殉愛・ambivalence

四色美美

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奇跡と軌跡

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 翼は再入院した勝の病室で裏山ダムを見ていた。
あの近くに陽子が居る。そう思うだけで胸が熱くなる。

「学校はいいのか?」

「大丈夫。卒業は決まったし。結婚も決まったし」
翼は照れながら言った。

「陽子ね。お祖父ちゃんの部屋の掃除をしてから、中川に帰っているよ」

「そうか、元気になって戻って来るようにか」

「そうだよ」

「優しい娘だな。良かったな翼」
勝の言葉に翼は頷いた。

「ところで結婚式はどうするんだ?  純子さんの話だと薫も賛成しているとか」
翼は、ためらいながら頷いた。

「母さんが、認めてくれたんだ。これで結婚出来る事にはなったんだけど」
翼は目線を離す。
睡眠薬入りコーヒーのことが要因だと言えるはずがなかったのだ。

 そして今日は、陽子の二十歳の祝いの日だった。秩父では毎年、秩父宮記念文化会館で成人式が執り行われる。
数年前には酒に酔った新成人による暴走が問題になったこともある。でも今年は至って平穏な幕開けになった。
実は陽子の誕生日は三月で、まだ二十歳にはなっていなかったのだけど。遥か以前は成人式の日までに二十歳になった人が対象だったようだ。でも何時の間にか学年別になったのだ。だからまだ二十歳になっていない陽子も其処にいたのだった。

 高校三年生の冬休み。本当なら、卒業に向けて様々な活動に没頭しなければならないはずなのに、推薦入学の決まっていた陽子は受験勉強する訳でもなく。ましては自動車の運転免許も取ろうとしていなかった。
その時陽子は十七歳。
普通、免許は十八歳から交付だ。でも誕生日過ぎてから試験を受ければいいそうだ。だから高三で取得する人が多いのだ。就活にも有利らしい。でも陽子にはそんな考えはなかった。地元の保育園に就職するつもりだったからだ。陽子は本当は節子の望み通りに中川周辺の保育園を探すつもりでいたのだ。

 それでも、免許の一番簡単な取り方はクラスメートに教えてもらっていた。それはマニュアルではなく、オートマ限定で申込むことだった。マニュアル車は操作が難しいけどオートマチック車は簡単らしいのだ。
まずオートマで取って、後で限定解除すれば良いらしい。教習所によって料金は違うらしいが、技能講習数時間とか言っていた。

 だけど、西武線で通っている内に気が変わった。通過駅の近くにある自動車学校が気になり、遂に入学してしまったのだった。だから、どうしてもお礼がしたかったのだ。

 コーヒー事件の真相も、日高家の抱えた人間関係も知らされないままに……。陽子はただ、やっと訪れた恋に身をおきながら懐かしい人達の中に居た。

「暫く」

「あら、久しぶり」
そんな声があちらこちらで飛び交う。さながら其処はすぐさま同級会の席上のようになっていた。

 「陽子見たわよ」
突然声が掛かった。その方向を見ると、連んでいた高校時代のクラスメート達が手招きをしていた。

「アンタ大分浮かれていたわね」
陽子が仲間に加わった途端に、耳打ちされた。

(えっ、一体何!?)
陽子はドギマギしながら、頭の中を整理していた。

(きっと翼の事よね? ああ、なんて話せばいいの? 年下だけどイケメンだから惚れちゃった。なんて……言えないよー)
そう、翼は本当にイケメンだった。アイドルみたいで可愛い。初めてのデートの時、そう思った。だから、今まで翼に恋人が居なかったなんて信じられなかったのだ。だから、付き合ってくれて本当に嬉しかったのだ。

 素直に好きだと言った。やっと訪れた恋に身を焼きながら。でも本当は心配だった。振られたらどうしよう。そればかり考えていた。でも言って良かったと今では言える。あんな可愛い恋人は、絶対何処にもいない。陽子はドキドキしながら、クラスメートとの会話の中に溶け込もうとしていた。

(ねえ翼……なんて言ったらいい? 私の方から好きになっちゃったって素直に白状しようかな?)
そんなことを思いつつクラスメートを見たら、テグスね引いて待っているように感じた。

(ねえ翼……根掘り葉掘り聞かれそうで怖いよ)

 「ねえ、みんな聞いて。陽子ったら素敵な彼氏を手に入れたのよ」

「えっーマジ!?  私てっきり男性に対して潔癖症かと思ってたのに」

「嘘っー!?  信じらんないよー。だって、恋愛談義にも乗れなかったじゃない」
そうなのだ。陽子は奥手で、初恋すら未体験だったのだ。

「ねえねぇどんな人?」

「言っちゃおうかな?」
陽子を見ながら、目配せをするクラスメート。陽子は恥ずかしそうに俯いた。

「日高っていう、テニススクールがあるでしょう?  彼処の息子よ」

「えっー、彼処は資産家って噂よ。陽子も玉の輿に乗ったか?  やったじゃん」

(えっー!?  玉の輿って何?)
陽子は驚いた。実は、陽子は孝が不動産を沢山所持している事実など全く知らなかったのだ。

「ねえ、その玉の輿って何?」
陽子が真面目な顔をして尋ねた。

「イヤだ。アンタ知らずに付き合っていたの?」

「日高家って言ったら、昔からの資産家でね」

「テニススクールもカフェも、オーナーの趣味だって聞いたわよ」

「何でもねー、遊んでても暮らせるんだって」

「ふーん」
人事のような陽子。陽子にはそんなことは関係なかった。ただ翼だけ居れば良かったのだ。翼の家に財産が有ろうが無かろうが眼中になかったのだ。確かに玉の輿は魅力的だ。遊んで暮らせるのも……。でも翼は、腕時計さえ買って貰えないのだ。
陽子は急に切なくなった。同じ双子でありながら、きっと翔は贅沢三昧をさせてもらっている。そう思ったからだった。

 「発表します。陽子と彼はお祭りでいちゃついていました。もう凄かったんだから」
陽子の顔が高揚するのが解る。

「そんなー。ただ離れ離れになりそうだったからくっ付いていただけよ」
陽子は慌てふためいて、必死に防御対策を考えてていた。

「ほら、言った通りでしょう?」

「真っ赤になった陽子が証拠か?  しょうがのないな。はい、千円」
その言葉に陽子はびっくりしていた。

「実は……」

「陽子に恋人が居るっていうから、確かめただけよ。でも本当だったとは……」
どうやらクラスメート達は陽子の恋で賭事をしていたようだ。

「でもそんな事したら捕まるよ」
陽子は笑いながら言った。

 成人式の会場から出た陽子はそのまま勝の病室に向かった。どうしても晴れ姿を見てもらいたかったのだ。実は其処には翼が待っていてくれることになっていたのだった。

「まるで結婚式の衣装のようだ」
陽子の振り袖を見て感慨深そうに勝は言った。

「どうだこのまま此処で式を挙げてくれないか?」
勝が、陽子と翼の手を取って言った。

「なんだったら、誓いのキスだけでも……」
勿論軽い冗談のつもりだった。でも、突然言う勝に陽子は度肝を抜かされていた。慌てふためいた陽子の顔を見て、勝は笑い出した。
その途端、二人は顔を見合わせた。

「もうー、おじ様の意地悪!」
陽子は高揚した顔を更に真っ赤にしながらシャワールームに隠れてしまった。

「お祖父ちゃんなんてこと言うんだよ」
翼は真剣に、勝を怒っていた。勝も冗談が過ぎたことを反省したかのように神妙な顔つきになっていた。でもシャワールームからは笑い声が聞こえていた。陽子は、勝のジョークが本当は嬉しかったのだった。
そう、やっと勝に明るさが戻ってきた証拠だったから。

(――何時か……
ううん、近いうちに叶えてあげたいな)
陽子は真剣にそう思っていた。

 勝が再入院して一カ月が経とうとしていた。延命治療は勝自身が拒んでいた。それでも、遺していく翼の逝く末だけが気掛かりだった。でも、陽子と言う恋人が出来た。出来れば自ら出逢いのお膳立てをしたかった。
それが偶然、サプライズとでも言うべき軌跡で二人はそれぞれの存在を住まわせてくれたのだった。勝にとっては奇跡だった。それほどまでに、勝は翼を思っていたのだった。

 翼は、勝が亡くなった祖母の元へ行きたいことは理解していた。
それでも長生きしてほしいと思っていた。翼は勝をまだ心のより所にしていたのだった。負担を掛けたくない。
そう思ってはいたのだったが……。

 比較的早く持ち直したので個室から六人部屋に移った勝。大勢の中に居ることがパワーに変わっていく。勝は退院した頃のように、元気になっていた。

 もう二度帰れないと思っていた。自分自身も、今後ばかりはと諦めかけていた。でも奇跡は舞い降りた。翼と陽子が結婚するまで見届けたいと願う強い意志が働いたためだった。クリスマスから年末年始に家族と過ごせたことだけで満足していた。でも又欲が出てくる。出来ればもう一度戻りたいと思っていたのだった。

 それはバレンタインデーのことだった。退院では無いが、一時帰宅が許されたのだった。まさに寝耳に水だった。勝は看護士に何度も何度も確認していた。
夢にみていた。もう一度帰れることを……。勝にはどうしても行きたい場所があったのだ。それはあのコミネモミジの寺だった。翼と陽子同様に、勝も亡き妻幸子(さちこ)と訪れていたのだった。

 急に決まった一時帰宅。そのために忍も純子も迎えに行けない。
仕方なく、純子は陽子に連絡をとった。陽子は通っている短大は卒業準備のために偶々午前中だけの授業だったのだ。
純子からの緊急連絡を受けて陽子は舞い上がった。信頼してくれている。そう感じたからだった。

 横瀬駅に着いた陽子は意気揚々と町役場に向かい、ステーションワゴンを忍から借り受けた。こんなこともあるかも知れない。そう思って練習していた甲斐がある。陽子はちょっぴり浮かれていた。あの成人式の日に、陽子の玉の輿発覚で勝にお礼を言い忘れた。自動車免許があるから、此処に居られる。勝の役に立てられる。浮かれている訳ではないが、陽子にはそれが嬉しくてたまらなかった。

 「実は、陽子さんに頼みがあるんだ。聞いてくれるかな?」
看護士に聞こえないように耳打ちをする勝。その途端、陽子の目が輝いた。
勝の頼み。それはコミネモミジを見ることだったのだ。

(翼があの日のことを話したのかな?)
そう思った。でも真相は聞けなかった。

 ステーションワゴンから車椅子を取り出し、勝の座席に横付けした。まずしっかりとロックをする。少しずつ勝を移動させ、クッションの上に乗せた。膝掛けや使い捨てカイロなどで防寒対策を施した後、ロックを外す。

「此処で良いよ」
そう勝は言った。勝の視線の先に目をやると、塀の屋根越しにコミネモミジの上部が見える。葉っぱがない分、その雄々しさが際立っていた。

 「どうだ、物凄くデカいだろう?」
勝の言葉には、翼の影は感じられなかった。どうやら、本当に此処に来たかったようだ。そう陽子は結論付けた。

「ねえおじ様。もっと近くで見ましょうよ」
陽子はそう言いながら、以前翼と歩いた墓地へと繋がる小道へ向かった。陽子は其処を後ろ向きで進んだ。少しの坂道でも、車椅子の利用する者にとっては恐いものなのだ。陽子はその事実を保育士の修業過程で知った。本当は今日初めて試してみたのだった。
でも陽子のぎこちないサポートも、役に立ったようだった。
勝と陽子は何とかコミネモミジの前まで進んだ。

「本当は……、これが見たかったんだ。ありがとう陽子さん」
勝はロックのしてある車椅子からゆっくり立ち上がった。両手を広げ、パワーを体に感じようと目を閉じた。少しフラつく足元。陽子は精一杯勝をサポートした。

 「あっ!」
突然勝が叫んだ。コミネモミジの上側の西善寺の門が光輝いていたからだった。

「幸子……」
そう勝は言った。でも、其処に居たのは翼だった。翼は忍から連絡を受け、自転車を走らせたのだった。

 (何故? 何故此処だと解ったの? 以心伝心……? 二人の心が繋がっているから?)
でも、そんなことどうでもよくなった。陽子はすぐに翼の元へ駆け付けた。でも陽子の脳裏に、あの物見遊山の立て看板がよぎった。陽子は慌てて繋ごうとした手を引っ込めた。照れ隠しに勝を見た陽子。その時、勝は泣いていた。

「幸子……」
勝はもう一度言った。

「お祖父ちゃんはきっとお祖母ちゃんに遭っているんだと思うよ。あんな穏やかな顔久しぶりに見たな」
翼はそう言いながら目を細めた。

 「幸子さんっておじ様の奥さんだったの?  名前の通り幸せな人ね。おじ様にあんなに思われて」
陽子は勝の傍にいるだろう幸子の亡霊が、所謂お迎えではないことだけを願っていた。

「バレンタインデーの奇跡だね」
でも、翼はそう言った。

(あ、そうだった! 今日はバレンタインデーだった。ヤバい……チョコレート買うの忘れていた!)
陽子は現実に戻って急に震えだした。

 「翼ゴメン、実はチョコレートなんだけど……」
上目遣いに恐縮がる陽子。

「あっ、そうだ。陽子バレンタインデーの意味知ってる?」
突然フラれて陽子は戸惑った。

「女の子から大好きな男の子にチョコをあげて愛を告白する日」
違うことは解っていた。それでも陽子は翼を見つめてそう言ってみた。

「違うよ。それは神戸のマロ何とかと言うチョコレート会社が始めたことだよ」

「東京じゃメリさんかな?」
陽子は翼の耳元でメリさんの歌を唄い出した。

「本当は知ってるよ。確か戦争で戦地に赴く兵士に結婚式を挙げさせたからバレンタイン牧師が処刑された日だって……」

「実は今日その事実を知ったんだ。だから……」
翼は急に押し黙った。心配して陽子が覗くと、翼は泣いていた。

 「もし僕にチョコレートを用意していたのなら、それは陽子のお父さんにあげて……僕はこれだけで」
翼はそう言いながら陽子に唇を近付けた。

「翼ダメ! 物見遊山!」
その言葉に翼はハッとして慌てて陽子から離れた。その仕草が可笑しくて陽子は声を出して笑っていた。翼は途方にくれた。あの日のように、キスで防ぐことは出来ない。でも翼はその一時に安らぎを感じた。翼と陽子の愛の軌跡は、又一つ積み重ねられていく。

 堀内家に戻った陽子は、翼に勝を頼んで忍の勤めている町役場に向かった。ステーションワゴンを返すためだった。こんなに職場に近いのに、忍は勝のために常に車で通勤していた。でも今日は席を外す訳にはいかなかったのだ。

 (翼が心配だけど家に帰ろうかな?)
そう思いつつ駅前に向かった陽子は定期券を出そうとバックの中を見て驚いた。入れた覚えがないチョコが入っていたからだった。陽子がそれを入れたのが節子だと知るのはずっと後のことだった。節子は翼に愛を届けたかったのだ。

 陽子はその足ですぐ堀内家に戻った。勝が心配だったからだ。翼を信用していない訳ではないが、そのままにしてはおけなかったのだった。陽子はまだ武州中川駅近くの木村家に居た。翼と同じ家で暮らすなんて出来なかったのだ。

 陽子がチャイムを押す。翼はモニターを確認して舞い上がった。家に帰ったとばかり思っていた陽子がその映像に映し出されていたからだった。
慌ててドアを開けると、陽子は又太陽光に包まれていた。

「天照大神……」
そう言ったのは勝だった。勝は玄関脇の仏間にベッドを入れて生活をしていたのだった。翼の部屋を確保するためではない。勝自身が亡き妻幸子と共に居たいと望んだからだ。勝は幸子を愛していたのだった。
翼は何度も頷きながら、勝に視線を送った。

(そうだよお祖父ちゃん。陽子は僕の女神様なんだよ。天照大神って言う日本の女神様なんだよ。お祖父ちゃんにとってもきっとそうなんだね)
翼は嬉しくなって、陽子を仏間に招き入れた。陽子は幸子の遺影の前で合唱した。

「翼ごめんね。やっぱりおじさまと一緒に食べて」
陽子は嘘を言いながら、裏にクッキー付いたホワイトチョコレートを渡した。

(良かった。とりあえずピンチ脱出。でも一体誰がバックに入れたの?)
ホワイトチョコレートを美味しそうに頬張る翼と勝を後目に、陽子はバれないか心配で仕方なかった。

 陽子は翼が西善寺にいた真相を後で知る。翼は自転車で国道まで迎えに出ていたのだ。でもそれに気付かずステーションワゴンは直進してしまったのだった。だから翼はその後を追いかけたのだった。それは翼の優しさだと思った。陽子はより深く翼に愛を感じた。
それは奇跡がもたらせた愛の軌跡になっていた。西善寺の駐車場に戻る時、翼はあの涅槃像に熱心に手を合わせていた。その姿はまるでお釈迦様にすがる信者のようだった。でもその時二人は知らずにいた。明日の二月十五日がお釈迦様の命日、つまり涅槃だと言うことを。翼はただ祈っていた。勝の延命を。
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