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姶(美人)・綾

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 私は、翌日の早朝バス停にいた。

勿論水野先生と、本当の父親探しをするためだった。


水野先生も遣らなければいけないことが山積みのはずなのに、泣きじゃくる私を見て放っておけなくなったようだ。

本気で手伝って言ってくれた。


嬉しいよ……
でも悪いよ……
こんな私のために……

だって水野先生はこれから自分の未来を決めなくてはいけないのだから。


本当はそのことを相談するために叔父さんに会いに来たんだって。

そんな大事な日に、私のことに巻き込んでしまった。


そして今日も又……




 バスは雪のせいで遅れているようだった。


(もう! 何やってるの!?)

私は発着予定の時間割を指でなぞってはため息をはいた。

水野先生は先に駅のホームで待ってくれているはすだった。


(こんな時、携帯さえあれば……)

私は意地悪な父に又腹を立てていた。




 やっと来たバスに乗り込んだ。

でも乗り込んだ途端、水野先生の優しさが私を泣かせていた。

後から後から、涙が落ちてくる。
でもそれは嬉し涙だった。


(ああ……早く逢いたい!!)

私の心は既に水野先生の元へ跳んでいた。






 まだ雪が溶けない歩道。

思わず昨日の出来事を思い出す。


交差点の遥か向こうに、イベント会場だった歩道橋が見えた。

其処に灯りがを見えたように思えた。
私と水野先生を結ぶ希望の灯。


あのクリスマスイブの日には見えなかった、未来へと繋がる光が。

あのキャンドルのようにまだ小さいけど……

風が吹けば消されてしまうほど弱々しいけど……




 駅の改札口の近くで水野先生は、二人分の切符を手にして待っていた。


(えっ!?)
私は一瞬戸惑った。

だって、先輩方にもし出会ったらただじゃ済まないと思ったからだ。


でも水野先生は、私を見つけるとすぐ傍に来て手を引いて改札口に向かった。


(ヤバい!!)

私は思わず絶句した。

目だけ動かしながら、周りの状況を見ていた。


幸いなことに……

それらしき人影はなかった。

それでもドキドキは収まらない。


私は水野先生の大胆な行動が嬉しいくせに、物凄く困惑していた。




 電車を待ちながら水野先生を見ると、泣いているように思えた。


「先生……」

水野先生は、私の言葉にハッとしたのか慌てて涙を拭った。


「あ、ごめん。色々と考えていたから。佐々木に逢ったら何て言おうかと」


「……」

私は又……
水野先生の優しさに、泣き出しそうになっていた。






 「ありがとう先生」
私は水野先生の手をそっと掴んだ。
その途端、指を絡んできた。


(ドキッ!! ドキッ!!  ドキッ!! ドキッ!!  ドキッ!!  ドキッ!!……)

私の胸は早鐘のように鳴り響いた。


「今日はデートだよ。だから楽しもう」

水野先生が慣れないウインクをくれる。


「ぎこちなーい」
私は笑った振りをして、涙と動揺を隠した。




 「佐々木。俺実は、離島に行こうと思ってたんだ」

水野先生は意外なことを言った。


(そうか……。そのために清水さんのお父さんに会いに来たのね。そんな貴重な時間を私のために……)


「離島って、清水さんのお父さんが教鞭を取っていたと言う?」

敢えて聞いてみた。

水野先生は頷いた。


「だから中学の単位も必要だったんだ。叔父さんから頼まれた訳じゃないけど。行ってみよう思ってた。でも……でも、佐々木のことが放っておけなくて」

絡めた指に力が入る。

そのことだけで、本当に愛されていると実感した。


水野先生は迷っていた。
離島に行くか否かを……


だから、清水さんのお父さんを訪ねたのだ。

あのクリスマスイブのキャンドルツリーイベントの時に、訪ねて行ったそうだ。

其処で泣いている私を見たのだ。
だから余計、私のことが心配になったらしい。


だから……
あの市営のホールに居たのだ。

彼処で……
私を気遣いながら待っていてくれたのだった。


偶然じゃなかった。
必然だった。
だから……
私は今、水野先生と一緒にいられるんだ。






 「ありがとう先生。でも私は大丈夫。先生が迎えに来てくれるまで待ってるよ。だって、まだ高一だもん。十五歳なんだから」
私はそう言った。
そう言ってみた。


でも本当は傍に居てほしかった。

何時までも、水野先生の傍に居たかった。


(好きだよ。大好きだよ先生。本当はこのままずっと傍に居たいよ。でも……先生は先生の道を進んで。私は待ってる。ずっと待ってる。だから……だから、待てるかって聞いて……)




 でも……
水野先生の言葉を遮るように下り電車が入って来た。

私達は早速それに乗り込んだ。


電車は満席に近かった。
私はお祖母ちゃんの家に向かった時の、勢い良く乗り込んだ隣の駅のことを思い出していた。


(そうだ。何時もこんな状態だったからだ)

傍に水野先生が居ると言うのに、私はくだらないことばかり考えていた。

それは所謂照れ隠しだった。

マトモに水野先生を見らる情態ではなかったのだ。




 それでも私は逢えなかった時間を埋めるように色々な話をしていた。

過去から、未来まで……


私の夢は水野先生の傍にいること。

水野先生の夢は当然離島の教師だろう。


だから……
このまま傍に居て、何て言えるはずはなかった。






 敬老の日の前に、一人で降りた駅に今日は二人で居る。

そのことで少しは不安が払拭された。
やはり水野先生の力は私には大きかったようだ。




 駅前からタクシーで、やっと私の産まれた産婦人科の前までやって来た。

張り紙を見ると年末年始の休みは明後日からだった。


「危なかったな。ギリギリセーフ」
笑っている水野先生を見て私はホッと胸をなで下ろした。


(大丈夫。大丈夫。先生が付いていてくれる。怖いよ。本当は物凄く怖い。もし父の子供でないと解ったら……もし両親の子供でないと解ったら……)

私は手は自然と、水野先生に言われて用意していたDNA鑑定材料へといっていた。




 病院に入ると簀の子があり、その横にシューズボックスにスリッパが並べられていた。

私はそれに履き替えるとすぐ受付に行った。


「どうなされました?  妊娠ですか?」

流石に産婦人科らしい。
そうは思ったが、急に恥ずかしくなり俯いた。


「保険証はお持ちですか? 御座いましたら提出をお願い致します」


「持ってる?」
小声で水野先生が聞く。

私は頷いた。


「その方がきっと聞きやすいよ」
耳元で囁く水野先生。
私は何故か緊張して、手が震えていた。
でも……
それはそうだと納得して、財布から保険証を取り出して看護士に渡した。






 「どうしました? 妊娠ですか?」


当然のことのように産婦人科医も聞いた。


「いえ、私まだヴァージンです」
私は素直に答えた。


「それでは何故此処に?」

そこでやっと本題の、乳児取り違え事件がなかったかを聞いた。

勿論身に覚えがないと産婦人科医は怒った。

それでも、私が父の発言で悩んでいることを話すとやっと納得してくれた。


「後にも先にも、そのようなことはなかったよ。そうか君は佐々木恵さんの娘さんか」
産婦人科医は懐かしそうに私を見つめた。


「どうりでさっき何処かで見た人だと感じた訳だ。君はお母さんにそっくりだね。特にその目元。何か心配事でもあるのか、今の君と同じように辛そうな目をしていたよ」


「二度ばかりお母様にお会い致しましたが、本当にそっくりでした」


(二度? あっそうか。渋谷も……か?)


「君はなかなか産まれなくて、結局帝王切開だった」


「はい。母から聞いてます。点滴を七本も打ったってことも」

陣痛促進剤を使用しても私はなかなか産まれなかったらしい。

予定日より、一カ月近く遅れたと母に聞いていた。


だから母は言ったそうだ。


『女の子でもいいよ。私だけで、私だけでも育ててあげるから』
と――。

私が女の子だと母は感じたのだ。

だから敢えて言ったのだ。


『女が産まれたら、帰って来なくていいよ』
実家に帰って出産する母に向かって、父がそう言ったから。

私に負担を掛けさせないために……


(だったら何故私を連れて帰ったんだ? 私と母を……苦しめてもて遊ぶためか? 母の目が暗くなるはずだ。私と同じようになるはずだ)

父に対する怒りが又湧き上がって来た。

それを止めることも出来ず、私は其処に居た。






 「そう言えば一つだけ気になることが。確か……」
産婦人科医はそう言いながら、沢山あるファイルの中から古い日誌を何冊か持って来て指で探し始めた。


「やっぱりだ」

産婦人科医は、確信したようにそっとそれを閉じた。


「十年位前に、乳児取り替え事件が無かったか聞いて来た人がいる」

その言葉を聞いて、私も確信した。


「その人は、父かも知れません。父はその頃知ったんだと思います。私が本当の子供じゃないと」


「本当の子供じゃないってどうして解った。ちゃんとDNA鑑定してもらったのか?」


私はその言葉を待っていたかのように、父と母の資料が入った袋を提出した。


「父と母の物です。髪の毛だけは混じっているかも知れませんが」




 「これでDNA鑑定をお願い致します」

二人同時に言った。


「入って来た時から気になってはいたんだが、この人は?」


「あっ学校の先生です。悩みを打ち明けたら一緒行ってやると言われて」


「申し遅れました。水野孝之と申します。佐々木のことが心配で付いて来ました」

水野先生は私に話を合わせてくれた。
そう確かに文化祭までは、研修中だったけど私にとっては先生だったから。


「初恋かい?」
産婦人科医は私の耳元で囁いた。

私はそっと頷い。


産婦人科医は早急に鑑定に出すと言ってくれた。

連絡先は水野先生の携帯電話。

私がまだ携帯を持っていないと話すと、メモ用紙を電話番号を書いて貰っていた。





 「お母さんも相当な美人だったけど、君も綺麗だな。だからあの笑顔が又見たいんだ」

私は渋谷のことを言っていると思った。


「俺が君を守るから、だからもう悩まないで」
水野先生は泣きながら言った。


「ごめん。何言ってるんだろ俺」

私はそんな水野先生の優しさに触れて、心を乱していた。




 水野先生と私の連絡は、普通電話のベル。


三回コールなら清水さんの家に伝言がある。


だった。
でも……
私は毎日清水の家に連絡するようになっていた。

だって清水さんとのたわいもないやり取りが私の心を癒やしてくれたから。


私の恋を清水さんは知っている。
だから応援してくれていると私は思っている。

だから、打ち明けたのだ。

水野先生に言われたことを。

もしかしたら片思いではないのかも知れないと。


本当は両思いだったと言いたかった。

でもまだ……
それは言えなかった。




 その結果……

私と水野先生の恋が問題になった。

それは、水野先生を悩ませる深い原因になった。


年端もいかないような若い子と付き合ってどうする。
と親戚がうるさくなったためだった。


私と清水さんの会話から、二人が付き合っているらしいと察したからだった。


偶々私が電話を掛けた時、親戚を集めた家族会議中だったのだ。


それは水野先生のおじい様の事と、離島での生活を話し合うためだったようだ。


これから水野先生は離島へ行く。

そう……
それはもう其処では決まった話だったのだ。


まだ高校一年生の私を連れてはいけないと、親戚連中は思っていたのだ。


その島には高校が無かったから……




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