その身柄、拘束します。

端本 やこ

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第3章 混沌な煩忙

7

 死体損壊事件への協力がひと段落つき、橙子たちは山藤本社へ戻った。
 溜まった仕事に追われること数日、泊まり込みの徹夜作業が続く。

「げ、限界」

 橙子が机に突っ伏した。化粧の崩れた顔をマスクで隠して会社に籠っている。

「橙子先輩、寝たら駄目だ! 寝たら死ぬぞ! チョコあげるから起きて。お願いっ」
「雪山かよ。寝る。少し経ったら起こして」
「いやーっ! 起きて! 橙子先輩が寝たら死ぬの私たちだからっ」

 亜紀の叫びすら遠くに聞こえる。これでは起きていても作業効率が悪い。パフォーマンスを上げるための小休憩が必要だ。

「川原さん、一度帰りなさい。みんな頼り過ぎだ」
「かちょぉ。今帰ったらそれこそ起きれる自信ありましぇん」
「明日は休みでかまわない。最低でも半休は取りなさい」
「うぅ。お気遣い痛み入ります。でも、今日期限の書類だけは上げていきます」

 それも引き受けると申し出る細谷に恐縮する。業務命令だと強制的な優しさで休息を与えられた。
 せっかく自由時間ができたが、どこかに立ち寄る気力もない。
 橙子は真っ直ぐ帰寮し、着替えもせず埃っぽいベッドに倒れ込んだ。
 死んだように寝る、を体現した。
 目を覚ますと、何曜日の何時なのかわからず焦るという中高生あるあるを体験した。
 時間を確認すると、帰宅から3時間も経っていない。たったそれだけかと時計を二度見したぐらいだ。深く落ちていたのだろう、頭は冴えて気持ちが良い。
 よいしょと体を起こし、洗濯機を回して、軽く掃除をしてからシャワーへ向かった。
 シートマスクを顔面に貼り付けてぼーっとすると空腹を感じる。数日家を空けていたのだから冷蔵庫はほぼ空だ。会社帰りに買い物に寄らなかった自分が恨めしい。
 外食に出るか、コンビニ弁当で済ますか悩めるところだ。重い腰が上がらず、出前を頼むのもありだと考えつつ、とりあえず髪を乾かし始めた。
 ドライヤーの騒音に紛れてスマホが着信した。
 どうせ会社からだ。
 画面をまともに確認せず、溜息交じりに通話アイコンを滑らせた。

「はいはい。こちら雪山遭難中の企業戦士、川原マンでーす」
「ぷっ。なんだそれ」
「ふぇっ⁉ く、久我島さん?」

 強制休息中でも無遠慮にかけてくるのは亜紀か矢田に違いないと踏んでいただけに驚きを隠せない。思わぬ相手に驚いて、正座をしてスマホを構える耳を入れ替えた。

「急に悪いな。飲みに行くかと思ったんだが、もう酔ってたか」
「ちっがーう! 行く! 行きます! ちょうどご飯どうしようかなって考えてたとこ!」

 タイムリーな誘いに、自分でも引く勢いで食いついてしまう。待ち合わせを決め、意気揚々と準備を開始した。

***

 徹が連れてきてくれたのは小粋な小料理屋だった。大衆酒場の乱雑さはなく、ゆっくりできる雰囲気だ。陣取った一番奥のカウンター席がまた居心地がいい。

「それであの応答か」
「笑い過ぎでしょ。本気で呼び戻しだって思ったんだから」
「忙しい上、妙な事件で時間取られちまったからな」
「営業所仕事に警視庁見学だなんて社会勉強になりました」

 幾日ぶりのまともな食事に箸が進む。お酒も、突き出しに焼き鳥もおいしい。なんといっても、温かい料理は匂いがいい。食欲がそそられる。

「職場で何があった? 名古屋で、って聞いた方がいいか」

 どきっとした。俊樹から漏れたとは考え難い……と思ったことはばれたらしい。
 矢田との会話を聞いた俊樹の反応が気にかかったと続けた徹は、俺も立ち聞いたと素直に謝った。
 職場にお邪魔したのは橙子たちだ。場所を考えず雑談をした非がどちらにあるかは明らかである。

「トッシーが泥酔した日、初めて人に聞いてもらったんです」
「尾野をあんな風にするような内容ってことか」
「いえ。あれは強いカクテルをがぶ飲みしたアイツが悪い」
「アホだな」

 で、と徹が視線で先を促した。
 俊樹には聞いて欲しいと思ったが。徹とのサシ飲みで聞かせたい話ではない。橙子ははぐらかす方法を考える。

「俺が調べる順だな」

 見透かされている上に、逃げ道も封じにかかられた。

「やっぱり始まっちゃう?」
「気になることは見過ごせないたちでな」
「それ、先輩の教えだってトッシーも言ってた」
「俺は尾野ほど甘くない」
「それも承知してます」

 下手に隠せば俊樹に確認しかねない。だったら白状した方がいい。一度俊樹に話したことが幸いして、悩まず時系列で説明を立てられた。

***

 淀みなくいきさつを語る橙子を横目に、徹は後悔していた。気になっていたからこそ聞きだしているのだが、仕事ではないのだ。気軽に掘り起こすべきではなかった。
 橙子がまるで報告書を読み上げるがのごとく、淡々と手痛い過去を語るのが痛々しい。
 徹の知る橙子は、笑ったり、焦ったり、感動したりと、感情が忙しい。その橙子が終始無表情だ。

「つまらない話聞かせちゃいましたね」
「いや。話させたのは俺だ。悪かったな」

 橙子がふっと鼻から息をもらし、話が一通り終わったことがわかった。
 橙子は表情筋を固まらせたまま、未だに正解がわからないと軽く目を閉じて首を横に振った。
 徹は何も間違っていないとしか言いようがない。

「感情が先走って、子どもっぽい真似しちゃった」

 橙子が顔を顰めた。泣くかと思うほどで、徹は橙子に心が戻ったことに安堵した。

「感情、押し殺してきたんだろ」

 徹が指摘すると、猪口を持ちかけた橙子の指がぴくっと跳ねた。橙子は顰めた顔を驚きの表情に変えて、こちらを凝視してきた。

「泣きたい時に泣けない女もいるんだな」
「面倒臭いでしょ」
「泣きわめく方が面倒だ」
「それが出来たらストレス発散になるんでしょうね」
「それこそ酒の力を借りたらいいだろ。同僚とか友だちとか」
「会議で婚約者のAV見せられて終わったって? こんな話、取り調べられなきゃ出来るわけないじゃん」

 一気に猪口を煽って、とんとテーブルに小気味よい音を立てた。プライドなのか意地なのか、いずれにせよ橙子は面倒くさい女には成り下がらない。いや、靡かないように必死に踏ん張っているように見える。

「それもそうか。よく耐えたな」

 徹は空になったばかりの猪口に酌をした。
 ぐっと鼻を鳴らした橙子は、慌てておしぼりを目元に当てた。

「やっば。久我島さんどーしてぅれんのぉ?」
「何が」

 橙子はプライドを投げ捨てそうな自分に精一杯抗っている。彼女の強がりに、徹はあえて素知らぬふりをした。

「その優しさは卑怯なりよ」

 泣き虫なコロ助は、徹にとって新しい単語を暴投するのが趣味らしい。やばいも、優しいも、卑怯もさっぱりわからず、どう答えたものか困る。が、面白い。

「浴びるほど飲むんだったろ」
「やらかしちゃうの知ってるでしょ。また後始末押し付けちゃう」
「礼も貸し借りもなしなら引き受ける」
「任意で覚悟してくれるの?」
「その約束だろ」

 何気なしに橙子の後頭部をポンとひと撫ですると、橙子はようやく徹が見たかった笑みをみせた。
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