残影の艦隊~蝦夷共和国の理想と銀の道

谷鋭二

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【第一章】長崎海軍伝習所(一)

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 (一)

 
 時に安政二年(一八五五)十月二日の夜半、江戸の町を激しい揺れが襲った。下谷三味線堀にある榎本の屋敷もまた激震にみまわれた。
 まだ夢うつつをさまよっていた榎本釜次郎は、天地が逆さになるかのような衝撃に一時恐れおののいた。しかし揺れが一旦おさまると、冷静沈着に行動し、兄とともに家族を安全な場所に避難させる。
 世にいう安政の大地震である。マグニチュードは7.0規模だったと推測されている。倒壊した建物はおよそ一万戸、死者は二万人ほど、江戸府内およそ十四丁が炎に包まれたといわれる。
 
  
 勝海舟が地震を知ったのは、遠く下関でのことだった。
 海舟は長崎へ赴くために、九月三日に薩摩藩が幕府に献上した昌平丸で品川沖を出港。途中、遠州灘でお時化にあい船は沈没寸前の状況におちいる。船酔いに苦しみながらも、十月十一日には下関に到着した。
 海舟は家族の身を案じた。この頃、海舟の屋敷は赤坂田町にあった。風が吹けば飛んでいきそうなあばら家である。最悪の事態も想定された。しかし今となっては海舟にできることといえば、ただ家族が無事であるよう祈ることだけだった。

 
 物語の舞台は九州へと移っていく。ちょうど九州はオランダと同じほどの土地面積である。外洋と接し、いつの時代でも異国からの風が吹いてくる。
 寛仁三年(一〇一九)の女真族による刀伊の入寇の際、元寇の際、あれいは豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、常に矢面に立たされるのは九州とそこに住む民であった。
 一方で交易や交流も盛んだった。博多は古来より貿易港として栄えた。特に戦国期には少弐、大内、大友、龍造寺、毛利等、有力大名の争いの只中におかれ、都市は幾度も壊滅する。それでも朝鮮制圧をもくろむ豊臣秀吉により復興され、国際交易センターとしての地位は揺るがなかった。
 また戦国期には豊後もまた交際交流都市として繁栄した。その中心である府内(大分県大分市)には、キリスト教の教会が立ち並び、病院や神学校、あれいは中国人街まで存在したといわれる。
 
 
 戦国時代が終わり徳川幕府の鎖国以降も、長崎出島は異国への唯一の窓口として繁栄した。鎖国といっても、実際はオランダが海外情勢に疎い幕府を巧妙に言いくるめ、その交易権を独占したといったほうが正しい。
 その背景には、強大なオランダの国力があった。幕府が鎖国を国是とした十七世紀は、まさしくオランダの世紀であった。オランダが世界で最大の富を保有し、その国力はイギリスやフランスをもってしても、はるか及ばないものだったのである。

 
 ペリー来航以来、幕府は海防強化を急務としていた。嘉永六年の九月には、早くも大船建造禁止令を廃止。そして長崎奉行水野忠徳は、オランダ商館長クルチウスに帆船と蒸気船の購入を依頼する。
 しかし船だけあっても、これを動かす者がいなければ蒸気船も、ただの浮かぶ鉄屑になってしまう。まずは蒸気船を操縦できる者の養成が急務である。
 結局幕府の軍艦購入は、クリミア戦争の影響もあり、うやむやになってしまった。その代替え案として、オランダはファビウス中佐を艦長とするスンピン号を長崎に寄港させる。 
 ファビウス中佐は、海軍創設と乗組員養成のための意見書を幕府に提出。これに基づき、長崎に海軍伝習所が設けられることとなったのである。



 (スンピン号) 
 

 伝習所の学生は日本国中から集った。最も多いのはやはり幕臣である。他には目と鼻の先の佐賀藩、そして後に討幕の主導勢力となる薩摩、長州からも人が集まっていた。
 一方、教授陣の筆頭はオランダの海軍軍人ペルス・ライケン。航海術・砲術・測量術の教授は、やはりオランダの海軍軍人でホイセン・ファン・カッテンディーケ。医学・舎密学(化学) ポンペ・ファン・メーデルフォールとヤン・カレル・ファン・デン・ブルークなどとなっている。
 日本側の総監は、後に榎本武揚と共に箱館戦争を戦うこととなる永井尚志である。
 そして学校事務当局・学生と教授方をつなぐパイプ役となる学生長は三人いた。そのうちに一人が他ならぬ勝海舟だった。勝海舟は、お目見え以下の御家人からまったくの異例の抜擢である。しかし、この程度のことで満足してはいなかった。これを機にさらに飛躍しようと、野心をたぎらせていたのである。


(二)


「西の書院には勝麟太郎をはじめ一同が、袴をつけて出席している。部屋の中央にはシッポク台が置かれ、コーヒー、果物などが並べられている。その周りには生徒達が椅子に座り取り囲んでいる。
 オランダ人教師は鴨井にとどく高さの板を脇に据え、そこに白粉墨で図を描きながら航海術を講義する。
 調練は西の馬場で行われる。長さ三間ほどの蒸気船の模型が置かれており、帆の操作など実地の伝習ができるようになっている。オランダ太鼓も打っている」
 後に伝習掛お目付松本図書守は、伝習所の講義の様子をこのように幕府に書状で伝えている。
 
 
 オランダ人教師による伝習所での授業は、まずオランダ語と一般数学から開始された。
 すでに壮年期を迎えた実習生達が、あらたにオランダ語を学ぶのも難儀なことである。しかし、それにもまして代数学、幾何学、三角関数といった数学が、実習生達を悩ました。
 特に勝海舟はオランダ語に関しては、もとから知識があったため問題なかった。しかし数学に関しては、成績不良といってもいいほど出来が悪かったようである。

 
 数学に分野においては、抜群の能力を発揮した藩があった。佐賀藩である。なにしろ佐賀藩は、幕末維新を技術面から支えた藩といっていい。
 後年の戊辰の戦争においても、佐賀藩の部隊は最新式のスペンサー銃、ゲベール銃を所持していた。佐賀藩が諸藩に先がけて製造に成功したアームストロング砲は、徹底抗戦を続ける会津藩をついに屈服させる役割をはたす。
 この長崎から目と鼻の先に位置する外様の西南雄藩は、場所が場所だけに国防意識もまた人一倍強かった。
 俗に佐賀の幕末維新はペリー来航より四十年早く始まったといわれる。
 福岡藩と一年交代で行われる長崎警備もまた、佐賀藩の重要な役割である。ところが文化五年(一八〇八)、イギリスの軍船フェートン号が、長崎港に不法侵入するという一大事が勃発した。これにより奉行は切腹、藩主も百日間の逼塞を命じられるという事態にまで至る。
 

 第十代佐賀藩主・鍋島直正は極めて開明的な人物で、諸藩に先がけて精煉方といわれる理化学研究所をつくった。そこでは蒸気機関はもちろんのこと、カメラ、電信機、ガラス等も製造されたといわれる。
 また佐賀藩の侍達は、こうした教育機関における学びにも慣れていた。
 佐賀藩には有名な「葉隠れ」精神のもとに、改革の担い手となる人材の育成をスローガンに藩校・弘道館が設けられていた。教育機関としてかなり厳格なもので、成績不良者には年貢米の一部返上という罰則規定まであった。そのため、精神に異常をきたす者までいたといわれる。
 彼ら佐賀藩出身者は、藩主・鍋島直正の期待にこたえるべく学問、そして実習にはげむ。その一方で成績優秀なため、幕府や他藩の出身者を見下すようなところまであった。


(アームストロング砲)
 
 
 さて肝心の乗艦実習に関してだが、意外とお粗末なものだったようである。練習艦は観光丸と名を改めたスンピン号のみ。安政三年中に巡行したのはたった十四回だけだったといわれる。それも、もっとも長くて三昼夜の航海(平戸巡行)、巡行の海域も野母岬と五島列島を結ぶ線以内といった程度だった。


(三) 

 
 伝習生達は、ときどき集まっては宴会を開き交流を深めた。
「とにかく、このままじゃいけねえ。外国のいいなりじゃ徳川の威信に関わる」
 酒を飲みながら語るのは中島三郎助だった。この海軍伝習所での実習には三郎助をはじめとして、あの浦賀奉行所の与力・同心達が多数参加していた。彼らの中心には三郎助がおり、酒を飲んでは「幕府の威信」という言葉を連呼した。
 近くで海舟が一人酒をあおっている。この人物は、もともと酒が強いほうではなかったようである。酔いがまわるにつれ、その幕府の威信という言葉が不快に思えてきた。


「やいやい、さっきから聞いていりゃ二言目には幕府の威信、幕府の威信! 幕府の威信さえ守られれば、民の暮らしなんてどうなってもいいとでもいうのか!」
 突然売られた喧嘩に、三郎助は一時動揺したが、すかさず言い返す。
「は? おめぇ何いってんだ。幕臣として幕府の威光が大事なのは当然のことだろうが? まずは徳川だよ。まあおめえさんみたいに、ついこないだまで役料もろくにでなかった貧乏御家人じゃ、徳川様のありがたみも理解できねえわな」
 三郎助は、憐れむような眼差しを海舟にむけた。だが海舟も負けてはいない。
「おうとも! 俺は親の代から将軍様へのお目見えもかなわねえ貧乏御家人さ! だけどよ、この国の本当に弱い者、力ない者の声を、俺は、おめえなんかよりよっぽどわかってるんだよ。だいたい何だ! ペリーに恫喝されてびびって何もできなかった屁っぷり侍が偉そうな口聞きやがって」
 この一言に三郎助の表情が一変し、もっていた徳利を床に叩きつけ激昂した。鈍い音がした。
「何だと! てめえにあの時の現場の様子がわかってたまるか! さっきから聞いてりゃ調子にのりやがって」
「おう! やるかこの野郎! 喧嘩なら受けてたつぜ」
 海舟が啖呵を切り、両者は一瞬触発となった。そこに浦賀奉行所の与力達を始めとして周囲にいた者達が仲裁に入り、かろうじて事なきに至る。

 
 数日が経過した。海舟は三郎助の部屋を訪れ、改めて謝罪した。
「この前はすまんかった。つい口が過ぎてしまった」
 三郎助はぷいと横を向いて、すねたような表情を浮かべている。
「いや俺はな、あんたらが浦賀でいかほど難儀をしたか、人伝いに聞いてはいるんだ。あれは酒の上での戯言だ、なかったことにしてくれ」
 海舟が頭を下げたので、三郎助の表情がかすかに変化した。
「そりゃ、酒の上でのことなら気にしねえさ」
 と、ようやく和解に応じる姿勢を見せた。
「ところで今日は色々と聞きたいことがあってな。どうだい実際に黒船を目の前で見て、この国は今後どうなると思う。鎖国攘夷をこの先も貫けると思うかい?」
 三郎助は、しばし沈黙する。
「この前も誰かに言ったが、俺はこの前鳳凰丸を実際に建造してみて、改めて西洋の技術の凄さがわかった。今、この国が欧米と戦争するなんざ、そりゃあ正気の沙汰じゃねえな」
 海舟は深く頷いた。
「いや俺はな、この前江戸で地震がおこったって聞いて、思うところがあってよ。この国は昔から自然災害が多い国だったと聞く。でも例え地震がおきようと嵐が来ようと、皆が必至に土地にしがみついて生きている。どうしてもっと海の外に目を向けようとはしないのか? 所詮この国は、四方八方海に囲まれながら海洋国家なんてもんじゃねえな。どこまでいっても肥し臭い百姓の国よ」
 三郎助は沈黙したままである。
「俺はよ、時々夢に見ることあるんだ。徳川が大船建造禁止令なんて国法をつくることなく、諸藩が自由に他国と交易していたらどうなっていたか? 
 例えば薩摩はルソン(フィリピン)と、長州は朝鮮と交易する。奥州の仙台藩あたりは北のロシアと交易の道を開いていれば……」
「壮大な理想だな。だがもしそうなっていたら、力を蓄えたどこかの藩が、結局幕府を倒していたかもしれんな」
 海舟はしばし沈黙した後、かすかに頷いた。
「確かに、所詮は徳川あっての天下泰平の世。 そして天下泰平の世なくして俺らの今はないかもしれねえ。難しいものだな」
 海舟は再びため息をついた。
 ちなみに中島三郎助は、この伝習所ではさして目立った存在ではなかったようである。専門はやはり造船であり、成績は中々優秀だったようである。


(四) 

 
 実習生達は、集団で長崎の有名な丸山遊郭に足を運んだりもした。ところが勝海舟だけは、周りがいくら誘ってもこれに応じようとはしなかった。
「木石なのかあの人は?」
「いや、とんでもない。あの人にはすでにこの長崎に隠し女がいるんだよ」
 と、他の実習生達はまことしやかに噂しあった。事実であった。女好きは海舟の生涯の欠点の一つであったが、その女性、お久との縁もまた実に奇妙なものだった。
 現在のJR長崎駅からさして遠くない場所に、長崎海軍伝習所時代に海舟が滞在した本蓮寺がある。とにかく長崎という場所は坂が多い。長い長い階段を上ると、やがて本蓮精舎の額が掲げられた本蓮寺にでる。ここまでくると眼下に長崎港を一望することができる。
 この本蓮寺には江戸時代、大乗院と一乗院の二塔あったといわれる。それぞれ大乗院には勝海舟が滞在、一乗院には、かってあのシーボルトが滞在したといわれる。
 

(本蓮寺から見た長崎市街地)
 
 
その女性久と勝海舟のロマンスは、この本蓮寺の近くで始まったといわれる。ある雨の日、この坂の多い長崎の地で、海舟はうっかり下駄の緒を切らしてしまった。たまたま近くを通りかかったお久の屋敷で世話になることとなる。それから両者は懇意になったといわれる。
 海舟はこの時三十二歳、そしてお久はまだあどけなかった。どう考えても二十にはなっていないだろう? だが一方で久は、すでに良人と死別した立派な後家でもあった。
 海舟はすぐにお久が気に入る。海舟の妻・民は深川の芸者出身であった。出自が出自なだけに、世慣れしているといえば、世慣れしていた。そして男のあしらいにも慣れていた。そこが海舟にしてみれば民の良いところであり、また欠点でもあった。
 民と比べると、この久という女性の純粋さ、あどけなさはどうであろう? しばしば訪れるうちに、海舟は次第にこの女性と、男女の仲に近い関係にまで発展していく。
 両者は、ほぼ同棲関係となるも些細なもめごとから関係にひびが入ることとなる。
 久は海舟の顔を見ると、しばしば死んだ両人に似ているとといった。ところがある晩、海舟がやはりあまり強くない酒をあおっていた際のことである。
「やいやい、なにか事あるたびに死んだおめえの亭主に似ているって……。俺はおめえにとって一体何だい? ただそれだけの存在なのか!」
「私はそんなつもりでいったんじゃ……」
 それをきっかけに大喧嘩になり、ついには海舟は久の屋敷を飛び出し、数日戻らなかった。

 
 何日かが過ぎ、海舟は自分の短気を反省しつつも、再び久の屋敷を訪ねた。屋敷の扉を開け、奥の部屋へ大声で叫ぶも返事がない。
「不在か?」
 仕方なく屋敷の奥へ足を踏み入れた海舟は、そこで驚くべき光景を目にする。久は台所で倒れて、気を失っていたのである。周辺には割れた茶碗が散乱していた。
「おい! しっかりしろ!」
 すぐに久を抱き上げると、寝床に寝かせそれから三日三晩看病にあたった。伝習所での実習も休みにせざるをえなかった。
 看病のかいあって、久は口がきけるほどにまで回復した。
「うちずっと待っていたけんね……。ばってん、いつまでたっても戻らんけん……」
「わかった、わかった。あの時は俺が悪かった。俺はもうどこにもいかねえ」
 海舟は、久の細い手を握りながらいった。
 その後、この久なる女性は海舟が長崎を去った後、海舟と再会することなく早世することとなる。海舟との間にできた一子・梅太郎は勝家に引き取られる。
 梅太郎はクララ・ホイットニーというアメリカ人と結婚するが、一男五女に恵まれた。そのうち末娘のヒルダという女性は、平成八年に至り、百歳を越える長寿をようやく全うするのである。
 もちろん海舟も久もこの時は、まだそこまでは知るよしもない。

 
 安政四年(一八五七)も三月を迎え、海軍伝習所の一期生はようやく卒業を迎えることとなった。その多くは江戸及びそれぞれの故郷に戻ることとなる。しかし勝海舟に関しては様々な事情により居残りである。
 代わって伝習所の二期生が入学してくる。この二期生には榎本釜次郎武揚もまた含まれていた。





 
 
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