年下王子と口うるさい花嫁

いとう壱

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第7話 祝福の花嫁、白花の館へ

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 王宮へ帰る道すがら、クリストフは頭を悩ませていた。

 クリストフの住む白花はくかの館にローゼン公爵が来る。しかも今日、これからすぐに。むしろ今、共に馬車に乗っている。

 神殿のあの一室より出た瞬間からすでに、未来の花嫁と花婿の関係は始まっていたらしい。クリストフがさっさと馬車に乗ろうとすると、後ろから咳払いが聞こえてきた。振り返ると眉間に皺を寄せたローゼン公爵が立っている。


「何?」

「女性のエスコートの仕方もお忘れですか」


 ちなみにローゼン公爵は女性ではない。クリストフがわけの分からないという顔をしていると、また「よろしいですか」が始まった。


「よろしいですか、殿下。婚約者の女性が馬車に乗ろうとする時は」

「一緒に乗るの!?」

「私は貴方様の花嫁ですよ?」

「まだ婚約もしてないじゃん!」

「一カ月後には婚約の儀がございます」

「大体、あんたは女性じゃないし」


 クリストフの反論も虚しく御者や近衛兵の目もある中、いつものマナーの講義が始まってしまった。女性が転ばないように手をこうしてああしてと注意されながら、クリストフは貴族の女性と結婚をする男の気が知れないと心の中で悪態をついた。

 ましてや、自分より背丈の大きい男が馬車に乗り降りするぐらいで転んだりするものか。乗り込んだ馬車の揺れに身を任せながら心の中で文句を繰り返すクリストフの横で、ローゼン公爵が恐ろしいことを言い始めた。


「花婿は花嫁を幸せにしなければならないとお伝えしましたね」


 クリストフが答えないことにも構わずに、ローゼン公爵は続けた。


「私の幸せが何だかお分かりですか?」

「知らないよ、そんなの」

「貴方様がしっかりお勉強されることですよ」


 クリストフは目を見開いてローゼン公爵を見た。ローゼン公爵は左眉を持ち上げ、口端を吊り上げてクリストフを笑っている。いつものあの顔だ。

 王宮へ向かう馬車の中でクリストフは何度も想像した。走行中の馬車からローゼン公爵を蹴り出してやる自分を。道路に転がったローゼン公爵が、起き上がって走り去る馬車に向かって地団駄じだんだを踏んでいるさまを。



 王宮の庭園はもうあと少しもすれば見頃だ。

 先々代国王の側室が愛したという女神の白い花が、柔らかな風に吹かれて蕾を揺らしている。その美しい風景にすらこの冷血公爵は心を動かされていないらしい。庭園には目もくれず黙々とクリストフの後をついて歩いている。

 二人の前後は数人の近衛兵に囲まれていた。こんなに厳重な警護は初めてだ。クリストフがすぐ側を歩く近衛兵の顔を見てみると、彼はかなり緊張しているようで何度もローゼン公爵の表情を窺っている。

 近衛兵の多くは王太子派だと聞く。同じ主を戴かんとする者として相応しくない振る舞いがあれば、噂にも上る冷血公爵の厳しい言葉が飛ぶのだろう。クリストフは近衛兵たちに少し同情した。

 陽光が降り注ぐ明るい庭園を、暗い表情で行軍するクリストフたち一行の様子は、第三者から見れば確かに、クリストフの異母兄である王太子レオンハルトが言ったように「まるで葬式」だった。

 クリストフは内心ため息をついた。早く館に着いてこんな堅苦しい状況とはおさらばし、紅茶でも飲んでのんびり休みたい。まさかお貴族様のように自分が午後のお茶の時間を楽しみにする日が来るとは。

 いささか自嘲気味な笑みを口端に浮かべクリストフが顔を上げると、見慣れた館の前になんとあの偉そうな侍女長が立っているではないか。おまけに。エレナの姿はどこにも見えないばかりかエレナを苛めていた侍女たち、そして見たこともない使用人たちがそこにいる。

 クリストフが驚いて歩みを止めると、侍女長は丁寧に頭を下げた。ただし、ローゼン公爵に向かって。


「エレナは?」


 クリストフは挨拶もなしに侍女長に尋ねた。


「彼女のような者に祝福の花嫁様のお世話を任せておけませんのでわたくしが参りました」


 侍女長はクリストフを横目に見て小さく笑った。そしてその後すぐに表情を引き締めた。クリストフの背後のローゼン公爵が侍女長を見ていたからだろう。侍女長は再度深々と頭を下げた。


「館のご準備をいたしました。すぐにお体を休めていただけます」


 侍女長が一歩下がると他の侍女たちや使用人たちが一斉にローゼン公爵の前に道を開けた。館の扉は開かれており、館内に飾られた花が見える。


「待ってよ!ご準備って!? 中に勝手に入ったの!??」


 クリストフは侍女長に食ってかかった。この王宮の中にあっても面倒な人間が来ない静かなこの館が、大嫌いな輩に荒らされたのかと思うと黙っていられなかった。


「殿下」


 ローゼン公爵の手がそっと背に添えられた。


「参りましょう」

「嫌だよ! こんなの泥棒と変わらないだろ!」


 駄々をこねるクリストフの背を押してローゼン公爵は歩みを進める。クリストフは後についてくる侍女長を睨みながら嫌々館の入口に向かった。しかし、そこにはもっと酷いものがあったのだ。

 物が積まれた手押し車を使用人の一人が運び出そうとしている。クリストフはそれを見ると目を見開いた。

 作りかけの魔道具や書きかけの魔法陣。失敗作ももちろんあるが、クリストフが夜遅くまであれこれ試行錯誤しながら手をかけた物たちが、まるでゴミのように無造作にそこに乗せられている。クリストフは思わず走り出した。

 紙切れが落ちて散らばった。クリストフが研究用として使っているノートの一部分だ。エレナがこっそり入手してくれた中古の本から一生懸命書き写した魔法陣論。夜遅くまで頭を悩ませながら調べた古代文字などが書かれている。

 全て、困っている人々を助けるために、魔道具を作るために必要なものだ。

 娼館で暮らしていた時と違って、自由になるお金がないし、お金を稼ぐ手段もなくなってしまったが、だからと言って国王に金の無心をするつもりはなかった。母を苦しめた王族の手は借りたくない。クリストフは市井で生きてきた平民だから、平民として魔道具を作るつもりだった。国王が父親だろうが何だろうがそんなことはクリストフには関係ない。

 そんな状況の中、エレナの助けを借りて何とかここまで必要なものを集めることができたのだ。

 暗記したり手の平に書いたりしていたところを見かねたエレナがハーマン子爵に伝えてくれて、簡素なノートを差し入れてくれたり、子爵家も金策に苦しんでいるはずなのにどこからか魔道具の部品や魔石まで調達してくれたり。中古だろうと気になるはずもない。本当にありがたかった。

 大切に使っていたのに。母の願いを叶えるための大事なものなのに。


「どけよ!」


 クリストフは手押し車を運ぼうとしていた使用人を押した。使用人は「乱暴な」と言って他の使用人たちの列に逃げ込んだ。傾いた手押し車から落ちた最近作った試作品の魔道具は、部品が一部取れていた。後で動作確認をするつもりだったものだ。

 来たくもない場所に勝手に連れて来られた上に疎まれ、それでも我慢して静かに暮らしていたのに。

 クリストフは壊れてしまった試作品を手に唇を噛みしめた。ローゼン公爵は黙ってクリストフの背を見つめ、それから侍女長を見た。視線を受けた侍女長は分かっているとばかりに眉尻を下げて溜息をついた。


「公爵閣下のお手を煩わせまして誠に申し訳ございません。なにしろ王太子殿下のような王道を歩まれる方と比べ、全てがあまりに稚拙なもので」


 この女は王太子派だったのだ。


「ふむ」


 ローゼン公爵は視線を下げ、それから開かれた扉の中を見た。侍女長は誇らしげに胸を張った。


「全て整えてございます」


 彼女はまたクリストフではなく、ローゼン公爵に一礼すると、それからエレナを苛めていた二人の侍女たちを呼びつけた。


「花嫁様はお疲れです。お茶の準備を」


 侍女たちはうやうやしく頭を下げた。使用人たちも媚びへつらう笑みを浮かべている。クリストフはもう我慢がならなかった。


「いらないよお茶なんて! あんた等、皆」


 吹き飛ばしてやる。そう言って風魔法を使うつもりだった。


「いや結構」


 ローゼン公爵の低い声がクリストフの言葉を遮った。


「バッケル卿」


 先頭に立っていた近衛兵がびくりとその身を跳ねさせた。一貴族とは言え、まさかローゼン公爵が跡取りでもない自分を知っているとは思わなかったらしい。


「は、はっ」


 礼を取り、一歩前へと歩み出る。


「今をもって彼等はその任を解かれることとなった。今後王宮内へ入ることはない。外へ連れて行け」


 侍女長は目を瞬かせた。

 クリストフはローゼン公爵の言葉の意味を捉えかね、口を開けた間抜けな顔のまま「バッケル卿」と呼ばれた近衛兵を見た。くだんのバッケル卿もぽかんとした顔でクリストフを見て、それから侍女長や他の使用人たちを見回した。


「聞こえなかったのか」


 ローゼン公爵が冷たい声で促した。


「は、はいっ」


 バッケル卿は慌てて他の近衛兵と共に使用人や侍女たちを庭園の外へ促そうとした。


「お、お待ちください! どういうおつもりですか!」


 侍女長は意識を取り戻し、驚いたのか大きな声を上げた。


「どういうつもりか、だと?」

「わ、わたくしは王妃様に選ばれてこの職につきました。閣下が何の権限によってわたくしを」

「主に与えられた仕事をまともにせず、くだらぬ奸計に加担する愚か者め。貴様が何をしていたのか私が知らぬとでも思うたか」


 蒼白になる侍女長の後ろで、侍女たちや使用人たちが震え上がった。

 侍女長に言われるがままにクリストフの世話もせず放置していたことが、ローゼン公爵に知られていたらしい。しかも、その侍女長も誰かの指示を受けていたのだ。食事を出さぬのも、着る物の手配をしないのも、館の掃除をしないのも、全て裏にいる輩の策略だったようだ。


「おまけに、新しい侍女の教育もまともにできぬようだな」


 ローゼン公爵の視線がエレナを苛めていた侍女二人に注がれた。「ひっ」と小さな声を上げて二人は抱き合った。クリストフが呆然とそれを見ていると、向こうから女性が二人やってくる。エレナと見たこともない銀髪の女性だ。エレナはクリストフの視線を受けるや否や走り出した。もう一人の女性の制止も聞かず、泣きそうな顔をしてこちらへ向かってくる。


「殿下!」


 クリストフに駆け寄ったエレナは、手押し車に積まれた物を見てくしゃりと顔を歪めた。


「あんたのせいじゃないよ」


 エレナはクリストフの言葉に頭を振ると、ひとつひとつ丁寧に積まれた物を下ろしていく。破かれたノートを見て今にも泣き出しそうな顔になったので、クリストフは慌てて「大丈夫だから」とノートをエレナの手から取り上げた。それよりもクリストフが気になったのはエレナの格好だ。彼女が着ている服は汚れていて髪の毛も埃だらけだ。スカートの裾は破れてしまっている。


「何があったの」


 クリストフが尋ねてもエレナは答えなかった。代わりに銀髪の女性が近付いてきてクリストフに一礼し、答えてくれた。


「物置に閉じ込められていたのでお助けいたしました」


 クリストフは抱き合って震えている侍女たちを睨んだ。そんなクリストフを横目でちらと見てからローゼン公爵は言葉を続けた。


「勢力争いとやらに加わるのは結構。だがろくな仕事もせずに下らぬ権力を振りかざす輩はこの王宮には不要だ。いや――」


 ローゼン公爵はいつものように左眉を持ち上げて酷薄な笑みを浮かべた。


「このアルムウェルテン王国に不要であるな」


 エレナが驚いてローゼン公爵を振り返った。クリストフも驚いて侍女長を見た。国外への追放をにおわせる発言に彼女は怒りに唇を震わせている。近衛兵たちは、一様に顔色を悪くしている侍女たちや使用人たちを慌ただしく館の前から連れ去って行った。最後に残った侍女長をバッケル卿が促して連れて行こうとする。


「わ、わたくしは、王妃陛下の侍女も勤めたのですよ!? そのわたくしをこのような」


「その矜持を自ら捨て去ったのは貴様だ。通じていた男の意のままに操られ、何が王宮の侍女か。己の真の主が誰であるかも分からぬ者にここにいる資格などない」


 侍女長の見開いた目にうっすらと涙が浮かんだ。そして、彼女はふらふらとおぼつかない足取りで近衛兵に支えられながら去っていった。

 銀髪の女性がエレナを促して、エレナは慌ててローゼン公爵に向き直り、一礼した。ローゼン公爵はエレナの頭からつま先までを眺め、それから頷くと扉の中へ目をやって「さて」と軽く息を吐いた。


「元に戻さねばなりませんな」


 それからクリストフの側に歩み寄ると、なんと手押し車に積まれた物をその手で丁寧に下ろし始めた。これにはクリストフが慌てた。自分がこっそり作っていた物を見られるのが、なぜだか気恥ずかしかった。


「何やってるの!」

「夫の仕事を手伝うのは妻の務めです」

「まだ結婚してないよ!」

「どうせこれからするのですから」


 ローゼン公爵は手を止めて破かれたノートの切れ端を見た。眉を寄せそれをクリストフに渡すと「それは間違っています」と溜息混じりに告げた。クリストフは描かれた魔法陣を凝視した。


「精製された水を出すおつもりのようですが」


 ローゼン公爵は試作品から飛び出たバネに顔をしかめながら言った。


「その古代文字は一文字間違っています。そのままでは毛が出てきます」

「何?」

「その魔法陣を刻んだ魔道具から、毛が生えます」


 エレナが思わず吹き出した。銀髪の女性は眉一つ動かさない。しかし彼女はローゼン公爵とクリストフに向かってにこやかに言った。


「それはそれで使い途がございますね。閣下」


 クリストフは目を白黒させて魔法陣を見つめた。やがて遠くから数人の足音が聞こえて来た。エレナは顔を上げ、やってきた男の姿に胸の前で手を握り締めたが、すぐに自分の服を見て縮こまり慌てて髪の毛についている埃をはたいた。


「お待たせいたしました!」


 ローゼン公爵の侍従アルベルトが背後に数人の使用人らしき人々を連れ、こちらに手を振る。


「では、お片付けを始めるとしましょう」


 ローゼン公爵は子どもに向けるような口調でクリストフに言った。クリストフはむっとして魔法陣が描かれた切れ端を胸元のポケットに突っ込んだ。





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