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二十歳前夜

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 母が長電話の私を見ている。
気まずい。でも無視して続ける。
平気な訳がない。


(ごめんねお母さん)
本当は言葉に出して誤りたかった。


(お母さん大好きだよ。だから許して……)
祈るような気持ちで母を見た。


母は対面式キッチンのシンクの前で夕食後の片付けをしていた。
時々睨んだり、溜め息を吐いたり……、早く止めなさいと言いたそうに……


でも……、やめられないの。
だって幼稚園からの大切な友人・雅からの電話だもん。
今日、私から電話するって言った。でも実際は雅が痺れをきらして掛けてきたのだ。


『ふーん。そうだジョー、じゃあなかった雅今夜電話するから色々教えてね』
私は雅と別れる前に言っっていた。だから本当は申し訳ないと思っていたのだ。


(食事が済んで部屋に戻ったら電話しよう)
私はそう思っていたのだ。



 でもそれを後目に私も意地を張る。
でも結局母には勝てない。


(ま、仕方ないか……)
そう決意する。




 無料通話設定の女友達との長電話は、心を鬼にしなければ終わらせられない。
だから……


「今日はありがとう。フェンシング楽しかったわ。それじゃあ又明日」
そう切り出した。


『うん、じゃあね』
相手も事を察したらしく、乗ってくれた。


時々覗かせる母のしかめ顔を気にしながら……

雅との超長電話をやっと終わらせた安堵感。


「わーい、終わった」
母に聞こえるように言った後。
ダイニングで大きな伸びをする。

でも、私は又すぐに携帯を手にする。
聞き忘れたことがあった。


「あんなに話した後なのに……。何やってるの」
母は信じられないとでも言いたそうな顔で、濡れた手をエプロンで拭いていた。




 電話なら何処でもかけられるのに、私は何時も母の傍に居る。

母一人子一人。
きっと心の何処では寂しかったのだろう。


「仕方ないでしょう。聞き忘れた事があるんだから」
そう言いながら携帯のリダイアルキーを押す。


(ん?  って言うことは自分から掛けたのか? あれそうだったっけ? そうかも知れないな、肝心な事を聞く為に……。でも結局……聞き忘れた……)


「あ、ジョー?  じゃあない雅。明日の誕生会の事なんだけど」
やっと言えた。でも二人きりなのに又ジョーって言っていた。

そうなのだ。
明日はマイバースデー。
正々堂々お酒の呑める二十歳になる。


私は未だにガラケーと呼ばれてフィーチャーフォンだった。
時代遅れだけど、私はこれが好きなんだ。本当は切り捨てられない訳がある。それが何なのかは解らないのだけれど……

難点はスマートフォンにはショートメールを送信出来ないこと。送れるのは出来るみたいだけど、相手側に伝わり難いようだ。だから気付かれないようだ。事が来たためしがない。

メールアドレスを登録しておけば済むことなので、かえって煩わされなくいい。
なんて思っていた。




 今スマホでは、五分間の無料通話やアプリが主流らしい。
でも、私のは登録制だったのだ。
でも実際問題困り事がある。近い将来3Gのフィーチャーフォンが使用出来なくなりそうなのだ。
スマートフォンも4Gから5Gに移行している。私は益々時代から取り残されようとしているのかも知れない。



 でも何故雅がジョーなのかと言うと……


きっかけは雅が髪をバッサリ切って来たことに始まる。

誰かが、若草物語のジョーみたいだと言ったからだった。

毛先の一本一本まで神経の行き届いた、キラキラ輝くロングヘアーが自慢だった雅。

まさかのショートにみんな驚いたってことだ。
それがきっかけで、話が盛り上がって……


偶々四人。
兄弟……
ううん、姉妹以上に仲良しの女子会メンバー……

って訳で、若草物語の会を結成した訳なのだ。

ジョーはさて置き。
一番年下の私は、エイミーになった。

勿論メグもベスもいる。


後で本音を聞いたら、手入れが面倒になったからだと言っていた。

簡単にポニーテールが出来る、私が羨ましいとも言っていた。


女の子の髪の毛の悩みは尽きない。

実は雅は少し癖っ毛で、ヘアアイロンが欠かせなかったのだ。


今度はその癖っ毛を生かした、ラブリーガールを目指すと宣言した。


うん、それってバッチリ。
雅……
違った、ジョーらしい。




 それでも雅はカラーリングだけはしなかった。

何時だったか、その理由を尋ねたら……
実は雅のお母さんは年の割には髪が黒く、白髪も余り生えて居なかった。
でも試しに白髪染をしてみたら、分け目の根元が白くなったらしい。
それ以来髪を染めなくてはいけなくなったそうだ。


だから私もカラーリングする時は、間違っても白髪染めだけはしないでおこうと誓った。
後で本音を聞いてみたら、髪を寄付するために切ったそうだ。それはドネーションと言うらしい。
病気なので髪を失った人に鬘となって贈られるようだ。
私はそんな事情も知らないでいた。だから雅を尊敬していたのだった。
雅にドネーションのやり方を聞いたところ、寄付を扱っている美容室に申し出ると切ってもらえるそうだ。
短くても15センチ以上か、31センチ以上必要なのだそうだ。
傷んでいなければ、パーマはカラーリングした髪でも大丈夫なのだそうだ。
雅は一度ストレートパーマを掛けた後でヘアアイロンで仕上げていた。
本当にキラキラ輝く誰もが羨ましくなるような綺麗な髪だった。

私の髪もポニーテールをほどけば寄付出来そうだけど、まだ其処まで決心出来ていない。そうしたい気はあるけどね。私は優柔不断なのかな?




 でもどうしてエイミーだけそのままなんだろう?

ベスはエリザベス。
ジョーはジョセフィン。
メグはマーガレットと言う名前があるのに。
エイミーだけはエイミーなんて……

なんかおかしい。




 『あっそう言えば、時間言ってなかったね』


「私達何を話していたんだろうね」
私は頭の中でアレコレ整理してみた。
でも結局答えはなかった。

くだらない話と母は言う。

でも私達にとっては大事な話なのだ。

例え、話の終えた後何も内容を覚えてなくても……


『確か、夜七時に予約したと聞いたけど』


「あ、ありがとう。必ず行から、メグとベスによろしくね」

私は電源を切ろうとしたのに雅が又話出す。

邪険にする訳いかなくて、私も又話出す。

傍では母の膨れ顔。

私はいたたまれなくなって電源をそのままにしてやっと携帯を畳んだ。




 「ごめん。移動するね」
そっとカバーを開け、小さく囁く……

何時も作戦開始の合図だった。


「全くもう……。早くしないとお風呂が」
私の企みも知らすに、背中を押す母。


「解った解った。すぐ入るよ」
そう言いながら、シメシメと思う私。


「じゃあお言葉に甘えまして……バスルームへ直行します」
私は手を顔に充て敬礼ポーズをとった。




 脱衣場では、フェイスタオルに携帯を隠し浴室のドアを開ける。

それを風呂蓋の上へ置き、バスタブに体を沈めた。


ラベンダー色のタイルに、エンジ色のコーナーラックがはえる。

其処にある鏡に、小さなクロスのペンダントを指に絡めながら携帯を開ける自分が写る。


(あっ、今何かを思い出した。でも、それって何?)
私は解らず、鏡に写る自分を見つめた。


このペンダント、何時も肌身離さずに此処にある。
何故なのか自分でも良く知らない。
だけど、御守りのような存在になっているのは確かだった。


(一体何時から此処に……?)
何故かふとそう思った。




 母の目を盗んで、持って来た携帯をそっと開く。

雅も慣れたもんで、じっと待っていてくれる。

とりあえず作戦は大成功したかに思われた。


「あ、雅……じゃあなかったジョー」


『ん?』
雅の空返事は、相当待ったと言う意思表示だ。


又遣っちまったと言う後ろめたさがあったが、私はそのまま会話を続けた。


「聞いて貰いたいことがあるの。いいジョー……?」
大人になるのが怖いから、本当はこのままで居たいと時々思う。


そんな弱気な自分に気付き、雅への電話を躊躇っていた。


何故だか解らないけど、私は大人になることに抵抗感があった。


私は子供のままでいなければいけない。

ずっとそう思って生きてきたのだった。




 「あ、ジョー……ごめん。何だか寂しいよ」
雅に本音を聞いてもらいたかった。


でもそう言ったまま私は固まった。

仕切りのドアの向こうに母の影がチラついていた。


「全くアンタ達は……。そうか、だから携帯買う時防水にしたのね」
そっと風呂場を覗いた母の愚痴が始まる。
その指摘は当たってる。防水だからスマホに変えなくてもいいと思っていたのだった。


「いいじゃない。無料なんだから」
反撃に出た私。
でも軍配は服を着ている母に上がった。


で結局、私は携帯を取り上げられてしまったのだった。肝心のフェンシングのことは言い出せないままになってしまった。
実は誕生日の翌日が決勝戦だったのだ。




 「お母さん、雅にチャンと誤っておいてよ」


「解った、解った。だからほら、肩までお湯に浸かって」
結局私は敢えなく敗退して、仕方なく湯船に浸かった。


女子会専門で、男っ気の全くない私達。


やっと最後にお酒を呑める年になる。
だから尚更嬉しいはずなのに……




 私は明日二十歳になる。
本当は、この日を待ち望んでいた。

メンバーで呑めないのは私だけだったからだ。


(でもこの戸惑いは一体何処から……それとこのペンダントは……確かパパとお揃いだった筈……)
何故だかふとそう思った。


携帯が無いと、頭が冴えるのか?
あれこれ思い出が甦る。

私は記憶の底で眠っていたパパの存在に気付いて揺れていた。




 一坪ある浴室。
足がゆったり投げ出せるバスタブ。
今日の入浴剤はラベンダーらしい。
リラックス効果があると母が言っていたのを思い出した。

手のひらで掬っては指の間から零す。


フェイスタオルを見て、昔良くやっていた懐かしい遊びを思い出した。

まずお湯にタオルを付け親指と人差し指を広げる。
タオルの下に両手を離して入れ、上に持ち上げ軽く湯の上に置く。
タオルに出来たコブを寄せると風船のようになった。

ジュブーと音を聞きながらタオルを潰す。


懐かしい音だった。
そう言えば、昔良くパパがやってくれた。


(パパ!? そうだ。パパは何処に居るのだろう? パパ今何処に居るの?)
頭の中で堂々巡り。


答えなどすぐに出る筈がなかった。


(何故私にはパパの思い出が無いのだろう……? そうだ。雅と行った会場で私はパパの存在に気付いたのかも知れない。きっとそうだ。あの時は思い出せなかったけど……。パパは今何処に居るのだろう?)
思いは結局其処へたどり着く。




 そう言えばいつの間にかパパが居ない。

もう十年も会っていない気がする。

でも私はその事に疑問を持ったことがない。
母一人子一人は当たり前だったから。


パパは外国航路の船長だった。
だから何時も留守がちだったのだ。


何時かお土産に貰ったクロスペンダント。
又指に絡める。
パパを思い出すと良くやっていた癖。
これにどんな意味があるのか解らないけど、心が不思議と落ち着く。


(そうか。さっきパパの事を思い出しかけたんだ。パパ今何処に居るの? パパ逢いたいよ)
私はフェイスタオルで懐かしい遊びに没頭した。
パパの存在を身近に感じたくて。




 浴室のタイルは母の選んだラベンダー色。

エンジ色のコーナーラックはパパが見立てだと聞いている。


其処にある鏡に、私は又クロスペンダントを指に絡めて写す。


パパの思い出の中に身を置いた時、何かが弾けた。


でも、結局……

何も思い出せず……

浴室に虚しさが渦巻いただけだった。


(パパー!!)
私は何故か鏡を見ながら心の中で叫んでいた。




 いきなり浴室のドアが開いた。


ドキッとした。


(パパ!?)
そう言おうとして、又固まった。


「今度は長っ風呂?」
呆れ果てたような母の姿。

私は思わず、遊んでいたフェイスタオルを湯船で潰した。


「何でも長いね」
母の愚痴が身にしみる。


私は何故か、母を見つめていた。




 何時も母の傍に居た……

きっとそれはパパの居ない寂しさを紛らすためだったのだろう。


「ありがとうお母さん」
私はそう言いながら泣いていた。


「どうしたの?  いきなり気持ち悪いわねー」
母はさっきまでと違って、優しく微笑んでいた。


母は何時も私を見守ってくれていた。
だから私はパパのことさえ思い出さなかったのだろう。


「ありがとうママ」
私は濡れたタオルで涙を拭いた。

久しぶりにママと呼んでみた。
甘えん坊だった子供の頃に戻りたくて……




 入浴剤の甘い香りに包まれながら、又至福の時間を堪能する。


何気なく手を置いたロールタイプの風呂蓋。

その下に広がる世界に思わずドキッとした。


腕の影が水面で屈折して、死人の手のようにどす黒く光っていたからだった。

そしてその手先は、自分の太ももを今にも掴みそうだった。


(水鏡?)
私は慌ててクロスペンダントを映し出したコーナーラックの鏡を見た。


(この鏡もきっと……)
奥の奥を考えた。

底のない世界がきっと其処にある……

私にはそのように思えてならなかった。




 やっとバスルームのドアを開けた。

パジャマ代わりの大きめのTシャツ、ハーフパンツに着替える。


パパが居なくなってから、私はパジャマを着なくなった。

何時でもパパを助けに行けるような格好をして眠るためだった。


(えっ!? パパを助ける!?)
私は自分の思いもよらない考えに戸惑っていた。




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