閉じて、唇を軽く突き出す。
息を呑む声。
これが一番難しく、人によって好きな貌が違う。
ハル姐さんに見てもらいながら、一体どれだけ練習したことか。
男なら、誰も抗えない。
「うぅうう~! うぉおおおお――っ!」
『どんっ! ガァ――ンっ!』
「…………」
信じられない。この男、私の知らないタイプだ。
これが真の脳筋というものか。
テーブルは真っ二つに割れ、頭部が床に埋まっている。
雄叫びを上げて私を突き飛ばしたミーレスは、立ち上がるやテーブルに頭突きをかました。
テーブルに頭突きして、どうして床に埋まるのか理解できないが、それだけ勢いのある頭突きだったということか。
『ボゴン……ガラガラ……』
床から頭を引っこ抜くと、額にダクダク血を滴らせてこっちを見た。
「いいぜ、ナツ。お前を正妻に迎えてやる」
「……ありがとうございます」
「ただし! 一つだけ条件がある!」
「……何ですか?」
ミーレスの提示する条件。
ドンと来い。なんでも叶えてみせよう。
「ホヅミの野郎と勝負させろ! おれが勝ったらお前はおれが貰う!」
なんという失態か。
ミーレスの意に寄り添い切れていなかった。
「……かしこまりました。場を用意させていただきます」
「ガチンコのタイマンだぞ! カハハっ!」
私もまだまだ、ハル姐さんに及ばない。
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