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24-2
誘われるまま領主館に行っていたら、間違いなく貞操の危機だ。好色な男とはいえわざわざ平凡なミルファにまで手を出そうとするとは思えないし、きっとミルファがオメガだと気づいたに違いない。領主はアルファなのだろう。
怖かった。オメガというだけで、これまで見向きもされなかった相手からも性的な対象として見られることが。
身体を弄られる手の感触を思い出し、全身にぞわぞわと鳥肌が立った。
「はぁっ、どうしよ~! 追いかけてきてる……!」
領主は馬車に乗り込んですぐミルファを追うように指示したようだ。車輪が舗装されていない道を走る、ガタガタと激しい音が聞こえる。
ミルファは何気に足が速い。でも今日はすでに疲れていて、持久力に自信がないのだ。しかも向かう先は天文台と、その奥の畑みたいなところを抜けた先の森しかない。
この前ルシアーノと天文台を見にきたとき、門は固く閉ざされていたし人けもなかった。助けを求められそうになかったら、森の中に逃げ込むしかない。馬車の通れなさそうな道を選べば、なんとか……!
ミルファは必死で走っていた。すぐに息が上がって、胸のあたりが痛くなってくる。厚着をしているせいで動きにくい。
通りにも僅かながらに人はいたものの、誰もが見て見ぬふりをしていた。分かっている。この小さな町で領主に逆らうなんてできるはずもない。分かっていても、藁にも縋る思いだった。
(誰か、助けて……!)
振り返って確認する余裕もないけど、馬車の音は確実に近づいてきている。怖くて仕方がない。捕まったらどうなってしまうのだろう?
ようやくたどり着いた天文台は、塔をぐるりと囲った正面にある大きな扉がぴたりと閉じていた。試しにドンドンと叩いてみるが、かなり分厚いのかろくな音も鳴らない。手が赤くなるが、痛みを感じないほど焦って、泣きたい心地だ。
「誰かっ、誰かいませんか……!」
考えてみれば、ここに人がいたとして通りで見た彼らと同じ反応をするのは必然だった。平民にとって、領主の力はそれだけ強い。
目の奥がツンとして本当にそのまま泣きそうになってしまったが、ここで諦めては駄目だ。自分には帰る家があるし、待っている人たちもいる。
ミルファは重くなった脚を動かす。塔の裏手に回って、領主から姿を隠して逃げようとしたときだった。
「こっちだ!」
「えっ」
突然声のした方を振り返ると、塔の裏側にある小さな扉から手招きしている人がいる。髪の白い老人だ。
一瞬迷ったものの、ミルファはすぐに身を翻し老人のもとへ走った。扉は思ったよりも小さく身を屈めなければならなかったけど、外側に取手はなく閉じてしまえばそこに扉があったことも気づかないだろう。
「どこ行った!?」
「…………」
すぐ近くでガタガタと馬車を止める音がして、領主らしき男の声がする。ミルファは息を潜めるが、老人は見つからないことに自信を持っているのか目の前にある階段を静かに上りはじめた。ミルファにもついてくるよう、指先で示される。
たどり着いた部屋はたぶんまだ低階層だけれど、扉をひとつくぐった先には生活感がある温かみのある空間が広がっている。床に分厚く使い込まれた絨毯が敷かれ、窓はあるのだろうが壁に掛けられたタペストリーで見えなかった。
申し訳ないと思いつつ、ミルファはソファに倒れ込むようにして座ってしまった。脚がガクガクと震え、到底立っていられそうにない。
疲労と、恐怖と。走っているときは誤魔化されていた感情が溢れてきてしまい、身体が言うことを聞かなかった。
「不躾な質問で失礼だが……きみは、オメガだね?」
「……はい」
老人はミルファに尋ねる。普通なら二次性はあまり吹聴すべきものではないとはいえ、助けてくれた人に嘘はつきたくない。
ミルファが素直に答えると、彼は「すぐにこの町を出なさい」と確固たる声音で告げた。
パッと顔を上げれば、老人が悩ましく眉根を寄せているのが見えた。髪も、フェイスラインをぐるりと覆う髭も真っ白だが、つぶらで黒い瞳には理知的な光が宿っている。
「あなたは……ここの研究者ですか? あぁ、申し遅れました。僕はミルファ・クィリナーレ。王宮に勤める者です。先ほどは助けていただき、本当にありがとうございました」
聞きたいことがありすぎてつい質問が先走ってしまったが、まずはお礼を伝えなければならないと、ミルファは姿勢を正して頭を下げた。間一髪で救われたのだ。
「いやいや、頭を上げてください。こっちは平民なので、丁寧にされるとどうしたらいいのか……むしろ失礼があったら申し訳ない。私はスッマと言います。まぁ、こんなヨボヨボの爺でも、研究者と呼ばれる人間なのでしょう」
「スッマ……?」
「珍しい名前でしょう。その昔、他国から流れ着いた一族の末裔なんですよ」
スッマは穏やかな様子で説明しているが、ミルファの脳内はそれどころじゃなかった。スッマって……あのスッマさん!?
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