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竜伐祭編
第五話/二十年剣士(前編)
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「タコか……」
ヒロが呟く。
まな板の上に、タコの足が一本。
ゴウの魚屋『ゴダイゴ』で今日の魚を仕入れた時に、オマケして貰ったタコである。
大振りの足で、刺身にすると食べ応えがありそうで良い。
見た目は少々グロテスクな足だが、口に入れれば歯応えが良く実に美味である。
昔の人がこれを食べようと思い至らねば、現在では、知る人ぞ知る珍味扱いだったかもしれない。
それはつまり、この日の宿泊客の胃袋に、タコが入らなかったかもしれないという事だ。
ついでに、ヒロ達の胃袋に、おこぼれが入らなかったかもしれないという事だ。
「ありがとうございます、昔の人」
昔の人はいないので、タコに向かって合掌してから、一礼。
頭を上げて、ようやく刺身包丁を手にした……その時である。
「ヒロ君、ヒロく~ん!!」
厨房の外から、センダンのけたたましい声が聞こえてきた。
センダンが騒ぎ出すのは、いつもの事である。
その大半が『良い事思いついた』だ。
実際にはちっとも良くなく、ろくでもない事なのだが、センダンとしては良い事を思いついているつもりである。
「はいはい、どうしました?」
包丁をまな板の上に戻して厨房を出る。
周囲を見回すまでもなく、センダンがどこにいるのかは分かった。
二階に通じる階段から、ドタドタと激しい足音がする。
「ヒロ君!」
二階からセンダンが駆け下りてきた。
普段であれば、ここから『良い事を思いついたの!』とくる所である。
だが、この日はそうではなかった。
センダンの表情には、畏怖の色が見えた。
「……何かありましたか?」
様子の違いを察し、ヒロは真剣に聞く。
「今日泊まっているお客様、ええと……」
「オズマ・ダッタンさんですか?」
今日の唯一の宿泊客の名を出す。
少し皺の目立ちだした壮年の男性で、非常に気さくな人だった。
内容までは覚えていないが、受付の際に何かジョークを口にして、向こうから交流を図ってくれた記憶がある。
「そう! そのオズマさんが、ランニングに出てたわよね」
「ああ『体を動かすのは日課だから』と言ってましたっけか」
「で、帰ってきたオズマさんと、さっき二階ですれ違ったのよ」
「はい」
「運動後だからか、オズマさんのシャツが撚れていて、ちょっとだけ胸元が見えちゃったのよね」
そう言って、センダンは少しだけ口篭る。
その先を本当に言って良いのか、彼女なりに考えているようだった。
「それで……?」
「……あのね」
だが、意を決したようで、センダンの口がゆっくりと動く。
「胸元に……刀傷があったの」
「はあ……? 刀傷、ですか?」
予想外の言葉に声が裏返りかけた。
「本当よ! 胸元に大きな古傷があったの!」
「刀傷とは限らないんじゃないんですか? 事故の跡とか」
「ううん……それは、そうかもしれないわ。
でも、もし刀傷だったとしたら、もしかしたら……」
「もしかしたら?」
「……怖い仕事をしている人なのかも」
「まさか」
首を左右に振って否定する。
今日初めて会う客だが、とても『その手の人』には見えなかった。
「で、でも……」
センダンがなおも食い下がろうとする。
だが、その彼女の言葉を押し潰すように、唐突に天井が揺れた。
「わ!」
「わわっ!」
二人して、反射的に肩を跳ね上げる。
一瞬ではあったが、重い衝撃だった。
思わず顔を見合わせあい、揃って天井を見上げる。
「ヒロ君……」
「……僕、一応、様子見てきます……」
◇
「お客様、少し宜しいでしょうか?」
客室の外から、ヒロが声をかける。
その声に反応して、部屋の中から物音がした。
「おう、宜しいぞ~」
すぐに軽い調子の返事が返ってくる。
勢い良く扉が開き、中から汗をかいているオズマが出てきた。
「よう、どうかしたか?」
「お客様、お取り込みの所申し訳ありません。
何か物音がしたようですが、どうかされましたか?」
オズマの顔色を伺いながら尋ねる。
「物音ってか?」
「ええ。何か重いものが落ちたような……」
「……あー!」
「何か思い辺りが?」
「悪い、これが響いちまったみたいだ!」
オズマは軽く頭を下げながら、右手を前に出す。
彼の右手にはダンベルが握られていた。
「ダンベル……」
「これを取り出した時に、ちょっと手を滑らせて落としちまってな」
「とすると……筋トレか何かをされていたのですか?」
「その通り。ダンベルで他にやる事ないわな」
目の前のダンベルに、ヒロは安堵する。
どうやら、センダンの危惧は杞憂のようである。
「しかし、本当に悪かったな。一応落ちたのはバッグの上で、床に傷は付いてなかったはずだが……」
「であれば大丈夫だと思います。運動熱心なのですね」
「おう。俺の仕事は身体が資本だからな」
そう言うと、オズマはダンベルを床に置いた。
それから、腰を落とし、右手で握り拳を作ってそれを前方に突き出してみせた。
何かの姿勢を見せてくれているようである。
どこかで見た事がある気はした。
だが、思い出せない。
「その姿勢が、お客様のお仕事でしょうか?」
「うむ。……ああ、そのお客様っての止めてくれよ。敬語も程々で良いんだ」
「しかし……」
「俺、堅苦しいの駄目なんだ。なっ?」
オズマがウインクしてみせる。
実にフランクな男だった。
そのウインクに、ヒロも頬の筋肉を緩めて頷く。
「……分かりました。じゃあ、その姿勢でする仕事って、どんな仕事なんですか?」
「おお! よくぞ聞いてくれました!」
オズマが姿勢を戻し、大きく胸を張った。
表情も、どこか自慢げに見える。
「俺の仕事は剣術だよ、剣術。
ロビン剣術興行団員、オズマ・ダッタンたぁ、俺の事だ!」
燦燦さんぽ日和
第五話/二十年剣士
剣術は、現代においてはスポーツとして普及している。
それも、並の普及具合ではない。
スポーツといえば、二人に一人は剣術を連想する位に、剣術は市民権を得ている。
それ程までに普及した要因は、剣術のプロスポーツ化にある。
百年前の隣国との戦争……通称、艦隊戦争が終結した頃に、剣術はプロスポーツとしてリーグ発足した。
当時は娯楽が少なく、刃を落とした1kg弱のショートソードを用いて剣の腕を競うこのスポーツは、爆発的な人気の獲得に成功した。
そして今では、国内の主要都市は大抵一つ、都市によっては二つ以上の剣術興行団を抱えている。
リーグには、それらの剣術興行団が十四チーム属している。
ワンシーズン一年間、試合に勝つ事で獲得できるポイントの総数を競うのである。
肝心の競技内容だが、一回の興行は二部に分かれている。
前半はショーパート。
あらかじめ決められた型通りに剣を振い合い、華麗な動きで観客を魅了する演武。
その他、一応は台本無しで戦うものの、寸止めにする事を義務付けられた模擬戦が、ショーパートに該当する。
ショーパートの試合では、ポイントを得る事はできない。
チームにとって、ショーパートの目的は、若手の顔見せや修練である。
本番は、後半の点取り試合だ。
攻撃して良い箇所は防具のある場所に限られてはいるものの、模擬戦とは違って剣は振り下ろされる。
無論、誤って防具のない箇所を叩いてしまう事も日常茶飯事で、そうなれば模擬刀とはいえただでは済まない。
怪我人が出る事も多々ある試合なのである。
点取り試合は10人対10人で行われ、抜き勝負ではない為に、一人が一戦のみ戦う。
試合に勝てば固定値のポイントを得る事が出来るのだが、後半の試合程ポイントは高い為に、編成が重要となる。
そうした得たポイント総数でその日の勝ち負けを決める事はなく、リーグの順位はあくまでも、全日程の総ポイント数で決まる。
ロビン剣術興行団の競技場は、ロビン東部に存在する。
内乱時代に作られたコロシアムを模して建てられた、円形の競技場だ。
この日、ヒロとセンダンは、その競技場の観客席に初めて足を踏み入れていた。
「あまりお客さん、入ってないんだね」
「そうみたいですね。もっと活気がある印象でしたけど……」
席に着いた二人は、観客席を見回しながらぼやく。
客の入りはまばらで、最大で二万人が収容できる客席は、一割程しか埋まっていない。
平日の昼間であれば仕方がないのかもしれないが、それにしても少なかった。
だが、少ないといえども、その観客達の表情は明るい。
スケジュール表を見るなり、今日の組み合わせについて雑談に興じるなり、
めいめいが試合を待ちわびているようだった。
「オズマさんの出番は午前中でしたっけか」
入場口で貰ったパンフレットを開く。
売店で購入したフライドポテトを頬張りながら、センダンもパンフレットを覗き込んできた。
パンフレットには、ショーパート、点取り試合それぞれの開催予定時刻と、
参加する団員の詳細なプロフィールが、写真と一緒に掲載されている。
オズマの名前は、午前中に開かれるショーパートの項目に掲載されていた。
「オズマ・ダッタン、三十五歳。右利き。ロビン西部地区中級アカデミー卒。ヒロ君の先輩?」
「いえ、僕は中央地区中級アカデミー卒です」
「了解。ええと……流派はフーバー流、昨年度成績140試合中25試合出場8勝17敗。
妻子有り、趣味飲酒、好きな言葉……うわあ、個人的な事も書かれちゃうのね」
「お客様あっての興行だし、選手の事はなるべくアピールしたいんでしょうね。
その割には、あまり入ってないようですが……あ、選手が入ってきたみたいですよ」
場内に、軽快なファンファーレが鳴り響いた。
同時に選手入場口が開き、客席に囲まれたフィールドに、一名の審判と二名の選手が入場する。
選手は二人とも、胸当て、グリーブ、小手、兜の軽装備を纏っていた。
いずれも、ロビン剣術興行団のシンボルカラーである青を基調とした塗装が施されている。
兜のせいで顔が見え難いが、凝視してみれば、そのうちの一人がオズマである事が分かった。
『御来場のお客様、本日はロビン剣術興行団対サノワ剣術興行団の試合にお越し頂き、誠にありがとうございます』
風のマナの力を用いた拡声器から、女性アナウンサーの流暢な声が聞こえる。
『本日の試合に先立ち、主催であるロビン剣術興行団のショーパートを開始致します。
模擬戦第一試合は、オズマ・ダッタン対ライル・カーライル……』
アナウンサーが選手の名前を告げると、観客達から拍手が生まれる。
特に、最前列の良い席に座った観客の拍手はさかんだった。
ヒロとセンダンも、他の観客に倣って手を叩く。
それが収まりだすのと同時に、長く低いサイレンの音が鳴り響いた。
「始まったね!」
センダンが少しテンションを上げながら言う。
ヒロはフィールドを凝視しながら頷いた。
そこでは、オズマとライルが、既に腰を落として模擬刀を向けあっていた。
――剣がもっとも重宝したのは、内乱時代である。
近代ほど飛び道具が発展していない当時では、攻撃・防御共に接近戦が想定され、剣は主要武器として用いられてきた。
敵の鎧を破壊する事を目的とした重厚な剣が愛用され、それを扱う剣術も一撃に重きを置いた流派が多い。
これが、艦隊戦争の頃には事情が変わる。
軍艦の砲台は当然の事、陸上戦でもマナを用いた重火器が発展し、兵士には運用・回避能力が求められた。
その為、機動力を低下させる重装甲は用いられなくなり、それは剣にも影響を及ぼす。
すなわち、相手を斬る事だけが目的となった剣には、軽く小振りな物が用いられるようになったのだ。
剣術もそれに習い、モーションの小さなものが主流となる。
そしてその流れは現在にまで続く。
現代剣術の基礎は、艦隊戦争の頃から広まった小回りが利く剣術なのである。
「ふっ!」
ライルが強く息を吐き、70cm程の模擬刀を突き出す。
だが、オズマはその一突きを軽く払った。
振るわれる剣は互いに機敏な動きで、挨拶代わりの衝突に小さな歓声が沸く。
「ライル、お返しだ!」
「ええ、どうぞ!」
オズマの一声にライルが反応し……次の瞬間、オズマの剣は舞った。
上段、中段、下段の三連撃が、本当に寸止めできるのか不安にさせる勢いで繰り出される。
もっとも、その三連撃は剣術の基本中の基本で、ライルは難なくそれを捌く。
オズマは踏み込み、次に上段三連撃。
これも基本技で、ライルは捌く。
オズマは続けて再度の上段三連。
やはりライルは捌ききる。
だが、ライルは徐々にフィールド奥へと押しやられていた。
基本技の連続は、応用技に繋がる。
あえて容易に捌ける基本技を続け、相手の防御意識が薄らいだ所で奇手に出るのだ。
無論、大抵の選手にはその奇手も警戒されるのだが、それはそれで相手の精神力を削る事が可能である。
ライルが押しやられるのも、奇手を警戒して足が下がった為だった。
――後退。
更に後退。
ライルを追い詰めるのに比例し、オズマの剣が速さを増す。
剣を振るいやすい、中段や下段の割合が増える。
剣がぶつかり合う度、二人の汗が撥ねる。
ひたすら払うライル。
だが、払うだけでも、それなりに体力は消耗する。
次第にライルの動きが鈍る。
払う事も叶わず、迎え撃つだけになる。
その衰えをオズマは見逃さない。
控えていた上段の構えを取る。
勢いに任せて、ライルの剣を叩き落す事を目的とした一撃――
「そこです!!」
ライルの気勢が上がったのは、その時だった。
低下していたはずの動きが、再び機敏さを取り戻す。
剣を振るうまでに時間の掛かるオズマの上段攻撃よりも先に、
ライルの剣が横薙ぎに振るわれ……そして、オズマの胴の真横で止められた。
「いいいっ?」
予想外の動きに、オズマは目を見開いて動きを止めた。
一方のライルは、してやったりと言わんばかりに口の端を緩める。
ライルの『疲れたふり』が成ったのである。
「勝者、ライル・カーライル!!」
審判が声高らかにライルの勝利を告げる。
観客達からは祝福の拍手が湧いた。
「あちゃあ、オズマさん、負けちゃったね」
「惜しかったですね。押してたと思ったんですけれど……」
オズマの敗戦に、二人は勝者に拍手を送りつつも少し肩を落とす。
だが、勝ち負けは抜きに、それはなかなかに興奮を覚えさせる一戦であった。
ヒロが呟く。
まな板の上に、タコの足が一本。
ゴウの魚屋『ゴダイゴ』で今日の魚を仕入れた時に、オマケして貰ったタコである。
大振りの足で、刺身にすると食べ応えがありそうで良い。
見た目は少々グロテスクな足だが、口に入れれば歯応えが良く実に美味である。
昔の人がこれを食べようと思い至らねば、現在では、知る人ぞ知る珍味扱いだったかもしれない。
それはつまり、この日の宿泊客の胃袋に、タコが入らなかったかもしれないという事だ。
ついでに、ヒロ達の胃袋に、おこぼれが入らなかったかもしれないという事だ。
「ありがとうございます、昔の人」
昔の人はいないので、タコに向かって合掌してから、一礼。
頭を上げて、ようやく刺身包丁を手にした……その時である。
「ヒロ君、ヒロく~ん!!」
厨房の外から、センダンのけたたましい声が聞こえてきた。
センダンが騒ぎ出すのは、いつもの事である。
その大半が『良い事思いついた』だ。
実際にはちっとも良くなく、ろくでもない事なのだが、センダンとしては良い事を思いついているつもりである。
「はいはい、どうしました?」
包丁をまな板の上に戻して厨房を出る。
周囲を見回すまでもなく、センダンがどこにいるのかは分かった。
二階に通じる階段から、ドタドタと激しい足音がする。
「ヒロ君!」
二階からセンダンが駆け下りてきた。
普段であれば、ここから『良い事を思いついたの!』とくる所である。
だが、この日はそうではなかった。
センダンの表情には、畏怖の色が見えた。
「……何かありましたか?」
様子の違いを察し、ヒロは真剣に聞く。
「今日泊まっているお客様、ええと……」
「オズマ・ダッタンさんですか?」
今日の唯一の宿泊客の名を出す。
少し皺の目立ちだした壮年の男性で、非常に気さくな人だった。
内容までは覚えていないが、受付の際に何かジョークを口にして、向こうから交流を図ってくれた記憶がある。
「そう! そのオズマさんが、ランニングに出てたわよね」
「ああ『体を動かすのは日課だから』と言ってましたっけか」
「で、帰ってきたオズマさんと、さっき二階ですれ違ったのよ」
「はい」
「運動後だからか、オズマさんのシャツが撚れていて、ちょっとだけ胸元が見えちゃったのよね」
そう言って、センダンは少しだけ口篭る。
その先を本当に言って良いのか、彼女なりに考えているようだった。
「それで……?」
「……あのね」
だが、意を決したようで、センダンの口がゆっくりと動く。
「胸元に……刀傷があったの」
「はあ……? 刀傷、ですか?」
予想外の言葉に声が裏返りかけた。
「本当よ! 胸元に大きな古傷があったの!」
「刀傷とは限らないんじゃないんですか? 事故の跡とか」
「ううん……それは、そうかもしれないわ。
でも、もし刀傷だったとしたら、もしかしたら……」
「もしかしたら?」
「……怖い仕事をしている人なのかも」
「まさか」
首を左右に振って否定する。
今日初めて会う客だが、とても『その手の人』には見えなかった。
「で、でも……」
センダンがなおも食い下がろうとする。
だが、その彼女の言葉を押し潰すように、唐突に天井が揺れた。
「わ!」
「わわっ!」
二人して、反射的に肩を跳ね上げる。
一瞬ではあったが、重い衝撃だった。
思わず顔を見合わせあい、揃って天井を見上げる。
「ヒロ君……」
「……僕、一応、様子見てきます……」
◇
「お客様、少し宜しいでしょうか?」
客室の外から、ヒロが声をかける。
その声に反応して、部屋の中から物音がした。
「おう、宜しいぞ~」
すぐに軽い調子の返事が返ってくる。
勢い良く扉が開き、中から汗をかいているオズマが出てきた。
「よう、どうかしたか?」
「お客様、お取り込みの所申し訳ありません。
何か物音がしたようですが、どうかされましたか?」
オズマの顔色を伺いながら尋ねる。
「物音ってか?」
「ええ。何か重いものが落ちたような……」
「……あー!」
「何か思い辺りが?」
「悪い、これが響いちまったみたいだ!」
オズマは軽く頭を下げながら、右手を前に出す。
彼の右手にはダンベルが握られていた。
「ダンベル……」
「これを取り出した時に、ちょっと手を滑らせて落としちまってな」
「とすると……筋トレか何かをされていたのですか?」
「その通り。ダンベルで他にやる事ないわな」
目の前のダンベルに、ヒロは安堵する。
どうやら、センダンの危惧は杞憂のようである。
「しかし、本当に悪かったな。一応落ちたのはバッグの上で、床に傷は付いてなかったはずだが……」
「であれば大丈夫だと思います。運動熱心なのですね」
「おう。俺の仕事は身体が資本だからな」
そう言うと、オズマはダンベルを床に置いた。
それから、腰を落とし、右手で握り拳を作ってそれを前方に突き出してみせた。
何かの姿勢を見せてくれているようである。
どこかで見た事がある気はした。
だが、思い出せない。
「その姿勢が、お客様のお仕事でしょうか?」
「うむ。……ああ、そのお客様っての止めてくれよ。敬語も程々で良いんだ」
「しかし……」
「俺、堅苦しいの駄目なんだ。なっ?」
オズマがウインクしてみせる。
実にフランクな男だった。
そのウインクに、ヒロも頬の筋肉を緩めて頷く。
「……分かりました。じゃあ、その姿勢でする仕事って、どんな仕事なんですか?」
「おお! よくぞ聞いてくれました!」
オズマが姿勢を戻し、大きく胸を張った。
表情も、どこか自慢げに見える。
「俺の仕事は剣術だよ、剣術。
ロビン剣術興行団員、オズマ・ダッタンたぁ、俺の事だ!」
燦燦さんぽ日和
第五話/二十年剣士
剣術は、現代においてはスポーツとして普及している。
それも、並の普及具合ではない。
スポーツといえば、二人に一人は剣術を連想する位に、剣術は市民権を得ている。
それ程までに普及した要因は、剣術のプロスポーツ化にある。
百年前の隣国との戦争……通称、艦隊戦争が終結した頃に、剣術はプロスポーツとしてリーグ発足した。
当時は娯楽が少なく、刃を落とした1kg弱のショートソードを用いて剣の腕を競うこのスポーツは、爆発的な人気の獲得に成功した。
そして今では、国内の主要都市は大抵一つ、都市によっては二つ以上の剣術興行団を抱えている。
リーグには、それらの剣術興行団が十四チーム属している。
ワンシーズン一年間、試合に勝つ事で獲得できるポイントの総数を競うのである。
肝心の競技内容だが、一回の興行は二部に分かれている。
前半はショーパート。
あらかじめ決められた型通りに剣を振い合い、華麗な動きで観客を魅了する演武。
その他、一応は台本無しで戦うものの、寸止めにする事を義務付けられた模擬戦が、ショーパートに該当する。
ショーパートの試合では、ポイントを得る事はできない。
チームにとって、ショーパートの目的は、若手の顔見せや修練である。
本番は、後半の点取り試合だ。
攻撃して良い箇所は防具のある場所に限られてはいるものの、模擬戦とは違って剣は振り下ろされる。
無論、誤って防具のない箇所を叩いてしまう事も日常茶飯事で、そうなれば模擬刀とはいえただでは済まない。
怪我人が出る事も多々ある試合なのである。
点取り試合は10人対10人で行われ、抜き勝負ではない為に、一人が一戦のみ戦う。
試合に勝てば固定値のポイントを得る事が出来るのだが、後半の試合程ポイントは高い為に、編成が重要となる。
そうした得たポイント総数でその日の勝ち負けを決める事はなく、リーグの順位はあくまでも、全日程の総ポイント数で決まる。
ロビン剣術興行団の競技場は、ロビン東部に存在する。
内乱時代に作られたコロシアムを模して建てられた、円形の競技場だ。
この日、ヒロとセンダンは、その競技場の観客席に初めて足を踏み入れていた。
「あまりお客さん、入ってないんだね」
「そうみたいですね。もっと活気がある印象でしたけど……」
席に着いた二人は、観客席を見回しながらぼやく。
客の入りはまばらで、最大で二万人が収容できる客席は、一割程しか埋まっていない。
平日の昼間であれば仕方がないのかもしれないが、それにしても少なかった。
だが、少ないといえども、その観客達の表情は明るい。
スケジュール表を見るなり、今日の組み合わせについて雑談に興じるなり、
めいめいが試合を待ちわびているようだった。
「オズマさんの出番は午前中でしたっけか」
入場口で貰ったパンフレットを開く。
売店で購入したフライドポテトを頬張りながら、センダンもパンフレットを覗き込んできた。
パンフレットには、ショーパート、点取り試合それぞれの開催予定時刻と、
参加する団員の詳細なプロフィールが、写真と一緒に掲載されている。
オズマの名前は、午前中に開かれるショーパートの項目に掲載されていた。
「オズマ・ダッタン、三十五歳。右利き。ロビン西部地区中級アカデミー卒。ヒロ君の先輩?」
「いえ、僕は中央地区中級アカデミー卒です」
「了解。ええと……流派はフーバー流、昨年度成績140試合中25試合出場8勝17敗。
妻子有り、趣味飲酒、好きな言葉……うわあ、個人的な事も書かれちゃうのね」
「お客様あっての興行だし、選手の事はなるべくアピールしたいんでしょうね。
その割には、あまり入ってないようですが……あ、選手が入ってきたみたいですよ」
場内に、軽快なファンファーレが鳴り響いた。
同時に選手入場口が開き、客席に囲まれたフィールドに、一名の審判と二名の選手が入場する。
選手は二人とも、胸当て、グリーブ、小手、兜の軽装備を纏っていた。
いずれも、ロビン剣術興行団のシンボルカラーである青を基調とした塗装が施されている。
兜のせいで顔が見え難いが、凝視してみれば、そのうちの一人がオズマである事が分かった。
『御来場のお客様、本日はロビン剣術興行団対サノワ剣術興行団の試合にお越し頂き、誠にありがとうございます』
風のマナの力を用いた拡声器から、女性アナウンサーの流暢な声が聞こえる。
『本日の試合に先立ち、主催であるロビン剣術興行団のショーパートを開始致します。
模擬戦第一試合は、オズマ・ダッタン対ライル・カーライル……』
アナウンサーが選手の名前を告げると、観客達から拍手が生まれる。
特に、最前列の良い席に座った観客の拍手はさかんだった。
ヒロとセンダンも、他の観客に倣って手を叩く。
それが収まりだすのと同時に、長く低いサイレンの音が鳴り響いた。
「始まったね!」
センダンが少しテンションを上げながら言う。
ヒロはフィールドを凝視しながら頷いた。
そこでは、オズマとライルが、既に腰を落として模擬刀を向けあっていた。
――剣がもっとも重宝したのは、内乱時代である。
近代ほど飛び道具が発展していない当時では、攻撃・防御共に接近戦が想定され、剣は主要武器として用いられてきた。
敵の鎧を破壊する事を目的とした重厚な剣が愛用され、それを扱う剣術も一撃に重きを置いた流派が多い。
これが、艦隊戦争の頃には事情が変わる。
軍艦の砲台は当然の事、陸上戦でもマナを用いた重火器が発展し、兵士には運用・回避能力が求められた。
その為、機動力を低下させる重装甲は用いられなくなり、それは剣にも影響を及ぼす。
すなわち、相手を斬る事だけが目的となった剣には、軽く小振りな物が用いられるようになったのだ。
剣術もそれに習い、モーションの小さなものが主流となる。
そしてその流れは現在にまで続く。
現代剣術の基礎は、艦隊戦争の頃から広まった小回りが利く剣術なのである。
「ふっ!」
ライルが強く息を吐き、70cm程の模擬刀を突き出す。
だが、オズマはその一突きを軽く払った。
振るわれる剣は互いに機敏な動きで、挨拶代わりの衝突に小さな歓声が沸く。
「ライル、お返しだ!」
「ええ、どうぞ!」
オズマの一声にライルが反応し……次の瞬間、オズマの剣は舞った。
上段、中段、下段の三連撃が、本当に寸止めできるのか不安にさせる勢いで繰り出される。
もっとも、その三連撃は剣術の基本中の基本で、ライルは難なくそれを捌く。
オズマは踏み込み、次に上段三連撃。
これも基本技で、ライルは捌く。
オズマは続けて再度の上段三連。
やはりライルは捌ききる。
だが、ライルは徐々にフィールド奥へと押しやられていた。
基本技の連続は、応用技に繋がる。
あえて容易に捌ける基本技を続け、相手の防御意識が薄らいだ所で奇手に出るのだ。
無論、大抵の選手にはその奇手も警戒されるのだが、それはそれで相手の精神力を削る事が可能である。
ライルが押しやられるのも、奇手を警戒して足が下がった為だった。
――後退。
更に後退。
ライルを追い詰めるのに比例し、オズマの剣が速さを増す。
剣を振るいやすい、中段や下段の割合が増える。
剣がぶつかり合う度、二人の汗が撥ねる。
ひたすら払うライル。
だが、払うだけでも、それなりに体力は消耗する。
次第にライルの動きが鈍る。
払う事も叶わず、迎え撃つだけになる。
その衰えをオズマは見逃さない。
控えていた上段の構えを取る。
勢いに任せて、ライルの剣を叩き落す事を目的とした一撃――
「そこです!!」
ライルの気勢が上がったのは、その時だった。
低下していたはずの動きが、再び機敏さを取り戻す。
剣を振るうまでに時間の掛かるオズマの上段攻撃よりも先に、
ライルの剣が横薙ぎに振るわれ……そして、オズマの胴の真横で止められた。
「いいいっ?」
予想外の動きに、オズマは目を見開いて動きを止めた。
一方のライルは、してやったりと言わんばかりに口の端を緩める。
ライルの『疲れたふり』が成ったのである。
「勝者、ライル・カーライル!!」
審判が声高らかにライルの勝利を告げる。
観客達からは祝福の拍手が湧いた。
「あちゃあ、オズマさん、負けちゃったね」
「惜しかったですね。押してたと思ったんですけれど……」
オズマの敗戦に、二人は勝者に拍手を送りつつも少し肩を落とす。
だが、勝ち負けは抜きに、それはなかなかに興奮を覚えさせる一戦であった。
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