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【第二章】豊後侵攻戦・島津四兄弟の乱れ
しおりを挟む筑前侵攻に頓挫した島津義久は、次に豊後侵攻を画策する。だが家中には強大な秀吉に臣従すべきという意見もあり義久は苦悩した。迷った末に義久は、またしてもくじを引いた。それでも迷い、主だった将を集め軍議を開く。
「恐れながら、秀吉は、すでに年来の強敵であった徳川家康をも臣従させ、四国の長宗我部元親も傘下となり、今や日の出の勢い。戦するのは無謀ごわんと。ここは和平の道を探るのが国のためでごわす」
と発言したのは、島津家三男歳久だった。
「あいや待てい、いかに秀吉が関白といえ元はただの百姓。そげなもんに鎌倉以来の我が島津家が、一戦もせずに降伏したとあっては武門の名折れ。ご先祖様に申しわけが立たん」
反論したのは島津義弘だった。
「兄者はただの百姓とおおせられるが、そん百姓が尋常一様なことで関白にはなれもうはん。戦するには、それ相応の覚悟が必要ではごわはんか?」
「歳久、おはんはすでに忘れたかもしれぬが、おい達が初陣のみぎり、我が祖父日新斎様はこうおおせられた。いつの日か必ず戦乱を鎮める仏が出現する。そん時まで戦い生き続けよと。そん仏が、秀吉とかいう成り上がり者か? そげな者に頭下げるため、おい達は今まで戦ってきたとか? そげんこつは納得いかん」
「兄者、冷静になって考えればわかることでごわす。秀吉がその気になれば十万、いや二十万の軍勢が攻めよせてきても、おかしくはなか。戦は無理ごわんと」
「よか! 例え秀吉の軍勢いかほど攻めてこようと、島津兵一人一人が盾となって国を守れば道は開ける。それでも駄目な時は、国中に火を放って島津の意地を示せば!」
義弘は思わず声を荒げた。
「そいは国を滅ぼしてでん戦だけするちゅうことでごわすか! 兄者の申すことは、国の大事に携わる者の言葉とは思えもうはん!」
歳久もまた興奮し顔色を変えた。
「滅亡を恐れて戦はできん!」
「まっこて滅亡してもよかごわすか! 戦だけして、死んだ後のことはなんも知らんでは、話になりもうはん!」
「興亡必衰は武門の常、家名の存続よりなお大事なこともある。そいがわからんか、こんやっせんぼ(臆病者)が!」
「すでに朝廷より関白職に任じられた者を敵に回すは、朝廷を敵に回して戦うも同然ごわす! 兄者は、島津が未来永劫逆賊の汚名をかぶってもよかごわすか!」
いつの間にか義弘は額に青い筋をうかべていた。歳久もまた蒼白の形相をしていた。居並ぶ諸将も両者の気迫に圧倒され沈黙した。
結局議論は平行線のまま決着がつかず、義久は豊後侵攻を決意する。島津義久が正式に島津家の当主となってから約二十年、島津兄弟の間の亀裂が次第に大きくなっていた。
義久は、軍勢を肥後口、日向口の二手に分け豊後を目指す計画を立てる。肥後口の大将は義弘、豊後口の大将は家久のいわば島津の両翼である。ところが出陣を前に、家久は突如として病を発する。家久の身を案じた義久は、自らの侍医である許三官を家久のもとへつかわせた。許三官は明人で、長年にわたり、虫気の持病に悩まれてきた義久の治療にあたってきた。三官は、家久の病が予想外に重篤であることに驚愕した。
「はっきり申せ、おいの病は治るのか、治らんのか!」
三官の深刻な表情に、家久は何事かを悟り声を荒げた。
「養生すれば必ず治りまする。さりながら、無理を重ねると御命に関わりまする」
「ならば出陣は無理か?」
「大将は他の仁にまかせるが肝要かと」
家久は病のせいか、やや青白い顔をしていた。
「おいは兄弟の末っ子として生まれ、幼い頃よう兄者達と張り合った」
と、不意に懐かしむように昔を語り始めた。
「じゃっどん年が離れておるゆえ、なにをやっても勝てず、いつも泣いてばかりだった。ようやく馬を乗りこなせるようになった頃、兄者たちとかけっこをやったが、どんどん引き離されて、一人とり残されたおいは、馬の上で気がすむまで泣いた」
そこまでいうと家久は、突然苦しそうに咳をした。
「肥後口の大将は義弘兄だそうだな。こん戦は、もしかしたら、おいが兄者達を越える最後の機会かもしれん。そして、おい達島津の兄弟が九州の支配を目指す戦、後にはひけん」
「さりながら、命に関わりまする」
三官は哀れむような眼差しを家久にむけた。
「よいか義久兄には、おいは大事なかったと伝えよ。必ずじゃ」
こうして家久は軍勢の先頭に立った。島津家久ちょうど四十歳、死を覚悟しての出陣だった。
一方、昔日のおもかげなき大友家では、島津来たるの報に諸将の離反が相次いだ。かっての大友宗麟の守役入田親実の嫡子義実は、いち早く義弘のもとに帰参し、その先導により、肥後から豊後途上の多くの城が戦わずして開城した。また朝日獄城の柴田紹安も島津方に寝返り、自ら豊後への道案内をかってでた。
「何故じゃ、何故皆寝返る。どいつもこいつも卑怯者どもめ!」
府内の城で、大友義統は半錯乱の体を浮かべた。
「恐れながら殿、まずは落ち着くことこそ肝要かと。殿がうろたえては、忠義な家臣達も皆うろたえまする」
「宗歴、さてはそなたも敵に寝返るか許さんぞ!」
宗麟の代から大友家に仕える朽網宗歴は、昼間から酒を飲み乱心状態の義統に、若かりし日の宗麟の悪しき幻影を見た。いや宗麟以上であるかもしれない……。
義弘は順調に進撃を続けていた。天正十四年(一五八六)十月、三万の軍勢で豊後に入りした義弘は、十月二十二日に高城を落とし、二十三日には戸次城、松尾城をさして抵抗もなく降した。だが崩壊寸前の大友方の各戦線においても、頑強に義弘の前に立ちふさがる者もいた。まだ十八歳の切支丹大名志賀親次と、日本三堅城の一つとまでいわれた岡城である。
岡城は標高三二五メートルの天神山の山頂に築かれ、比高九十五メートル、城域は東西二五〇〇メートル、南北三六二メートル、総面積は二十三万四千平方メートルに及ばんとする巨大な城域である。険しい断崖に石垣を高く築いた梯郭式山城で、城の北側の稲葉川、南側の白滝川を天然の掘としていた。
島津義弘は岡城南の片ヶ瀬原に布陣し本格的に攻撃を開始した。岡城の南を流れる大野川、そこに架かる滑瀬橋が主戦場となった。守備隊も保塁を築き防御を固め待ち構えており、攻め寄せる島津勢を寄せつけなかった。
島津勢は一旦攻撃を中止、稲富新助率いる兵五千を監視に残し義弘自身は久住方面の攻略に向かった。
ところが功を急ぐ稲富新助は滑瀬橋を奪取しようと急襲するが、守備隊はこれを察知。銃手三百余の一隊は川岸に待ち伏せ、もう一隊をして川を迂回、背後に回った。先駆けの五百余が橋に迫ると猛射を浴びせ、慌てふためいた島津勢は大損害を受け退却、二度目の攻撃も失敗した。
島津義弘は一旦岡城の攻撃を止め、久住方面に移り直入郡の攻略を続行する。
山野城では朽網宗歴の嫡子朽網鎮則が兵を指揮していたが、三船城などの山野城の支城を次から次へと落としていった。この時、山野城の不幸は、朽網宗歴が病のため急逝したことだった。これにより将兵が動揺する中、鎮則は敵わずとみて、義弘に和議を乞い開城する。
やがて島津勢は再び岡城周辺に軍勢を展開した。それを受け志賀親次は『滑瀬は川深く橋も撤去され決戦には不向きである。よって明二十九日小渡牟礼の渡しを案内するので鬼ヶ城で勝敗決すべし』と、島津方の陣に矢文を打ちこんだ。
「自ら戦場を選び決戦に誘うなど明らかな罠ごわんど。敵の挑発に乗るべきではなか」
稲富新介が、そこに自軍に有利な場所に敵を誘いこもうとする、親次の計略を読んだ。
「うんにゃ、敵の大将はまだ若い。気負い故、こげな果たし状で決戦場所まで指定したのじゃろう。もし罠だったとしても、果たし状を受け取って、そいを断ったとあっては島津の恥、敵方にもあざけりを受けよう」
義弘は家臣の反対を押し切って、決戦に応じる旨の矢文を打ち返した。義弘は敵の大将が親子ほども年が違うため、ややむきになってもいた。
翌早朝、志賀親次自身は岡城西鬼ヶ城下の上角口に布陣。兵一千余を二手に分け鬼ヶ城に配備し迎撃準備を整えた。
「果たして義弘は、本当に果たし状に応じますかな?」
側近は疑念をいだいた。
「いや果たし状を受け取って、これに応じずとなると武門の恥辱、敵は必ず来る」
その時遠くで、軍勢が川を一斉に渡る音がした。志賀勢の瀬踏み案内を受けた島津勢だった。
「来たぞ! よいか敵が渡河するは見過ごせ、山の斜面にさしかかった時こそ勝負」
親次は素早く部隊に指示をだした。
果たして、島津勢が川を渡り終え、山の中腹にさしかかった時だった。伏せてあった鉄砲隊が一斉に火を吹いた。
「今じゃ、かかれい!」
志賀勢は山を降り島津勢を迎撃、島津勢はたまらず崩れ、死傷者を続出した。ある者は川に落ち、またある者は玉来方面に逃げるなどして敗走する。志賀勢はさらに追撃しこの日の戦闘で士分三百七十人を討ち取る大戦果をあげ、鬼ヶ城で首実検の後岡城に引き上げた。島津勢はその後岡城攻撃に出ることは無かった。
「うぬ、おいほどの者が、あげな若造に手玉にとられるとは……」
義弘はほぞを噛んだ。後に島津勢は、志賀親次を称して『天正の楠木』と呼んで恐れた。
一方、日向口を進んでいた家久も、鶴崎城で予想外の難敵に遭遇する。鶴崎城城主吉岡甚吉は宗麟従って丹生島城に入り、母である吉岡妙林尼が城を守っていた。
吉岡妙林尼は齢四十中頃、だがその容色はまだ衰えていない。鎖鉢巻をしめ、着込みに上に羽織を着、長刀を携えるという、勇ましい出で立ちで軍勢の先頭に立った。
主力軍の大半を丹生島城に奪われ、城というより砦に等しい鶴崎城の命運は風前の灯かと思われたが、女城主と城兵達は、ここで徹底抗戦にでた。
城廻りの掘りをさらに深くし、掘りにめぐらせた柵と柵の間に落とし穴を幾つも作った。そして矢面にはあるだけの鉄砲が並べられる。
攻め手の大将は、島津家きっての猛将伊集院美作守だったが、落とし穴にまんまとはまったところを、至近距離からの銃口を受け、多くの将兵が無駄に死ぬ。
攻防十六回、そのつど城兵は攻めてくる島津勢を退けた。だが小城の悲しさ、ついに矢弾も兵糧も尽きる時が来る。城方のあっぱれな抵抗に、島津方は降伏を勧告してきた。結局妙林尼は降伏勧告を受け入れ城を開城した。だがこれによって、島津方と妙林尼の戦いが終わったわけではなかった……。
こうした局地的な戦闘では苦戦した家久の軍勢だったが、勢い衰えることなく、天正十四年十二月には、利光宗魚の立て篭もる鶴賀城へと進軍する。この城が落ちれば義統の府内城、宗麟の丹生島城まで数日である。利光宗魚は島津方の降伏勧告を一蹴し、勇敢に戦うが衆寡敵せず、ついに討ち死にする。
城の命運尽きたかと思われた頃、遠く海の彼方から、豊後目指して進む軍勢があった。関白秀吉の命を受け、大友家救援のためかけつけた長宗我部元親等四国勢だった。
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