ローザリアの誘惑

いちのにか

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前編

 草の根一つ生えない荒れた大地には禍々しい邪気が轟々と吹き荒れ、地響きが絶え間なく続いていた。

 今、ローザリアの目の前で世界の終わりが始まろうとしていた。

 頼みの綱である勇者は目の前で倒れ伏し、唯一の回復魔法の使い手である聖女も同じく気を失っている。
パーティーを組んでいた名の知れた戦士も、国一番と言われた魔法士も、魔王には敵わなかった。

 この場でただ一人動けるのは、魔王と、ただの支援職であるローザリアだけだった。
支援職といっても、ローザリアが担当していたのは食事や野営の準備など旅をする上でのサポートであり、戦いの場では足手まといにならぬよう物陰で息をひそめているのが常であった。
 今回も戦いの邪魔にならぬよう物陰で息をひそめていた。しかし大きな爆発音と共にやってきた黒い熱風に吹き飛ばされ気を失ったのだ。

 我に返り身体を起こすと、薄暗い景色の中、魔王とその足元に倒れた勇者がいた。

ーーやっぱりダメだったのね。

 ローザリアは半分諦めながら勇者を見つめた。
勇者一行の一人に抜擢され旅を続けながらも一人冷めた気持ちでいたことは事実だ。

 幼い頃に目の前で魔物に村を焼かれて全てを失った過去を持つローザリアは、魔物の恐ろしさを身をもって知っていた。幼馴染であり、同じ経験をしたはずの勇者がその力を覚醒させ、国の希望だともてはやされたのを間近で見ても、その気持ちは変わらなかった。

 無駄なだけなのに。

 心の奥底で何度も繰り返した言葉はついぞ仲間たちに伝えることはなく終わった。皆、わずかに息はあるようだが、すぐに魔王が全てを無に帰すだろう。そして、自分もその中に含まれている。
 ローザリアはやっと身近に迫った死への恐怖を感じ始めていた。


「無様ですね」


 不意に低い声がその場に響き、ローザリアは我に返った。

「こんなことをしても無駄なだけなのに」

 無表情の男がひどくつまらなそうに呟いたのは、まるでローザリアの思考を読んだかのような言葉だった。ローザリアはノロノロと顔を起こし魔王と呼ばれる存在をその目に映した。

 腰まである長い黒髪を緩く三つ編みに垂らした男は透き通るような白い肌をしている。貴族の令嬢たちが群がりそうな整った顔立ちの中で、鮮血のような紅い眼だけが異端だった。薄い唇は冷たく引き結ばれていた。

 周囲の様子から激しい戦闘があったことが窺えるも、黒を基調とした服装に乱れはない。まるでこれから夜会に出席するかのようだった。これらの状況全てにおいて勇者との力量差は明確だった。

 そうして。彼は戯れのように緩く手を振り上げた。

 禍々しい邪気が濃くなり、地面が割れ始める。
 世界が、壊れようとしている。


 あ、死ぬ。

 明確な死を自覚した瞬間、ローザリアは声を上げていた。

「お待ちください、魔王様!」






「なにか御用ですか?」

 彼にとってはこの場で唯一意識のあるローザリアの存在など瑣末なことであったのだろう。特に驚いた様子もなく返答する。

 取るに足りない存在である自分に魔王が返答を寄越したことにローザリアの方が驚いていた。が、その腕が少しでも止まるのであれば、気まぐれであろうが何でもよかった。このチャンスを無駄にしてなるものか。なりふり構わずにローザリアは言葉を続けた。

「このように矮小な人間の分際で、至高の存在である魔王様に楯突いたこと、誠に申し訳なく思います。しかし、どうか、お慈悲を頂けないでしょうか」

 村娘として育ち、知的な言葉遣いを学んでこなかったことが悔やまれる。拙いながらもローザリアはなんとか魔王の気を引くためにそれらしい言葉を並び立てた。


「慈悲、とは」
 冷たい響きがローザリアの耳を打った。

「まさか、矮小な人間風情が命乞いをしているのですか?」

 魔王はくっ、と嘲けるような笑みを見せた。
鋭い眼光がローザリアを捉え、その足は一歩ずつ距離を詰める。

「羽虫の分際で」

「私の命を奪いにきたなどとのたまい」

「このように無様に打ち棄てられて?」

 急に景色が変わったと思った瞬間には、魔王に胸ぐらを掴まれ引き上げられていた。
鼻と鼻が擦り合わせそうなほどの距離で魔王がローザリアを睨み嘲った。

「その上、情けなく命乞いをしておられる?」

 自分が失神していないことだけが不思議であったが、ローザリアは勇気を振り絞る。時間を稼ぐのだ。何が糸口が見つかるはずだ。絶望的な状況の中で、彼女こそ無駄な足掻きを見せていた。

「気分を害されてしまったのなら大変な失礼を致しました。申し訳ございません」

 意味の成さないであろう謝罪をしながら、ローザリアは必死で糸口を探していた。消し炭にされていないのが奇跡なのだ。足掻けるだけ足掻かねば。

 そうして、彼女は一つの記憶を手繰り寄せた。

使えるかどうかはわからない。しかし彼女に残された道はそれ以外なかった。

「確かに虫のいいことを申しました。魔王様がお怒りになるのも無理はありません。このグズでノロマな人間めをお許しください」

 口先だけの謝罪を述べながらローザリアはなんとか震えを抑え、それでもわずかに振れる腕を誤魔化しながらそっと自分の胸ぐらを掴む魔王の手に乗せた。

 ローザリアに向けられていた鋭い眼光が奇妙なものを見る目に変わる。怒りから男の気を逸らせたことにローザリアは歓喜したが、表面上は冷静さを保ちながら言葉を続ける。

「わたし、とても焦ってしまいまして…。男の人に愛される喜びを知らぬまま、死ぬなんてあんまりです」


 ローザリアの頭の中には、故郷で仲良くしていた娼婦の存在があった。村では娼婦も立派な仕事として捉えられていた。見下され忌避されるものだと知ったのは王都に来てからだった。
客を誘う彼女の手つきを思い出しながら、そっと魔王の手の甲の輪郭をなぞるように指を滑らせる。

「魔王様。死ぬのは怖くないのです。ただ、誰からも愛されずに往くのが私は恐ろしく、虚しい。
愛を知らぬ哀れな女に一回だけお慈悲を頂けませんでしょうか」

 一瞬の間をおき魔王が口を開く。

「私でよろしければ」

 わずかに口角を上げ、男が見せたのは確かに笑みであった。今まで見せていたような嘲笑ではなく、含みを持たせたソレはゾッとするほどの色気を携えていた。
 返答と共に、そっと地面に足を下ろされる。男はじっとローザリアを見つめた。

 当のローザリアは焦っていた。無意識に聞き返そうとした言葉を必死に飲み込む。このような浅ましい要求を、男が簡単に了承するとは思っていなかったためだ。だがその焦りはおくびにも出さずにそっと微笑んでみせる。

「まさか魔王様にご了承いただけるなんて夢のようです」

 先程の甘えて見せたのがよかったのだろうか。友人の振る舞いを思い出しながらそっと魔王にしなだれかかり上目遣いをして見せた。

「私何もかもが初めてなんです。お許しをいただけるのであれば優しくしてほしいです」








 目の前でカタカタと震える女が時間稼ぎをしていることは分かりきっていた。
ただ、自らの手を拙くなぞる指先にどこか食指が動いたのも事実である。明らかに怯えているのにそれを隠そうとし、何を置いても生にしがみつくその生き汚なさに、笑いが込み上げる。


 ゴミの分際で楯突いてくる人間。ゴミの管理ができずに泣きついてくる配下達。全てにおいてうんざりしていた男が、魔物も人間も構わず全てを消し去ろうとしたのを止めたのは、どこにでもいるような平凡な女だった。

ありふれたブラウンの髪を一つに括った女は化粧気がなく、栗色の瞳は親とはぐれた子供のように所在なさげに揺れていた。装備を見たところ非戦闘要員であろう。魔力も弱く魔王領では一瞬でなぶり殺しにされるタイプだった。

 たどたどしくも実に身勝手な命乞いをしてみせた女に、苛立ちが再燃する。怒りをあらわに睨みつける。並みの人間なら気絶しているところ、女は体を震わせながらもそれに耐えてみせた。それどころか、男を拙くも誘惑し始めたではないか。
この世界の全てのものから畏れられる魔王を!

笑いを噛み殺しながらも、暇つぶしにはなるかと男は乗ってやることにしたのだった。
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