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46 お父さんなんか、大っ嫌い!

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 キノシタくんとははじめて俺がここに来たときに、このロビーで出会っている。彼は生前入っていた病室から、ここを通って二階の待合所までを浮遊する地縛霊だ。

 ところが美濃に再会してから、彼はお決まりのコースを変えて美濃を追いかけるようになっていた。どうやら彼の未練のなにかしらに、美濃が関わっているらしい。美濃に再会したことで、キノシタくんの呪縛は解けてきている。今朝なんて俺の籠るトイレに現れていたもんな。

 それでもまだ、キノシタくんは病院の外へは出てこれないようだった。俺が外へ出ていくと、彼はガラスの自動扉のまえで立ち止まってしまったのだ。
 
「就一っ!」
 暗がりから名まえを呼ばれた俺は、声のほうに振り返った。

「お父さん!? 」

 キノシタくんに気を取られていて、俺はこっちに駆けてくるお父さんにまったく気づいていなかったのだ。 しまった! と思ったときにはもう、お父さんは直前にまで来ていた。

「お前はどれだけ親に心配かければ気が済むんだ!」

「やっ! 痛いっ」
 踵を返して院内に逃げようとしたが、即座に腕を掴まれてまた外にひっぱり出されてしまう。もうそこにキノシくんの姿はなかったけども、彼が居たとしてもさすがに幽霊の彼に、この場を助けてもらうことはできなかっただろう。

「ほらっ、家に帰るぞ!」
 小柄な俺の身体は憤怒したお父さんの馬鹿力によって、駐車場のほうへとズリズリと引き摺られていく。

「放せよっ! いやだっ、帰らない!」
 だれがこんな怒り狂ってる親といっしょに帰りたいもんかっ。なんで俺は学校でイジメられたあげく、それを知った親に怒られるはめになるの!?  

「帰ってちゃんと話しをしよう、なっ、就一? お母さんだって心配しながら家で待っているぞ」
「うそだっ、お父さんもお母さんも話なんてきいてくれないじゃないかっ」
「だれがいつ聞かなかった!?  嘘をつくな! 云ってみろ!」
「いまっ、いまだよ! 腕! はなしてって云ってるだろ! それにほうっておいてって云った! なんにもしてくれなくていいって! その方がうまくいくからって! 云ったよ、俺! なのになんでお父さんは余計なことしようとするの!? 」

「いいから、就一はぜんぶお父さんに任せておけばいいんだ、ちゃんといいようにしてやるから」
「そんなのぜったい俺がしていらないことなんだっ」
「お前はなにもわかってない! こうやって仕事まで抜けてお前を迎えに来てやってるんだぞ? 就一のことを一番考えているのはお父さんとお母さんだ。お前を虐めてたやつはお父さんが制裁してやる! こういうのは出るとこでたら一発だからな」

 出るとこっていったいどこだよ? 警察だけじゃないの? 
 いやだいやだ、どうしよう!?  こんなひとに任せてたら、俺のこと全部ダメにされるじゃないか。

 お父さんの云っていることを聞いていると、さっきまで確かに自分のなかにあったはずの『もしかしたらすべてがうまくいくかも』っていう僅かな期待がぎゅうっと圧縮されていき、心が一面、絶望的な気持ちに支配されていく。

「安心しろ。二度と悪い奴らがお前に近づいてこないようにしてやるからな。学校を無事に卒業させてやる」
「やめてやめてやめてっ、そんなのしていらないっ!」

 もうこれ以上恥ずかしい思いも、悔しい思いも、辛い思いもしたくないんだから。
 でも、死んでもそんな俺の気持ちをお父さんには教えたくない。俺が弱いことを、家族には知られたくないから。これは俺のプライドだ。
 
 それにすべてをさらけ出したあげくに、否定されてしまったらどうなる? きっと俺は絶対お父さんを憎むんだ。これ以上、あんたを嫌いにさせないでくれ!

 渾身の力を振りしぼりお父さんを突きとばしたら、体重の軽い自分のほうが後へ転がってしまい悲鳴をあげる。痛いじゃないかっ! 体を打ちつけたコンクリートはとても冷たい。

「お父さんなんか、大っ嫌いだ!」
「なんだと!? 」
 地べたで体を起こそうとしていた俺の胸倉が、乱暴に掴まれた。

(殴られるっ!? )

 とっさに目を瞑ったけど、だけど衝撃はなかなか訪れなくて。――でもそれはお父さんが俺を殴るのをやめたからではなかった。いきなり現れた美濃が、振りかざしたお父さんの腕をとりあげてくれたのだ。

「藤守さん、やめてくださいっ! 暴力はいけませんっ、落着いて――ッ」
 美濃がいきどおうめくお父さんを、羽交い絞めにする。

(大っ嫌いっ! 死んでしまえっ!)
 俺は力いっぱい拳をアスファルトに叩きつけると、地面を掻くようにして腰をあげた。
「大っ嫌い! 死んでやるっ!!」

 そのまま彼らに背を向けて車道へ向けて走り出す。背後から美濃が俺を呼ぶ声が聞こえたが、そんなの、知らない。
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