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第五章
第三一八話 ウッズメイル屋敷にて
しおりを挟むヴァトラーが給仕してくれたお茶を啜りつつ、歓談とはいかないが、それなりにバッサスと会話できるようになった。
彼は森の如き静寂と沈黙がデフォルトのようで、口を開くこと自体が稀なようだ。
「チェーン、何か言うべきことは?」
彼がしゃべる時、そこには必ず意味がある。
娘からすれば恐ろしいのかもしれない。
「わ、わたくし、ニイタカ大使に大層感銘を受けましたわ。素晴らしいご見識かと存じます」
「……」
(違うらしい)
「たた、大使は本当に愉快で楽しいお方なのです。はしたなくも、わたくし大笑いしてしまいました」
「……」
(これも違う)
「大使館もすごかったですわ! ソーヤも大喜びで水遊びに興じておりました。もちろん後ほど矯正いたしますが、あの笑顔を見ていると甘さも出てしまうものですわね」
「……」
(ちょっと怒った?)
「うっ……。ニ、ニイタカ大使は次世代を産むことをお望みですの! それも大勢です! 一晩で百二十発ですのよ!」
「「ぶっ!?」」
穂積とバッサスが同時に茶を噴き出した。
(コイツ馬鹿か!? リヒトも顔赤らめんな!)
バッサスとヴァトラーの視線が集中する。
「こ、このお茶美味いですねぇ! 知らない味ですが何のお茶ですかヴァトラーさん?」
「絶倫茸の煎じ茶にございます。申し訳ありません……余計な気遣いでした」
「ホントに余計だよ!」
なんちゅうものを飲ませてくれたのか。トティアスのその手の薬は本当に効くから困る。バッサスも顔色を変えているじゃないか。
「ニイタカさん、遠慮なくおっしゃってください。チェーン様が危険ですので」
「リヒトさんも余計なこと言わないで!」
「皆さんから伺ってますので。娉突盈は制御不能の暴れん棒だと。二百発も撃ち込んだらパーになるかと」
「増えてるだろ! ちょっとお茶でも飲んで黙ってて?」
「了解しました。夜に備えておきますので」
「備えんでいい!」
ヴァトラーからお茶をもらって啜り始めるリヒトは任務に忠実だった。薄紫の瞳に何かを期待する光が宿っている。暴走の前兆だろうか。
「……ニイタカ殿。婚前交渉はご勘弁願いたい」
「違いますから! そもそもそういう政略じゃないんで!」
「……アジュメイル家のルーシー様から打診がありました」
「……は?」
ルーシーが勝手に政略結婚話を進めていたらしい。
通信魔堰に連絡があり、大使館とアジュメイル、ウッズメイルの縁を結びたい。
ついてはチェーンを側室に迎えようと思うが如何かと、そういう主旨の長話があったそうだ。
「ルーシーめ」
「……困りましたな」
詳しい話を聞くと、どうやら木材の融通については触れておらず、アジュメイル家の力を強める観点から誘っているらしい。
サスティナの事情も分かっていて、敢えて知らぬフリをしながら『木材が欲しいなら勝手にどうぞ』ということだろう。
「アウルムさんも了解してのことでしょうね。ルーシーさんも帝国行きですから忙しくなりますし」
「……」
「お父様、わたくしはお受けすべきかと存じます。アルローは今後大きく変わりますし、その原動力となっているのは大使館ですもの」
「……」
ルーシーの掌で踊らされている感じだが、おそらくナツには分かっていたはずで、二人が裏で手を組んでいることは間違いない。
(お義父さーん。三女が好き勝手やってるよ)
木材を買い付けに来ただけのつもりだったが、そういうわけにもいかないらしい。
ウッズメイルと縁を繋いでその後はどうするつもりなのか、あの二人の思惑はさておき、個人的に政略結婚は本意ではない。
(とはいえ、サスティナの現状を知った今となっては……)
いきなり正直に『木材ください』と言えば間違いなく断られる。
その交換条件としての政略という面もあるのかもしれないし、そういう意味では盤面を整えて送り出してくれたとも言える。
「ところでバッサスさん? チェーンさんに聞きたいことがあったのでは?」
とりあえず、話を戻すことにした。
チェーンはせっかく話が逸れたのにとギョッとしているが、知ったことではない。さっきは助けてくれなかったのだから、父親からの説教はちゃんと受けてもらう。
「何か言うべきことは?」
(よし、乗っかってくれた)
「お父様、わたくしは婚前交渉も吝かではございませんわ」
「強引! 強引だよ! ちゃんと謝ってください! なんか知らんけども!」
ごくりと喉を震わせながら、それでも話を政略に持っていこうとするチェーンに思わず突っ込んでしまったが、バッサスは明らかに怒っている。
「……」
(ほら、貌の年輪が増えてるじゃん)
チェーンが何かをやらかしたことは間違いなく、バッサスが待っていることを知った時の彼女は不自然に動揺していた。
ダラダラと冷や汗を掻いて固まり、沈黙が支配する応接間の雰囲気に耐えかねたように、チェーンはペコリと頭を下げた。
「勝手に結婚式へ参列して申し訳ございませんでした」
「うぉーい! 父の名代とか、島から出ない偏屈とか言ってたじゃん!」
「ニイタカ大使! わたくしはそのようなことを申した記憶はございません!」
「いやいやいや! 名代の件、メッチャ強調してたし! ソーヤちゃんの顔面鷲掴みながら!」
「ニイタカ大使! お戯れが過ぎましてよ!? なりません、なりません! ちゃんとお望みのままに孕み続けてみせますから!」
「誰がいつ望んだそんなこと!?」
これがバッサスの怒りの原因だ。
チェーンとソーヤは勝手に招待を受けて、勝手に巡視船を徴発し、勝手に島を飛び出してセントルーサまでやってきたらしい。
「ダメだぁー、それはダメだぁー。それはバッサスさんも怒るよ」
「……だって、動かないんですもの」
開き直って頬を膨らませるチェーンからは優雅な余裕は消えているが、彼女はソーヤの姉。根っこの部分はよく似ているようだ。
「……」
深い年輪が刻みつけて娘を睨むバッサスの静かな怒りが迫る。樹木が枝葉を広げるようにゆっくりと。
「わ、わたくしは謝りましたわ」
「名代とは?」
昔ながらの林業を堅持するウッズメイル家としては、渦中の大使館に関わるつもりは無かったのだろう。
それがチェーンの独断専行によりあらぬ方向に逸れて、あまつさえルーシーに利用されてしまった。
「何のことかわかりませんわ。ニイタカ大使がわたくしをスケコマスための手管かと存じます」
「おい」
「……」
バッサスの貌はドンドン古木めいてきて、皺の年輪がグラップラー〇〇のキャラクターのように濃くなって、あと一押しでトレントになりそうだ。
「今こそ! 動くべき時にございま「黙らっしゃい」あぁあっ!? すわぁあああ~っ!」
節くれ立った枝のような太い五指がチェーンの顔面を鷲掴みにした。
「ニイタカ大使殿。誠に申し訳なく」
「いえ……いいえ~」
「ああああああ~っ!」
「ジョバンニング夫妻にも謝意を伝えていただきたい」
「はい……はいぃ~」
「くぅおおおお~っ!」
まったく動じることなく卓上の茶を下げるヴァトラーを見るに、これは日常の一幕なのだろう。
チェーンがソーヤを矯正する光景が立場を変えてダブって見える。
「ごめんなさいぃいいいい!」
「黙らっしゃい」
「なぜぇええええええ~!?」
本物のアイアンクローとはこういうものだったと、懐かしい養父の顔を思い出していた。
**********
政略の話は棚上げにして、夕食の席でサスティナの林業について質問すると、新成人向けの参考資料を見せてくれるという。
「後ほど客間にご用意いたします」
「ヴァトラーさん、ありがとうございます」
食後、チェーンはバッサスに何処かへ連れて行かれた。客人の前で出来る矯正はアレが限度だったらしい。
「ニイタカさん、こんな所まで来て読み物ですか?」
「しばらく掛かるんで。リヒトさんも部屋で休んでていいですよ」
ここで、またもやカルチャーショックを受けることになる。
「私に部屋はありませんので」
「えっ!?」
一般に貴族の護衛を務める者は、二十四時間、護衛対象の近くで待機するか、陰から見護るものらしい。
そうでなくては意味がないというが、護衛者にも休息は必要だろう。
「普通はツーマンセルですので」
「……ですよね。すみません気付かなくて」
一人を二人以上で護衛するので、誰かが必ず警戒している体制が取れる。
この辺りの危機管理については馴染みがなくて分からなかった。
「ハイン姉さんはわかってますから問題ないかと」
「……じゃあ、なんでリヒトさん一人? そりゃ飛行魔堰の定員はあるけども」
「女の護衛者が情婦を兼ねる場合には問題ありませんので」
「……護衛者って大変なんですね。俺はそういうのしませんから、安心してください」
「了解しました。我慢できなくなったら……お願いしますので」
「だから何を?」
「ニイタカさん、早速お願いします。厠に行きたいので」
「えっ!? 二十四時間ってそういうこと!?」
当たり前だと頷くリヒトに「嘘だ、絶対嘘だ」と問い詰めたが、本当にそうだと言って譲らない。やむを得ない場合にはその場で済ませることもあるらしい。
命を狙われる頻度は人それぞれなので分からないが、少なくともイーシュタル家ではそうだったと言う。
「ここは大丈夫でしょ?」
「ニイタカさんはより危険な立場かと。死んで嬉しい人間は……魔力消失を知らなければ多いはずですので」
「……やめてよ」
何も悪いことをした覚えはないのに、自分がウ〇マ・ビン・ラ〇ィンにでもなった気分だが、言われてみればウッズメイル家にも何処かの間者が入り込んでいる可能性はある。
「我慢の限界です。部屋の隅で足します」
「やめなさい!」
やむを得ず、本当にやむを得ず、客室に備えられたトイレに二人で入る。
(なーんか騙されてる気が……)
リヒトは躊躇なくホットパンツを脱ぎ、ショーツをずり下ろすと「すぐ済みますので」と言ってしゃがみ込み、排尿し始めた。
女性の排泄行為を見るのは漂流生活以来、というわけでもなく、偶にフィーアが風呂場でプレイを強要してくるのだが慣れないものは慣れない。
『チョロチョロチョロチョロ……』
何故かこちらをじっと見ながら用を足すリヒトから意識を逸らすため、ウッズメイル屋敷のトイレについて考察した。
(ボットン便所だな。でも、臭くない? なんで?)
考察終了。下水の配管図でも無ければ分からない。
「済みました。ニイタカさんもしておかれては?」
「えっ!? 俺もそうなの!?」
「当たり前かと。厠で細切れにされて下水道に落ちるケースも」
「あるの!?」
「便座が赤く染まります」
切れ痔程度の赤でないのは確かだ。真面目に受け答えするリヒトにビビってやむを得ず、本当にやむを得ず、小便を済ませることにした。
大きい方の事を考えると羞恥心で煉獄が――、燃えやしない。
心には寒々とした風が吹いていた。
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