聖者の金杯 〜魔術師の慚愧、魔王の安息〜

雪月黒椿

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1章 リンガラム編

殺人依頼

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「どうだいこのカップは! 美しいだろう、私のこだわりを詰め込んで作り上げたのだから! さすが私、芸術の才能もあるに違いない!」

「あ、はい」

翌朝、アルヴィンがセルゲイに声を掛けられ連れて行かれた場所は、ハイランズの中でも一層大きな屋敷だった。

機能性を無視してぐにゃぐにゃと歪んだカップの中には、香りの良い紅茶が揺らめいている。

どうしてこうなった、たしかセルゲイという男に着いてくるように言われて行ってみると、この屋敷に……それでこの吊り目の男は何がしたいんだ、仕事なら早く要件を言って欲しい。

アルヴィンは手作り感満載のカップを絶賛する目の前の男に切り出した。

「あの、仕事の依頼ですよね。どういった内容でしょうか」

「何だい何だい、連れないな君は! まあいいさ、敬語はなしでいこうじゃないか兄弟!」

「兄弟?」

「そう! これより、私たちは栄光への道を共に歩むのさ!」

「いや、あの、仕事ですよね?」

「さあ、まずはこれを見たまえ。これは、この偉大なるレナルド・バーウェアの大いなる一歩目だ!」

アルヴィンは差し出された紙の一行目を見て目を丸くした。

提示されていた報酬は60万ウィーガル、リンガラムでは決してありつけないであろう、高額な仕事だ。しかしそれだけで安請け合いしてはいけない、アルヴィンは最後まで読み込んだ。

そして依頼内容を読み終えた時、アルヴィンは凍り付いた。

「お断りします」

「へ?」

「それでは失礼します」

「いやいやいやいや、ちょっと待ちたまえよ! どうしてだい、この報酬で断るのか!」

「どうしてって、その依頼内容で快諾すると思います? 人殺しですよ、人殺し。本気でそう思っているなら、頭がおかしいとしか思えない」

「そんなこと言わないでよ兄弟!」

立ち去ろうとしたアルヴィンだったが、服に縋り付かれて躓いた。

身に付けているものも、肉体労働をしたことのない手も、自分より遥かに綺麗なはずなのに、アルヴィンは何故かレナルドが汚らわしく感じた。

「人殺しなんて受けるはずがないだろ!」

「話を聞いてくれ! 分かった、65万ウィーガルでどうだい。そう言えば連れがいるんだろう、その子に美味しいものでも食べさせてやろうとは思わないのかい」

「ふざけるな! 馬鹿にするのも大概にしろ、俺たちは人を殺して美味い飯が食えるような人間じゃない!」

アルヴィンはついレナルドを蹴り飛ばした。絨毯の上を転がったレナルドは、しかし諦めてはいないようでしつこく立ち上がってアルヴィンに縋り付こうとした。

しかしそこで突然部屋の扉が開き、能天気な声が割り込んできた。

「ねえまだー? 僕先に帰ってもいい?」

待たされていたエルヴィスが痺れを切らして顔を覗かせた。

レナルドの動きが止まり、アルヴィンは好機とばかりに逃げ出した。しかしアルヴィンが部屋の外に出て行こうとした瞬間、レナルドはアルヴィンとエルヴィスの間に割り込んだ。

「おいあんた、いい加減に」

「美しい……」

「は?」

レナルドは恍惚の表情でエルヴィスの手を取った。

アルヴィンは嫌な予感がして、レナルドが取っている手と反対側の腕を掴んだ。

「帰るぞエルヴィス!」

「エルヴィスさんというのですね! 珍しいですね、男性的なお名前だ。しかしそれもあなたの美しさを際立たせる! いかかでしょう、これからお茶でも!」

「お茶ならその辺の奴としとけ! 俺たちは帰る!」

「痛い痛い痛い痛いってば!」

両側から腕を引っ張られたエルヴィスが悲鳴をあげて、アルヴィンとレナルドは同時に手を離した。エルヴィスは不満気な顔で両肩をさすった。

「悪い」

「勘弁してよ、射手が腕壊したらおしまいだよ」

「射手……? ということは、あなたも魔物退治をしているんですか?」

「そうだよ。それでご飯食べてるんだから」

「なんてことだ!」

レナルドは大袈裟に天を仰ぎ、わざとらしくよろめいた。アルヴィンはその一連の動作を白い目で見ていた。

「あなたのような可憐なお嬢さんが魔物退治だなんて!」

「レナルド様、彼は男性です」

「おい失礼だぞ! こんなに美しいお嬢さんが男なわけないだろ!」

エルヴィスは妙な盛り上がりを見せる空間に着いていけていないようで、アルヴィンとレナルドを交互に見やった。

アルヴィンはレモンを丸齧りしたような顔で、再びエルヴィスの腕を掴んだ。

「帰るぞ」

「あ、うん」

「待ってください! ケーキもエルベリーもありますよ、いくらでも用意しますから!」

「エルヴィス、耳を貸すなよ。そいつはそんなふざけた振る舞いをしてるけど、ついさっき俺にとんでもない依頼をしてきた奴だ。俺に人を殺――」

「うぎゃあああああああ!」

「うるさっ」

レナルドは奇声をあげてアルヴィンの言葉を遮り、自身の身体で扉を塞いだ。アルヴィンはいよいよ怒りが抑えきれなくなって、拳を握りしめて武力行使に出ようとした。

「我が兄弟アルヴィンには、私の手伝いをして貰おうと思いましてねえ! もうお気付きでしょうが私はレナルド・バーウェア、現バーウェア領の領主、コンラッド・バーウェアの息子です!」

「あ、やっぱりそうだったんだ」

「そんなわけでアルヴィン、えぇーと、そうだな……リンガラムの話を聞かせてくれないか!」

「は?」

「次期領主たるもの、バーウェア領については全てを掌握していなくては! やはり現地の住人に話を聞くのが一番だ!」

「あれ、なんか落ちてる。あ、依頼書? えーと報酬60万ウィーガル、内容は……」

「ぴぎゃあああああああ!」

レナルドは再び奇声をあげて、エルヴィスから奪い取った依頼書を破り捨てた。引き攣った笑顔には汗が浮かんでいる。

エルヴィスは先程から状況が読み込めず、首を傾げて不思議そうにした。

「私が良き領主になれるよう協力してくれたまえ、それが依頼内容だ! 報酬は60万ウィーガル、やや長期の依頼で2人とも定期的にここに足を運んでもらうことになるが、どうだ、受けてはくれないか!」

「へー! 凄いね、太っ腹な仕事だね!」

「そうでしょう? さてエルヴィスさん、すぐにケーキでもクッキーでも何でも持ってこさせます、お好きなものは?」

「本当? それじゃあベリー系のパイが食べたいな」

「分かりました! すぐに紅茶も用意させます!」

アルヴィンはまったくもって理解できなかった。

僅か数分の間に、殺人の仕事を寄越そうとした依頼主が相棒に一目惚れをし、依頼内容を大幅に変更した。正直考えることを放棄したかった。

アルヴィンは照れ臭そうに頬を染めたレナルドの腕を掴み、エルヴィスの隣に座ろうとするのを阻止した。レナルドは不機嫌そうにアルヴィンを睨んだが、アルヴィンは気にせず耳打ちした。

「おい、どういうつもりだ」

「何がだね」

「人殺しの依頼はどうした」

「何をふざけたことを言っているんだ。エルヴィスさんに人を殺して得た金で食事をさせる気か! あんな依頼キャンセルだ!」

「……あ、そう」

レナルドがエルヴィスを女性だと勘違いしたおかげで、楽な仕事が高額で舞い込んできた。

殺人を依頼するような人物の元にはいたくないが、すぐにキャンセルしてしまうくらいだ、元々殺す気はなかったのだろうか。アルヴィンは悩んだが、生活費は必要だ。とりあえずソファに腰掛けた。

「なんかこのカップ持ちにくいね、変なの」

「なんだこの素人が趣味で作ったような下手くそなカップは! すぐに来賓用のもので淹れ直してきたまえ!」

最早アルヴィンにはレナルドの奇行に口出しする気力はなかった。エルヴィスの機嫌をとろうとひたすら菓子を勧める姿に、変わらず冷ややかな視線を浴びせるだけだ。

「それではリンガラムの現状から聞かせていただきたい」

「そうだな……俺たちが見る限りでは、やっぱり貧困が目立つな。住む家がないような奴もいるみたいだ。おかげで治安が悪い」

「なるほど! それを解決するにはどうすべきだろうか」

「どうすべきって、仕事を与えるのが一番手っ取り早いんじゃないか」

「ふむ、仕事……どういう仕事がいいんだろうか」

「えっ……道の整備とか、掃除とか……? 公衆衛生は不十分だと思うしな」

質問に答えれば更なる質問が降りかかってくる。どうすべきか、じゃあどうすればいいのか、そんな連鎖にアルヴィンは困ったように頭を掻いた。

主にエルヴィスが菓子を頬張って、向かい側でレナルドがエルベリーを齧り、そうこうしながら会話は1時間ほど続いた。

「よし、ひとまず今日はここまでにしておこう!」

「あのさ、お節介かもしれないけど。質問攻めも別に駄目とは言わないけど、自分でも考えるようになった方が良いと思うぞ。その、いろいろと」

「分かっているよ。いや、実は恥ずかしながらまったく考えていなかった。きっと今日から自分で考えて行動できるようになるよ」

レナルドは冷めた紅茶を一息で飲み干して、使用人に菓子を包ませた。エルヴィスがそれを受け取って嬉しそうにしているのを見て、レナルドはにやにやと笑った。

「アルヴィン、今日の夕飯はデザート付きだね」

「ふぉっ?」

エルヴィスの発言に、レナルドは凍り付いた。目を全開に見開き、錆び付いたブリキ人形のような動きでアルヴィンに顔を向けた。

「おい……まさか、一緒に住んでいるなんて言わないだろうね?」

「え? 僕たち一緒に住んでるよ?」

「何故だ! 恋人か! まさか恋人なのか君たち!」

「えっ、違うよ。なんで僕とアルヴィンが恋人なのさ」

「そうですか、それなら良かった! いや、待てよ……恋人でもないのに一緒に住んでいる……もしや兄妹……? アルヴィン、君のことはお義兄様とお呼びすべきなのか!?」

「誰がお義兄様だ、いい加減にしろよお前!」

エルヴィスが男性だと説明するのが手っ取り早いが、いかんせんこの依頼はレナルドがエルヴィスを美少女だと勘違いしていることで成り立っている。

アルヴィンは本当のことを言いたいのを堪えて、渡された報酬の金額を確認した。

「君たちは一般的に、報酬の半分を前金にするんだろう?」

「ああ。たしかに30万ウィーガル、受け取った。にしても、まさか本気だったとは……」

「本気だとも、私はケチ臭いことは言わないさ!」

レナルドはアルヴィンとエルヴィスを屋敷の入り口まで見送って、主にエルヴィスの背中を名残惜しそうに目で追いかけた。それに気付いたエルヴィスが振り返り、またね、と手を振れば、レナルドは溶けかけのバターのようにだらしなく頬を緩ませた。

アルヴィンはレナルドという人間をどう判断すればいいのか分からないでいた。

会話の中でアルヴィンが彼に抱いた印象は、はっきり言って考え無しの能天気な馬鹿だ。人殺しを考えそうな人間には見えなかったし、最初アルヴィンに依頼しようとした仕事も簡単に取り下げた。そもそも、何故魔物退治を得意とする自分たちに声をかけたのかも分からなかったし、レナルド自身も深い理由を持ち合わせているようには見えなかった。

「エルヴィス、レナルドはどういう人間だと思う?」

「うーん、そうだなあ。あんまり物事を深く考えてなくて、根拠のない自信家って感じかな」

「やっぱりそんな感じだよな」

「けど、素直な人だと思うよ」

「素直……?」

言われてみればそんな気もしなくない、しかしどうも釈然としない。アルヴィンは唸り声をあげて、エルヴィスの持つカゴの中のクッキーをつまんだ。

まだ昼過ぎだが大金も手に入ったので仕事はもう終わりにして、帰ってからは洗濯と掃除だ。エルヴィスは大事そうにカゴを抱えて、アルヴィンの手から逃げるようにリンガラムへの道を走って行った。
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