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第20話 内助の功は「毛」を呼ぶ
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ローゼン公爵が講義の終わりで切り出したのは、クリストフがお詫びの訪問をした淑女会のメンバー、ブレンドル伯爵夫人のことだった。
「殿下、ブレンドル伯爵夫人が魔道具について殿下のお力を借りたいとのことです」
何故か自慢顔で話すローゼン公爵に、一緒に淑女会に参加し始めたエレナが事情を説明してくれた。何でもローゼン公爵はクリストフの理解を得たとばかりに魔道具製作やクリストフの目標について淑女会の女性達にさらに広めているらしい。
市井の人々のために魔道具を製作している。生活に密着した魔道具も作ることができる。自領でお困り事はありませんか、と営業して回っているとのことだ。
ローゼン公爵は言った。
「内助の功です」
クリストフが耳慣れない言葉に首を傾げると「妻が夫の仕事や業績などを陰から支えること」を指すと簡単に説明してくれた。要はクリストフの魔道具製作について貴族の間に広め、協力者を増やそうとの思惑らしい。それに、平民の生活に理解のある貴族がこの話を聞けば、領地の平民達に役に立つ魔道具の製作依頼もくるかもしれない
「ブレンドル伯爵夫人は不正を摘発した例の孤児院をより良い場所にするために再建中とのこと。きっとその件のご相談に違いありません」
孤児院の厳しい運営状況のことならクリストフも知っている。継続的に支援してくれる貴族もいるが決して多くはない。クリストフの母やクリストフが雑務を手伝っていた孤児院でも食べる物や着る物は常に不足し、職に就くために勉強させたいがそれもままならなかった。そうして貧しさが引き継がれていってしまう状態だったのだ。
クリストフが何をできるか考えている横で、ローゼン公爵はやる気満々だった。王宮の補佐官から王都の孤児に関する調査の資料を持ってこさせたり、ローゼン公爵の領地での改善例を整理して文書にまとめたり、すぐに製作に必要な物を手配できるよう、王宮やローゼン公爵家に出入りしているシモーナ商会のウーゴに当日同席するよう言いつけたり、大きな魔道具が必要となった場合にその試作品を置く場所を確保すべく、魔法・魔術研究所のファン・ハウゼン所長に相談までしていた。
クリストフはといえば、何を準備すれば良いのか分からなかったので、とにかく研究所での授業や実習をこなし魔法陣や魔石に関する書物を読み漁った。たくさんの魔法陣を知っていれば作ることができる魔道具の幅も広がるというものだ。
クリストフの侍女エレナとローゼン公爵の侍従アルベルトの姉イルザは、当日に向けてお茶とお菓子の準備をした。エレナは迷わずに王都のとある店のお菓子を取り寄せる手配をした。曰く、ブレンドル伯爵夫人が気に入ってくれるだろうとのこと。
最近のエレナはやけに人気のお茶やらお菓子やらに詳しい。クリストフは不思議に思っていたが、イルザの話ではどうやら王宮内で友人が増えたことが理由の一つのようだ。
侍女長が更迭されたことにより館の環境が安定し始めて給金がまともに支払われるようになったエレナは、実家への仕送り以外に残ったお金で今までよりほんの少し多く大好きな恋愛小説を読むようになったらしい。そして、その恋愛小説を通じて王宮の侍女やメイド達との交流が生まれたという。
苛めていた先輩侍女達がいなくなったこともあり交友関係は順調に広がって、今では王宮内で働く女性達の多くとかなり仲良くなることができたようだ。友人達との何気ない会話や、淑女会で耳にした情報のお陰でエレナは情報通になっていた。
個人の噂などを口にすることはないが、お茶やお菓子、アクセサリーやドレス、話題の作家や劇場の演目、人気の令息や流行りの恋愛傾向、そして流行語や新しいマナーなど。何が流行って何が廃れ、新しいタブーは何になったのか。最新の話題を仕入れては、クリストフの役に立てばと考えてくれているとのこと。
二人でこの館に追いやられて暮らしていたころを思い出し、エレナの環境の変化にクリストフはほっとしたのだった。
さて、それから一週間後、ブレンドル伯爵夫人が夫を伴って白花の館へ訪れた。
形の良い帽子をかぶった品の良さそうな男が夫のブレンドル伯爵だと夫人から紹介された。通った鼻筋、きりりとした眉、翡翠の瞳、形の良い唇。伯爵はローゼン公爵より少し年下だとのことだが、若さ隆盛の時期を過ぎてもなお、いわゆる美男子といえた。
しかし、ローゼン公爵がにこやかに夫妻を迎え入れたものの、何故か伯爵は視線を落としたまま帽子も取らない。これは無礼だとさすがのクリストフでも首を傾げた。事情があると察したローゼン公爵は、何も言わずに二人を勉強部屋のテラスへと案内した。
エレナとイルザがお茶とお菓子を持ってきてテーブルに並べる。夫人はそれを見てにっこり微笑んだ。美味しい紅茶で気持ちがほぐれたところで、夫人は神妙な顔をして話を切り出した。
「……ご相談というのは、実はうちの主人のことなんです」
ローゼン公爵とクリストフは顔を見合わせた。予想していた孤児院の話ではなかったのか。伯爵は肩を落とし俯いてしまっている。
「殿下がお作りになったという、ベルモント公爵閣下を模した魔道具を拝見いたしました」
「ええっ?」
夫人はとんでもないことを言い出した。クリストフは驚いて思わず声を上げた。今振り返れば、あれは魔道具とも呼べない代物だ。傍らのローゼン公爵を見ると顔を強張らせたまま固まっている。
「主人は社交界でも名高い美丈夫で通っていたのですが……」
夫人がちらと夫である伯爵を見た。伯爵は観念したように帽子を脱いだ。クリストフは目を見開いた。そこには何もなかった。一本も、なかったのだ。
「以前摘発した孤児院の不正……あの件で恨みを買ってしまったのです。院長だった男が主人を毒殺しようと使用人を買収し、外遊中だった主人のワインの中に毒が。一命は取り留めましたが……」
夫人は伯爵の光る頭部を切なげに見た。
「殿下と閣下の前で帽子も取らぬご無礼! 誠に申し訳ございません!」
伯爵は苦しげな表情で頭を下げた。
「妻が行った正義を、よもや後悔などはするはずもない! だが……だがっ……!!」
膝の上で握り締めた拳が震えている。
「だがこれはっ! こんなことなら、いっそ全てなくなってくれればっ!!」
クリストフは伯爵のもみあげを見た。ふさふさとした栗毛が耳の脇で踊っている。アルベルトが不謹慎にも震えているのが見えた。ウーゴはこちらに背を向けている。無礼だ。エレナは眉を下げて泣きそうな顔をしている。イルザは沈痛な面持ちで立っている。そしてローゼン公爵は……無表情になっていた。
「魔法・魔術研究所のファン・ハウゼン所長にご相談しましたところ、殿下の作った魔道具を見せてくださいました」
「余計なことを……」
ローゼン公爵の地を這うような呟きが聞こえた。幸いなことにブレンドル伯爵夫妻には聞こえなかったようで、夫人は話し続けている。
「あのようなことが可能なのであれば、主人の憂いを取り除くような魔道具を作って頂けるのではないかと」
「孤児達には立派な大人としての姿を見せなければなりません。このままでは、もみあげ男との謗りを受けるやもしれず……。それはひいては孤児達への嘲りを招くことにも繋がるでしょう」
毒殺を企んだ者達は捕まえられたのだろうか。髪の有無よりそちらの方がはるかに重要なことではないのか。クリストフは別のことを考え始めた。
「お願いいたします! 主人の名誉回復のためにも、頭髪の回復を!」
「女神様のお慈悲を我等に!」
貴族は体面を重んじる。ローゼン公爵から聞いたことがある話だ。素晴らしい慈善活動をしている貴族でも、その気質から逃れることはできなかったらしい。クリストフには女神の慈悲と毛の繋がりはよく分からなかった。
「顔を上げて下さい。お気持ちは良く分かりました。手を尽くしましょう」
頭を下げた夫妻を見て、ローゼン公爵は大きく息を吐いた。
「ただ、お二方はお分かりのはずだ。頭髪によって人を嘲笑うことも、美醜を決めつけることも愚かなことです。ご存知の通り、第二十五代国王アーデルベルト陛下の時代においては、頭髪のない男性の方がより男らしいと女性に好まれました。救国の英雄である王弟ジークムント殿下が黒竜との決死の戦いの際、黒い炎で頭髪を焼かれてしまったためです。頭髪がないことはそのことから考えれば、勲章であることも同然なのです」
夫妻は神妙な顔で頷いた。
「伯爵のこのお姿も、謂わば名誉の負傷。ブレンドル伯爵夫人におかれましては、どのようにご覧になられていますか」
「もちろん、我が夫はわたくしの誇りです。このお姿もわたくしにとってみれば可愛らしいもの。ですが、わたくしのやったことが夫を苦しめたかと思うと……」
「何を言う。君のような正義の女性が妻であることが私の誇りだ」
夫妻は互いの手を取り見つめ合った。クリストフは急に座り心地が悪くなってきたように感じ、落ち着かなげに膝を揺らした。エレナは感動のあまり泣き出した。イルザが沈痛な面持ちを崩さぬまま器用にアルベルトの足を踏み、エレナを慰めるよう促している。
だが、ローゼン公爵の表情は消え去ったまま戻らない。夫婦の愛などまるでこの世に存在しないかのようだ。クリストフの右膝を左手で掴んで揺れを止め、無情な視線を未来の夫へと向けた。目の前の愛の劇場とこちらを見下ろす冷徹な瞳に挟まれて、クリストフはどうしたら良いのか分からなくなり、眉尻を下げてローゼン公爵を見上げた。
「まぁ……」
ローゼン公爵の左眉がいつものとおり持ち上がり、その目がクリストフを見つめたあと、凍てついた表情が僅かに和らいでため息と共に言葉が吐き出された。
「現在は、先々代国王リーンハルト陛下のご令妹エルメティーナ殿下のお子であるハラルト様の美貌から影響を受け、第二王子殿下の様な髪の長い男性が好まれるようになったことは事実。伯爵のお気持ちも痛いほど分かります。結局は時代の流れの一つ、流行り廃りのようなものだとは思いますが。何か策を考えましょう」
流行り廃り……クリストフは伯爵の帽子を見てふと思いついた。
「じゃあ、流行ればいいんだよね」
「と、仰いますと」
ローゼン公爵は怪訝な顔でクリストフを見た。
「殿下、ブレンドル伯爵夫人が魔道具について殿下のお力を借りたいとのことです」
何故か自慢顔で話すローゼン公爵に、一緒に淑女会に参加し始めたエレナが事情を説明してくれた。何でもローゼン公爵はクリストフの理解を得たとばかりに魔道具製作やクリストフの目標について淑女会の女性達にさらに広めているらしい。
市井の人々のために魔道具を製作している。生活に密着した魔道具も作ることができる。自領でお困り事はありませんか、と営業して回っているとのことだ。
ローゼン公爵は言った。
「内助の功です」
クリストフが耳慣れない言葉に首を傾げると「妻が夫の仕事や業績などを陰から支えること」を指すと簡単に説明してくれた。要はクリストフの魔道具製作について貴族の間に広め、協力者を増やそうとの思惑らしい。それに、平民の生活に理解のある貴族がこの話を聞けば、領地の平民達に役に立つ魔道具の製作依頼もくるかもしれない
「ブレンドル伯爵夫人は不正を摘発した例の孤児院をより良い場所にするために再建中とのこと。きっとその件のご相談に違いありません」
孤児院の厳しい運営状況のことならクリストフも知っている。継続的に支援してくれる貴族もいるが決して多くはない。クリストフの母やクリストフが雑務を手伝っていた孤児院でも食べる物や着る物は常に不足し、職に就くために勉強させたいがそれもままならなかった。そうして貧しさが引き継がれていってしまう状態だったのだ。
クリストフが何をできるか考えている横で、ローゼン公爵はやる気満々だった。王宮の補佐官から王都の孤児に関する調査の資料を持ってこさせたり、ローゼン公爵の領地での改善例を整理して文書にまとめたり、すぐに製作に必要な物を手配できるよう、王宮やローゼン公爵家に出入りしているシモーナ商会のウーゴに当日同席するよう言いつけたり、大きな魔道具が必要となった場合にその試作品を置く場所を確保すべく、魔法・魔術研究所のファン・ハウゼン所長に相談までしていた。
クリストフはといえば、何を準備すれば良いのか分からなかったので、とにかく研究所での授業や実習をこなし魔法陣や魔石に関する書物を読み漁った。たくさんの魔法陣を知っていれば作ることができる魔道具の幅も広がるというものだ。
クリストフの侍女エレナとローゼン公爵の侍従アルベルトの姉イルザは、当日に向けてお茶とお菓子の準備をした。エレナは迷わずに王都のとある店のお菓子を取り寄せる手配をした。曰く、ブレンドル伯爵夫人が気に入ってくれるだろうとのこと。
最近のエレナはやけに人気のお茶やらお菓子やらに詳しい。クリストフは不思議に思っていたが、イルザの話ではどうやら王宮内で友人が増えたことが理由の一つのようだ。
侍女長が更迭されたことにより館の環境が安定し始めて給金がまともに支払われるようになったエレナは、実家への仕送り以外に残ったお金で今までよりほんの少し多く大好きな恋愛小説を読むようになったらしい。そして、その恋愛小説を通じて王宮の侍女やメイド達との交流が生まれたという。
苛めていた先輩侍女達がいなくなったこともあり交友関係は順調に広がって、今では王宮内で働く女性達の多くとかなり仲良くなることができたようだ。友人達との何気ない会話や、淑女会で耳にした情報のお陰でエレナは情報通になっていた。
個人の噂などを口にすることはないが、お茶やお菓子、アクセサリーやドレス、話題の作家や劇場の演目、人気の令息や流行りの恋愛傾向、そして流行語や新しいマナーなど。何が流行って何が廃れ、新しいタブーは何になったのか。最新の話題を仕入れては、クリストフの役に立てばと考えてくれているとのこと。
二人でこの館に追いやられて暮らしていたころを思い出し、エレナの環境の変化にクリストフはほっとしたのだった。
さて、それから一週間後、ブレンドル伯爵夫人が夫を伴って白花の館へ訪れた。
形の良い帽子をかぶった品の良さそうな男が夫のブレンドル伯爵だと夫人から紹介された。通った鼻筋、きりりとした眉、翡翠の瞳、形の良い唇。伯爵はローゼン公爵より少し年下だとのことだが、若さ隆盛の時期を過ぎてもなお、いわゆる美男子といえた。
しかし、ローゼン公爵がにこやかに夫妻を迎え入れたものの、何故か伯爵は視線を落としたまま帽子も取らない。これは無礼だとさすがのクリストフでも首を傾げた。事情があると察したローゼン公爵は、何も言わずに二人を勉強部屋のテラスへと案内した。
エレナとイルザがお茶とお菓子を持ってきてテーブルに並べる。夫人はそれを見てにっこり微笑んだ。美味しい紅茶で気持ちがほぐれたところで、夫人は神妙な顔をして話を切り出した。
「……ご相談というのは、実はうちの主人のことなんです」
ローゼン公爵とクリストフは顔を見合わせた。予想していた孤児院の話ではなかったのか。伯爵は肩を落とし俯いてしまっている。
「殿下がお作りになったという、ベルモント公爵閣下を模した魔道具を拝見いたしました」
「ええっ?」
夫人はとんでもないことを言い出した。クリストフは驚いて思わず声を上げた。今振り返れば、あれは魔道具とも呼べない代物だ。傍らのローゼン公爵を見ると顔を強張らせたまま固まっている。
「主人は社交界でも名高い美丈夫で通っていたのですが……」
夫人がちらと夫である伯爵を見た。伯爵は観念したように帽子を脱いだ。クリストフは目を見開いた。そこには何もなかった。一本も、なかったのだ。
「以前摘発した孤児院の不正……あの件で恨みを買ってしまったのです。院長だった男が主人を毒殺しようと使用人を買収し、外遊中だった主人のワインの中に毒が。一命は取り留めましたが……」
夫人は伯爵の光る頭部を切なげに見た。
「殿下と閣下の前で帽子も取らぬご無礼! 誠に申し訳ございません!」
伯爵は苦しげな表情で頭を下げた。
「妻が行った正義を、よもや後悔などはするはずもない! だが……だがっ……!!」
膝の上で握り締めた拳が震えている。
「だがこれはっ! こんなことなら、いっそ全てなくなってくれればっ!!」
クリストフは伯爵のもみあげを見た。ふさふさとした栗毛が耳の脇で踊っている。アルベルトが不謹慎にも震えているのが見えた。ウーゴはこちらに背を向けている。無礼だ。エレナは眉を下げて泣きそうな顔をしている。イルザは沈痛な面持ちで立っている。そしてローゼン公爵は……無表情になっていた。
「魔法・魔術研究所のファン・ハウゼン所長にご相談しましたところ、殿下の作った魔道具を見せてくださいました」
「余計なことを……」
ローゼン公爵の地を這うような呟きが聞こえた。幸いなことにブレンドル伯爵夫妻には聞こえなかったようで、夫人は話し続けている。
「あのようなことが可能なのであれば、主人の憂いを取り除くような魔道具を作って頂けるのではないかと」
「孤児達には立派な大人としての姿を見せなければなりません。このままでは、もみあげ男との謗りを受けるやもしれず……。それはひいては孤児達への嘲りを招くことにも繋がるでしょう」
毒殺を企んだ者達は捕まえられたのだろうか。髪の有無よりそちらの方がはるかに重要なことではないのか。クリストフは別のことを考え始めた。
「お願いいたします! 主人の名誉回復のためにも、頭髪の回復を!」
「女神様のお慈悲を我等に!」
貴族は体面を重んじる。ローゼン公爵から聞いたことがある話だ。素晴らしい慈善活動をしている貴族でも、その気質から逃れることはできなかったらしい。クリストフには女神の慈悲と毛の繋がりはよく分からなかった。
「顔を上げて下さい。お気持ちは良く分かりました。手を尽くしましょう」
頭を下げた夫妻を見て、ローゼン公爵は大きく息を吐いた。
「ただ、お二方はお分かりのはずだ。頭髪によって人を嘲笑うことも、美醜を決めつけることも愚かなことです。ご存知の通り、第二十五代国王アーデルベルト陛下の時代においては、頭髪のない男性の方がより男らしいと女性に好まれました。救国の英雄である王弟ジークムント殿下が黒竜との決死の戦いの際、黒い炎で頭髪を焼かれてしまったためです。頭髪がないことはそのことから考えれば、勲章であることも同然なのです」
夫妻は神妙な顔で頷いた。
「伯爵のこのお姿も、謂わば名誉の負傷。ブレンドル伯爵夫人におかれましては、どのようにご覧になられていますか」
「もちろん、我が夫はわたくしの誇りです。このお姿もわたくしにとってみれば可愛らしいもの。ですが、わたくしのやったことが夫を苦しめたかと思うと……」
「何を言う。君のような正義の女性が妻であることが私の誇りだ」
夫妻は互いの手を取り見つめ合った。クリストフは急に座り心地が悪くなってきたように感じ、落ち着かなげに膝を揺らした。エレナは感動のあまり泣き出した。イルザが沈痛な面持ちを崩さぬまま器用にアルベルトの足を踏み、エレナを慰めるよう促している。
だが、ローゼン公爵の表情は消え去ったまま戻らない。夫婦の愛などまるでこの世に存在しないかのようだ。クリストフの右膝を左手で掴んで揺れを止め、無情な視線を未来の夫へと向けた。目の前の愛の劇場とこちらを見下ろす冷徹な瞳に挟まれて、クリストフはどうしたら良いのか分からなくなり、眉尻を下げてローゼン公爵を見上げた。
「まぁ……」
ローゼン公爵の左眉がいつものとおり持ち上がり、その目がクリストフを見つめたあと、凍てついた表情が僅かに和らいでため息と共に言葉が吐き出された。
「現在は、先々代国王リーンハルト陛下のご令妹エルメティーナ殿下のお子であるハラルト様の美貌から影響を受け、第二王子殿下の様な髪の長い男性が好まれるようになったことは事実。伯爵のお気持ちも痛いほど分かります。結局は時代の流れの一つ、流行り廃りのようなものだとは思いますが。何か策を考えましょう」
流行り廃り……クリストフは伯爵の帽子を見てふと思いついた。
「じゃあ、流行ればいいんだよね」
「と、仰いますと」
ローゼン公爵は怪訝な顔でクリストフを見た。
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