5回目のコール

litalico

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5話

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そうして3人は夏休みに函館に出かけた。
「函館の市民にとって、夏場のイカと言えばスルメイカ。歯応えがたまらないんだ。これは『はこだて自由市場』で体験できる。場内にはその場でさばいて食べさせてくれるイカ専門店や活イカの釣り堀もあるんだよ」
加藤がはりきって岡崎と薫、二人に説明してくれた。

「三方に海に囲まれた函館は、一年中新鮮な近海ものが手に入る。函館駅前から五稜郭方面に向かう途中に『はこだて自由市場』はあるんだ」
「おいしんだろうな」岡崎が言った。
「そうね」薫は少し元気がなかった。
「魚介類の質のよさに定評があり、地元っ子はもちろん、料理人が仕入れに通うプロ御用達市場としても知られている」

「ウニなんかもあるのかい?」岡崎は刺身類が好きだった。
「約40件ある店の中には、新鮮なウニの殻をむいてその場で食べさせてくれるところもある。殻むきの職人技には驚くばかりなんだ。食い入るように見てしまう」
「場内に店を構える『函館すし雅』という寿司屋。1貫80円からだと思うが。すごく安いのに、市場のネタを使ってきちんと仕事をした寿司が出てくるんだ。お昼はここにしよう」。
「楽しみね」
寿司の好きな薫なはずの薫が何となく言った。

昼食の後、3人は温泉に向かった。
「函館には素敵な温泉街も多いけれど、僕のおすすめは、函館山の麓の谷地頭温泉。温泉好きの友人に紹介して、喜ばれたこともあるくらい。温泉掛け流しで、鉄分の多い茶色いお湯がほんとに気持ちいいんだ」
「函館に温泉というのはあまりイメージに合わないね」
「そんなことはない。函館市電の終点、谷地頭停留所から、徒歩5分の日帰り入浴施設などもあるんだ。近くには人気パン屋や和菓子店が並ぶ商店街のほか、〈函館八幡宮〉や《立待岬》といった観光名所も多い。古くから愛されているが、2013年にリニューアルオープンした天井が高く気持ちよい浴場のほか、特別史跡《五稜郭跡》にちなんだ星形浴槽の露天風呂もある」。

「そうだったのかい。意外だね」
「銭湯くらいの料金で入れるし、毎日通っている地元の人も多い。人情味のあふれる下町の温泉施設といった雰囲気なんだ。食堂には畳敷きのスペースがあり、ビールを飲んだりラーメンを食べたりしながらのんびりできるところもいいんだよ」。
函館の魅力は何といっても活気があって人が明るい事。加藤は言う。
二人はその函館の魅力につかりながら今回の旅を楽しんでいた。
「港町だからだろう、みんなおおらかで明るい。この温泉では、そういう、街の人柄を感じるよ」岡崎はふとそんなことをつぶやいた。

「市街地から車で約1時間半。大自然が残る知内町の矢越海岸に、手つかずの美しい洞窟がある。昔から船でしか辿り着けなかったその場所は、まさに奇跡の秘境となっている。10年ほど前から、『青の洞窟』というキャッチフレーズとともに隠れ家的観光スポットとして人気が急上昇して。小型遊覧船によるクルージングが日々運航されているんだ」加藤の説明に、学生時代、乗船の経験のあった岡崎が思わず言った。
「そこは僕も昔1度、体験したけれど、神秘的できれいだった。びっくりするほど楽しかった」

「誰と来たの?」と薫は岡崎を睨みつけた。
「・・・・・・」コメントはなかった。
「小谷石の漁港を出発したら、海岸沿いの断崖絶壁や奇岩を眺めながら洞窟へ。入り口は小さいけれど、洞窟内は奥行き約60m。海水による浸食で複雑な形になったその空間は真っ暗闇だが、やがて、青く透き通った海面やコバルトブルーの光に目を奪われる」
「僕が今、一番行きたいのはここ。毎年のように函館に帰省していても、いまだに知らない名所がある。小さい町だけれど、ますます好きになるよね」
加藤が遠くを見つめるような目でそういった。

そして次は函館山だった。
「〝手が届きそうなほど〟ってよく言いうが本当にその通り。キラキラと輝く景色がすぐ目の前に広がっている。これが函館山から見下ろす夜景の魅力なんだ」
「2020年のミシュラン・グリーンガイドでは3ツ星に輝いた函館の夜景なんだ。高さ334mの函館山山頂展望台から見下ろせば、細くくびれた半島と、その両側に広がる暗い海。くびれ部分に密集した道路や街の光が、大きなアーチを描きながら広がっていく」。
「右が津軽海峡で左が函館湾。コンパクトな街の両側に海がある景色なんて、函館でしか見られないんじゃないかな」

「日没30分後の、空が薄暮れから濃紺に映る時刻もいいし、真っ暗な街に明かりがきらめく頃も美しい。また、函館山から街を一望する『表夜景』に対して、反対側から函館山を望む『裏夜景』も素敵なんだ。最近は、臨港道路のともえ大橋から山を眺める『中夜景』も注目されている」。
 岡崎も、薫も、何も言わずに函館山から見える、暮れかけた函館の街の景色をただ黙ったまま、手を握り締めあいながら見つめていた。二人ともその美しさに撃たれて加藤の説明は耳に入っていなかった。

「やっぱり函館山は街の象徴。帰省する時は函館空港から湾岸道路を使うけれど、途中、〈啄木小公園〉に駐車して、今でも函館山の写真を撮るんだ。啄木の碑を左に見ながら撮るのがベスト。僕が地元に帰って来たなと実感する瞬間だ」
 二人ともここまで加藤が詳しく函館を語るとは思っていなかった。
ちょっと意外な気がした。
「それじゃ、僕はこれで失礼するよ。後は二人で楽しんでくれ。」
 そう言って加藤は帰っていった。
 
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