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第七章
第四二三話 自己紹介だよ。日本語でね
しおりを挟む飛行魔堰の第一便で聖堂に到着したナツは、ワグナー、ウェイテと共に飛び去るフィーアを見送った。
既に深夜を回っていたが、すぐに出てきた黒服の女性と挨拶を交わす。フィーアから聞いていたスカラーの妹だ。姉とは違う目つきもそうだが、肌に潤いが無く、やたら憔悴していて気づかなかった。
「お疲れでしょうから、すぐに客間へご案内いたします」
「ありがとうございます。スカリーさんもお疲れのご様子ですが?」
「いえ……少々乾燥しているだけです」
乾燥肌の意味では無かった。もう一人の新参者のチカラの影響か、屋内の空気は乾いていて、警備に立つ黒服たちも元気が無い。
用意されていた客間は四階にあり、広く立派な造りだが、内装は実用的で飾り気の無い部屋だった。
「ご不明な点がございましたら警備の者にお声掛けください。隣室はフィーア様の居室ですからそちらでも」
「ご丁寧にありがとうございます」
「あっ。角部屋には療養中の異端審問官がおりますのでご注意ください。意識は戻りましたから、下手に刺激すると魔法が飛んで来ます」
「ご忠告痛み入ります」
ワグナーは警戒感を滲ませて廊下の奥にある部屋の扉を見据え、ほとんど訓練もせずに外地へ飛ばされたウェイテは青い顔をしている。
「そういえば会ったことないや……フィーアさんみたいな感じかな?」
「……危険だ。近づくな」
総本山での研修中も、アルローに行ってからも、異端審問官との絡みはまったく無く、ウェイテ自身も首長館のメイドをしているつもりでいた。
報告といっても教会で祈りを捧げるついでに司祭と世間話をする感じなのだから、本人すら錯覚するほどの溶け込みようで、ナツに指摘されて『そういえばそうだった』と思い出したぐらいである。
その点スカラーはしっかりしていて、ちゃんと二人分の携帯通信魔堰を懐中に忍ばせていた。教会にいる黒服に言えば貸与される道具だったらしく『研修で習ったでしょ』と怒られた。
「間者……か」
「わ、私は別にやめても……! その……転職しても!」
「首長館との契約があるだろう。無理はいけない」
「そこをなんとか! 親衛隊の力で!」
ウェイテが曖昧な関係性をそのままにワグナーとの将来設計に前のめりになっていると、第二便で到着したクレマーとタナーを連れてフィーアが来た。
「乾いてるわね。クミズのせいよ」
「今はどちらにいらっしゃるんですか?」
「部屋で寝てるらしいわ。シオンがげっそりして水飲みに起きて来てたの」
「貴女がシオンさんですか?」
「ん……こんばんは」
穂積から『流花を頼む』と言われてムラマサを渡されたシオンは忠犬のようにお役目に努めていた。
渇く女と同室で寝起きし、喉が渇いて水筒を開ければ空になっている。穂積が居なくてイラつく流花をフォローし、乾燥する空気に物言いたげな黒服たちの視線が痛い。
それでもスマホを弄っている間は落ち着いているので、日中は何とかなっていた。渇きと不安で眠れぬ夜はムラマサを抱いて丸くなり、何度も起きては遠慮がちに水筒に水を汲みに行く。
「まだ成人前でしょうに……なんて涙ぐましい。私がバシっと言ってあげるよ」
「んーん……やめた方がいい」
健気な少女にウェイテの涙腺が緩み、クレマーとタナーも微妙な表情を浮かべている。
「貴女のチカラは聞いていますが、その気になれば逃げられるのではありませんか?」
「ん……簡単だと言う」
「なら、どうしてそんなに頑張るんです?」
「ニイタカ・ホヅミに頼まれた。あの魔女はほっといたら殺される」
ナツは疲れた様子のシオンに向けて軽く微笑むと「ではまた明日」と言って部屋へ帰した。
少し酷いんじゃないかと苦い顔をするウェイテを適当にあしらい、朝からの予定を相談して解散すると、上着を脱いでベッドに横になる。
シロウのチカラに当てられているという話だったが、シオンの意はシロウのそれとは違う気がした。切っ掛けはそうだったのかもしれないが、別に何をして貰ったわけでなくとも焦がれる女はいるということだ。
(三人でしたか……しかし……)
ひょっとすると、あの不器用な少女が一番の拾い物かもしれない。
**********
数時間眠って朝日に目を覚ますと、身支度を整え食堂へ向かう。酷く喉が渇いていた。
別の部屋で寝起きしていてこれなのだから、件の女の権能はとんでもなく傍迷惑なものだ。トティアスでは陸上であっても水は節約するのが当たり前であり、貴重な水を強制的に枯らす能力など理不尽に過ぎる。
食堂へ降りるとシオンがいて、近くに露出度の高い変な服を着た黒髪の女がいた。見ただけで喉が渇く。
大きく開きすぎた霞んだオレンジ色の服の胸元にはニホン語の『アルファベット』の刺繍がされている。
(ル……カ……ク……ミ……ズ)
姓名が逆だが間違いない。彼女が噂のクミズ・ルカ。
間夫と同じ異世界人であり、非常識な奇跡が芽生えたという女だ。
手元の板切れから視線を外して、黒目がこちらを見た。見られて更に喉が渇く。
「……白い……スーツ?」
分からない言葉を喋っているが、何やら驚いている様子だった。トティアス語の講師も頼まれていたので、とりあえず筆談で意思疎通を図る。
内ポケットから紙とペンを取り出してサラサラと自己紹介文を認め、彼女が座る長テーブルに置いた。
『はじめまして。私はナツです。この世界の言葉を教えます。よろしくお願いします』
文章を見るや愕然として目に涙を浮かべ、「よろしく! よろしくお姉さん!」と分からない言葉を叫んでいる。衣装はおかしいが聞いていたような狂人ではないのかもしれない。
自分もニホン語を勉強中の身だし、ニホン語の発音は誰も知らないのだ。海の魔女から与えられた概念魔法で意思疎通している現状は決して良いとは言えないし、彼の母国語だと思えば苦にはならない。
ウィンウィンの関係になれそうだと期待して、手始めに自己紹介文どおりのトティアス語から教えてあげることにした。
「はじめまして」
「ハジメマシテ」
「私は (名前の刺繍を指差して)です」
「ワタシハ、クミズ・ルカ、デス」
「この世界の言葉を教えます」
「コノセカイノ、コトバヲ、オシエマス」
「よろしくお願いします」
「ヨロシクオネガイシマス!」
カタコトだが意思疎通は出来る。嬉しそうに笑う顔を見ていると自然と笑顔になる。彼女からはニホン語を教えてもらおう。きっとウィンウィンな関係になれる。
ジェスチャーで教えを乞うと、こちらの意図を分かってくれたようだ。
「はじめまして!」
「ハジメマシテ!」
自分のニホン語はカタコトに聴こえているのだろう。なんだか楽しくなってきた。
「あたしは (ナツを指差して)です!」
「アタシハ、ナツ・ニイタカ、デス!」
「は?」
空気の乾燥が加速する。
シオンのコップの水があり得ない速度で蒸発し、長テーブルの色味が変わって木目がくっきりと浮き出た。
「あ、あの? 何かありましたか?」
急に雰囲気が変わった彼女は長テーブルに手を突き項垂れて、ブツブツブツブツ分からない言葉を呟いて、とても怖い。
「ナツ……ニイタカ? ナツ・ニイタカ? 新高……だよね? それってそういうことだよね? え? ハーレム十人とは聞いてたけど何この超絶美女? 真っ白いパンツスーツとか普通は恥ずかしくて着れるわけないのに良い感じに着こなしてるし全然衣装に負けてないしけしからんボンキュッボンだしそのクセすらっと背ぇ高いし何なのホント? あり得ないくらい真っ青な髪と瞳なんですけど? 地毛? 地毛でそんなの羨ましいし苗字が新高ってことはもう結婚とかしちゃってるのかなぁああああああ~。あたしが砂漠で獄卒に犯されて肉便器扱いされて孕まされて潰されてぐちゃぐちゃの赤ちゃん堕して中古にされてるときに美女とイチャコライチャコラ甘い日々を過ごしてたわけだ暖かいベッドの上で! 日本語の読み書きは穂積さんが教えない限り無理じゃない? どこでどうやって覚えたの? ベッドの上でしかあり得ないじゃんどうせ淫語から覚えさせたに決まってるんだクソクソクソクソあのフィーアとかいうのはキッチリ子供孕んでるしあたしの子宮は中古だしもう壊れてるかもしれないのになのになのにあたしたちは幸せですってかぁああああ~! そんなのダメあり得ないあり得ないありえないありえないありえないクソクソクソクソクソクソクソクソクソクソ~ああああああああああああああああああああああ…………喉が渇く」
『ザザァ――――ッ』
長テーブルが一瞬で砂になった。
女の服はオレンジ色のもの以外はすべて砂になり胸がこぼれ落ちているが、まったく気にする素振りも見せない。
カラカラに渇き切った空気を吸い込み喉の粘膜が張り付く。
シオンはムラマサを手に走り回っているが起動するための水が周囲に無い。
あまりの急変に思考が追い付かず呆けてしまった一瞬の隙に、乳丸出しの女が飛び掛かってきた。聖痕は浮かんでいない『ザザァ――――ッ』「――っ!」咄嗟に強化魔法を行使したナツの全身と身に付けるものすべてが淡く光る。
動きはド素人のそれだが、ナツは反応出来なかった。
人によって様々ではあるが、闘争には相応の動機があり、多くの場合は勝つことを目的としている。だから武芸には攻めと守りの型があり、合理を突き詰めた先に極まった強さがある。
女の闘争にはそれが見えない。少なくとも勝ちたいわけではない。身を守る意思が欠片も見当たらないのだ。
「あぁあああああ~! なんでなんで! クソクソクソクソ!」
攻撃にしてもベタベタと触り、掴んでくるだけ。こんな行為に殺傷力など有りはしない――普通なら。
最初に胸ぐらを掴まれた際に、上着はほとんど砂に変わっていた。
冷や汗が噴き出す。強化魔法が効いてくれて良かった。聖痕の浮かばない不明瞭な力に対抗できる保証など無かったのだ。
相殺が起きているかは分からないが、破られた瞬間に死が確定する状況。四の五の言っている場合じゃない。
『トンッ』
「――うっ」
軽い当て身であっさり落ちた。
シオンが窓を開けて外気を入れると乾燥が徐々に収まってくる。
「ふぅ――――っ」
この女は狂っている。
間夫とは違う狂い方だが、わけの分からない力を持つ部分だけが共通している。むしろ彼女の方が突然に異世界へ放り込まれた人間としては普通なのかもしれないが、彼とは別の意味で予想から大きく外れた存在だ。
「ん……水飲んで」
「ふふっ。ありがとう」
シオンが持ってきてくれた水を飲み干して、テーブルの砂に塗れて倒れる女を見下ろすと、目元に伝う涙が見えた。
「……わかりんせん」
「ん……部屋に連れてく」
シオンは妙に手慣れているが、こんな事がよくあるのだろうか。
黒服の中にはそこそこ腕の立ちそうな者もいたし、クミズ・ルカ本人は素人なのだから分かっていれば対処できるのだろうが、彼もなかなか酷な役目を与えたものだ。
箒で砂を片付けて、流花を背負って食堂を出ていくシオンを見やり、ナツは彼女の意を汲むことにした。
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