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福岡編
印
「おめでとうございます」
入店早々、店員が畏まって一礼した。
なんとなく橙子も背筋を伸ばす。
「ご予算はもちろん、デザインイメージなど漠然としたものでかまいませんのでなんなりとお申し付けください」
店員の予想外に踏み込んだ二言目に、橙子の腹筋が緊張を弛めた。
徹が「付き合え」と連れて来たのは、繁華街屈指のジュエリーショップだった。橙子にとっては全く想定外の場所で笑い出してしまったほどだ。店内の雰囲気がまた徹のイメージとはかけ離れていて、妙なそわそわ感が尾を引いた。
「あぁ?」
婚約指輪をと、一言告げた後がこれである。自ら足を踏み入れたくせに徹は至極厄介に感じているようだ。
店員に凄むのだけは止めて欲しい。
橙子は作り笑いを顔面に貼り付けて、わざとガラスのショーケースに前のめりになる。
徹が予算やデザインを考えているはずがない。全身から「クソめんどくせぇ」を遺憾なく発している。橙子には手に取るよりはっきりと感じられる。
「ひとまず定番と人気商品の二種類をご覧いただきましょうか」
小綺麗な女性の店員は、徹の圧に窮せず橙子に働きかけた。店員がショーケースの鍵を取り出し屈んだ隙に、橙子はこっそり徹の腕を引いた。
「徹さん。私、婚約指輪なんて」
「何でもいいから好きなの選べ」
その一言を聞き逃さず、気を取り直した店員があれこれと持ち出してきた。
どこからどうみても大人婚であり、かつ予算を告げず好きな物をと言い放ったのだ。お決まりの昔ながらの立て爪の指輪が並べられる。
「どれにするんだ?」
「だから要らない……」
小声がかつ尻窄みになると、ギロリと睨まれた。さっさと決めろと言う意味だと分かるのだが、橙子は受け入れられない。下調べもなく気軽に購入できる額ではない。
「それじゃ、結婚指輪にするか」
違い分からねぇしと、徹がポロッと溢したのを聞き逃さななかった。
やっぱり! 判ってたけど、やっぱり!
そもそも徹が指輪を贈ろうと思い立つはずがないのだ。誠か双子にけしかけられたのだと簡単に予想がつく。
徹が「結婚指輪も」と店員に告げると、目に見えて店員のやる気が上がった。
「ちょぉっと待って! 何でいきなり結婚指輪? 絶対私よりいらない人でしょ」
「うるせぇな。要らんが要るだろ。サイズも知らんし、会った時でないとどうするんだ」
それは要るのか要らないのかどっちだ! と、橙子の頭が混乱する。いや、徹は不要に決まっている。
店内であることに遠慮してはいられない。橙子は急ごしらえするぐらいなら後回しにすると突っぱねた。
「俺にひとりで買いに行けと? チャレンジャーだな」
「私だって買うなら色々見たいの!」
橙子が始めた口論を後目に、店員は高級感のあるジュエリートレイを取り出し、結婚指輪を並べていく。煩わしい客の相手もお手の物といった佇まいはなかなかのものだ。
「ぜんっぜん選ぶ気ないじゃん。贈ろうと思ってないんでしょ」
「ああ? 何しに来たと思ってんだ。どうせあちこち行ったところで同じだろうが」
徹は「二度手間、三度手間になるぞ」と悪びれもしない。それどころか挑発上等で勝ち誇る始末だ。
徹に進んで買う意思があるのかという懸念材料は、女心が最も気にするところだ。
「お前、危なっかしいから指輪ぐらい嵌めておけ」
「なんやと?」
流れで喧嘩腰に返してしまったが、言葉を反芻して心がときめく。
「嘘。もしかして心配してたの?」
「危機管理能力がマイナスなのは知っている。保険だ」
「うっわ。自分は飲み会で若い子に迫られたくせに」
「それ……。チッ、尾野か」
「隠したよねぇ。報告義務あると思うんだけど」
「だいたいいつまで出張する気だ。早く片付けろ」
くすっとした笑いで、目の前の店員の存在を思い出した。橙子はバツの悪さを感じたが、徹は安定の飄々たる態度を貫いている。
「それならば、普段使いしていただける物をお持ちします」
大物店員は大袈裟な婚約指輪を引き下げた。
橙子たちの口喧嘩ともいえる会話をヒントにして、新たに見繕って提示された。
「もうこの中から選べ。さっさと決めろ。空港行く前に飯食ってくぞ」
腹減ったとぼやく徹は、指輪選びから完全に離脱した。指輪ではなく食事を考え始めている。
「ちょっとは見てくれてもいいのに。誰のせいでお昼ご飯食べ損ねたと思ってんの?」
「おまえのせいだろ」
「何でよ!?」
「何でって、それ言わせるか」
スツールに腰掛け、ショーケースに肘を付いてつまらなさそうに顎を乗せる徹が流し目を使うと、色気が爆発した。
橙子が、昼間の熱く長過ぎた情事を思い出すにはじゅうぶんな刺激だ。赤面して、何も言うなと睨みつける。
徹は満足したらしく、顎で結婚指輪のトレイを指した。
「あっ、これ素敵」
細く華奢な印象の指輪に目が留まった。よく見れば、控えめに乗せられた石とそれを取り巻く飾りには存在感がある。
店員がすかさず、紐結びで最も強い結び目である本結びを基にデザインされていると薦めた。
古代ギリシャ時代から絆の象徴として婚礼用の指輪に用いられていたと補足説明まで聞いて、橙子の気持ちはほぼほぼ固まった。
「徹さん、これどうかな?」
「これください」
徹はすぐさまクレジットカードを取り出した。デザインは愚か、本気で値段も気にしていない。
あっという間に橙子のサイズで在庫があると確認がとれ、橙子の左薬指に収まった。
着けて行くから要らないとケースを断る徹を遮ると、外すつもりかともう一悶着したが何とかケースも手に入れた。
ジュエリーショップを出た橙子は徹の腕に自分のそれを絡めた。
薬指に感じる慣れない違和感に幸せを感じる。手を繋いで外を歩いたことなど一度も無く、それがまた一段と気分を高揚させる。
「ニヤニヤすんな。気持ち悪い」
橙子は逆ねじを食わせるつもりで、絡めた腕を恋人繋ぎに切り替えてやる。
意外にも徹は嫌がらず、本結びさながら組んだ指が振り解かれることはなかった。
入店早々、店員が畏まって一礼した。
なんとなく橙子も背筋を伸ばす。
「ご予算はもちろん、デザインイメージなど漠然としたものでかまいませんのでなんなりとお申し付けください」
店員の予想外に踏み込んだ二言目に、橙子の腹筋が緊張を弛めた。
徹が「付き合え」と連れて来たのは、繁華街屈指のジュエリーショップだった。橙子にとっては全く想定外の場所で笑い出してしまったほどだ。店内の雰囲気がまた徹のイメージとはかけ離れていて、妙なそわそわ感が尾を引いた。
「あぁ?」
婚約指輪をと、一言告げた後がこれである。自ら足を踏み入れたくせに徹は至極厄介に感じているようだ。
店員に凄むのだけは止めて欲しい。
橙子は作り笑いを顔面に貼り付けて、わざとガラスのショーケースに前のめりになる。
徹が予算やデザインを考えているはずがない。全身から「クソめんどくせぇ」を遺憾なく発している。橙子には手に取るよりはっきりと感じられる。
「ひとまず定番と人気商品の二種類をご覧いただきましょうか」
小綺麗な女性の店員は、徹の圧に窮せず橙子に働きかけた。店員がショーケースの鍵を取り出し屈んだ隙に、橙子はこっそり徹の腕を引いた。
「徹さん。私、婚約指輪なんて」
「何でもいいから好きなの選べ」
その一言を聞き逃さず、気を取り直した店員があれこれと持ち出してきた。
どこからどうみても大人婚であり、かつ予算を告げず好きな物をと言い放ったのだ。お決まりの昔ながらの立て爪の指輪が並べられる。
「どれにするんだ?」
「だから要らない……」
小声がかつ尻窄みになると、ギロリと睨まれた。さっさと決めろと言う意味だと分かるのだが、橙子は受け入れられない。下調べもなく気軽に購入できる額ではない。
「それじゃ、結婚指輪にするか」
違い分からねぇしと、徹がポロッと溢したのを聞き逃さななかった。
やっぱり! 判ってたけど、やっぱり!
そもそも徹が指輪を贈ろうと思い立つはずがないのだ。誠か双子にけしかけられたのだと簡単に予想がつく。
徹が「結婚指輪も」と店員に告げると、目に見えて店員のやる気が上がった。
「ちょぉっと待って! 何でいきなり結婚指輪? 絶対私よりいらない人でしょ」
「うるせぇな。要らんが要るだろ。サイズも知らんし、会った時でないとどうするんだ」
それは要るのか要らないのかどっちだ! と、橙子の頭が混乱する。いや、徹は不要に決まっている。
店内であることに遠慮してはいられない。橙子は急ごしらえするぐらいなら後回しにすると突っぱねた。
「俺にひとりで買いに行けと? チャレンジャーだな」
「私だって買うなら色々見たいの!」
橙子が始めた口論を後目に、店員は高級感のあるジュエリートレイを取り出し、結婚指輪を並べていく。煩わしい客の相手もお手の物といった佇まいはなかなかのものだ。
「ぜんっぜん選ぶ気ないじゃん。贈ろうと思ってないんでしょ」
「ああ? 何しに来たと思ってんだ。どうせあちこち行ったところで同じだろうが」
徹は「二度手間、三度手間になるぞ」と悪びれもしない。それどころか挑発上等で勝ち誇る始末だ。
徹に進んで買う意思があるのかという懸念材料は、女心が最も気にするところだ。
「お前、危なっかしいから指輪ぐらい嵌めておけ」
「なんやと?」
流れで喧嘩腰に返してしまったが、言葉を反芻して心がときめく。
「嘘。もしかして心配してたの?」
「危機管理能力がマイナスなのは知っている。保険だ」
「うっわ。自分は飲み会で若い子に迫られたくせに」
「それ……。チッ、尾野か」
「隠したよねぇ。報告義務あると思うんだけど」
「だいたいいつまで出張する気だ。早く片付けろ」
くすっとした笑いで、目の前の店員の存在を思い出した。橙子はバツの悪さを感じたが、徹は安定の飄々たる態度を貫いている。
「それならば、普段使いしていただける物をお持ちします」
大物店員は大袈裟な婚約指輪を引き下げた。
橙子たちの口喧嘩ともいえる会話をヒントにして、新たに見繕って提示された。
「もうこの中から選べ。さっさと決めろ。空港行く前に飯食ってくぞ」
腹減ったとぼやく徹は、指輪選びから完全に離脱した。指輪ではなく食事を考え始めている。
「ちょっとは見てくれてもいいのに。誰のせいでお昼ご飯食べ損ねたと思ってんの?」
「おまえのせいだろ」
「何でよ!?」
「何でって、それ言わせるか」
スツールに腰掛け、ショーケースに肘を付いてつまらなさそうに顎を乗せる徹が流し目を使うと、色気が爆発した。
橙子が、昼間の熱く長過ぎた情事を思い出すにはじゅうぶんな刺激だ。赤面して、何も言うなと睨みつける。
徹は満足したらしく、顎で結婚指輪のトレイを指した。
「あっ、これ素敵」
細く華奢な印象の指輪に目が留まった。よく見れば、控えめに乗せられた石とそれを取り巻く飾りには存在感がある。
店員がすかさず、紐結びで最も強い結び目である本結びを基にデザインされていると薦めた。
古代ギリシャ時代から絆の象徴として婚礼用の指輪に用いられていたと補足説明まで聞いて、橙子の気持ちはほぼほぼ固まった。
「徹さん、これどうかな?」
「これください」
徹はすぐさまクレジットカードを取り出した。デザインは愚か、本気で値段も気にしていない。
あっという間に橙子のサイズで在庫があると確認がとれ、橙子の左薬指に収まった。
着けて行くから要らないとケースを断る徹を遮ると、外すつもりかともう一悶着したが何とかケースも手に入れた。
ジュエリーショップを出た橙子は徹の腕に自分のそれを絡めた。
薬指に感じる慣れない違和感に幸せを感じる。手を繋いで外を歩いたことなど一度も無く、それがまた一段と気分を高揚させる。
「ニヤニヤすんな。気持ち悪い」
橙子は逆ねじを食わせるつもりで、絡めた腕を恋人繋ぎに切り替えてやる。
意外にも徹は嫌がらず、本結びさながら組んだ指が振り解かれることはなかった。
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