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 祠の扉がバタンと閉じた。

 俺は振り返り外からその外観を眺めた。
 周囲にも目を配った。
 田舎っぽい景色は変わらずあって、太い木々に囲まれたお堂が静かに佇んでいた。
 俺はその景色を見上げるように見つめる。

 自分の手足を見つめても身体が縮んでいるのがわかる。
 女神の背丈と見比べてみると7歳児ぐらいだった。
 完全にチビ駒次郎にチェンジしたようだ。

 そして今度はお寺のお堂のようだ。
 障子戸が主流か。建物は木造しかないだろうけど。

 何気に振り返り、遠目に古臭い家屋が軒を連ねているのを視認した。
 そこが例の長屋なのだと分かる。
 陽が勢いよく落ちて行く。家々に明かりはなく辺りはすでに薄暗い。
 ふと空を見上げると星が幾つも輝いていた。

『なにをまじまじと見ておるのだ?』

 傍で疑問符を投げかける女神の声に視線を戻した。

 どこからともなく取り出した立烏帽子を頭に被ると、女神が不思議そうに訊ねた。
 お堂の周囲だけ一定の光量があり、入り口を照らしている。
 女神の声に向き直ると、女神自身がほんのりと発光しているのが見えた。
 まるで人間大のホタルを見ているようだった。

 幻想的な美しさに一瞬で心を奪われた。
 美少女と夜風。星たちを従えて。そのまま月にでも帰って行きそうな艶やかさ。
 目が合うと、見つめ返す女神が笑みを含んで軽く首を傾げる。見惚れていたのを知られるのが嫌で。

 慌てて景色を覚えておきたい理由をすこし打ち明けた。

 迷子になりかけたこと、壊れた祠が再び現れたこと、同じ場所にしかたどり着けない奇妙な経験を辿ったこと。

 女神は視線を俺からお堂の障子戸に移す。

『祠の外に出た後のことは私にもよくわからないのだ…』
 
 東の長屋の町外れにあるお堂の脇にべつの街道が続いていた。
 そちらに視線を預けて遠くを見る様に。
 ちょうど俺に背を向ける形に。
 その美しい顔を見ていたくてのぞき込むように傍に近づく。

 え、そうなのか。
 
 ネタバレになるから言えないだけじゃなくて?
 手伝いになるから明かせないのですか、と一応聞くと。

『私がおまえに嘘をついてもおまえの冒険が不利になるだけだ。そしてスキルの取得が遅れたらおまえよりも私の方が困るとわからぬのか?』

 夏の夜風が彼女に声援を送るようにその長髪をふわりと撫で挙げる。
 耳の形がくっきりと浮かび上がる。頬もうなじも透き通るようだった。浄化の泡の残り香か…良い匂いが俺の鼻をくすぐった。甘い匂いに癒され、優しい気持ちになるのを覚えた。

 さらに女神は意地悪でそのように言うのではないと付け加えた。
 その台詞……たしか前にも聞かされているな。

 スタイルの良い女神は特にポーズを付けず、ただそこに立ち尽くして居る。
 気取る様子もなく、自分を飾ろうともしない。
 発光した全身に夜風がすり抜けて、亜麻色の長髪の毛先がふわりと宙になびく。
 
 幻想的な雰囲気を漂わせる彼女の眼が温かく語りかけてくる。
 俺は何も言えず首を横に振る。

 その言葉には嘘はないようだ。
 自分でもなぜ疑ったのかわからない。彼女の透き通るような無垢な瞳は前回も真っ直ぐに俺を見つめていたのに。
 俺はおのれを恥じる気持ちが込み上げて来て、そっとうつむいた。

 ではあのことは女神に訊いても解らないということか。

『私がなぜ、おまえと共に祠を出て街へ向かうのかわかるか?』

 声の響きから、俺を見て問いかけてくれたのがわかる。
 見つめ返せばまたその視線は遠くに逃げる様に思えて、うつむいたまま。

「え、あの…退屈だからではないのですか」

『見た目ではわからぬだろうが私は悠久の時を生きて居る者。退屈などとは無縁なのだ』

 そんなに長生きをされているとは思いませんでしたし。美人先生の感覚でずっと見つめておりました。
 なんと退屈を知らない方でしたか。

「それは失礼いたしました」

 いい機会だ、良く聞けと女神はそう言った。

『私は江戸時代のことは知らぬと以前にも答えている。先程も幼少のサスケが見当たらないと首を傾げた所だ、わかるな?』

「は、はい…」

 わかるな、の意味が解らないまま。
 おそるおそる首を縦に振り、返事をした。
 先程の出来事はわかりますので取りあえず頷いたのだ。
 
『おかしいな。こうして外に出て見ても、結果は同じだ。やはり幼少のサスケをこの時代から検出できない…』

「え? いま何とおっしゃいましたか……」

 さ、サスケ!? 俺のサスケはどこにもいない……の?

 14歳のお前、今後どこから湧いて来るんだよ?

「はっ……!!」

 いま思い出したんだけど。
 いや、そんな。あの時はそんな意味だとは、まさか。

『なにか心当たりがあるようだが、その全容はわかるか?』

 俺は女神の眼を見て、全力で首を横に振る。
 全容なんてわからない。
 ただ、殺される前に駒次郎に怒鳴られた内容が、

「テメェ、一体どこから湧いて来たっ!」みたいな。

 確かに言われてみれば、その表現は直訳するべきだったのだ。
 ということは。
 15歳の駒次郎がその点の真実を知っているかもしれない。

 女神にその旨を伝えると、
「グン、おまえは駒次郎になって正解だったかもしれぬ」といった。

 余計にわからないんだけど。選択が正しいと褒めてもらえたのは嬉しい。

 女神は涼しい顔をしながら、この件を探る目的も含んで冒険を再開してくれと頼んできたのだ。この件を探るとなるとずっと駒次郎で行くのか俺……。

 この先で誘拐されるのだろ、考えるとゾッとするんだけど。
 
 なにその、誘拐予告入りの冒険ってばよ。
 女神は協力できないルールだけど、べつの何かは調べてみると言い、宿場町の方角の空へ消えて行った。
 
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