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I(じぶん)・綾

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 敬老の日が近付く。
学校も三連休になる。
はずなのに、学園祭なんだ。


文化祭と体育祭が開催されることになっていた。

今時、秋の体育祭なんて流行らないのにね。




 だからその前の土日に……

この機会に母のことを調べようと、田舎へ向かおうと思ったんだ。

思いついたら吉日。
ってどっかで聞いた。

そうだよねー。
モヤモヤが一番肌に悪いよね。
初めて出来たニキビを潰したら、おでこに薄茶色の後が残って気持ち悪いんだ。

もう二度とイヤだと思ったけれど、ストレスは容赦しないでやって来るみたい。


だから少しだけでも心を軽くしたかったのだ。




  伯母に連絡して一晩泊めてもらうことにした。

伯母は驚いた。
今まで一度たりとそのようなことをしてこなかったからだ。

母も私も、田舎に泊まった経験などないに等しかったのだ。


勿論、祖父の入院中の付き添いはやった。

通夜と葬儀の時も泊まらせてもらったけど、父だけは理由付けして家に戻ってしまったのだった。


そんなことを思い浮かべながらペダルを漕ぐ。




 自転車を無料の駐輪場に預けてから、駅へ行った。


駅の傍に陸橋があり、その下のスペースが無料駐輪場になっているんだ。

雨にも濡れないし、なかなかのアイデアだと思う。


でも此処は最寄り駅の一つ先。

本当は大変なんだ。

でも、電車料金が安くなったり……
メリットたっぷり。
デメリットは体力でカバーして……


こうして母の……
本当は自分探しの旅が始まった。




 勢い良く乗り込んだ電車はガラガラだった。

終点まで後三駅。
東京の駅を出た時はラッシュ状態の車内も、一時間も経つと確実に座れる。

私は入った時とは違い、余裕をみせてゆっくりと着席した。


思ってた以上に空いていたので拍子抜けを食らったためだった。

だから急に恥ずかしくなったのだ。

そりゃそうだ。
此処は最寄り駅の一つ先だったのだ。
私はそのことをすっかり忘れたいたのだった。




 約二時間。
何度か乗り換えてようやく目的地。
母の実家のある田舎の駅に着いた。

田舎と言えば、私の所もかなり田舎なのだけど……


その後バス停に移動した。

一時間に一本あるかないかだった。


(やっぱり田舎だな)

ふと、そんなことを思った。




 やっと、お祖母ちゃんの家から一番近いバス停に着いた。
でもその時は、お昼を大きく回っていた。


昼ご飯は、途中下車駅の中にある立ち食いで済ませていた。

電車の待ち時間が長いからゆっくり食べても間に合うからだった。

そのことは伯母には連絡しておいた。

お昼少し前のことだった。
伯母は……


『何言ってるの。家で食べればいいのに』
そう言ってくれた。

嬉しかった。

優しい伯母の顔を思い出しては泣いていた。


(ごめんなさい、伯母さん許して。私どうしても母の苦しみと、私の産まれて来た訳を知りたいの)


私は其処でもう一度決意した。




 「待っていたよ。綾ちゃん」

ワンマンバスの前方のドアから降りた途端に、声が掛かった。

伯母がバス停で待ってくれていたのだ。


「お父さんが良く許してくれたわね」
そう言いながら、荷物を持ってくれた。


「恵ったらあんたのお父さんに遠慮して、泊まっていったのは、綾ちゃんが産まれる時位だったわ」

荷物を自転車の前カゴに入れて、伯母は自転車のスタンドを外した。


「今、確か高校一年生だったわよね。私この前驚いたの。ホラ妹のことよ。あの子にあんなに言えたのは、多分綾ちゃんだけだと思うよ」

伯母の言葉がくすぐったかった。

本当は生意気なことを言ったと思っていたからだ。




 私が誰の子供なのかを知るには、母が結婚前に誰と付き合っていたかを探す。
それが一番の近道だと思っていた。

私はそれを今から決行しようとしていた。
でも本当は……
父の子であってほしいと思っていたんだ。
いけ好かない父だけど……




 一泊二日。
宿泊先は母の実家。

伯母なら何かを知っているのではないかと思った。
母の哀しみの本当の理由も知りたかった。

もし私の本当の父が、今の父ではなかったとしたら。

もし結婚式の前に、強引に引き裂かれていたのなら。

愛する人と結ばれなかったのなら。
これ以上の苦しみはなかったはずだと思った。


もし……
その人が私の本当の父だったとしたら……


父も母も、今の父も、辛いはずだと思った。




 伯母と私は、ゆっくり実家に向かって歩き出した。


「母って、そんなに泊まりに来なかったのですか?」
私は思い切って質問した。


「綾ちゃんが産まれ前位かな? そう言えばその時だって恵は遠慮していたな」

伯母の答えに納得した。

思い返せば、私も泊まった経験が無かった。


「ハネムーンベイビーとまではいかなくても、結婚して割とすぐに綾ちゃんが出来て」


のっけから母の出産情報をゲットした私。


「確か結婚したのが一月で私が産まれたのは翌年の三月だと聞いてますが」

伯母は頷いた。




 私は母の実家に向かう道すがら、色々なことを知りたいと思った。


そうだよ。
母と父が結婚して、一年以上経ってから私は産まれていたんだ。

母は向こうで妊娠し、実家の近くの産婦人科で出産したのだ。


母の結婚前の子供なんて有り得ないのだ。


それでは何故父は……


『綾は一体誰の子供なんだろう?』
なんて言ったんだろう?

どうして母や私に意地悪をするんだろう?

疑問は、ハネムーンベイビーに近いだけでは片付けられないようだった。


もしかしたら母の浮気を疑っているのだろうか?


でも私の知る限り、母にはそのような態度は見受けられなかった。

四六時中一緒に居た私が一番知っている。




 あれこれ考えても答えなど出るはずがなかった。

自分の生まれる前のことなど解るはずがなかった。


(そうだ……それがあったんだ)



 「伯母さん。母の初恋なんて聞いてますか?」

私は遂に核心の部分の質問を始めていた。


「初恋? 初恋は知らないけど、普通の恋なら」
突然の唐突な質問に、伯母は少しためらって、それでも答えてくれた。


「勤めていた会社の人に好きだと言われ、付き合ったことがあったけど。妹には合わなかったみたい」


「それ以外は?」


「それ以外? そうね確かもう一人。いや余り覚えてないわ。何しろ、お見合いして直ぐに結婚しちゃったからね」


「直ぐに結婚? 何故ですか?」
私は矢継ぎ早に質問した。


「うーん、覚えてない。何故だったんだろ?」
伯母は暫く考えていた。


それでも答えは出なかった。


「家に入ってお母さんに聞こう」
伯母は玄関のドアを開けた。




 祖母の話によると、お見合いして直ぐに結婚したのは、相手側の仲人の気まぐれだったらしい。

理由は……


『自分がお見合いさせた人は全員結婚しているから』だった。

(相手側と言うことは? えっー!? お父さんの頼んだ仲人さん? えっーー!? だったら何で? 母には何も結婚を早める必要なないはずだ。一体何でー?)


「全くびっくりしたよ。お見合いして一ヶ月か二ヶ月で結婚なんて」


「あっ、そうそう思い出した。わりかた直ぐに綾ちゃんが出来たんだった。ハネムーンベイビーだって恵言っていたわ」


「ハネムーンベイビー? ってことは、私は直ぐに生まれたの?」


「そうだよ。あれっ、恵から聞いてない??」

「違うよ、恵は。それは妹。妹の方が早くに結婚する相手がいたのよ。だからお父さん恵の結婚話を承諾したのかも知れないわね」




 叔母さん……

プリン事件で母を祖父に殴らせた人。

その叔母を好きな人と結婚させるために、母に父を押し付けた祖父。


やはり母の哀しみな此処にあったのだろうか?




 父は若い頃、銀座でバーテンをしていたそうだ。

それは以前聞いたことがあった。
ある有名なピアニストがテレビで演奏していた時。


『この人が生演奏をしていたバーで働いていたんだ』
そんなことを言っていた。


だから、母の田舎料理にケチばかり付けていたらしい。

そのことでも、母は真剣に離婚を考えていたようだった。


『手料理を作れ』
そう言われて温かい煮物を出したら、キレた父。


『テメエはこんなモンしか作れねえんか!!』

そう言いながら母をいたぶった。


『何が一流料亭の味だ!!』
そうも言われたらしい。


良家のお嬢様の花嫁修行番組が紹介されて、仲人が母をもそうだと思い込んだようだ。

その頃、超一流の料亭での料理教室が流行っていたらしかった。

でも田舎にそんな所はあるはずがなかったのだ。


結果的に嘘を言ったことになる。
でも母が悪い訳ではない。


それでも約一カ月近く、母の料理を払い除けていたようだ。


「テメエの料理よりよっぽどましだ」

何を作っても食べてくれない父は、そう言いながら自分で買ってきた弁当に舌鼓を打っていたそうだ。




 母は遂に離婚を決意して家族に相談した。


『子供がいなくて良かったね』
そう言うことで離婚が決まった。

でも叔母から電話があり、一変する。
きっと自分の結婚を母の離婚で邪魔させたくなかったのだ。

祖母が父に母の料理を食べてくれるように懇願したようだ。

父に……
まるで土下座でもするかのように頭を下げた祖母。


それをやり玉に使った叔母。


『お母さんあんなことさせていいのか!?  アンタが我慢すれば良いだけの話だ!!』
そう言われて離婚出来なくなった母。

母の苦しみは其処から始まったのだった。


そう……
又しても原因を作ったのは叔母だったのだ。




 「母に好きな人は居なかったのでしょうか?」

私は核心に迫ろうと、お茶を飲みながら話出した。


家内工場。

家族だけでバッグを作っている実家。

母もずっと手伝わされたと聞いていた。

今は三時休みだった。


「そう言えば、一人居たわね。年下の人を好きになって」


「私は結婚させてやりたかったんだ。お父さんもその気でいたのに、急に別れてきて」


「えっ急に?」


「恵は何も言わずただ耐えていたから、可哀相で可哀相で」


「でも、どうして別れたのかな? 私がどんなに言っても、その人のことを信じていたのに」




 やはり母には恋人がいた。

それも伯母がどんなに反対しても、愛し抜くまでに。


その人は軽自動車だった。

それは良い。

経済的にも。

でもステンドグラス風のシールを貼っていて、やはり若いと感じたようだった。


ことある毎に反対したと言う伯母。
でも聞く耳を持たなかった母。


恋に狂う母の姿は想像したくはない。


でも、今の私がそうのように……

母もその胸を焦がしたのだろう。

切なくなる位の愛の炎で。


水野先生と出逢って一週間が経とうとしていた。


別れが……
水野先生が研修を終える別れの日が迫っていた。

後ホンの十日余りで……




 「そう言えば綾ちゃんが産まれる前大変だったんだから」


「えっ何で?」

私の言葉を聞き、祖母は不思議そうに私の顔を見た。


「恵に聞かなかったのかい。点滴の話」


「あれっ!?」
祖母の言葉が、母との会話を思い出させた。


「そう言えば、何か聞いたことある。なかなか産まれなくて大変だった。って言っていたような」


「何しろ点滴何本も打っても、一向に産気づかないから。最後は帝王切開だったんよ」


「帝王切開は普通分娩より楽だったけど、寝ていたらお尻に床擦れが出来たとか」


「そうよ。恵が痛い痛いって言うから見てみたら、瘡蓋があって、取れたら蒙古斑みたいになっていたよ」
祖母が言った。


「未だにその跡があって、時々私に確認させては懐かしがっています」


「へぇー、まだ治らないんだ」
伯母がお茶をすすりながら言った。




 「恵は気にしていたんだよ。アンタのお父さんが出掛ける前に言ったことをね」


「えっ、何て言ったのですか?」


「恵ちゃん、気にしないでね。実は……」

伯母は祖母の顔を窺いつつ、耳打ちをした。


「アンタのお父さんは恵にこう言ったんだって『俺の子は男だけだ。もし女の子なんか産んだら、帰って来なくてもいいからな』ってね」


「えっ!?」

私は思わず声を上げた。


「あ、ごめん。今の話、忘れて……」

伯母の顔が引き吊った。




 「綾ちゃん……恵には本当は好きな人がいたの」

布団の中で伯母が言う。


母には昔年下の恋人がいて、祖父母は結婚させてやる気だったらしい。
でも母は突然別れてきた。
理由も何も言わずに耐えていた。


「私が悪かったのかな?  妹に何とかしたらと言ったから」


「妹って母……」


「ううん、一番下の妹」


「えっ、あの叔母さんですか?  プリンの?」


「そうなの」
伯母はその後で辛そうに言った。


「まさか恵が、あんな辛い体験をしているなんて夢にも思わなかったから」
と――。




 この恋の話にも叔母の影があったようだ。


「私が言ったのよ。『アンタが恋人なんか作るから、恵が変な男に引っかかるんだ』って」

伯母が言っていた。


「そのせいで、恵は悩んだのよ。『私より年下の人を絶対お兄さんなんて呼ばないから』そう言われて」


又しても叔母だった。


「そんなに叔母さんって凄い人だったの?」

私の言葉に伯母は驚いたようだった。


「違うのよ。妹が凄いんじゃなくて、父だった。父に物凄く可愛がられていたから天狗になったのよ」


私は又もや思い出した。


『私はお父さんに可愛がられてなんかいない!』

の言葉を。


祖父は叔母を可愛がっていた。

そのために母は虐げられてきたのだった。

叔母の欲求不満の解消材料として……




 「ねえ綾ちゃん知ってるかな?  家の先祖って、平家一門だったかも知れないのよ」


「えっ!?  平家って、平清盛の?」

突然の伯母の話に、私はビックリ仰天した。


源平合戦で敗北した平家。

清盛の……子供の内の誰か隠し子だったらしい。

伯母の話だと、祖父が調べたとのことだった。

尤も、祖父はホラ吹きとしても有名だったらしい。

だからあてにはならないようだ。

でも祖父の産まれた田舎には、平家の落人伝説は色濃く残っているようだった。


祖父の故郷は凄い山の中だと聞いている。

だから逃げたのだ。
平家の血筋だったから逃げたのだ。
私はその話はまんざら嘘でもないと思った。


「世が世なら……」


「私達は平家のお姫様」

伯母はそう言って笑った。


「だから恵は、馬鹿にされることはないんだよ」

伯母はそう言いながら、体を背けた。

私は泣いているのだと思った。


「行ってみたいなー、其処に」
私は何気なく言った。


「ごめん。其処はもう無いんだ。ダムで沈んでしまったから」

心なしか、伯母の声が震えているように感じた。


祖父の……
私達の原点の村は、もう存在していなかったのだ。




 平家の落人伝説の里が平家一門に所縁のある人達だと言うことは間違いはない。

でも直接血を引いているかどうかは定かではないようだ。




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