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魔女見習いはじめました(2)

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 元魔女のからかいをよそに、温めた体が冷えないように全身を洗い流し、薬品が染みた寝間着を浴槽に沈めて浴室を後にした。

 体を洗うときもそうだが、拭くときも全身を触らないといけない。わかりきっている行動なのに、こうも緊張するとは情けない気持ちでいっぱいになった。

「あ。着替え、持ってきてない」

 胸の上からタオルを巻き、着替えようと思ったときに慌てて寝室を飛び出したことを思い出した。このまま浴室を出てもいいが、気になることがある。

「なあ。この家って、お前以外に住んでる?」

 浴室を探しているときにいくつかの部屋の扉を開けたが、明らかに趣が違うところがいくつかあった。

 寝室は作業スペースを兼ねていたとはいえ、かなり整っている印象だったが、寝室の向かいの部屋はかなり散らかってカビ臭く、階段のそばの部屋は武器らしきものが乱雑に並べられて油臭く、浴室の隣の部屋は本だらけ書店のような匂いがした。

 それぞれの趣向が違いすぎて、なんせ建物自体が思いのほか広い。浴室も二、三人なら一緒に入れそうなほどであり、同居人がいてもおかしくはない。

 その場合、こんな格好で敷地内を歩いてるところに出くわしたら、今の精神状態では羞恥心から耐えれそうにない。

『しばらく前までは弟子がいましたが、今はあなた一人ですよ』

「今は?」

 安心していいのか不安な返答はやめてほしい。

『三人ともそれぞれの任務で遠征中です。ダークエルフとサキュバスと……』

「……と? まだいるのか?」

『んー。彼に関してはあなたになんて説明すればいいのか。適切な言葉がチャンネル内にないので■●◆▲としか』

 なにか、聞き取れない言葉が聞こえた。いや、適切な言葉がないってことなら、認識できないってことなのか。

『その判断で間違いありません。彼は顔を合わせたときにピンと来ると思うので、その時のお楽しみにってことで』

「三人の特徴とかないのか。向こうは顔見知りでも、俺は初対面だ」

『有り体に言えば、短気な野生児と本の虫と脳筋です』

 まるで属性のバーゲンセールだな。本の虫のサキュバスってのはなかなか聞いたことがないが。

「なあ、ずっと気になっていたんだけど、チャンネルって何?」

『こちらの世界とあなたがいた世界の言語を含めた認識形態の互換性のことです。私の言葉、はじめはわからなかったじゃないですか』

 はじめというのは、夢の中のことか。確かに、最初は聞いたことのない言語だったのに、いきなり言葉が認識できていたな。

セカイそのものが違うので言語を形成した歴史が違います。もちろん文明も違う。あなたがいた世界で当たり前だったことがこちらでは異常であり、逆もまた然りです。チャンネルとは、あなたのような転生者の認識レベルを調整する役割があります』

「だから会話ができているってことか。さっきの形容できない弟子ってのは、俺がいた世界には存在しないってことか」

『そうなります。あなたがこの世界に慣れれば、なんとなしに理解はできるはずです。ですので、今後のお楽しみってことで』

「楽しみ、ねぇ……」

 変なことにならないといいが。誰もいないってことがわかったのならさっさと部屋に戻って着替えを済ませよう。

 浴室を出て、二階に通じる階段を目指す。建物の作りは木材とレンガってところで、薄暗い廊下には照明らしきものはない。風の通りは良さそうではないが、けれど湿っている様子もない不思議な造りだ。

 歩くたびに軋んで小さく鳴く床材は、古い建物の廊下を思い出させる。鳥の鳴き声のように鳴る様が心地いい。

 階段を登り、先程飛び出した寝室を目指す。どこに着替えがあるかはわからないが、自室っぽいしそこから探そう。

 寝室の扉を開く。女の部屋だと思うとまだ緊張するが、生唾を飲んで中に入った。

「ん……?」

 違和感を覚えた。すっ転んでテーブルを倒し、腐った卵のような臭いのする薬品をひっくり返したのに、部屋の中は綺麗なままだ。臭いどころか、倒れたテーブルも直っている。

「――ニャにを突っ立ってるニャ、ゴシュジン。入り口に立ってたら邪魔ニャ」

「わぁあ!?」

 背後からいきなり声をかけられてまたまたひっくり返った。勢いでタオルもはだけてしまい、慌てて体を隠す。

 そこには、でかい赤いリボンを頭につけた、黒髪で逆ボブカットの子供がいた。赤い瞳の吊り目、黒いワンピースを着て、背よりも高い箒と衣服が入った籠を持っていた。

 そしてなにより、大きなリボンに隠れるようにして動いているが目を引いた。

「ほい、着替えニャ。早く着替えるニャ」

「だ、だ誰?! ニャニャ言ってるし! その頭、耳!? 猫耳!?」

『あ。この子がいましたね。使い魔なのでカウントするのを忘れてました』

「なんでお前は肝心なことを毎回言わないんだよ!?」

「いちいちうるさいニャ。ニャーは耳くらいあるニャ。新しいゴシュジンはほんとにうるさいニャ」

 人を見るや否やすごく迷惑そうな顔で、すこぶる嫌そうに口を開いた。

『この子はネコ型の使い魔マタタビです』

「朝っぱらから部屋のニャか散らかして、掃除をするニャーの身にもにゃれニャ」

 動転して気付くのが遅れたが、ずっと怒られてるな俺。

「マリアも勝手ニャ。いきにゃり魔女やめるニャンて無責任ニャ。それに中身ニャかみがオス臭いニャ。ほんと身勝手ニャ。ゴシュジンもそう思うニャ?」

「あ。それは全面同意」

『変なとこで意気投合しないの。マタタビは基本的にこの屋敷の掃除や炊事などの奉仕を務めています。お風呂の間に部屋を片付けたのもこの子ですよ』

「そ、そうだったのか。すまなかった。臭かっただろうに」

 ただでさえ腐った卵のような硫黄臭さのある薬品臭だ。風呂から戻ってくる合間に掃除をして臭いすら残っていない。

「世辞はいいニャ。それより着替えるニャ。風邪を引いても看病は管轄外ニャ」

 猫耳姿の少女が地面におろした籠を足で押してきた。何度も催促されていたからもあるが、明らかに子供の姿で見下されて蔑まされて何だか泣きそうな気分だ。

「着替えが終わったら朝ごはんニャ。食堂ダイニングルームに来るニャ」

「あ、ありが……」

 お礼を言う前に扉を閉められてしまった。最後まで機嫌が悪そうだったな。

『あの子はいつもああなので。ネコですし』

「それ、説明になってない」
 マタタビに渡された着慣れない女物の服を着て部屋を出た。

 白い寝間着とは違い、胸元に白百合の刺繍がされた青色のワンピースだった。インナーカラーというのか、フリル状のスカートの中は鮮やかな赤であり、女のファッションに疎い俺からするとこんなものなのかと思ってしまう。

 頭の中に響くマリアの案内に従い、一階へ降りる。

 廊下には香ばしさと甘さによって異国情緒を思わせる雰囲気が漂っていた。

「やっと来たニャ。冷める前に食べるニャ」

 匂いの先にあるダイニングルームの扉を開けると、マタタビが朝食をテーブルに並べている。

「あ、ありがとう。それにしてもいい匂いだ」

 嗅ぎなれない匂いではあるが、食欲をそそる。異国の朝食モーニングってのどんなもんだろうか。パンケーキやベーコンエッグ、フレンチトースト、何なら食パンとコーヒーや無難な和食だっていい。

「ポンピールのケックルと赤マミのソルビ、あとはパンピンのポルタージュ、ニャ」

 ……テーブルに並べられたのは奇っ怪で謎な食材だった。

 香りはいい。廊下にまで広がる高温で焼いた香ばしさと、果実などを煮詰めて甘さが際立ったソース。けれど、目の前にあるのはザ・青のパンケーキらしきもの、口紅より真っ赤なジャムみたいなもの、そしてピンクでドロドロなスープだった。

『な、なんと! 私にはめったに作ってくれなかった私の好きなものです!』

「マリアの好物ニャ。こればっかり作ってくれってうるさいから作らニャかったけど、新しいゴシュジンの初めての食事だから特別ニャン」

「お、おう……気使ってくれてありがと……。変わったものが好きだったんだな……」

 なんというか、見た目で損してる料理ってあるんだなを全力で表現している。世界が違うと、こんなにも変わるものなのか……。

「い、いただき……ます」

 マタタビが引いた椅子に座り、謎の料理を正面から受け取る。お皿のそばにはスプーンとフォーク、ナイフが置かれ、空のカップに絵の具くらい白い液体が注がれた。匂いだけはコーヒーのようだが、見た目の全部が予想の斜め上をいく。

 まさか、マタタビの嫌がらせなのか。マリアの使い魔だったらしいが、主人が変わったことが気に入らないのか。いきなり部屋を散らかすやつは確かに嫌われても仕方ない気もするが……。

 フォークとナイフを取り、パンケーキらしきものを切る。テーブルマナーなんてものは知らないし、イメージだけで体を動かして恐る恐る口に運んだ。

「ん! うまい……」

 見た目はあれだが、味はしっかりパンケーキだ。赤いジャムらしきものはブルーベリーの味がする。目を閉じて食べれば、ブルーベリーソースをかけたパンケーキと遜色ない出来栄えで、経験したことのない旨さに失いかけていた食欲がカムバックした。

「ならこのスープは……ん、かぼちゃのポタージュだ」

 ほぼほぼ匂いの通りの味がする。けど、色合いがこうも違うということは、この世界では小麦もブルーベリーもかぼちゃも違った見た目をしているのだろうか。

「フフーン。にゃめてもらったら困るニャ。ニャーはネコでも仕事は完璧にこニャすニャ。もっと褒めるニャン」

『あーいいなーいいなー私も食べたいなー赤マミなんて鮮度命でめったにないからなーナカムラさん向こうの世界に戻そうかなー悩むなーいいなーいいなー』

「おい、そばでうるさいぞ」

「うるさいってニャンニャン」

 マタタビが表情をガラリと変えて睨みつけてきた。

「あ。ごめん。マリアがずっとうるさくて」

「……マリア、消えたと思ったのにまだいたのかニャ。どうせゴシュジンを向こうに返そうとか思ってそうニャ」

『ギクッ』

「よ、よくわかるな……さすがは使い魔か……」

「……まあいいニャ。マリアのせいでいい気分が台ニャしニャ。食事が終わったらこのベルをにゃらすニャ」

 マタタビはテーブルに小さなベルだけを置いて不機嫌そうに出ていった。食卓のいい匂いと共に残されてしまった。

 広いダイニングテーブルには十人は座れそうで、けれどそこで一人食事をするってのはどこか寂しげだった。

 俺はいつも一人だった。朝も昼も夜も、誰かと食事をしたのは中学校の給食以来ほとんどない。

 あったとしても、集団の中で孤立していた。そんなの孤独以上につらいものはない。それが嫌だったから、一人を選んだ。それが原因で、より孤立していった。

 世界が変わっても、貧しい生活から、いきなり裕福(そう)な立場になっても、一人の食事ってのは変わらないのか。そう思うと、寂しさがこみ上げてくる。

『ナカムラさん? 泣いてるんですか?』

 気付けば頬を一筋の涙が濡らしていた。マリアに言われるまで気付かなかった。

「あ、いや……。うまくて、な」

『感動の涙ですね。私もこれを初めて口にしたときは喜びから飛び跳ねたものです。これは――』

 マリアの声が耳から遠ざかる感覚。感動と言えば感動だろう。心は揺さぶられた。この気持ちは、あまりいいものではない。思わず、目の前にあるの小さなベルを取り、軽く振った。

 チリンと、風鈴のような音が広いダイニングルームに木霊する。廊下からはバタバタと音がして、扉を開けてマタタビが入ってきた。

ニャンニャ、もう食べ終わったのかニャ? あり、まだあるニャ。にゃんの用ニャ」

 少し焦っている様子のマタタビ。口元には、赤いソースが付いていた。

 なんとなくわかった。彼女は、いつも一緒の席で食事をしないんだ。

 こちらがゆっくり食べている最中に、主人の次の指示が来るまでに急いで食事を終わらせて、それで何食わぬ顔で対応している。

 焦っている姿も、これなら理由がつく。だから――

「あ、あのさ。折角だから、一緒に食べないか。食卓は、囲んで食べたほうが美味しいぞ」

 その言葉を耳にしたマタタビの表情が変わる。鳩に豆鉄砲と言わんばかりに、目を丸くして、頭の耳がピンと上を向いて止まっている。

 美味しいぞ、と言っても、俺にその経験はない。囲んでも、孤独だった。だけど、マリアとマタタビの関係は主と使い魔で、一緒にいても肩を並べることはない。

 それが、俺には耐えられない。

『何を言っておるのですナカムラさん。私と彼女には一応主従関係がありますよ』

「主従関係。ああ、たしかにあっただろうな。けれど、それはマリアとマタタビに、だ。俺とマタタビにそれはない。使い魔って言っても、家の奉仕をしてくれても、食事くらいは一緒にしたい。一人ぼっちは、寂しいからな」

 自分でも驚くほど、本音がスムーズに溢れた。誰かと一緒にご飯が食べたい。それが、俺がずっと抱えていた、ささやかの願いの一つだったから。

「マタタビが良かったら、一緒に食べよう。美味しいごはんを作ってくれた相手の顔を見たいんだ」

「……」

 あんぐりと開いたマタタビの口。少しの沈黙の後に、扉も閉めずにバタバタと部屋を出ていった。

「あれ。駄目だったかな……」

『んん?? 何がしたかったのです、ナカムラさん』

「いや、俺も何ていうか。思わず……」

 また廊下からバタバタと音がする。わずかに、ガチャガチャとした音が混ざる。

「し、仕方ニャいニャー。ゴシュジンがさびしいっていうにゃら、それに答えてあげるのがニャーの仕事ニャ。仕方ニャいから、今日から一緒に食べてあげるニャー」

 頬を真っ赤にして、食べかけのポンピールのケックルと赤マミのソルビ、パンピンのポルタージュが入った食器を持ったマタタビが戻ってきた。

「あ、ああ。それは仕方ないな」

「そうニャ。仕方ニャいニャン」

 ぎこちない足取りで隣の席に食器を置いてマタタビが座る。

 女の子と一緒にご飯を食べることも初めてかもしれない。けど、その初めては、どこかドキドキして、けれどワクワクするものだった。
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